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《 鍋島系 》
項目記述日:2021/1/18
最終編集日:2021/4/24
市内の黒崎から草江の海岸にかけて見られるような石質を表現した語。地質学的にみた厳密な分類ではなく素人判断による勝手呼称である。
写真は黒崎の東側にみられる特徴的な露岩。


極めて強いガラス光沢があり、脆く不定形に割れる。黒から緑色にかかる色調をしていて、部分的に茶色くなることがある。


茶色が混じらないものでは全体が濃緑から黒く見え、この色調は青のりを思わせる。


子どもの頃から鍋島の岩として認識されていた。実際の鍋島がこのような岩質だったか正確には覚えていない。ガラス光沢があることから小割りにした石は美しい。膨らんだ層を成すような割れ方をするため石磨きには不向きである。割れた部分は鋭利であり、不用意に触れていると指先を怪我する。露岩から小割りにして採取するには軍手の着用が奨められる。

鍋島系の岩は海岸線や精々常盤池の本土手付近にみられる程度で、内陸部では同種の岩は見つからない。鍋島という語から鍋倉を想像するかも知れないが、鍋倉山の岩質は同じ蛇紋岩でもまったく異なる不定形で濃茶色から黒に近い。
なると石
項目記述日:2022/9/3
最終編集日:2023/1/8
なると石とは、花崗岩を数センチの厚さでスライスした正体不明の石である。
写真は鎌田堰付近に転がっているなると石。


写真のようにほぼ円形で外周部に歯車のようなギザギザがついている。その外観がなると巻のスライスを想像させたことによる勝手呼称である。

なると石が人工物であることは明白なのだが、何のために造られたのかまだ調べられていない。市内の複数箇所で見つかっており、歯車を噛み合わせるように数個を並べている場所もある。大きさはこれより若干小さいものもあるが、いずれも墓石に使われるような御影石という点で共通している。

白岩公園の梵字池に同じ形状で中央に梵字が刻まれた石盤が発見されていることから、祈祷用の何かに使われていたものかも知れない。現在では存在自体がまったく認知されていない。

画像検索で見つかる可能性はあるだろうが、その前にこの石材がどの程度認知されているかリサーチしたいので、総括記事を作成した。詳しくは項目に設置されたリンク先を参照。
日記
項目記述日:2021/1/9
最終編集日:2022/11/8
日記とは、一般には日々の出来事や所感を記載するドキュメントである。
写真は箱から出して整理している最中の日記ノート群。


個人的に日記との関わりは早くからありしかも長く続いた。毎日かならず書くという狭義の日記としての習慣が初めてついたのは中学1年生のときだった。これには図書館で借りたある一冊の本が明白な影響を与えている。しかしそれ以前にも小学校中学年の勉強日記や旅行のとき日々の行動を手帳に書いた記憶がある。
勉強日記は実在するが旅行記は捨ててしまったらしく存在しない

日記の面白さは、後日それを眺めることによって明らかになる。人は五感で得た情報の99%以上を棄却してしまっているが、記録しておくことによってそれを呼び戻すことが可能となる。出来事だけではなくその時間軸で考えたり感じたりしたことを記載すれば、充分な時間が経過した後で読み返すと変化が分かるだろう。

多くの指南書や人物によって日記の有用性が説かれている。殆どの場合、日記として記述されるのは「現在の時間軸において直近の過去にあった出来事や自分の考え」である。書くことで直近の自分の考えをまとめたり反省したりの機会を提供する。思い出すだけで記憶が補強されるが、更に筆記することでそれが決定的な客観資料となる。

現在では日記をつけるという毎日の習慣はなくなったが、記述を遺すこととその時期が分かるよう明記することの重要性はむしろ拡大している。当サイトの個別の記事でも個人的関わりの項目を設けて当該物件にまつわるエピソードを記載するのは、日記的であると言って良い。この記載で実際には書いていない他のことも合わせて思い出すことができる。私にとって日記はちょうど画像をバックアップしている外付けハードディスクのような役割を果たしている。

詳細は項目に設定したリンク先記事を、その他の話題については執筆記念日を参照。
日記そのものについてはこちらが本質なのでリンク先の記述の一部をこちらへ移動する予定
【 宇部マニっ記 】
2022年7月より書き始められた日記で、Google document を使って書かれている。隧道あるはずでしょう物語の執筆に伴い、日々の取り決めなどのログを兼ねて作成された。7〜8月は一部公開されているが、9月分から非公開になった。名称は宇部マニ日記の短縮言語化である。

10月上旬まで続けていたが、この頃から新調したばかりの安物のキーボードが超調子が悪くなり始めてキーがひかかるようになった。正しくキーを叩いているのに認識が悪く、子音の抜けが多発した。この文章を書いている今でもしょっちゅう起きている。嫌になってキーボードを叩く頻度が下がるついでに日記をつけること自体を止めてしまった。同じ子音キーを3回叩いても認識しない場合もあった。全く使っていてイライラするので、まだ使えるけどこのキーボードをとり棄てて少し高くても新しい良いのを買おうと思っている。
《 ネイル 》
英語でネイルと言えば爪のことであるが、一般には爪に装飾を施すネイルアートを指す。マニキュアに通じるものもあるが、マニキュアが彩色することに重点があるのに対しネイルは盛り上がった形状の彩色やネイルチップの追加などよりお洒落感覚が広がっている。

当サイトの管理人はかなり昔からマニキュアをして遊んでいる。ネイルと呼ぶほど高尚なものではなく単純に持ち色で彩色するだけである。遊び心の一環であるが一応は機能的な意味合いも含んでいる。(→マニキュア

誘発される誤変換によりネイルのことを「寝入る」と書いている部分があるかも知れない。
《 ネタ 》
一般には話のネタという語に代表されるように、話題性ある何物かを指す語である。そのことは題材とも呼ばれ、当サイトで定義している「物件」の俗称でもある。しかしネタは俗語であり、ごくくだけた会話で物件のことをネタと呼ぶことがある程度で、書き言葉では一部の定型句(瞬ネタなど)を除いて物件と表記している。

これとは別に、お笑い種となる話のネタから転じて冗談やおふざけを意味することもある。この意味合いで解釈されることもあり得ることから、冗談を除いた真面目な話や論述においては上品な語とは認識されていない。
《 寝耳にミミズ 》
項目記述日:2019/11/22
昔から言われている「寝耳に水」のより驚きの大きい状態を指す語である。勝手呼称だが恐らく以前から誰かによって既に唱えられていた筈であり、戯言的意味合いが強い。

それより何より「寝耳に水」という表現の由来がかなり気になる。昔の人は寝ている人の耳の穴に水を注ぎ込み、飛び起きる人の反応を実際に観たのであろうか。極端な冷水または熱湯(犯罪だって…sweat)を注ぎ込むならまだしも、普通に水を注いだところでスヤスヤ寝続けているように思われる。

本当に飛び上がるほど驚いてすぐ起きるかどうか試してみたいのだが、事前に承諾をもらっていて被験者には水を注げるよう横向きに寝てもらう必要があるだろう。特にミミズを用いた場合、水を使ったときと驚き具合に有意な差がみられるかも気になる。これには実験に使用されるミミズの確保と、それを摘まんで耳の穴へ押し込む技術的困難(と心理的背徳感)の克服が求められる。
《 粘着的記憶 》
項目記述日:2019/6/17
最終編集日:2019/11/21
自分自身について、過去に起きた一定の事象を言葉や文章で鮮明に再現するときの記憶は、日常生活で普通に用いられる記憶とは種が異なるのではないかという仮説に基づいて与えられた記憶種。勝手呼称であり、用語としては今しがた提起したばかりだが、概念としては以前から類似することを考えていた。

ずば抜けた記憶力をもつ人が稀に存在する。一度に尋常でないほど多くの数字や絵を提示し、一定の時間が経過した後にそれらの形状や配置、色彩などを正確に再生することができる人が居る。当サイトの管理人はこのタイプの人々にはまるで合致しない。この種のテストは早期痴呆の発見手段として紹介されることがある。そこでは人並みな再生能力が得られただけだった。この種の記憶は、情報を提示されて精々数分後に再生を求められるという意味で短期記憶能力に該当する。

自身を振り返ったとき、短期および中期の記憶はそれほど強くはない。しかし長期記憶はどうも身の回りの一般的な社会人の中では異常レベルなのではないかと思えるときがある。それは数十年前に自分自身に起きたイベントのみならず、親や友達、先生の言動や市内で起きた事件にも及ぶ。それらすべてを克明に再生できるわけではないが、普通ならまず誰も顧みないであろう事象まで再生できる場合がある。

遙か昔に起きたイベントの殆どは忘れ去られる。自分の場合で今でも再生可能な最も古い記憶は、最初に住んでいた松山町の家から近所の叔母さん(母かも知れない)に抱かれて近くの銭湯へ連れて行かれるときのもので、半世紀以上前のものである。もはやモノクロ映像で再生できるのみであり、検証可能性を欠いている点で絶対確実とは言えない。それより昔も数年のときを刻んできたのは確実なのだが、自身で見聞きした筈のどんな情報も再生不可能である。そしてこれより後年の記憶でも、時期やイベントがてんでバラバラに記憶されており、年代が進むにしたがって確実な記憶種が多くなっているのを実感する。

何故そうなるのかを考えたときの説明として、この種の長期に残りやすい記憶は、時間の経過と共に(目が覚めたら夢の内容が急速に失われる現象に準えて)揮発していく記憶とは対照的に、恰も粘り着くように脳内に残り再生され続けるという意味で粘着的記憶という呼称を与えている。

このような異なる種の長期記憶が自分の中に生じる理由として、以下のように自己分析している。
(1) 特別なことは何もない。
(2) 粘着的記憶を薄れさせる事象を排除しているため。
(3) 粘着的記憶を増強させる再生を反復しているため。
最初の回答では、粘着的記憶自体を否定する。特別なことは何もなく、単によく思い出せる種のイベントを選んで供述しているために恰も多くを記憶しているように思われるに過ぎないという説明である。他の人に対してどれほど同種の記憶を再生可能であるか検証していないが、十分多くの人に尋ねて同程度の再生能力が得られれば仮説は否定される。しかし敢えてそのようなテストを行ったり尋ねたりすることがないので不明な状態に置かれているだけとする。

2番目の回答は、現在の生活振りに理由を求める。一般的な社会人は朝起きて仕事場へ行き、そこで夕方まで拘束されて多くのすべきタスクをこなす。そこには長期記憶を再生することで仕事に代える場面が殆どない代わりに、新たな事件やタスクが次々と舞い込み多くの情報が流れ込むからそれらによって希釈されて取り出しづらくなるのではないかという考え方である。

3番目の回答はその逆で、私自身が日々行っている作業の多くが中長期記憶を元にしていることに理由を求める。当サイトで記事化されている物件の中でもすべてではないが個人的関わりという項目を別途設定し、そこでかなりの情報を書き出している。これはホームページが作成された時点から始まったものではなく、学童期から日記をつけていたことにも起因する。日記は当日の事象の反復再生であることが多いが、中には日記をつけた時点より更に過去の事象を再生し記述している部分もある。一般にどの種の記憶も再生されることによって(恰もDRAMがリフレッシュ動作によりメモリを保持するように)記憶状態が維持されるから、日記時代から長期にわたってそれらを習慣化してきたために粘着的記憶が産まれやすくなっているのではないかという仮説である。

これらの要因の複合である可能性も高い。例えば現時点で「粘着的記憶」という項目名でここまで記述してきたのだが、そもそもこの作業自体が現代人においてかなり特異である。普通は鼻で笑い、こんなことをいちいち書き付けようという発想自体起きないものである。私はそのことを認識している。
【 最近の考え直し 】
最終編集日近くでの再考によると、上記のうちかなり (1) に近い (2) であろうと思っている。即ちこれは個人的な生活スタイルに依るものであって特別な能力が発揮できているわけではない。したがって他の誰であろうと同様の生活スタイルを営むなら類似することが実現できると考える。

それと言うのもサラリーマンなど一般に他の組織に所属して活動する人々は、意識しないだけで私とは比較にならないほどの雑多な情報に間断なく晒されているからである。例えば私はこの項目を含めての記述でかれこれ1時間以上PCの前で記述を行っているが、殆どのサラリーマンは取引先まで営業車で移動したり、上司や部下と仕事の打ち合わせをしたり、子育て主婦では保育園に向かうバスに我が子を送り出して自分は一旦帰宅して家仕事をこなし…のような状況だろう。いちいち記銘していないだけで、視覚的聴覚的情報に晒されている。

この過程で、それ以前に得ていた記憶の上へ恰も粉雪が降り積もるように新たな情報が載っていく。その頻度と量が多ければ必然的に以前の情報を取り出しづらくなる筈である。私の場合、当面は要らないと考える情報はできるだけ身の回りから遠ざけることを意識して行っているし、まして日々街中の写真を撮り関連項目を記述し…を繰り返していれば、何処かで引っ張り出される関連記憶が自然に増強されていくことは想像に難くない。
《 野ウサギ 》
項目作成日:2019/11/21
最終編集日:2020/8/22
一般には野生動物としてのウサギを指す語だが、当サイトを含めて宇部マニ管理人自身を指す言葉として用いられる。
写真は野山時代に実際に家の前へ現れたホンモノの野ウサギ。


野ウサギと言えばマスコット的な可愛い動物を想像してしまうが、そんな大層なものでもない。生まれの干支は卯ではなく辰だし、跳躍力は普通の人より劣っている。「ウサギと言うよりはタヌキでは?」などと揶揄されがちだったが、体型に由来するのではない別の理由に依る。

野ウサギを自称している理由はいくつもある。一つは当サイトの上部にも記載されているように野山を駆け回るもの」というイメージに依る。幼少期から野山へ入りそのまま踏み跡を辿って遊んでいたし、地形だけを頼りに山道を外れて山の中を歩き回ることは現在でも普通に行われている。

単純にウサギを名乗るのではなくウサギなのは、飼いウサギとの対照性を示している。鳴き声をたてることなく黙々と行動し、協調性に欠け、飼い慣らされることがない性質による。実際、体よく利用しようとする人や組織に嫌悪感を示し、早い段階で距離を置こうとする。一匹狼と言えば聞こえは良いが、狼と言えるほど凶暴でも強くもないので野ウサギなのである。

自称するだけあってウサギという動物も好きである。もしペットを飼えるならウサギを選ぶと常々明言している。しかし実行することは恐らくない。間違いなく自分より先にあの世へ召されてしまうからである。HSP の素養を持っていることに依って死という現象に対する恐怖心が半端無く強く、ウサギに限らず生物を飼いたいとは思わない。(→うさぎチャンと一緒に暮らしたい

ウサギはあまりに寂し過ぎると死んでしまうという都市伝説があるか、それをやや踏襲する要素も持ち合わせている。人気がなくて寂しい場所は嫌いではない(孤独)が、人が居るのに寂しいのは嫌い(孤立)である。一人でも自己完結するような生活を送ることは誰でも可能であり、高齢者の独り暮らしが非常に多い。一般には人間は社会的な生物であり、人と関わり合いながら生きていくべきというのが理由である。そうでなければこういう項目を自著するにしてもホームページの用語集に公開などしないだろう。誰かが目に留め、項目を読んで下さることをほのかに期待している。

野ウサギを自称する別の理由として、日頃から野性的勘を強く働かせていることによる。この特性は場所を問わず周囲を観察することで新しい発見をしがちな視点を意味する。これを野性的勘と言うならば、元々は人間誰しも持ち合わせる筈のものだが、現代人はミクロ的な観察習慣がないために鈍ってしまっていると考えている。野性的勘はいくつかのアウトプットから感覚的な真実を導き出す助けにもなっている。

もう一つの理由として、当サイトのアカウントの一部を形成する vanilla がある。詳しくは「ばにら」の項目を参照。
【 野ウサギ目線 】
項目作成日:2021/9/18
最終編集日:2021/11/22
野ウサギに関しては前項と同様。抽象的な意味での物の見方と物理的な見方の両方がある。

抽象的な意味というのは、他の多くの人がするようなものの見方ではなく宇部マニとしてありがちな見方を指す。トンネルを歩いて通過するとき普通の人が「トンネルに入っていく」という事実のみを見るのに対し、トンネルの形状や素材、周辺の地形など深掘りした見方をしがちであることを指す。

もう一つの意味は、物件の撮影アングルを指していて人間ではなく本物の野ウサギが現地に居たとしてどのような見え方をしているかを想定した見方で、具体的には視座を思い切り下げて撮影することである。

これは恩田地区のある里道を通常の大人目線で撮った写真である。


同じ里道を野ウサギ目線で撮った写真である。視座が低く幼稚園児が実際に眺めている景色に近い。


視座を下げると、里道の地面や低い位置にある塀に自然と目が向くだろう。里道を愛でるとき、通行する地面がどのような状態であるかは評価点の一つである。そのような場合は野ウサギ目線で撮る方が分かりやすい。また、通常の題材でも野ウサギ目線で撮影すると別の印象を創り出すことができる。
《 野山 》
最終編集日:2021/1/9
一般には市街部から離れた人口密度の少ない野や山を指す言葉だが、当サイトにおける狭義はかつて当サイトの管理人が暮らしていた市内のある場所を指す。写真は典型的な野山のすぐ裏手にある送電鉄塔と里道。


具体的な場所は明らかにはしたくないのだが、当サイトにも野山周辺の物件をいくつも記事化しているので読めば自然と判明する。幼少期から学童期にかけてしばしば遊びに行き、社会人の後期には生活拠点として現在のアジトへ引っ越すまで十年程度暮らしていた。

野山という名だけあって自然はそこそこあるが、近代的な生活を営むには未だ不便な場所である。例えば半径数キロメートル以内にスーパーや金融機関、病院がない。インターネットは現在も光回線が来ておらずその予定もない。最初期に引っ越してきた当時はインターネットも分単位で課金されるダイヤルアップ回線しか利用できなかった。ADSLも設計速度が出ないため現在も利用できない。集落の人口減少と高齢化が甚だしく、国道が通っているというだけでいずれ通過地域に成り下がるのではと懸念されている。

このため再び生活拠点とすることについて現在のところ全く考えていないが、田畑で農作物を育てるとか山で炭焼きを行うには好適な地である。騒音に悩まされることが殆どなく、短期で補充が必要な飲料水や食料の調達が容易にできるなら今後の経過によっては見直される余地がある。
【 野山にある物件 】
市内で特異な物件を探して拾い上げるのが仕事なので、野山の周辺も注意深く観察されいくつかが見出されている。野山の所在地が特定されてしまわない案件に限定して取り上げる。

野山には国土地理院の設置した四等三角点がある。所在は早くから気付いていたが、現地へ行って写真を撮ったのは野山を離れた後のことだった。


この三角点に向かう里道の枝道沿いに、いつの時代のものか分からない鳥居の部材が散乱していることが知られる。写真は初めて現地調査に行ったときのもの。


これは私が市内の物件を探し始めた最初期のものであり、親父から「うちの裏山に正体不明の鳥居の一部が藪の中に転がっている」という指摘を受けて発覚した。今のところ鳥居の台輪と柱、短い石材の3個が確認されており、落ち葉に埋もれたり現れたりを繰り返している。石材に文字などは何も刻まれていない。里道があることは分かっていたが、山へ薪を採りに分け入る用事が無くなっていて確認が遅れた。

神社があったのかも知れないが、この場所は集落からかなり離れていて鳥居の部材を運び込むのに相当な距離を担いで歩く必要がある。地下の者である親父も何も分からないという。祖父や叔父は知っていた可能性もあるが既に他界している。郷土資料などには神社が有ったという記載はなく、先祖が私費で据え付けた祠の可能性もある。今のところ私と親父のみ知る物件となっている。

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