白岩公園・第八次踏査【序】

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現地踏査日:2013/11/30
記事公開日:2013/12/9
6番倒壊御堂へ置き去りにされた扁額の声が聞こえる。
- 白岩公園・合同調査会(休日編)【2】 より -


上の写真は、先日の合同調査会で訪れた6番の倒壊御堂で発見された扁額である。弘法大師像の後ろに落ちていたものをK氏が見つけだした。
その裏面に刻まれていた文字の鮮明さが忘れられない。

倒壊した御堂からせっかく見つけだしておきながら、それを雨ざらし状態に放置して帰ったことがずっと気になっていた。元は御堂の中に格納されるべき扁額で雨に打たれても大丈夫なようになっていない。このままだと畢竟朽ちて自然に還ってしまう。自分は現地で数枚の撮影を行っただけで、必ずしも充分なデータ採取を行っているとは言えなかった。

一番良いのは扁額現物を雨風の影響から逃れられる場所に保管することだった。ただ、白岩公園は私有地であり、そこに存置されたものを恣意的に持ち出すのは厳密に言えば窃盗である。現物を護るという大義名分の元に我が物にしようと企てているのではとあらぬ嫌疑を掛けられた場合、全力で否定しようにも疑義を差し挟まれるだろう。
この件に関して合同調査会のメンバーに諮ってみたところ、他に誰も扁額が雨ざらし状態になっていることに気付いている人がおらず、保全目的で現地から持ち出すのはやむを得ない措置ではないだろうかという意見があった。それで私は私物化する意図を否定し、持ち帰るかどうかは現地で判断することとして、扁額に遺されたデータを可能な限り採取すること、それも可能な限り急ぐ旨を明言した。[1]

11月最後の土曜日は、如何にも今年の11月らしさを飾るように終日雨だった。この雨なら扁額は冷たい雨に打たれ続けているだろうと想像しつつその日はアジトに籠もって記事を書いた。翌日の日曜日は晴れる見込みだったので、早々に白岩公園方面の踏査スケジュールを考えた。
白岩公園へ向かう途中で古道とされる市道藤曲門前線の終点付近を通る。そこでやや遠回りになるが未だ経路が判明していない区間を自転車で押し歩きした後に白岩公園へ行くルートを計画した。

もし扁額を持ち帰ることになるなら、自転車行きなのでまさか片手に抱えるわけにはいかない。雨に打たれて汚れていることを想定して、厚手のビニル袋と買い物用のバッグを折りたたんで携行することにした。


扁額に遺されたデータの救済が主たる目的だが、今回の訪問はそれだけではない。自分の中で解決を望む次の課題に取り組むことを決めていた。
・白岩公園コースから倒壊御堂へ向かう経路を開拓する。
・白岩公園コースから「鼻の穴」に至るまでの途中に枝道がないかチェックする。
・「ボール橋」を過ぎて最初の沢にある緩衝池について調査する。
倒壊御堂は最初の沢を遡行した先にあるので、一連の調査を終えて最後にそこへ向かう。まさか扁額を持ったまま歩き回れはしないからだ。

合同調査会の下見を除けば、再び寒さが訪れる今シーズン初の独自踏査となる。課題以外でも小さな発見はいくつかあったので、プロセスも含めて些か冗長気味にレポートしてみたい。

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時系列では市道藤曲門前線の終点から県道琴芝際波線に出てきた後となる。次の検証地は白岩公園コースなので、何処から行くべきかを考えつつ自転車を漕いでいた。

まさか中山観音廣福寺の境内から急な登り坂の八十八ヶ所を通ることはできまい。歩きでもかなり辛いのに今回は自転車だ。
県道は中山川に沿って下っていくので、距離を進むほど高度を失うことになる。合同調査会のとき車で通った地区道経由は白岩公園そのものを正面から攻略するのには最適だが、そこは最も低い場所から白岩公園を目指すので登りが長く続く。今回は登山道白岩公園コースが最初の訪問地なので、早いうちに山際へ移っておきたかった。

結局、第六次踏査のとき帰り道として援用した道を逆から登っていくことにした。


一匹のネコが建築ブロックの上にちょこんと座りお出迎えしてくれた。
まあ、このときまでは撮影する余裕を持ち合わせていたのだが…


民家の車庫までコンクリート路が続き、そこからは山道になった。すぐに余裕こくどころではなくなった。
もの凄く坂がきつい…sweat
思えばこの経路は中山観音駐車場へ戻るとき数回通っただけで、ここから登るのは初めてだった。まして徒歩ならちょっときつめの登山道に過ぎないところが、今回は自転車の押し歩きである。かなり厳しい重労働だった。

竹藪を過ぎると高台に出る。この辺りで常盤用水路のNo.3隧道坑口が見える場所を通る別の経路と合流する。
そこを通らなかったのは途中に徒歩でも危ないほど斜面が崩れている場所があるからだった


久し振りの面河内東分岐である。ここで中山観音廣福寺の境内裏手からの山道と合流する。
水路を跨ぐ石材が置かれているのですぐ分かるだろう。


面河内池へ向かうにはここを北進する。
白岩公園という存在を全く知らないながらに、比較的最近面河内池踏査でここを訪れていたのが今となっては何とも面白い巡り合わせだ。


面河内池踏査を行ったときは、この道を自転車で漕いだ。今回も先を急ぎたいので平坦なところは乗って進む。
それにしても道中かなり荒れている。至る所でイノシシが道を掘り返しているせいで、自転車に乗りづらいったらなかった。

そのイノシシ退治目的だろうか…箱罠が仕掛けられているのを見つけ、ちょっと興味本位で眺めてみた。


箱の中に米ぬからしきものが置かれている。イノシシってそんなものも食べてしまうのか…


恐らくイノシシが夢中に餌を食べる最中に紐が身体に触れて背後の扉が落ちるようになっているのだろう。
試してみたい衝動に駆られたが止めておいた。野ウサギの生け捕り状態になってはかなわない…sweat
もっとも人間なら扉を開けて脱出はできるだろうが…


面河内西分岐である。
白岩公園のもっとも妥当な入口はここから左側の道を下ったところにある。このまま直進するのが霜降山登山道の一つである白岩公園コースだ。


白岩公園コースと県道に降りる地区道の角にちょっと気になる陥没穴ができていた。
自然の陥没にしては大きく、まるで常盤原のタブ穴のようである。木の葉の間からゴミが見え隠れしているので、人為的に掘ったゴミ穴だろう。


さて、この先に前回も解決できなかった最初の課題がある。

面河内西分岐から少し進んだところである。
右下へ降りる道には木の幹を横倒しにして柵状態にしてある。これが門前池に至る道だ。


ここにある疑惑の進入路だ。

位置関係が分かるように門前池へ降りる道へ立ち入って撮影している。中央が白岩公園コースで、そこから左へ登っていく道の痕跡が窺えるだろう。


ここだけ左側に木が生えておらず道のように見える部分がある。
分岐路ではないだろうかという気がするのだ。


いや、分岐路だろうという疑念は最初訪れたときから抱いていた。それもここが倒壊御堂や忠魂碑に向かう道だったのではという考えからだ。

忠魂碑や6番の倒壊御堂は大自然碑などのメインの遺構とは異なる尾根にある。そこへ至る方法は「ボール橋」を経て南側からアクセスする経路しか知られていない。それも今なお私自身の頭には完全に入っておらず、それ故に合同調査会のときも平日編のメンバーを案内することができなかった。

忠魂碑にせよ御堂にせよ、それが建てられた以上はそこへ安泰に至る道が存在していた筈である。それも可能な限り近い経路で。物理的にはこの白岩公園コースから分岐するのが最も近いのだ。それがたった数十年程度で痕跡も分からないほど失われてしまうものだろうか?


疑惑の黄リボン。
これが何を意味するものか以前から考えあぐねている。


このリボンは私たちグループが設置したものではない。私が初めて面河内池を踏査した今年の2月には既に存在していたことが分かっている。[2]誰かが何かの目的で人為的に結びつけたのは疑いない。
索道のある入口などにはこうした目印が枝に結びつけてあることが多い。しかしここから先にかつて存在した鉄塔と言えば宇部興産(株)窒素線だけである。

かつての索道の痕跡なのだろうか…それならば尚更No.74あたりまでは続いている筈なのだが…
もう一度探索してみることに。


長丁場になるかも知れないと思い自転車は施錠してある。

少し分け入ったら先はもうシダ藪天国。
どんなに寒くなろうが緑色の葉を生い茂らせ頑張っている。地面の状態はさっぱり分からない。


前回はここで断念して引き返していた。
シダ藪の先にはちょっと開けた場所があるように思える。しかしこの辺りで既に胸元まで隠れるほどのシダ藪の深さで、こんな足元も分からない場所を盲目状態で突き進めるほど肝は据わっていない。


暴力的手段に訴えるなら草刈り機を携行してウィーンってやればかなり楽にはなる筈だ。ただ、あいにく中山方面には知り合いが誰も居ない。こんな酔狂な目的のために混合油込みで草刈り機を貸与してくれる人などまず居ない。

しかし今回はそう簡単には諦めない。怪しいと思ったなら何度でも手段を変えてチクチクと追及する…このあたりの偏執狂にも似た執着心があるからこそ、藪の中でも分け入って行ける訳でして…
この執着心こそが当サイト更新の原動力にもなっている事実もある^^;

このままでは前に進めない。したがって私は次なる行動に移り始めた。

(「白岩公園・第八次踏査【1】」へ続く)

出典および編集追記:

1. FB11月27日の投稿分による。(ログイン必要)

2.「面河内池【1】」に掲載された写真のうち、木の柵がある場所で撮影した写真の左端に黄色いリボンが写っているのが分かる。

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