常盤公園・憩いの家再生ワークショップ【第三回】

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現地撮影日:2015/12/19
記事公開日:2015/12/23
11月に開催された第二回目憩いの家ワークショップでは、終了時に既に第三回目の日取りがアナウンスされていた。設計を元に費用を見積り、来年度着手などそれほど時間的余裕が見込まれてはいないからであった。
12月に入ると、第二回参加者の元へ案内の文書が郵送された。第一回のときと同様である。どういうものが送られてきたかちょっと余談的に見てみようか…

開催要項は第二回目開催時のと同じものだった。それから第二回目の開催状況がワークショップニュースという形で報告されていた。


当日のワークショップの様子として担当者による撮影画像が掲載されていた。
この中に私も居るんだろうなあ…


そう思って眺めていたら…
ちょうど私が発表しているタイミングの時のものだった(赤面)
拡大画像はこちら


もしかすると他の写真でも…と思ってワークショップニュースの写真を眺めると…他にはもう少し目立つ格好で写っているものがあった。「発表者の声にも熱が入ります!」と紹介されているが、もしかするとホントに熱弁してしまっていたのかも知れない?

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さて本題に入ろう。
前回と異なり第三回目が開催された19日は好天だった。しかし今回も自転車ではなく車で来ていた。写真は会場となったときわ湖水ホールである。


開催日の数日前に以前調査を試みて失敗した黒岩開古道(仮称)についてある方から報告を受けていていち早く現地を踏査したかった。この日は珍しく朝から晴れたので、少し早めに車でアジトを出て現地調査し湖水ホールへ来たのである。山歩きに体力を温存しておきたかったし、ワークショップ参加者は駐車券を無料処理してもらえるのも理由にあった。[1]
黒岩開古道の成果はいずれ記事化を予定している

湖水ホールに入ったところ。会場はホール内の会議室と聞いていた。
階段を降りたところにあるという案内板が設置されていた。さて…そこに会議室とかあったっけ?


会場は1階にあるビュッフェレストラン Familio だった。
帰り際に撮影したものを流用している


Familio は中央駐車場にある焼肉レストランなどと同様の園内にある食事処で、恐らく直営ではなく指定管理者による運営だろう。ここが会場と知らされてもしかすると参加者全員に昼食が振る舞われるのかと思ってしまった…(さすがにそれはないだろう)

如何にもその通りで、食事用のテーブルや椅子などはすべて片付けられていて通常の会議室のようになっていた。
前回と同様に受付を済ませて駐車券に刻印してもらった。


今回は第2班に編入された。
グループは3班と前回より更に一つ減っている。代わりに班当たりの構成人数は若干増えていた。


前回の会場だったときわレストハウスの半分以下の広さなので寒々とした感じはない。むしろ充分に暖かいので羽織っていたジャンパーを脱いだ。
【 ワークショップ開始 】
会場が手狭なのとホワイトボードの搬入がないため、今回は前回班ごとに発表されたアイデアを貼り付けた紙の掲示はなかった。
代わりにここまでの成果を集約した一つの目を惹く模型が展示されていた。


憩いの家の計画模型である。
増築予定の離れの棟も合わせて造られていた。
カメラの調子が悪くホワイトバランスが崩れてしまっている…最近この種の障害がとても多い


茅葺き屋根の部分は取り外して中の間取りを直接確認できるようになっていた。


濡れ縁部分も忠実に造られている。


この模型は班ごとに順次回された。


改修案を元にした平面図や断面図も参加者ごとに配布された。これは第二回で提出されたさまざまな案を考慮し、一つのプロトタイプとして提示されている。前回と異なる部分は以下の通りである。
(1) 母屋と厨房棟の間に車椅子で登れるスロープを設置する。
(2) 4畳半の2部屋を畳から板の間に変更する。
(3) 玄関の反対側の土間に勝手口を追加設置して廊下に上がれるようにする。
これ以外では憩いの家全体を牽き家して南向きにする案は決定済みであり、低い地盤を1m程度地上げすることも盛り込まれていた。これらの案と平面図などを元に、班ごとで問題点の指摘や運営管理の方法について話し合った。

既にワークショップも三回目であり、最終案の決定が意識された。それ故にここからまた新たな提案を行って議論が振り出しに戻ることは避けなければという気持ちがあり、現在提出されている案に対する意見にとどまった。

憩いの家模型を上部から眺めたところ。屋根部分を取り外して撮影している。
文字が見づらいのでこの写真だけ標準サイズで掲載している


現在4畳半の和室の外側はトイレに繋がる廊下だが、この廊下を延伸した先に厨房とトイレの離れが予定されている。この廊下は土間の先にある現在の収納庫部分からも上がれるように変更される。このことで一旦土間へ降りるなどの遠回りはあるにしても、どの部屋からも他の部屋の使用者を煩わせることなくトイレや台所へ往来できる。昔の憩いの家の使われ方に対して変更を加えることになるが、4つある部屋を分割して別々の団体が利用する使い方を考慮すればこの廊下の改変は必要だろう。

しかし4畳半の和室が板の間に変更された理由が正直分からない。
この設計変更の理由について詳しく伺ってはいないが、車椅子向けのスロープが追加設置されていることからも出入りを容易にすることと、和洋折衷状態に誂える方が多彩に使えるという意図だろう。あるいは予算の兼ね合いがあったのかも知れない。

既に決定されたものであれば根底から反対する意図はないが、些かの疑問点と共にもし現状で板の間にした場合に起こり得る問題点を整理した。
(1) そもそも「茶室としての機能を基本とする」コンセプトが確立されていたのでは。
(2) 板の間ではじゅうたんなどの敷物を別途用いない限り直座りでは使えない。
(3) 現在の間取りでは椅子などを収納するスペースが足りない。
実際 (1) はなかなかに難しい問題である。憩いの家の現況を尊重するならば現在ある畳のままで良いではないかという意見が大勢だろう。しかし改修して終わりというのではない。昭和初期の暮らしの実物大再現模型ならいいとして、外観はなるべく保ったままで来訪者が実際に使用する施設としての再出発が意図されている。改修はしたがその後利用者が皆無というのでは意味がないことは、初回のワークショップでも指摘されていた。和室と洋室の使い分けができた方が使い勝手が良いのではという考え方ができる。

ただし板の間にした場合、当然だが和室のように直には座れない。茶道や華道では和室一つあれば他は精々参加者に座布団一つあれば足りる。それらは収納へ押し込むことで容易に片付けられる。板の間で直座りするならじゅうたんを敷くか、椅子とテーブルというスタイルになる。既にみてきたように、茅葺きという建物の制約上この空間では火気を使用できない。夏場はまだしも冬場は寒くてとても板の間の上に座れたものではないように思える。
直座りにならないよう椅子やテーブルを備えた場合、それが現況の収納で間に合うだろうかという気がする。いきおいテーブルなどを片付けず最初から出したままにする使い方になりそうだ。そうすると部屋の中央に囲炉裏がある板の間は(上からも吊り下げられているので)とても使い勝手が悪い部屋になるだろう。そこまで利便性を追求するなら、間違いなく囲炉裏は邪魔になるから取り除いて別途保存しておけば済むのでは…という改変になりそうだ。

今回も参加者で次々と意見を出してはそれを付箋に書いて貼り付けるといった作業になった。上記以外と他の班から提出された印象深い意見をまとめておこう。
(1) 周遊園路から憩いの家へ降りる階段の位置を付け替えてはどうだろうか。
(2) 車椅子は渡り廊下と室内用を分けて欲しい。
(3) スロープからの入室を車椅子来訪者に限定しない場合は入り口に下駄箱などが要るのでは。
(4) かまどを展示する土間部分は他の農機具なども追加した方が良い。
(1) は、牽き家で憩いの家を常盤池側へ寄せて回転させた場合、現況の下り階段が渡り廊下のT字部分に位置することに依るものである。ここから渡り廊下に上がる経路は想定していないので、周遊園路から来た来訪者は勝手口や玄関に行くまで遠回りになる。これは外構関連の工事なので変更は容易だろう。憩いの家の敷地自体1m程度地上げされるので、階段も現況よりは若干短くなる。

(2) は車椅子来訪者の使い方による指摘である。4畳半の和室を板の間にしたのは車椅子使用者への配慮があったようだが、外から自走してスロープを上がり、そのまま憩いの家の板の間まで同じ車椅子で入る利用は再考して欲しいという要望があった。日常生活でもトイレに入るとき使ったスリッパのままで部屋の廊下を歩かないのと同じだという指摘で、これはまったく理に適った要望である。憩いの家内部限定で使う車椅子を置くか、さもなければ外部から土埃を持ち込まない対処が必要だろう。

(3) と (4) は私の指摘である。スロープは車椅子向けとは言っても専用ではない。他の来訪者がここから出入りするなら入口で履き物を脱ぐ。下駄箱などのスペースがなければ入口が履き物であふれる状況になるだろう。
それから現状の厨房は水場を取り壊してかまどのみ保存するのだが、6畳相当ある広さにかまど3つだけではスペース的に如何にも勿体ない。もう一つの土間には園内を散歩する人などが無料で利用できる休憩スペースとして予定されている。かまどを置くのなら、当時の農作業中心だった生活に因んだ物品を展示することを提案した。ただしこれは後からでも追加展示できるもので急を要するものではない。
他方下駄箱などのスペース確保は早くから検討しておく必要がある

改修された憩いの家の管理法について次のような指摘があった。
(1) 土間部分を無償で利用できるスペースとした場合の施錠について。
(2) ふすまや障子の管理について。
現在のところ玄関と旧台所にあたる土間部分は無償で利用できるスペースとして予定されている。このために玄関の反対側に勝手口を設ける。土足のままで通り抜けられる空間になり、ここより50cm程度高い部屋部分は申し込みをした団体が利用する有償空間となる。
土間部分は自由に出入り可能ながら部屋は有償限定するなら、部屋に入る障子なり襖なりは使用しないときは施錠しなければ勝手に上がり込んで使ってしまう来訪者が想定される。この辺り来訪者のモラルに任せるのか、それとも障子や襖を改造して施錠可能にするかといった問題が生じる。
憩いの家には造り付けの雨戸があるので、使わない時は雨戸を閉めれば些か弱いながら施錠の代用になる。目立つ場所なので雨戸をガラガラ勝手に開けて中へ入り込む人は少ないと考えられるからだ。他方、使わないとき雨戸を常時閉めていれば湿気が溜まるし、そもそも憩いの家を訪ねておきながら中を観ることも出来ないのかという問題もある。

別の団体からはもう少し現実的な指摘があった。障子や襖はガラス戸などと違って容易に破れる。目の届く状態で管理しないと、ふざけて走り回った子どもが破いてしまうかも知れないという懸念である。自由に観ることができる憩いの家を提供するとは言っても管理人を常駐させ、時間外には土間部分も含めて全部鍵を掛けるのはやむを得ないかも知れない。

今回でワークショップは終了である。前回と同じく名札のケースは返却し、感想カードを提出した。


帰り際、まったく些末なことだが「旧台所部分にかまどを展示する」について思い出したことがあったので、展示カードにその旨を記載した。書いた後にデジカメで撮影するのを忘れたので直接テキストでここに書くと、
島にあった元の郷土資料館に退蔵されている農機具などを展示できないだろうか?
といった気づきである。

今、旧郷土資料館がまだ開いていたときの写真を探して農機具類が写っている写真が見つかった。
[2013/1/9]


この郷土資料館は既に閉鎖され、現在は主要な資料は楠町にある「学びの森くすのき」へ移されている。しかし一部の資料は一般市民の目に触れることもないまま閉鎖されたこの建物へ退蔵状態になっている。
2014年2月においても同様の状態だった

所有者があって郷土資料館側へ貸与しているものならいずれ返却されるべきものだろうが、放置されている位なので恐らく寄贈ということになっているのだろう。蓑や唐箕など未だ古い農家にはあるにしても容易に入手はできない物品が退蔵されているので、同じ市の管轄なら担当部署間で調整して展示してはどうかと思った次第だ。
帰り際に本件を市公園緑地課の担当者へ伝えておいた。教育委員会へ問い合わせてみますという返答だった。[*]

計3回のワークショップが終了しいよいよ修正案を反映させた憩いの家改修計画が進み始める。次回の公式なワークショップは予定されていないが、牽き家を開始するなど工事の着手前には恐らく何かの案内があるだろう。メンバーにはダイジェストの形で一連の報告を行っている。[2]ここまで追跡してきたのだから、工事の過程も可能な限り追っていこうと思う。
出典および編集追記:

* 本件について後日公園緑地課からメールでの回答があった。
それによれば、旧郷土資料館に展示されていた一部は船木にある「学びの森くすのき」に展示されているという。展示されていない物品は収蔵庫に保管されていて一般公開は行われていないとのことである。それらは学びの森くすのきの地域文化交流課企画運営係が管理しているという。このことから現在は上記写真のような退蔵状態とはなっておらず、船木へ移動させたか収蔵庫に保管されているらしい。具体的にどの物品が展示され保管されているかは学びの森くすのきで確認する必要がある。
いずれにせよ旧郷土資料館が閉鎖された後も物品が仕舞い込まれているように見えたのを覚えていたが故に、退蔵させる位なら展示を考えては如何だろうかと提案したまでである。既に船木で展示されているものを引き抜いてまで憩いの家へ移動する必要もなく、更に言えば一連の処遇はまず新生・憩いの家が完成してからでも遅くはない。(2016/1/9)

1. 他に数件踏査したい物件があれば自転車を使うところだろうが、最近は若干の遠乗りでは車を使うことが目立っている。これには体力的な衰えと最近のガソリン価格の下落も影響している。

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