発電所をフェンスの外から観察するだけでも汗びっしょりになる程の暑さで、車に乗り込んでエアコンの風を浴びて涼んだ後に行動開始した。
発電所が造られるくらいだから、この近辺は標高がさほどない割に山が急峻である。道の山側に車が数台停められる狭い駐車場があった。
この場所の地図を下に示す。
(山間部なのでこれ以上の拡大表示はできない)
車を置いて若干下流側へ離れている。
ここが先の発電所からどれほどの距離かは、同じ位置から回れ右してみると理解される。
本当に目と鼻の先なのだ。
先ほど佐波川発電所の水圧鉄管を近くで観ようと踏み込んだ地山の斜面はすぐそこにある。
駐車場の端に、佐波川関水に関する説明板があった。
あまり立ち寄る人は居ないのだろうか、かなり下草が茂っている。
佐波川関水とはどういうもので、何のために造られたかなどの説明板。
帰宅してからじっくり読めるように近くからも撮影したが、その写真の掲載は割愛する。
デジカメで撮影された詳細な説明版をここへ晒し、ネットの上で眺めるだけで読者を「分かった積もり」「訪れた積もり」にさせてしまうのは不本意だし、名所を擁する地区の方々にも申し訳ないと感じるからだ。私のブログやホームページは観光ガイドではないし、その意図もない。自分の目で観て感じたことを写真や動画と共に、自分の言葉で記録するところに主眼がある。
それ故に説明版に書かれたことを自分の言葉で書き直せば、以下のように概説される:
はるか昔、佐波川は建築用の木材を運び出す経路として使われていた。現在では川の水流を借りて木材を直接流すことは日本全国において稀少だが、かつては陸路以上に重要な運搬手段だった。
充分な水量と深さがあれば問題なく流れるものの、浅瀬があると木材が滞留してしまう。実際、この辺りは元から水深が浅かったらしい。そこで水深を保つために下流部で堰き止め、川底に石畳を敷き詰めて木材が円滑に流れる仕組みを造った。川の石畳道とも言えるこの造りを「関水」と呼ぶ。[1]
関水が造られたのは今から800年以上も昔に遡る。かつては100箇所を超える関水があったらしいが、現在遺っているのはこの場所にある一つだけと言われている。(遺憾ながら佐波川ダムによる水量減や河川改修も遠因となっているようだ)
とされている。
そのことを示す石碑が道路との境あたりに立っていた。
重要な史跡なものの、 現在も遺っているものが僅少となれば、訪れる人もまばらなことは想像がつく。
説明板の前には古い簡素なベンチがあって、最近は訪問者の足を休める役目を果たしていないようだ。
(もっとも時期が来れば草刈り整備されているのかも知れない)
概要の説明が写真と共にタイルへ焼き付けられ、全体として一枚ものの説明板となっている。かなり凝った造りである。
ともあれ、現物を観てみることにした。
降りるところは駐車場から少し上流側へ進んだところにあった。
振り返って撮影している。
案内板はなかったが、容易に河川敷へ降りられるように駐車場の前だけガードケーブルが開けられているのですぐ分かった。
河川敷は道路敷より1mばかり低いが、昇降用の階段があった。
上流側を撮影。
佐波川ダムの間接的影響もあるのか、水量は多くはない。
しかし透き通った清澄な流れである。
河川敷のほぼ中央部分に、それらしきものがあった。
ランダムに岩が転がりがちな中、そこだけ岩が寄せ集められたようになっている。
大小さまざまな岩で、特に成形はされていない。天辺が平らになるよう高さを揃えて並べたようで、明らかに人の手が入っている。
このような石畳の痕跡がいくつか観られる以外、それと分かる遺構はなかった。
(帰りに同じ道を車で通ったときここから上流に向かったあたりに船頭がぶつかって亡くなったという言い伝えのある岩の説明版が見えた)
暑い。陽射しはそうでもないのだが、ちょっと歩き回ってもすぐ汗が噴き出してくる。
できれば川に両手を浸し、顔を洗いたかった。しかし足元が不安定だったり草が生えていたりで、容易に川の水を掬い取れる場所が見つからなかった。
駐車場へ戻り、ムッと暑い車に乗り込むと更に上流を目指して車を走らせた。
寄り道がかなり多くなったが、今度こそは本命の佐波川ダムだ…
(「佐波川ダム・平成23年度見学会【1】」へ続く)
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佐波川ダムを再訪したとき、佐波川発電所と共にここも再度追加の写真を撮った。
時系列記事として追記する。