佐波川関水

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現地踏査日:2011/7/27
記事公開日:2011/11/5
時系列では「佐波川発電所・初回踏査」の続きである。
発電所をフェンスの外から観察するだけでも汗びっしょりになる程の暑さで、車に乗り込んでエアコンの風を浴びて涼んだ後に行動開始した。

発電所が造られるくらいだから、この近辺は標高がさほどない割に山が急峻である。道の山側に車が数台停められる狭い駐車場があった。


この場所の地図を下に示す。
山間部なのでこれ以上の拡大表示はできない


車を置いて若干下流側へ離れている。
ここが先の発電所からどれほどの距離かは、同じ位置から回れ右してみると理解される。


本当に目と鼻の先なのだ。
先ほど佐波川発電所の水圧鉄管を近くで観ようと踏み込んだ地山の斜面はすぐそこにある。


駐車場の端に、佐波川関水に関する説明板があった。
あまり立ち寄る人は居ないのだろうか、かなり下草が茂っている。


佐波川関水とはどういうもので、何のために造られたかなどの説明板。


帰宅してからじっくり読めるように近くからも撮影したが、その写真の掲載は割愛する。
デジカメで撮影された詳細な説明版をここへ晒し、ネットの上で眺めるだけで読者を「分かった積もり」「訪れた積もり」にさせてしまうのは不本意だし、名所を擁する地区の方々にも申し訳ないと感じるからだ。私のブログやホームページは観光ガイドではないし、その意図もない。自分の目で観て感じたことを写真や動画と共に、自分の言葉で記録するところに主眼がある。

それ故に説明版に書かれたことを自分の言葉で書き直せば、以下のように概説される:
はるか昔、佐波川は建築用の木材を運び出す経路として使われていた。現在では川の水流を借りて木材を直接流すことは日本全国において稀少だが、かつては陸路以上に重要な運搬手段だった。 充分な水量と深さがあれば問題なく流れるものの、浅瀬があると木材が滞留してしまう。実際、この辺りは元から水深が浅かったらしい。そこで水深を保つために下流部で堰き止め、川底に石畳を敷き詰めて木材が円滑に流れる仕組みを造った。川の石畳道とも言えるこの造りを「関水」と呼ぶ。[1]
関水が造られたのは今から800年以上も昔に遡る。かつては100箇所を超える関水があったらしいが、現在遺っているのはこの場所にある一つだけと言われている。
遺憾ながら佐波川ダムによる水量減や河川改修も遠因となっているようだ
昭和12年、国によって指定された史跡とされている。

そのことを示す石碑が道路との境あたりに立っていた。


重要な史跡なものの、 現在も遺っているものが僅少となれば、訪れる人もまばらなことは想像がつく。
説明板の前には古い簡素なベンチがあって、最近は訪問者の足を休める役目を果たしていないようだ。
もっとも時期が来れば草刈り整備されているのかも知れない


概要の説明が写真と共にタイルへ焼き付けられ、全体として一枚ものの説明板となっている。かなり凝った造りである。


ともあれ、現物を観てみることにした。
降りるところは駐車場から少し上流側へ進んだところにあった。
振り返って撮影している。


案内板はなかったが、容易に河川敷へ降りられるように駐車場の前だけガードケーブルが開けられているのですぐ分かった。
河川敷は道路敷より1mばかり低いが、昇降用の階段があった。


上流側を撮影。
佐波川ダムの間接的影響もあるのか、水量は多くはない。
しかし透き通った清澄な流れである。


河川敷のほぼ中央部分に、それらしきものがあった。
ランダムに岩が転がりがちな中、そこだけ岩が寄せ集められたようになっている。


大小さまざまな岩で、特に成形はされていない。天辺が平らになるよう高さを揃えて並べたようで、明らかに人の手が入っている。


このような石畳の痕跡がいくつか観られる以外、それと分かる遺構はなかった。
帰りに同じ道を車で通ったときここから上流に向かったあたりに船頭がぶつかって亡くなったという言い伝えのある岩の説明版が見えた

暑い。陽射しはそうでもないのだが、ちょっと歩き回ってもすぐ汗が噴き出してくる。
できれば川に両手を浸し、顔を洗いたかった。しかし足元が不安定だったり草が生えていたりで、容易に川の水を掬い取れる場所が見つからなかった。

駐車場へ戻り、ムッと暑い車に乗り込むと更に上流を目指して車を走らせた。
寄り道がかなり多くなったが、今度こそは本命の佐波川ダムだ…

(「佐波川ダム・平成23年度見学会【1】」へ続く)

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佐波川ダムを再訪したとき、佐波川発電所と共にここも再度追加の写真を撮った。
時系列記事として追記する。
現地踏査日:2014/7/23
記事公開日:2014/8/4
(「佐波川発電所・第二次踏査【2】」の続き)

前回写真を撮っているがすぐ近くなのでこのたびも再度河原まで降りてみた。
新しいデジカメで撮るとどういう違いが出るかのテストも兼ねていた。

説明板は前回詳細に撮っているので省略した。
相変わらずベンチの辺りが草まみれだ。


初回記事では説明板の写真を撮っておきながら掲載を省略した。内容を知りたい方はこのリンクからご覧頂きたい。

河原へ降りる場所と駐車場、近接する佐波川発電所との位置関係を分かるように撮っている。


降りられる場所はガードケーブルが空けられているのですぐ分かる。しかし「佐波川関水・降り口」のような案内板はない。道路からも眺められるし、草むらの間から岩が現れていて足元が悪いので積極的には案内していないようだ。
つっかけやハイヒール履きの場合は降りない方が良いかも…隠れた岩で足を挫くかも知れない

心なしか前回訪問時よりも草丈が高い。踏み跡が少ないので河川敷まで降りる人は多くはなさそうだ。
ヘビがヌッと出て来ないかちょっと気になった。


特に関水の面影をよく遺している場所がある。
遠くからでもかなり目立つ。


大きさはバラバラながら天端がツラになるように並べられているのが分かる。
大きな岩の間には小さな石が入り込んでいるので全体としては安定している。


説明板にはなくともこれが地表部に現れている理由が想像された。かつては本当にその上を滑らかに材木が押し流される程度の水深があったのだろう。草が生えていることから現在では洪水でもない限り流水で洗われることがなさそうだ。それもほぼ間違いなく上流に造られた佐波川ダムの計画放流によるのだろう。

高い場所にある水は位置エネルギーという能力を持っているので、上手に取り出すことで仕事をさせることができる。ダム以前は水量は豊富だが水量の変動がかなりあった筈だ。ダムによってこの変動が平滑化され、更に山の中を通る導水隧道を経て佐波川発電所のタービンを回す仕事をさせている。このため関水のある区間は河川維持量しか流れないが、このお陰で徳地町の20%を賄う電力を得ることができている。[2]流水に晒される機会が減ったことで関水自体の現状以上の洗掘も回避できているかも知れない。

上流側を撮影。
日照の具合とカメラの色温度自動設定で前回よりは幾分温かみのある映像になっている。


流水の殆どは佐波川ダムの河川維持分かダム以下の支流によるものだろう。
周囲の植生も今の水位に呼応して居場所を選んでいるようだ。


下流側の眺め。
結構、大きな岩が転がっている。


佐波川関水の石碑。
前回は太陽の位置とデジカメ性能の制約で巧く撮れていなかった。


昭和12年6月15日の指定となっている。


初回訪問時と同様、佐波川ダムの方に向かって走ったとき河川敷の対岸寄りに説明柱が立った大きな岩を見つけた。その近辺で車のスピードを落としたが、説明柱付近の草が伸びて文字が読み取れなかったので撮影しなかった。
説明柱自体どうやって設置したのだろうかと悩むような場所だった

時系列記事として後続の佐波川ダム見学会の記事をリンクで案内しておく。

(「佐波川ダム・平成26年度見学会【1】」へ続く)

出典および編集追記:

1. 今では「関水」と表記されるが恐らく「堰き水」にも通じる。人であれ水であれ一旦滞留させられる場所は「せき」と呼ばれる。

2. 平成26年度厚東川ダム見学会における担当者による談話。厚東川発電所など水力発電の占める電力貢献度の話の中で説明された。

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