市道常盤公園開片倉線【5】

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(「市道常盤公園開片倉線【4】」の続き)

見通しの悪い大きなカーブを過ぎると、そこが墓地の端になる。


開地区もそろそろ北の端まで来ている。本路線はこの先長い下り坂を経て一気に終点片倉へ向かう。終点側から来れば狭くてうねった坂を登ってこの開墓園へ到達することになる。

保育園のある反対側に胃袋状に膨らんだ余剰地があり、よく営業車などが休息目的で停まっている。


現在はどうか知らないがこの場所は反対側の片倉から来たときの要注意ポイントだった。何が要注意なのかは表題で分かると思うが…
派生記事: シートベルト未装着取り締まり地点
このカーブの先で左からの道と合流する。
ひらき台内部を通る地元管理の道である。したがってあまり目立たない道ながら出入りする車は結構多い。


開墓園内は既に見てきたように狭い場所があり住宅も殆どないので、市営バス路線はひらき台の中を通ってここへ出てくる経路に設定されている。

バスが往来する影響もあってか、ここからの区間は対面交通規格に戻り自歩道も左側に付属する。
平成期に入ってからの整備と思われるが精確な時期は分からない。
昔どうだったかを覚えていない


本路線は開墓園に上がってからは墓地公園内を尾根伝いに通っているので微細な高低差がある。その影響を取り除いた上での分水嶺は恐らくこの辺りに存在する。この場所より南側は黒岩山の南側を経て常盤池へ注ぎ、あるいは赤岸池や岩田池を経て真締川水系に向かう。そして北側は請川地区を流れる沢波川へ向かっている。そして水系だけでなくこの分水嶺はかつての周防と長門の国境を形成するラインでもある。

残念ながら本路線が国境を跨ぐ場所に石碑のような場所を特定するものは昔から何もない。そのラインは黒岩山を経て本路線の何処かを横切り、川上小・中学校のある尾根を伝うことだけは知られている。尾根伝いに山道があるようだがまだ調べられていない。

不明瞭な分水界を過ぎると本路線は少しずつ下り坂へ向かい始める。
その途中で産廃場へ向かう分岐路がある。


この道は私企業向けの道ではなく黒岩方面へ抜ける古道である。しかし通り抜ける人がおらず現在は車どころか徒歩ですら通れる道がなくなっている。以下の記事に書いた。
派生記事: 開黒岩古道
この辺りから明白な下り坂となる。
左側の急坂を登ったところに確か水道局の設備があったと思う。[3]
一度仕事でここから歩いて入ったような記憶がある


下り坂の途中、カーブ右側の斜面に酷く藪にまみれた建物が見えかけている。
ちょっと気になるだろうか…


初めて市道走破したときはこれほど藪ではなくフェンス門扉の内側にあるものが見えていた。現在はかなり酷く藪が繁茂しているので関係者も接近しないようである。写真だけ掲載しておこう。
派生記事: 藪にまみれたある建物
自転車は跨っているだけで鼻歌状態で距離を稼げる下り坂だ。
この坂の途中にバス停がある。


ハーモニーヒルズバス停だ。
ハーモニーヒルズは斜面に造られた住宅地で、川上校区の一区を形成している。個人的関わりはなく、かなり昔に道路の通り抜け利用をしていた場所だ。


ハーモニーヒルズの方の責任ではないのだが、本路線のスタート時から見られる「痛いバス停サイン」の代表となってもらった。これはどうかと思われる問題作だからだ。
派生記事: 誰のためのローマ字併記?
ハーモニーヒルズに向かう分岐路付近は余剰地が広くとってあり、枝道は本路線へ直角に取り付けてある。
市道下請川線である。


市道下請川線の記事を作成するかどうか分からないので暫定的にここで書いておくと…

この路線はハーモニーヒルズが完成した当初は地元管理の道だった。しかし本路線を経由して瀬戸原などに向かう場合、新しく造られた住宅地内を通る道の方がずっと道路事情が良かった。この先本路線は道幅が狭くカーブの多い道なのだが、ハーモニーヒルズ内の道はカーブが一箇所だけで幅も広いのである。このことは下の拡大図を見れば理解できるだろう。


このためハーモニーヒルズが完成した当時から団地に用事のない外部車両の通り抜けに好んで使われた。地元管理道の通り抜け利用が団地居住者にはデメリットしかないのは容易に推測できることであり、すぐに路線の中ほどに「団地に用のない方の通り抜けを禁止する」のような立て札が設置されたもののまったく効果はなかった。私自身も何度もショートカット目的で利用したことがある。前をノロノロ走っている車をやり過ごす目的でハーモニーヒルズの道を使って先回りするドライバーも散見され、事実上ハーモニーヒルズの団地内の道が本路線のバイパスとして使われてしまっていた。認定市道へ昇格したのはこのような経緯が影響しているのかも知れない。

なお、現在は南の方に臨空頭脳パークを通る対面交通の市道黒岩片倉線が通じたこと、県道西岐波吉見線も川上小中学校入口近くにあったアップダウンを回避する平坦なバイパス路が造られて本路線自体の交通量が減ってからは状況は幾分改善されていると思われる。
以上の記述は市道下請川線を記事化した折には移植する

ここでまたしても市営バス路線は狭くカーブのきつい本路線を回避して市道下請川線の方へ移っている。
バスが通らないせいか再び貧相な道路規格に戻ってしまう。


したがってここからの区間は車が通れる状態の道となってから殆ど変わっていない。
上下線とも歩道がなく路側も狭いので自転車にとっては厳しい。


線形も悪い。この場所は半径が小さくて見通しも効きづらいカーブの最たる場所だ。
急カーブを案内する標示板が設置されている。しかしこのカーブ外側が膨らんでいるのでしばしば車が停まっている。


下りながらの左カーブの外側に車では通行困難な狭い枝道が存在する。


書籍[1]によれば、こちら側が本路線の前身に相当する昔の道らしい。かつて下片倉から開へ抜ける古道だったようだ。四輪の通り抜けは不可能で、この先に黒杭村の墓地と焼火神社がある。それらの辺りは最近まで仙台と呼ばれていた。
派生記事: 下片倉古道(仮称)
(記事が書き上がり次第リンクで案内します)

更にどんどん下っていく。
山の斜面を斜めに下っていくようなイメージである。


昭和40年代後半の航空映像でもこの道は未舗装路として既に存在する。だから車が通れるよう拡幅した道になって50年程度は経つのだろうが、元から人が往来していた山道を拡げたのだろうかという気がしている。車が通る道造りとしては強引で、先述の古道とは異なり麓から短距離できつい坂を登っているからだ。

カーブの外側に沢地を挟んでほぼ同じ視座に県道が見え始める。
県道西岐波吉見線である。もっとも平成期に入って付け替えられた路線部で、昔はこれから先向かうすぐ足元を通っていた。


眼下に見えている沢地まで殆どすべて高度を一気に吐き出す。
そして県道から分岐する道に出会う。


ややあっけないかも知れないがここが本路線の終点だ。
右から合流するのは市道請川2号線である。


この道はかつての県道西岐波吉見線の旧路線で、現在のやや高いところを伸びる4車線の道以前は車がマトモに通れる道はこの先にある道だけだった。県道の新区間ができてからは市道へ格下げされている。[2]

終点側から振り返って撮影。
県道との相互往来が多いので、大抵のドライバーは沢波川を渡るだろう。


市道請川2号線からのT字路には一旦停止が求められている。かつてキチンと一旦停止をしているか本路線の終点近く左側の空き地にパトカーが停まって一旦停止チェックを行っていることもあった。
本路線を終点から道なりに真っ直ぐ進むのが旧県道西岐波吉見線である。そのすぐ先にハーモニーヒルズの中を通って出てくる分岐路がある。瀬戸原側から車で走るときしばしば右折して本路線を避けてハーモニーヒルズの中をショートカットしていた。

これにて終点到着だが、少しばかり現地撮影を行った後のことを時系列的に書くと…
一連の撮影はすべて黒杭村関連の探索を行う過程で採取された。黒杭村にまつわる道としては、書籍[1]には下り坂途中にあった古道の分岐路が挙げられていた。
それ故に終点到達後すかさず降りてきた坂を登り直して先の分岐点へ向かったのだった。
ちょびっとばかり後書きを…

いやぁ、長かった。
本路線の完結で、私の中で整理番号2ケタ市道のうちの手強い路線3つを記事化できた。13番の常盤公園江頭線、14番の丸山黒岩小串線、そして15番の本路線がそうである。いずれも結構長い上に話題の多い常盤公園の周辺を通る路線なので派生記事が多く、写真を元に一通り書き上げた後に現地の状況が変わったり新たな派生的物件が現れたり、交差する別の市道とのリンク整合性をとる処理などかなり手が掛かった。

特にこの3路線を急いだのは、個人的関わりの多さによる。自分しか知らない、自分のみが体験した出来事が多いのである。それはまったく私独自に関わる問題なので一般の読者における重要度は限りなく低いが、自分の中で書き遺したいことを連載記事中に盛り込むのは当該レポートの最大の記述モチベーションになる。ともすれば郷土史の焼き直しや道路情報の羅列で無機質な辞書的レポートになってしまいがちな中、殆ど役に立たない個人的四方山話が読み物として通用するスパイスになってくれればとも思う。
個人的関わりの派生記事を読みやすくするよう別途カテゴリを作ることも考えています
出典および編集追記:

1.「歴史散策かわかみ」

2. ネット上の地図では現在もなおこの旧道区間を県道のように(路線番号の219と黄色の路線表示)表示しているが、既に旧道区間は認定市道となっている。
カーブミラーも山口県から宇部市のステッカーに貼り替えられている

3. 市水道局管理で昭和48年2月完成の西ヶ原中継配水池である。
宇部市水道ビジョン 第一期 第一次」p.4

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