本編では、
市道常盤公園開片倉線から派生する記事をまとめて収録している。
なお、本路線の前半は常盤公園の敷地内を横断するように通っており、常盤公園との結びつきが強い派生記事は
公園カテゴリの常盤公園の項目に移動している。
《 猿田彦石碑 》
現地撮影日:2013/5/26
記事公開日:2013/6/1
市道常盤公園開片倉線の起点付近、常盤公園の遊歩道と立体交差しているカーブ近くに今までまったく気付いていなかった猿田彦の石碑が見つかった。
地図は示さないがこの写真を見れば大体の位置が分かるだろう。
反対側からズームで撮影している。
歩道が欠けているカーブの中ほどにフェンスの切れ目があり、そこに潜んでいた。
私自身がその存在に気付いたのは先月あたりのことだった。
自転車で常盤公園の正面玄関に向かうときは、この手前の横断歩道で右側に渡っている。車道の幅が狭くて如何にも危険だからだ。
しかし先月は正面玄関ではなく亀浦方面に向かっていたので、右側の自歩道に移らずそのまま車道を走った。
(
自転車の航行方針としてはむしろその方が正しい)
とろとろしていると背後から車がやって来たとき逃げ場がないので、スピードを上げて走っていた。そのとき
カーブの内側に何やら古い石碑らしきものがチラッと見えたのである。アッと思ったが途中で安全に停車できる余剰地もないのでそのまま通り過ぎてしまった。
そのことを覚えていたので、先週常盤公園を訪れた帰りに立ち寄ってみたのである。
危ないので近くまで自転車を乗り付けられない。自歩道の端に停めて反対側に移った。
歩道はここで切れている。その先は
白鳥湖に向かう遊歩道との立体交差になっている。
このカーブ付近は路側帯がぎりぎりまで迫っていて本当に危ない。
車の切れ目を狙ってサッと近づく必要があった。
そこには一畳程度のスペースがあって建築ブロックで囲まれた石碑が立っていた。
建築ブロックの囲い自体が相当に古い。内部には草も生えており、今や誰も看る人がなさそうだ。
石碑の上半分に「猿田」の文字が見えた。
それで猿田彦にまつわる何かではないかと思ったのだ。
経年変化で岩の表面が荒れて下半分は読み取れなかった。
花を活けるためのガラス瓶と共に賽銭が置かれていた。
念のため石碑の背面も調べてみたが何も読み取れなかった。したがっていつ頃のものかは分からない。少なくとも大正期以前のものではなかろうか。
すぐ背後が私有地ということもあってあまり奥深くまで立ち入ってゴソゴソするわけにもいかなかった。
フェンスから下は常盤公園の遊歩道になっている。
遊歩道との高低差は3m程度あるが、ここに古くからの石碑があることから市道は尾根伝いに伸びており、ここが最初の登り口だったとも言えるだろう。
なお、石碑の存在については
[1]にも言及されている。
この石碑のすぐ下にある園路との立体交差については次項を参照。
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《 新設された横断歩道 》
現地踏査日:2009/11/15
記事公開日:2013/5/31
たまたま近くにあったので記事化されるタイミングは同じだが撮影時期はまったく異なる。
起点に向かって走ったとき、幅広の自歩道が消失する場所がある。この場所にはかつて横断歩道がなく、西入口を出た来園者が正面玄関方面へ歩くとき、いきなり歩道が消失するので横断歩道のない場所で適当に渡るしかなかった。
以下の3枚は2009年8月の撮影で、まだ横断歩道が設置されていないときのものである。
インターロッキングの歩道は既に設置されていた。西入口から出てきた来園者は、ここまで歩いて歩道が突然消失することに気付き、横断歩道のない車道を渡る事態になっていた。
あの歩道の切れるすぐ後ろに立体交差がある。
ここは路側帯すら極めて狭く、しかもカーブで見通しが悪い。多分危険という声が上がったのだろう。
(
現在は通行車両に減速を促す補助ラインが路側帯の内側に追加ペイントされている)
以下の3枚は2009年11月の撮影である。
たまたま自転車で通りかかったら、新しい横断歩道がペイントされ歩行者の横断サインも設置されていた。
横断歩道は見通しの悪いカーブを避けてその手前に設置された。
植樹帯と縁石の一部が撤去されてアスファルト補修されていた。
横断サインに貼られた公安のステッカー。
平成21年(2009年)9月に設置されたことが分かる。
たったこれだけのことで実のところ横断歩道などの新設は市内でも普通にあることだ。たまたま前後の変化を写真に撮っていたので掲載した次第だ。
《 初めて自動車事故を体験した場所 》
現地踏査日:2014/9/27
記事公開日:2014/9/28
思いっきり若い頃の個人的な出来事だが、写真は平成5年1月の年明けに初めて自動車による事故を体験した場所だ。
この写真だけでどのような事故だったか想像できるだろうか。
(
写真左側にある建物は当時存在しておらず事故とはまったく何の関係もない)
恐らく読者の想像する通り、
私が本線を走っていて写真左側の脇道から出てくる車に後部を追突されたのだった。
初めての自動車事故であり記憶は今も鮮明である。また、当時は日記をつけていたために詳細な経緯が分かる。以下は
[2]の記録を元に記述している。
| 以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。 |
前年の12月より
常盤公園野外彫刻展示場整備工事に配属され、現場担当者として従事していたときのことだった。年が明けて仕事始めを過ぎ、現場もいよいよ本格始動に向かおうかという時期だった。
仕事を終えると職員は本社事務所へ寄るようになっていた。現場は自分を含めた3人体制で、いつも私が最後に本路線から現場へ乗り入れる工事関係者向けの鉄扉を閉めて退出していた。
当日は雨降りで、帰るときもまだ降っていた。特別な事件の起きる日にはありがちなことなのだが、私が車を停めて鉄扉を閉めようとしたとき先輩の車が停まって私に
「俺が閉めるから先に行っていいよ」という合図をした。確か私の車の方が先に場内から退出しており、先輩も雨の降るのに毎回車から降りて扉を閉めさせるのを詮無いと思ったのだろう。それで先輩に合図して私が先に市道へ出て沼方面に向かった。
現場を出て僅か200m程度のこの場所を走っているとき、左の路地から若干頭を覗けている車には気付いていた。よくあることなのでいつも程度に注意を払って走行したのだが、その車は何故か私の車にまったく気付いていなかったらしい。いきなりヌッと本線へ出てきて
かなりの勢いで私の車の後部ドアに追突した。黒い影が車の後ろに衝突するのが見えた。
当時、その車が出てきたと思われる路地から撮影している。
この道は本線に対して登り坂で、当時は右側の見通しはもう少し利いていたと思われるものの本路線がカーブしているため見通しが極めて悪い。やや右側にあるミラーを頼りに出る以外ない。
(
このミラーは当時のものと同一と思われる)
私が運転していた車は軽四で、相手の車は普通車だった。かなりの勢いで車の後部に衝突したために私の車は大きく右側へ傾き片輪走行状態になった。いわゆる臨死体験を語る人に共通することだが、このとき
私の中で時間がスローモーションで進行していた。横転を覚悟していた。しかし命を失うようなことはあるまいという確信があった。ハンドルは恐らく操作できていなかったが停まらなければという気持ちがあったからブレーキは踏んでいたと思う。
車は前後の右側車輪状態で自走し、緩やかに左カーブを描く形で現在ビルが建つ前の空き地だった場所に突っ込んで停止した。
(
当時は民家に隣接する空き地だったと思う)
片輪走行とは言っても45度も傾いていなかったらしく、空き地へ入って停止するとき車体は復元して左側タイヤがドスンと着地して停まった。当然気が動転していたのでその直後とった自分や相手の行動はよく覚えていない。自分が車から降りて相手の車のところへ行ったと思う。
ぶつかってきた相手は30代の女性で、保育園に子どもを迎えに行った帰りだった。相手方の車では助手席で子どもがワンワン泣いていた。しかし双方とも怪我はなかった。私は勿論相手方も交通事故はまったく初めてのことで、双方がオロオロしていた。そこへ
ちょうど現場入口の門扉を閉めて先輩の車が通りがかった。私が合図するまでもなく状況に気付いて停まってくれた。
彼は手早く警察に連絡して指示を仰いでいた。そして車が動くようなら双方とも
宇部警察署の事故係まで自走して来て欲しいと伝えてくれた。片輪走行状態という衝撃的な体験をしながら、双方とも車の損傷は殆どなかった。
それで私は事務所には寄らずそのまま相手方ドライバーと警察署に向かった。当時宇部警察署は現在の市役所駐車場となっている場所にあり、
市道栄町線に面して建物の下をくぐる形で場内に入れるようになっていた。ここへ入ったのは後にも先にもこの一度きりだった。
事故係の担当者と聞き取りにより、私が本線を進行していたこと、相手方が私の車の後部に衝突した痕跡があったため、100%過失として相手方の任意保険で修理されることとなった。
かなりの恐怖体験を含む自動車事故でありながら、今思うに
極めて多くの幸運が重なっていたのである。事故現場はたまたま空き地になっており、片輪走行状態ながら小さな弧を描く形で私の車が入り込み停止できた。もう少し強く弾かれていたなら対向車線へ押し出されただちに生命の危険に晒されただろう。現場を出た直後であり、車のスピードもそれほど出ていなかったのも幸いした。損傷は私と相手の車のドア部分で、ガードレールや民家の塀などの物損もまったく起きなかった。
(
衝突の衝撃で後部座席に載せていたワープロが車内で投げ出されたが破損や故障はなかった)
いつもは私が最後に門を閉めるのを、この日だけ先輩が後から現場を去ったのも象徴的だった。そうでなければ初めての事故でどうしたらいいものかお互いすぐには次の行動に移れなかっただろう。
先輩自身も何度か自動車事故を体験しており、このようなときどうすれば良いかを心得ていた。また、私の後部ドアに衝突の痕跡があったことから相手方の過失になるのは疑いないと話した。しかし警察署へ行く前に彼は
公道での事故はお互い様であり、まして私たちは会社の銘が入った制服を着て仕事している以上、いくら相手に過失があろうがあまり責めたてるような言動をすべきではないとも忠告してくれた。
事故の当事者となった方はきわめて誠実な人で、翌日にはご主人ともども菓子折り持参で家へ謝罪に来られている。そのとき事故係も指摘したように当方が全面的な過失があるので、すべてうちの保険で対処しますとも申し出てくれた。このため私のかけていた任意保険のランクにはまったく影響がなかった。
自動車事故の履歴としては、この1〜2年後に国道9号で車の自走が困難になる程の激しい追突事故を体験している。自分を含めて3台の車が巻き込まれた。
[付記]それ以後、この記事を記述している現時点まで自動車による事故はまったく起こしていない。
(
不注意による構造物への接触程度は何度か経験している)
[付記]
自分の記録のために記録しておく。以下の記述は仮書きで移動または抹消する可能性がある:
この事故現場は国道9号の長府であった。追い越し車線で歩車道分離帯が切れている場所で3台前のマイクロバスがウィンカーを出さずいきなり急停止してUターンを始めた。マイクロバス直後の車が急停止し、私の前を走っていた4tトラックも何とか停止し、私は殆ど急停止状態でブレーキを踏むことでトラックに接触寸前のところで停止できた。しかし後続の普通車が速度を出していたこととブレーキ操作が遅れたため私の後部に激しく追突した。その結果私の車が押し出され、前の4tトラックの間に挟まれた。トラックはテールランプの破損程度だったが、私の車の後部と前が著しく変形する大事故だった。衝突の衝撃は相当なものだったが、身体に異常はなかった。ボンネットはトラックとの追突の衝撃で著しくへの字に曲がった。後述する車ディーラーによれば、この変形が衝撃を吸収したために大事に至らなかったのだろうと語っている。事故直後、沿線にある事業所で電話を借りて小月署に現場検証していただいた。怪我人は居なかったものの追い越し車線が完全に塞がれる形となったため大渋滞が始まりつつあった。やむをえず事故に関連した車を路肩に移動することとし、路上の散乱物を片付けた。関連車両を移動していただく間、私が国道に立って滞留している車を誘導した。この辺りは道路関係の仕事で国道の事故を何度も見てきていたので、どうすべきかの振る舞い方を覚えていた。最後尾の普通車を運転していた本人の兄がすぐ近くの車ディーラーだった。トラックは自走して小野田へ帰った。私は酷い音を立てる車をディーラーの店まで自走させ、帰りは緊急に手配していただいた代車で帰宅した。車は全損となり同等仕様の新車を買い換えることとなった。この事故処理に係る費用はすべて後続車の運転手の保険負担となった。事故の遠因は合図なしに急停止してUターンを行ったマイクロバスで、当該車両は一連の事故にはまったく関知することなくそのまま走り去っている。この辺りはどの車も飛ばしている区間で、行き交う車は概して車間距離が短い。自分の運転も含めてこの点に一番の問題があったことは言うまでもない。
現在では建物が建って現地の景観が大きく変わったために、自転車で通っていても過去にここで事故を起こした記憶が殆ど薄れている。恐怖体験ではあったが、数多くの幸運に助けられた事故だったせいか自分の中では忌まわしい記憶ではない。
脇道から本線へ出るこの場所の危険度については間違いなく当時より大きくなっている。
線形は変わっていない上に当時より交通量が多くなっているからだ。
この枝道は
市道恩田野中線の終点で、奥には大学院幼稚園がある。たとえば開や沼近辺在住者なら、幼稚園から子どもを迎えに行って帰るときここから出るだろう。本路線は元々幅員が狭いにもかかわらずどの車も結構スピードを出している。特に起点から野中の5差路までは本路線の中でもっとも交通量が多いのに一番狭くて自歩道も未整備であり、今後整備される見込みもない。当面は各自が注意し自衛する以外ないだろう。
(「
市道常盤公園開片倉線・横話【2】」へ続く)
出典および編集追記:
1.「梶返天満宮だより 第42号」”野中のいにしえを語り合う”座談会による。
2. 1993年1月9日の日記(タイトル:初めての自動車事故)。
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