市道常盤公園開片倉線・横話【2】

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(「市道常盤公園開片倉線・横話【1】」の続き)
《 常盤公園・西旧通用門 》
現地踏査日:2013/7/7
記事公開日:2013/7/10
現在のときわミュージアムバス停から北へ本路線を50m程度進んだところに昔の通用門跡がみられる。
縁石は切れていないしフェンスも連続していて枝道があるようには見えない。


フェンスに接近することで、その内側にアスファルト舗装路の痕跡が確認できる。


フェンス越しに撮影。
アスファルト舗装された道が確認できる。


舗装の割れ目から雑草が生えているがそれほど傷んだ感じはない。


ここには以前鉄の門扉があって、公園緑地課による資材搬入用の通路として使われていた。一般の出入りはできず普段は常時閉鎖されていた。閉鎖されたのは、ときわミュージアム側に通用門ができたからだと思われる。

なお、この内側にあじさい苑菖蒲苑が存在する。あじさい苑側からアクセスした通路部分については以下の派生記事を参照。
派生記事: 常盤公園・西入口|旧通用門
《 自歩道がなくなる危険箇所 》
本路線は全般的に自歩道の整備が遅れている区間が目立つ。起点から辿ったとき、自転車も通って良いインターロッキングの幅広自歩道は常盤公園正面玄関からの立体交差を過ぎた場所から始まり、中央入口や西入口、ときわミュージアム入り口を過ぎたところまでは整備されている。

ところがその先にある常盤公園が本路線に隣接する場所の端で、何の予告もなくいきなり途切れている。


ここから先は本路線に接して私有地になるため歩道が確保できなかったらしい。横断歩道などはいっさいない。
元から幅員が狭い道だけに、両側へ歩道が整備されない区間の歩行や自転車通行は厳しいものがある。


自転車は車道走行が基本ではあるが、本路線は交通量が多い上に車道が狭いため、高速走行する自転車以外は安全面を考えれば自歩道を通った方が望ましい。幅2.0m以上あるか自転車通行可の指定がされているなら、車道の左右を問わず自転車は通行することができる。まして道路が狭いところに別途幅広のインターロッキング自歩道があるなら、多くの自転車はそこを通ろうとするだろう。
元からインターロッキング歩道がなければ変則五差路に向かう自転車も左側通行するものである。しかし何の前触れもなくいきなりこの場所で自歩道がまったくなくなれば、初めて通った人は戸惑う。

ここまで右側の自歩道を通ってきた自転車利用者は、その多くが漫然とそのまま道路の路側部を右側通行している。これは道路交通法違反であり、乗って本路線を進むのなら左側へ移動しなければならない。しかしこの規定には歩道が欠如したり危険でやむを得ない場合、自転車の乗り手が高齢者や児童などによる例外規定があるため厳格には援用されていない。

この場所は変則五差路側から常盤公園に向かって道路の左端を自転車通行している向きには特に危険な場所である。狭い車道で後ろから追い立てられるので、この先の自歩道を見つけるとすぐそちらへハンドルを切りたくなる。自歩道が突然終わっているので見通しが極めて悪く、反対側から自歩道を向けて右側通行する自転車と正面衝突する恐れがある。
実際今までにもう数え切れないほどこの場所で右側通行の自転車と鉢合わせした

遺憾ながらここから先に安泰な歩道が確保される見込みはゼロである。自歩道を延伸しようにもこの先にあるアパートが建ったのはつい最近のことだからだ。

情報以下の記述には個人的見解が含まれます。

歩行者や自転車の往来需要を正しく認識していたなら、アパートが建つ計画が出る前に市が用地を買い上げ自歩道を造って欲しかった。ここにアパートを建てた側に責任はないとは言え、本路線に対し直角に停める形で建物の前に駐車場を設置するこの設計は個人的には如何なものかと思う。居住者も車の出入りがしづらいだろうし、本路線を往来する自転車や車の安全も脅かされることになる。
もっとも工学部通りの方が自転車の交通量が極端に多い上に道路環境は更に悪く、整備にあたっての優先順位はまだ低いのかも知れない。
換言すれば工学部通りがそれほど危険な状態のまま放置されているということである

こういった道路構造上の欠陥があるため、個人的にはこの区間は常盤公園向けの自転車の往路としてなるべく通らないようにしている。如何に現状を問題視し、正しい交通法規を唱えたところで自分一人で現状を変えられる筈もないのだから、事故に遭う確率を下げたいなら結局は自衛しなければならない。
【 記事公開後の変化 】
項目記述日:2018/12/5
2018年の年明けに自歩道の端点にあった民家の解体が始まった。


常盤公園へ行くときよく往来する場所なので、その後暫く観察していた。2月末までには現地は完全な更地となり、もしかすると学生アパートのところまで自歩道の幅が広がるかも知れないと感じた。

しかし同年3月には再び元民家のブロック塀があった場所に沿って丁張が掛けられているのを見た。


自歩道が拡がるなら市が買い上げて施工するのだから相応な工事看板が設置される筈である。それがないことで、この丁張は自歩道向けではなく単なる民間施工のものであることが分かりがっかりすることとなった。

野中五差路より工学部通り側は都市計画道路指定されているものの、本路線のこの区間はそうなっていない。したがって単独市費で整備しなければならないわけだが、この項目を最初に記述した2013年と比較して財政状況は更に厳しくなっている。当初から「安泰な自歩道が確保される見込みはゼロである」と断定的に書いた所以である。

この区間の道路整備に関してはもう根本的に諦める以外ない。常盤公園への往来が主要であることから、たまさか常盤公園への来訪者が激増して収支状況が極めて良くなったとして、その収益を市道路財源へ付け替えるなどのトリッキーなことを行わなければ単独整備は無理であろう。むしろ何とかして整備完了まで漕ぎ着けたものの、その頃になると人口が激減していたり公共交通機関が別の方面で発達して今ほど四輪の往来の多さに悩まされることがなくなり、せっかく拡げた道路も無駄になってしまうだろう。
《 野中3の地元管理道 》
現地踏査日:2014/9/27
記事公開日:2014/10/14
野中3に格別な名前のない地元管理の道がある。当サイトで掲載したいくつかの物件に至る経路なので派生記事として記録している。

地元管理道の入口を撮影。


この場所を中心にポイントした地図を示す。


この道は楢原の入り江の末端部分へ至る周遊園路以外の道である。各物件は楢原の入り江の南岸にあるので、近づく経路として重要だ。

正面からはこんな感じで個人商店の横から入るようになる。


やがて進行方向左側の視界が開けて楢原の入り江が見えるようになる。
水位が低い場合には永いこと未解決であった水没建築ブロックもここから見える。
その方向にある民家の庭先に住民の姿があったのでカメラを向けなかった


楢原の入江の低水位調査を行ったときにはここで左に曲がり、空き地を横切って護岸に到達できた。


詳細は以下の派生記事に。
派生記事: 楢原【4】
次に四角いカーブミラーの見える左分岐を入ると、最初に水没建築ブロックを視認したアパート付近に向かう。
私有地を経由する形になるので勧められない


地図でも分かる通りこの道は何処にも抜けられない。最終的には写真の前方に見えている宇部興産(株)関連のアパートで行き止まりになる。


写真は省略するが、アパートの裏手は菖蒲苑に隣接している。このためアパートの駐車場付近を横切って直接常盤公園の周遊園路へ散歩に向かう近隣住民もあるようだ。出てくるところは白鳥大橋のすぐ近くになる。

この道と菖蒲苑との位置関係は、周遊園路から外れて歩いていて先のアパート裏手の藪に到達したことから確認できた。また、このときアパートの駐車場から歩いて周遊園路に出てくる人の姿を見つけている。
《 野中五差路 》
現地踏査日:2014/9/27
記事公開日:2014/10/13
公的な呼称ではないが、高専グランド横にある交差点はしばしば野中の変則五差路などと呼ばれている。
写真は本路線から工学部通り方面に向いて撮影。


位置図を示す。


常盤池にもっとも近い側の南北を通る道が本路線で、他3路線は北から順に市道西の宮野中線(通称「工学部通り」)、市道東新川野中線市道草江野中線となっている。本路線を含めて4路線すべてが主要市道を示す2ケタの整理番号である。

…と、言葉だけで説明しても分かりづらいだろうからマップを作成してみた。
それぞれの路線はこのようになっている。矢印はその路線の終点位置を示している。


この変則五差路を通過するのは本路線のみで、他の3路線はいずれもこの変則五差路を終点としている。いつ頃まで遡ることになるかは不明だが、手元の小字絵図を参照する限りではこの場所はかつて三差路だった形跡が窺える。即ち本路線は常盤池築堤時代あたりから線形が殆ど変わっておらず、次いで現在の工学部がある場所からこの五差路までの線形も同様である。本路線より常盤池側は字楢原、本路線と工学部通りに挟まれた鋭角三角形状の領域は字道松、そして残りの2路線を含む西側は字上尾山となっている。この2路線は小字境界を考慮せず直線的に伸びているので、車の往来需要に応えて造られた新しい道であろう。
五差路からは離れるが、マップに記載された市道梶返野中線も昭和初期から既に存在していた古道で、この道そのものが字上尾山、字祈祷台と字野中、字組木原の境になっている。

常盤池に近い場所のため、この変則五差路付近も資料が多くよく研究されている。例えば五差路の本路線に対して常盤池側は昭和初期においては墓地や火葬場があったとされている。[1]

本路線の接合部付近は道路部分を五差路側に寄せ、余剰地は自然岩を置いて芝生敷きになっている。車の往来向けに整備した時期の施工のようである。


芝生の余剰スペースにはオブジェクト代わりに蛇紋岩が置かれている。
この近辺ではありふれた石質なので、道路工事の過程で掘り出されたのだろうか。


この芝生の中に市道の美化ピカロードの里親プレートが設置されている。
プレートの近接画像はこちら


この付近で撮影された動画。(2009/11/15)
[再生時間: 11秒]


本路線の終点側から信号を待つ車。
区画ラインがないのに2台横並びで信号待ちしているのが分かるだろう。[2009/11/15]


こうなるのも終点側から五差路を通過するとき本路線の起点側や市道草江野中線に向かう直進ないしは薄いスライス右折と、市道東新川野中線への直角右折、工学部通りへ向かう鋭角の右折があるからだ。専用車線の矢印はペイントされないものの、右折する車は充分にセンターへ寄り、直進車用にスペースを空けて信号待ちするのが暗黙のルールとなっている。それほど長くない青時間を有効配分するために自然発生している。

ついでながらこの変則交差点の本路線以外の状況について…5方向からの車の流れを整理するため、信号は3サイクルである。正確に調べた訳ではないが、市道東新川野中線から五差路を通過する青時間がやや短い。恐らく市道草江野中線から五差路に入る青時間と同等だが、東新川野中線の交通量が遙かに多い。このため夕刻時は常盤中学校の登下校路前に信号待ちの車が十数台並ぶ。良くて2回待ち、混み合うときは遠方から青信号を3回待たなければ通り抜けられない。かつて開方面に受け持っていた家庭教師の生徒を訪ねるときここを通り、長い信号待ちにうんざりさせられたものだった。

他路線をレポート化したとき別アングルの変則五差路を撮影したら写真を追加しよう。
記述内容が増えたなら変則五差路というだけで独立記事になってしまうかも知れない…
【 記事公開後の変化 】
項目記述日:2018/12/5
・2015年の夏頃に国道190号常盤公園入口三差路からこの五差路までの区間に「ときわ公園通り」の名称が与えられ、通り名を示す標識が設置されている。


この場所に設置されていることから、ときわ公園通りとは国道入口から市道常盤公園江頭線を経て石炭記念館前の三差路を左折し、本路線を経て五差路に至るまでの区間を指しているようである。標識を設置している以上公式のものと考えられるが、今のところ行政側で作成するマップに通り名が現れる部分は皆無であり、市民への浸透度は極めて低い。同時期に設置された「山大病院通り」は、交通量の多い路線に設置されているせいかある程度は認知されているようである。

・この五差路において高専グラウンドのある側の自歩道近くにかつて公衆電話ボックスが設置されていた。2018年12月上旬のこと、この公衆電話ボックスに関して若い頃の強烈な体験としてある知人から怪談めいた報告を頂いた。以下の通りである。
若い頃は高専の近くに住んでいたのでこの電話ボックスを何度か利用しました。今でもハッキリ覚えているんですけど、通話していると男の子の声が聞こえて来るんです。受話器の向こうから「助けて!」と。電話ボックスのすぐ近くに家はないし人も居ないのに。その時は気持ち悪くなって電話を切りました。日を変えて電話ボックスから3回くらい話したことがあるけど同じ体験をしました。さすがに気味が悪くなってそれからはその電話ボックスを利用せず、常盤台病院(既に存在しない)まで歩いてそこの電話を使っていました。
本人によるとこの五差路は昔から交通が輻輳し事故が多かったことから、過去に事故で亡くなった男の子が居るのではないかと話した。それにしても亡くなった子どもが彼岸から音声で此岸の人間に呼びかけるなどおよそ考え難いことなので、あり得る可能性としては事故の多い場所という予備知識に影響された幻聴であろうか。この場合、同じ電話ボックスを利用する限り反復して起こり得る。すぐ裏が高専グラウンドなので、グランドで練習している生徒の声が耳に入り、場所柄に影響された感情が乗って認識されてしまったのかも知れない。

他の可能性として、電話の混線も挙げられる。近年では稀であるが昭和後期頃までの電話は通話先などの条件によってはかなり雑音が入り、他者の会話が認識できる場合もあった。我が家でも小学校時代に応接間に置かれていた電話をいたずらしていた過程でタクシー運転手の交信「了解了解!どうぞ!」等がそのまま聞こえてきたことがあった。しかし日を変えて何度か利用して同じ男の子の声が聞こえて電話ボックスを変えるに至ったということなので、偶然の混信は考え難い。この他、いたずらで再生器具を仕掛けて誰かが電話ボックスに入って通話したらオンにして声を流すということもあるが、報告者は男の子の声はボックス内ではなく紛れもなく受話器から聞こえてきたと話している。

目立つ場所にあった電話ボックスなので、もしかすると同種の体験をしたという報告が得られるかも知れない。携帯やスマホが普及した現在では電話ボックスが撤去される傾向にあり、この場所のボックスも存在しない。自分も常盤中学校時代に一度くらい利用したことがあるが、既に何処へ存在していたかも分からなくなっている。手元にある野中五差路を写したもので最も古い2009年の撮影画像でもこの電話ボックスは写っていない。なお、前項で記述しているようにこの電話ボックスがあった裏手の高専グラウンドは、戦前まで墓地や火葬場だった場所である。[1]

(「市道常盤公園開片倉線・横話【3】」へ続く)
出典および編集追記:

1. 火葬場と言っても現代のような設備の整ったものではなくいわゆる昔の野辺送りと考えられる。いずれも「梶返天満宮だより」第42号掲載の絵図(昭和15年頃の野中)による情報。

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