市道長沢源山線【1】

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現地撮影日:2012/4/29
記事公開日:2012/5/8
市道長沢源山線の起点は、既に記事公開した市道神原町草江線が国道190号を横断した先、左カーブへさしかかる途中に存在する。


この場所を中心にポイントした航空映像を示す。


さっそくだが、右側に見えるブロック塀に沿って伸びる地区道の先に面白い区間がある。
ちょうどこの市道の起点と市道神原町草江線の付け根部分に繋がっている形だ。別途派生記事で案内しておこう。
派生記事: 恩田町5丁目の生活道|ぐにゃんぐにゃん道・市道接続部
この市道は小・中学校の通学路であり、道幅が狭いので朝の時間帯は全区間において車両通行が禁止される。
この表示板が設置されたのは平成期に入ってからのことで、それまではまったく無制限に車が通っていた。


いくら規制されようが、沿線住民はこの道を通らなければ何処にも出られない。何年も前のことなので現在は違うかも知れないが、少なくとも当時は通行許可証は存在しなかった。市道の末端部で警察が通行チェックしている訳でもないので、会社への出勤など必要に応じて私たちは規制時間内でも普通に通行していた。
もっとも外部からこの区間に進入するのは規制されるだろう

幅員は1.2車線相当くらいでセンターラインや路側帯はない。過去にもラインが引かれたことは一度もなく、現在のところ掠れた起点側の停止ラインのみだ。


個人宅を写すわけにはいかないので写真は割愛するが、上の写真でブロック塀の切れている側の家の空き地が当時の廃品回収の集積場だった。
派生記事: 廃品回収
コンクリート蓋とグレーチングを伴った側溝はいずれも平成期に入ってからのものである。
順序としては平成期のはじめに下水道がきたとき中央を掘削して汚水管が埋設され、古い舗装版を剥がして舗装し直された。


その後両側の雨水側溝が整備され、ねぶり付けただけの路肩部分がフラットになって道路の有効幅が広がった。進行方向左側の側溝は下水管埋設より早かったが、右側の側溝はここ最近のことである。
そうは言っても私たちが恩田を去る前には整備されていた
雨水側溝埋設のために舗装版をカットしたラインが見えるだろう。

右側の真砂土が入った駐車スペースにもかつては平屋が建っていたが、30年位前に退去し空き屋のまま遺っていた。家が解かれた後、真砂土が入れられ区画ロープを張って月極駐車スペースとして供用されるようになった。
また、駐車場の端のブロック塀に沿って右には沢へ真っ直ぐ下っていく里道がある。この里道は後述するグリーンタウンに接する部分から先はすべて失われている。
派生記事: 恩田町5丁目の生活道|沢へ下る道
この近辺は昭和後期に住居表示が変更され、恩田町5丁目となった。
郵便番号が親番号3ケタ+子番号2ケタの時代から子番号が4ケタ化された時期
行政区としては「恩田27−3区」とされており、かつては恩田長沢と呼ばれていた。市道の路線名にある長沢はこの近辺の小字である。


大字としては沖宇部になる。何処で調べたのか、稀にあて先を大字沖宇部××番地と書いて年賀状をくれる知人が居た。
現在でも問題なく届くはず…郵便配達人はかなり困惑するだろうが^^;

この先で、市道沿いの景観を最も大きく塗り替えた建物がある。宇部興産(株)恩田長沢寮であり、単身従業員向けであることからしばしば「宇部興産独身寮」と呼ばれる。


今となっては恩田長沢寮は、恩田長沢というかつての地名表記を現在に伝える唯一の現役構造物である。
詳細については以下の派生記事を。
派生記事: 恩田長沢寮
独身寮入口から撮影している。
ここより若干先に沢の方へ下っていく地区道がある。
行き止まりで何処にも出られる道はない


かつての住民として証言するのだが、鉄工所社宅のメインの入口がこの地区道の坂の反対側にあった。
現在の独身寮の入口がある場所は空き地で、入口を付け替えた形になる。
派生記事: 宇部興産鉄工所社宅
現在こそ左端は蓋付きの側溝が伸びているが、かつては雨水や生活排水を流す開渠だった。それは現在見えている場所で道路の下を横断し、右側に見えるゴミステーションの横の桝に排出されていた。
左側に布設された側溝の雨水は現在も道路横断のヒューム管を経て排水されている


横断した先にある雨水桝はとても深く、子どもの頃この場所が怖かったのを覚えている。
現在でも当時とまったく変わらない姿を遺している稀少な構造物だ。
派生記事: 怖かった雨水排水桝
市道に沿った溝の分水嶺はこのあたりにあった。現在でも路面の勾配変わりで推察できる。かつてはこの先ずっと道路の左側端に乾いた開渠が通っていた。

標識で掲示される通り、この市道は全線が駐車禁止になっている。


今となってはまったく当たり前のことなのだが、平成期に入って初めてこの規制が敷かれたときの私たちを含めた沿線住民の衝撃は計り知れなかった。
派生記事: 沿線住民の路上駐車禁止措置
この駐車禁止標識の先で側溝が終わり、若干高くなっている場所があってその先が石積みの始まりになっている。この区間は歩車道境界ブロックを斜面の下に築いているが、この辺りに鉄工所社宅向けのグラウンドの入口があった。入口の広さは鉄工所社宅の入口とまったく同じで、途中までコンクリート舗装されている点も共通していた。

ここしか書く機会はないだろうから、はからずもこのグラウンドに纏わる幼少期の残念な想い出について触れておかなければならない。
派生記事: 鉄工所社宅グラウンド
その先右側に分岐する幅広のこの道は地区道で、この先にある住宅地向けに造られた。車では基本的に通り抜け出来ない。


この新興住宅地は造られた当初は「グリーンタウン」と呼ばれていた。
派生記事: グリーンタウン
市道は終点に向かって僅かながら下っており、向かって左側の独身寮の敷地が一段高いので、石垣の高さが次第に高くなっていく。この状況は昔からまったく変わらない。


左側に蓋付きの側溝を据え付けたために石垣の高さが低くなっている。かつて溝だった頃はこの倍近い高さがあった。私たちは手前左側の草の斜面を伝い、石垣の上を何処まで進むことができるか度胸試しに似た冒険ごっこをしていた。
大人でしかも石積みが低くなった現在なら雑作ないだろうが、幼少期の自分には石垣が高くなる一番先まで進むのは怖くて出来なかった。

この石垣の途中にある個人商店。私が中学校に入学してからできたお店である。


私たちが恩田に越してきた時点ではお店はまだ無かったのは覚えているが、以前は何だったのかは分からない。
派生記事: おばあちゃんの店
石積みの末端部分付近。
側溝設置で見かけの高さは低くなってしまったが、それでも背丈以上の高さがある。


石垣の末端部分には、昇降用の建築ブロックで造られた階段があった。現在は階段の行き先がなく、いわゆるトマソンとなってしまっている。


かつては階段の上にも鉄工所社宅の続きがあり、昇降用に使われていた。私たちの「石積み上渡り」は、ここまで到達して階段を下りるのがミッション(?)であった。
最終的に「ミッションコンプリーテッド」できたかどうかは覚えていない

石垣の先、右側に砕石だけ敷き詰めた簡素な月極駐車場がある。
以前はどういう状態の土地だったのか知らない。しかし私が自分の車を持つようになって最初の数ヶ月くらい契約したことがあった。


派生記事: 短期間利用した月極駐車場
既に市道の終点が見えている。
ブロック塀が切れるところで左に階段があり、森のような場所へ向かっている。


幼少期から過ごした地とは言え、私も生まれたときから恩田に居た訳ではない。当時から分からず現在でもよく詳細が掴めていない場所がある。
この比較的大きな木々が並ぶ斜面もそうだった。


昔からと全く同じとは言えないが、市道に面した柵は昔からあった。草の斜面や木々の繁茂も昔と同じである。この奥には民家がある。
派生記事: 源山と思われる丘陵部
終点に到着。ここで接続されるのは市道笹山岬台線で、右折して市道恩田八王子線にぶつかる場所に起点がある。
正面に建つ木造平屋と民間企業の看板は昔からあの位置にあった。


終点より振り返って撮影。
こんもりとした森状領域は道路面より5m以上高い。


市道レポートとしてはこれで終わりだが、異様に多い派生記事からこの道との関わり合いの深さが推察されたことだろう。詳しくは総括記事における個人的関わりの項目をご覧いただきたい。
【路線データ】

名称市道長沢源山線
路線番号435
起点市道神原町草江線・マスモト薬品駐車場裏
終点市道笹山岬台線・交点
延長約300m
通行制限7:30-8:30は車両通行禁止
備考

延長など各データの正確性は保証できません。参考資料とお考えください
出典および編集追記:

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