市道笹山岬台線

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現地踏査日:2012/5/4
事公開日:2012/5/26
市道笹山岬台(ささやま・みさきだい)線の起点は、市道恩田八王子線の笹山バス停付近から東に向かう路線である。

起点の位置を地図で示している。


笹山は分かるとして、岬台という地名には少々馴染みがない方もあるだろう。宇部岬駅あたりを想像するかも知れないが、方向が異なる。むしろ宇部空港の方が近い。現在は草江3丁目付近となるが、岬台という呼称は小字としては見られないものの今なお自治会館や商店の名称として使われている。

市道恩田八王子線の歩道より上の地図と同様に北を向いて撮影している。右側への入口が起点である。


前方、押しボタン式信号機のあるところに出て来るのが市道五反田笹山線で、恩田小学校の登下校路になっている。更に先には見初変電所のごつい鉄塔が見えかけている。

逆方向から撮影。
市道恩田八王子線に出ている指示標識は、朝の時間帯に左折してこの市道に進入できないことを示している。


角にある建物は現在は民家だがかつて恩田に暮らしていたときは酒屋さんだった。
派生記事: 末岡酒店
これから向かう市道笹山岬台線を写している。
子どもの登校時間帯に車が入れない同趣旨の標示が出ている。


地区道に近いマイナーな市道なので読者でここを実際に通る方は僅少と思われるが、起点となる直角のT字路は相互に見通しが悪いので注意を要する。

さて、それほど長くはない市道だがスタートしてみよう。

道路幅は1.2車線程度で、センターラインは無い。速度を落とせば普通車でも離合はそう困難ではない。


長沢という地名通りの沢を横切る形になるので、真っ直ぐながら緩やかに下っている。この沢は国道190号では現在の恩田バス停付近に相当する。
国道が通された段階で盛土されているので沢の存在は殆ど意識されない

現在では沢の殆どが住宅地に変わったが、地盤の高さまでそう極端には変わらない。一部には今でも当時と変わらない地形を見ることができる。


上の写真で白いガードレールがある位置に昔からの用水路(松尾水路[1]がある。
沢の西側斜面に貼り付く形で流れていることになる。用水路は市道路面より4m程度低いし、沢地自体も2m程度は低い。


ここが本路線中で個人的に最も思い出深い眺めの場所だ。
この周辺だけは当時と同じ手つかずのままの沢地になっている。
もっともこれから先もずっとこのままである保証はないが…


上の写真で正面に見える平屋は私が恩田へ越してきた当時から存在した。しかし用水路を隔てて左側高台にある住宅群は存在しなかった。

新興住宅地になっている付近は、かつて起点の角にあった酒屋さんの土地で、剥きだしの地面に一升瓶を入れて運ぶ木製の箱が高々と積み上げられていた。回収した一升瓶などの仮置き場だったらしい。
フェンスなどで仕切られていなかったので、幼少期兄貴と一緒に中へ入ったことがある。地面にいろんな種類のお酒の栓が散乱していたので、それを集めるのが目的だった。月桂冠とか日本盛など、生意気にも子どもながらブランド名だけ覚えている酒の栓を拾い集めた。
※の印だけ記された栓が日本盛だっただろうか…

もちろん子どもが中に入って遊んでいい場所な筈もなく、最後には近所の人か酒屋さんの誰かに怒られた記憶がある。いろんな種類の栓を探したくて積み上げられている木製の箱にも上がったからだ。[2]
すみません全くロクでもないほど好奇心旺盛なガキんちょでして…

この先で左から同程度の規模の道に出会う。
市道長沢源山線の終点である。


長沢源山線が恩田在住時の生活道だったので、当時は自転車だろうが車だろうが、今いる市道を真っ直ぐ走ることは殆どなく常にこの場所で曲がっていた。
特にここから先を自転車で走ったのは、あるいくつかの限られた用件だけだった。
そのうちの一つは後で述べるし他の市道で語られるものもあるだろう

市道長沢源山線の最後でも触れたように、このT字路の内側は一つの小さな丘陵部を形成している。市道長沢源山線では低いブロック積みの内側が自然の斜面になっているが、この先の市道では間知石積みになっている。

当然だがこの石積みは私が恩田の地へ越してくる以前からこのままだった。官民境界が古くからの石積みとなっているらしく、このような事例は市内の古道の至る所で見受けられる。


石積みの突端が最も高く人の背丈を遙かに超える。しかしその先で丘陵部が急激に落ち込んでおり、何事もなかったかのような平原になる。


この平原の先に小さな用水路に出会う。

ここも住宅が入らない草地になっていた。かつては田んぼだったような記憶があるが、定かではない。
丘陵部の上に見える大きな建物は宇部興産(株)恩田長沢寮である。


この用水路は、市道神原町草江線を走ったときに沢の両端へ位置していた2本の用水路の一つである。
用水路沿いに管理道が伸びていて、幼少期は国道からここまで辿ったこともあった。

現地ではこの用水路が市道をくぐって出てくる反対側の写真も一応撮ったのだが…
掲載は割愛する。それと言うのもその先で用水路は完全に暗渠化されており、その上をぎっしりと住宅地が建ち並んでいておよそ昔の面影など微塵も感じられなかったからだ。

2枚前の写真からも推測される通り、市道沿いのこの周辺は現地の開発が著しい。石積みとその横の草地が遺っていたのが奇跡的なくらいだ。集合住宅から個人宅から、すべて平成期に入ってから建ったものと思われる。
かつてはこの近辺一面が田んぼあるいは空き地だった。大体のことを覚えているのも、中学生の半ばくらいまでは自転車で「いくつかの用事」でこの道を通っていたからである。

遺憾ながらカメラを向ける気がまったく起きなかったので新興住宅地の区間をサッと通過し、やや細い道との交差点に出会う。



横切る道は市道岬赤岸線で、宇部岬駅を過ぎたところから用水路に沿って国道190号付近まで伸びる狭い道である。
詳細はその市道で述べることになると思うが、この十字路を右へ曲がった先に個人商店があり、中学時代は割と頻繁に買い物へ行っていた。更にその市道を進み、市道恩田八王子線を横切った先に「くじ屋」もあったので、当時の自分としては通行頻度は割と高かった。

市道神原町草江線で出会った2本目の用水路だ。先の水路とは異なり、こっちは辿った記憶がない。


したがって市道岬赤岸線のこの区間は、当時の家からそれほど離れていないながら殆ど通った記憶のない空白な道である。
走破し写真採取したこの最近が一番通行頻度が高かったと言える
同様に市道のここから先も自転車で通った回数は少ない。
しかしそれには2つほどの例外があった。

十字路を過ぎてやや上りとなり、地図ではあまり目立たないがカーブミラーを要するほどに大きな左カーブになる。


カーブを過ぎると直線路となり緩やかに丘陵部へ登っていく。
具体的なことは言えないがこの近辺に母の知り合いが住んでいらして、用事を頼まれて何度か来たことがある。その用事とは、注文していた共同購入の商品を取りに行くことだった。


個人宅なので直接カメラを向ける訳にはいかない。この近辺からちょっと入ったところに私が注文商品を取りに伺っていたお宅があった。


個人的関わりを含む内容なので派生記事の方へ移動した。
派生記事: 生協の共同購入グループのあった家
さて時間軸は現在に戻るのだが…

この場所を撮影していて、全く偶然に「絶滅危惧種」の看板を見つけた。
駐車違反を警告する錆びまくったこの看板である。


この看板には見覚えがあり、同じく昭和50年代前半に市内の至る所に設置されたものの筈だ。

まだ郊外部の市道が地元の生活道同然に扱われ、青空駐車に対して現在より寛容だった頃の看板だ。あまりに路上駐車が多かったり、道幅が狭く通行しづらいという苦情のあった場所に重点的に設置されていた気がする。

今から思えば、何とも回りくどいことを書き連ねている感じだ。現在は全区間が駐車禁止になっているのでこのような看板の出る幕はない。巡回する県警のパトカーが路上駐車の車両を見つければ、所定の手続きが粛々と進められ駐車違反のステッカーが貼られて終わりである。
違法駐車車両のところで一定時間待機し応答がなければステッカーを貼る

看板は特に撤去する理由もないのでそのまま放置されているようだ。しかし絶対数がかなり少なくなっているのは確かで、私の知る限り同一の看板が現存している場所をあと一箇所だけ知っている。
市道渡内野中線の途中にある

そろそろ終点が近づいてきた。
ゆるやかな坂を真っ直ぐ登っていき、先にT字路が見えている。
前方の市道では速度制限が40km/hに戻るようだ


終点到着。
ここで行き着くのは市道草江五十目山線で、そう広くはないがセンターラインがある対面交通の道である。


ここまで通ったことはかなり少ない。しかし先に「2つほどの例外」と述べたもう一つの用事がこの先にあった。
市道草江五十目山線沿いに歯医者があり、中学生時代に通っていた。当時は家からもっとも近い歯医者だった。
その後国道沿いに歯科ができた

終点より振り返って撮影。
何処にでもある冴えない眺めの市道かも知れないが、道路の状態から周囲まで殆ど変わっていない。


私に固有の思い出話が主体でとりたてて興味深い物件のない市道だったかも知れない。
しかしこの市道レポートを書き上げたことで、私が幼少期を過ごした恩田地区の市道包囲網が出来上がった。この市道で恩田八王子線から長沢源山線までお届けした時点で、一つの輪が繋がったことになる。即ち本路線と共に神原町草江線、恩田線、恩田八王子線、長沢源山線によって記事レポートを辿りつつ一周することができる。
道路を往来経路として記事を書き、そこに沿って市内を散歩し、沿線に見られる物件を家に居ながらにしてネットで楽しめるようなバーチャル博物館が造れたらどんなに面白いだろう…
これは最近、市道レポートに異常なほど注力している一つの理由である。道路部分を骨格として後から肉付けしていけばきっと誰でも楽しめるし、また将来に向けて昔を伝える手段にもなるだろう…と考える次第だ。

包囲網は今後も当然、市内に向けて拡大していく。その折に自分を育んでくれた恩田地区を中心と考えてとりわけ濃密な記事で満たしたいと思うのは自然な欲求だ。この地域が自分に与えてくれたものが多いから、貰いっ放しではなく今度は自分がお返しする番だと思う。
その割に個人的想い出が多くてあんまり役に立たないかも…
【路線データ】

名称市道笹山岬台線
路線番号434
起点市道恩田八王子線・交点
終点市道草江五十目山線・交点
延長約500m
通行制限7:30-8:30は外部からの車両進入禁止
備考

延長など各データの正確性は保証できません。参考資料とお考えください
《 個人的関わり 》
恩田に住んでいた頃、全路線ではないが自転車および車でこの市道をよく通っていた。特に八王子方面へ向かうには、必ずこの路線を通って市道恩田八王子線を経由していた。
出典および編集追記:

1.「宇部市|防災マップ」の恩田校区の地図に記載されている。現在はコンクリート水路で一部は暗渠となっている。整備されたのは平成期に入ってからのことで、生活排水を流していた昭和50年代前半まではどぶ川同然だった。詳しくは松尾水路の項目を参照。

2. 一升瓶の木枠が積み上げられていた一角は沢地より少し高く、灰黒っぽい土で覆われていた。当時はまったく知らなかったのだがそれはかつて長沢炭鉱で掘り出されたボタであることを知ったのはずっと後年のことであった。
現在はボタの部分は沢地の低い場所まで押し広げられ殆ど分からなくなっている。既に不動産会社の看板が立っていてこの場所も将来的に宅地化される可能性がある。

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