市道野原線

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記事作成日:2012/9/7
最終編集日:2018/6/7
「のはらせん」ではなく「のばらせん」である。
野原とはこの市道が通過する地域の小字であり、現在も町名として使われている。
詳細は末尾に述べている

起点の位置を示す。かなり分かりやすい場所だろう。


ここが起点だ。
国道190号に面しており、陸上競技場に向かうメインの道とも言える。


T字路なので交差点とは言えないが、それでもキチンと名前をもらった信号機が設置されている。


そのままズバリ、競技場入口という名称が付けられている。ちゃんと読み方まで添えられていて、それも rikujoukyugijou みたいな子供騙しのローマ字ではない。
Stadium Entrance だ。英語表記なのだ。

「すてぃでぃあむ・えんとらぁ〜んすっ♪」
「すたじあむ」じゃありませんよっ

幅広の道に信号機まで設置されているが、後で述べるような理由でこの市道の通行はそれほど多くない。信号機がなければ国道への出入りがとても出来る状態ではないので仕方なく…という感じだ。信号は感応式+連動式となっているようで、国道に出る車が停止すると感知し、一つ隣りにある恩田東交差点の信号に連動している。このためタイミングが悪いと1サイクル以上待つことも…

さて、スタートしたいのだが…
キッチリと市道の起点に立つわけにはいかない。横断歩道上にボサッとつっ立って国道を背に写真撮っていたらいつ曲がってくる車があるやら分からない。

そこでアバウトにこなすってことで、車の来ないのを見極めて横断歩道から離れて撮影。
対面交通だが大変に幅が広い。観光バスでも悠々通れる規格だ。


しかしスタート早々、先行きがちょっと案じられる状況に…
前方で随分と狭い道が横切っており、先の方に広い道は続いているものの正面には車止めが見えている。進行方向を指示する標識が出ているようだ。

「直進と右折のみ」の標識に小さなコブが書き加えられている。実際、左の狭い道には侵入禁止の標識が見えかけている。


前方を横切る狭い道は市道恩田則貞線で、この記事の直前に既に公開している。左側の角に見えているのは恩田運動公園の駐車場だ。
派生記事: 恩田運動公園駐車場
標識は直進できることを案内しているし、実際今までの幅広の線形からすれば直進が自然だ。しかしステンレス製のバリカーが進入を阻止している。ここから行ける方向は運動公園駐車場に入るか、市道恩田則貞線のある右折しか行き場がない。

車が入れないだけで歩行者や自転車はすり抜けて先に進むことはできる。しかしここから先は認定市道ではない。全体で恩田運動公園という扱いになっているらしい。

そうなると、市道野原線は…行き場がない…
ここが終点?
恩田運動公園入口前で終点…ってなっていたら、超短い市道としてランク入りを狙えていただろう。まあ、そのような形態の市道も実際いくつかあるわけだが、ここで野原線は苦し紛れの手段に…
市道恩田則貞線の上に重なってしまう…


この場所は既に記事公開されている市道恩田則貞線で一方通行区間が解けた先の部分だ。行き場を失った野原線は、仕方なく目先の幅広な園路をあきらめて狭い道に押しやられた感じだ。

即ち市道野原線はこの区間で市道恩田則貞線と重複している。よく言われる「重用(ちょうよう)」というやつだ。
重用区間は県道や国道ではかなり頻繁に見られ、道ばたに番号の異なる標識板が複数枚設置されて通行者を戸惑わせる一つの要因にもなっている。
「インチキだ!」と言って妙に嫌う人もいる…^^;
厳密に言えば交差点も瞬間的な重用にはなるが、重用と言えば普通は一定区間を持つ部分を指す。現在まで調べられた限りでは市道で重用を持つ路線はかなり少ないことが分かっている。

数十メートルばかり進んだところで野原線の向かうべく分岐にさしかかる。



ここで市道恩田則貞線とは袂を分かって独自路線となる。本来ならここが起点となるべきだが、そうなると公園出入口から国道までの短い区間がお化けになってしまうので(?)敢えて重用区間を作って一つの路線としているようだ。

なお、ここから先は終点まで大型車の通行はできない。即ちスタート直後の幅広な道路のイメージは忘れ去るしかないのであった…^^;


市道恩田則貞線が沢へ降りるべく下り勾配だったのだが、独自路線直後に再び上って公園と同じレベルを回復する。高い支柱に防球ネットが張られており、球技が楽しめる広い敷地になっている。恩田運動公園の補助競技場と呼ばれているようだ。


球技を嗜まないので、この補助競技場を利用したことは本当に数えるほどしかない。会社のレクリエーション活動で親睦野球大会が行われたときだけだ。


補助競技場に沿って進み、前方に見える陸上競技場を前にして外周部分を避けるように右へ曲がる。
見通しが悪いせいか「対向車注意」のロードペイントが見える。

道幅は市道恩田則貞線よりは広いので離合はそう難しくはない。ただ、スピードが出ているとカーブでのすれ違いはやはり危険だ。


短い直線の後、今度は左への直角曲がりになる。陸上競技場の外周路は競技場の形に沿って緩やかにカーブしているのに、野原線はなぜか折れ線状態になっている。


市道から街路樹を隔てて陸上競技場の外周路があるので、市道の縁は建築ブロックが並ぶ奇妙な構造になっている。市道から相互に行き来したい需要があるようで、至る所こんな感じでブロックが切り取られていた。


左クランクを過ぎると市道は直線路になる。
陸上競技場の正面設備が左側の街路樹奥に見えている。


競技場のメインスタンドが見えてくる。さすがにこの近辺はブロック塀ではなく簡素なガードパイプで隔てられていた。


写真には入っていないが、この右側に野原公会堂があり、ほぼ隣接してコンクリート造りのアパートが2棟建っている。
手前側の棟は入居者のある普通のアパートだが、写真に写っている2番目の棟は全員退去した状態で外壁もかなり傷んでおり、見たところ廃墟のような状態になっている。

気になったので、本当に誰も住んでいないことを確認した上で、後日接近可能な範囲で調査している。
派生記事: 山口県教職員宇部住宅1号棟
陸上競技場の正面である。
初めて市道レポート向けに野原線を走ったときは日曜日の午後だったせいか、クラブ練習の学生が活動していてメインスタンドにカメラを向けられなかった。


以下の派生記事でも語っているように陸上競技場の使用頻度はかなり高い。土日はしばしば各種大会が催されるし、それ以外の日も中学校のクラブ活動で使われる。
派生記事: 恩田運動公園・陸上競技場
外周トラックが離れていく頃、斜め左側に俵田体育館がみえてくる。
ここも部分的にブロック塀が切られていて市道から行き来できるようになっていた。


俵田体育館は私にとっては陸上競技場以上に語るべきネタを持つ建物だ。そこは中学校卒業式の場であり、時代が下って平成期に入ってからは嗜んでいたバドミントン活動の場であった。
俵田体育館の玄関入口はこれから先で接続される市道恩田野中線にあるので、その折りに濃く語ることにしよう。

野原線は俵田体育館の裏手を巻くように伸びている。


写真には車などできるだけ写り込まないよう注意しているが、この路線を走っている間一台も車に出会うことがなかった。
しかし市道野原線は平日の午後になると下校する中学生の姿が目立つようになる。特に則貞の恩田寄り方面に家がある生徒なら大抵はこの道を通るだろう。

私自身はいずれ述べるように、俵田体育館の前を通って恩田運動公園の中を歩き、野球場のバックスクリーン側に出る経路が登下校路だった。この道を通っても良かったのだが、遠回りになるので当時は徒歩でも自転車でも通ったことはない。

最後のストレート区間である。
俵田体育館の大きさが際だっている。通常の建物で3階建て相当の高さがあり、2〜3階に相当する部分が観覧席となっている。
国体向けに改装されてから以後一度も入っていない…どう変わっているか分からない


終点到着。
ここで市道恩田野中線に接続される。


ここから右は極めて細く狭い道ばかりになる。したがって多くの車はここで左折する。

終点より振り返って撮影。
こちらにも大型車両通行不可の標識が出ている。
カーブ部分の離合が危険なだけで物理的には通行は可能だろう


下校路として通らなかったので、中学生時代は常にこの道を左側にチラッと見るだけで通り過ぎていた。この方面に家がある友だちが居なかったし、日々必ず同一の登下校路を通るよう学校から求められていたからだ。
あれでも下校以外でこの道を自転車で一度くらい通ったことはあるかも知れない
したがって残念ながら私の記憶にあるのは今ある野原線の姿だけだ。小学生時代も耐久マラソンで陸上競技場に来たことがある筈だが、当時この近辺がどういう道だったか覚えていない。

恩田運動公園や陸上競技場の思い出や昔の姿を伝えようという流れで野原線の市道レポートを作成したのだが、充分な写真を撮ることができず記事制作が先送りになってしまった。
当サイトにも最近公園カテゴリを作成し、市内の主立った場所や個人的に話題を提供できる公園記事を収録できる環境を整えたばかりだ。しかし恩田運動公園は常盤公園に並んで語りたくなる話題が多く、とても単一記事では済まされない。
公園路、陸上競技場、プール、俵田体育館など…

これらを適正に分類できるように建物カテゴリも追加設定し受け皿を整えた。
いずれ記事が整備され次第案内するのでお待ちいただきたい。
【路線データ】

名称市道野原線
路線番号437
起点国道190号・競技場入口交差点
終点市道恩田野原線・俵田体育館横
延長約800m
通行制限市道恩田則貞線分岐点から終点までは大型車両通行不可
備考

延長など各データの正確性は保証できません。参考資料とお考えください
《 記事公開後の変化 》
・山口県境職員宇部住宅1号棟はその後解体され敷地はパナホームに売却された。解体された時期は調べていない。なお、2号棟はそのまま現在も居住に供されている。

・2015年1月のこと、上記1号棟のあった場所は宅地整備され「パナホーム・コート恩田運動公園前」として分譲開始した。全8区画は同年中にすべて売約済となり新興住宅地となっている。

・2018年4月より隣接する恩田運動公園の俵田体育館の改修工事が始まり、本路線に面する側も同年6月までには飛散防止のフェンスが設置されている。詳細は「俵田翁記念体育館・改修工事」を参照。

・2018年6月までに本路線の起点付近角地が造成された。元は畑だったと思われる。秋口までに現在国道190号恩田交差点の北側にある西京銀行が移転してくるという情報を得た。その後12月までに銀行の建物自体は完成している。移転営業開始時期は未定。なお、移転後は銀行の奥に位置している徳久内科医院が国道沿いまで移動してくるという情報を得ている。
《 野原について 》
野原(のばら)は恩田町の北側に隣接する町名で、かつての小字である野原を含む。
写真は本路線沿線にある野原公会堂。


野原は常に「のら」と読まれる。イントネーションの置き方も上記の通りである。一般名詞の野原(のはら)は「はら」のように読まれがちだろう。

野原町の東側には野中町があり、両者はしばしば混同される。古くから総合して野中野原という呼び方もされていた。近隣在住者は別として野原と野中の位置関係を正確に把握している市民は少ないかも知れない。領域としては野原町より野中町の方が広い。
町名としては存在しないが、陸上競技場の西側、現在野球場がある地はかつて野地(のじ)という小字が存在していた。このことから近隣地域一帯はいわゆる平原で、識別のため「野」を含む異なる地名が発生したように思われる。
出典および編集追記:
1.

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