写真は小松原通りとの交差点。出会い頭の衝突事故が非常に多い要注意地点である。
現在の経路を地理院地図に重ね描きした画像を示す。●は起点、矢印は終点を表している。
(経路のGeoJSONデータは こちら
)
起点は通常の一続きの道路なのに途中から始まっているように見える。起点の東側は管理上は市道内唐戸下条線という別路線となっている。この理由は恐らく小串土地区画整理事業で街区が大幅に変更された影響と思われる。
《 経路の概要 》
起点は下条の丘陵部にあり、これは北側から下ってくる尾根の先端である。この最高地点より南へ下る狭い路地があり、四輪の通れない市道下条線として遺っている。
緩やかな坂を下った麓部分の左側に北向き地蔵尊の祠がある。かつて小串と上宇部方面を連絡するもっとも重要な道とされた小串往還道を示す木製の標識柱があるが、道幅が拡がると共に宅地造成が進み昔の面影は喪われている。
その後冒頭の写真に示した小松原通りを横切る。小松原通りの方が優先側となっている。かつては同等の交通量があったが、北側に市道西の宮小松原通り線が全通してからは本路線を通る交通量はやや減っている。
更に本路線よりはやや狭い市道小松原桃山線を横切る。
この道を経て山大病院通りへ出ることができるが、山大病院通りから進入することはできないのでこの十字路で左から四輪が出てくることは殆どない。
かつてこの十字路には小松原桃山線側を赤点滅、本路線側を黄点滅とする簡易2灯式信号機が設置されていたが、近年撤去された。
山大病院通りへ接続する終点手前で直角近くに左へ曲がっている。
ミラーはあるが、どちら側から通るときも対向車と離合する幅に余裕が少ない要注意地点である。
直進する側は市道浜線の終点側で、山大病院通りに中央分離帯があるため四輪でこの路線を通っても鍋倉町側へ抜けることは出来ない。逆に鍋倉町側からの車は、浜通り終点との交差点の信号待ちを嫌気して市道浜線を使ってショートカットする車が非常に多い。(後述する)
左折してすぐ山大病院通りに出てくる。この交差点の反対側は市道浜通り線である。
左折から交差点まで十数メートルしかなく、3台が信号待ちすれば後続車両はカーブの中で待機する形となる。夕刻時はそれより更に数台後続が連なるのが普通で、自転車は右側を押し歩きするかあるいは(違反を覚悟で)狭い左端の歩道の中を通る以外ない。
《 歴史 》
周辺の四輪が通行可能な道路としては街区に沿っていないことから推察されるように、区画整理前より遙か前から存在していた古道である。具体的には鵜ノ島開作により陸地化する以前の波打ち際だった場所を東西に辿る経路と考えられている。この地勢は現在も町名となっている浜町や南浜町からもかなり明白と言える。鵜ノ島開作以降は上町通りから小松原通りの少し西にあったとされる南北の土手上を進み、現在の浜で西進して鍋倉地峡(向山と鍋倉山がまだ低い尾根で繋がっていた時代の地勢)を越えて藤曲村や船木方面を往来していたと言われる。[1]
これは1961〜1969年の地理院航空映像に現在の路線を薄く重ね描いたものである。
北側に産業道路は見えているが、まだ山大病院通りは存在していない。なお、先述の市道小松原桃山線はかつて小松原通踏切から薄くスライスするように分岐する線形だったが、戦後周辺の街区に合わせて改変されている。この初期の道が先述の南北の土手道(鵜ノ島開作の一期工事で造ったと推察される土手)である。
《 Googleストリートビュー 》
《 近年の変化 》
生活圏に近くよく通ることもあって、沿線の変化は細かく観察されている。・2015年頃に本路線の終点屈曲部の外側にあった民家数軒が取り壊され、2017年頃から進入路が設けられて広域の造成工事が始まった。岩盤の破砕作業はこの総括記事を作成する現時点でもまだ続いている。周辺一帯は工事区域として立入禁止となっている。かつてこの屈曲点より向山へ登る小径があったのだが、墓場の手前までが造成されることで殆ど喪われた。市内でも短期間に景観が大きく変わった代表的な地点である。
・2020年の6月から7月にかけて北向き地蔵尊の真向かいの擁壁が再整備された。この場所は永らく空き地になっていた。なお、取り壊す前の擁壁は2010〜2012年に建設されたもので、それ以前は石積みで道幅も狭かった。
・同年9月に後述する市道西桃山2号線の工事に先立って草木の伐採と測量が行われた。この過程で半ば埋もれた状態の廃車(いわゆるるま)が見つかっている。
・2021年2月末頃に本路線と市道小松原桃山線との交差点に設置されていた一灯点滅式信号機が除却された。たまたま近くで交通取り締まりを行っていた県警担当者に尋ねたところ、維持管理費の削減(特に電気代)が最大の目的という話だった。
同種の信号機が今後取り除かれていくことは全国的な流れである。なお、本路線と小松原通りにあった同種の信号機は先行して除却されている。
・ 2021年4月に本路線終点付近から蟻ヶ迫池の堰堤下を通る里道手前に道路工事看板が設置された。
これは桃山都市再生整備事業の一環として市道整備を行うもので、本路線に接続するのは市道西桃山3号線の終点側である。事業費は約1億円が見込まれ、国の交付金補助率は40%となっている。工期は8月末日である。
・2022年4月までに上記路線が舗装工事まで完了した。この時点で歩行者や自転車は通行可能で、四輪の通行だけ出来ないように起点と終点側がコーンバーで塞がれていた。西桃山2丁目の住居表示が主体であったためか、道路の開通式は行われていない模様。
・2025年は本路線および関連する道路での交通事故が多発した。まず6月頃に山大病院通りと市道浜線の接続部で自転車通学の女子高校生が本線に出ようとしたクルマにはねられる事故が起きた。報道で知ったとき、後述する歩車分離式信号を待たないで済むショートカット路通行車両によるものではと思ったが、実際には山大病院通りから入るクルマではなく市道浜線から大通りに出る流れだった。
そして8月20日に本路線と小松原通りの交差点(「北蛭子交差点」と仮称)で軽四と乗用車の衝突事故が起きた。高良オフィスに向かう途中で、たまたま100m手前を自転車で走っていたとき事故が起きた。すぐに交差点近隣の店舗スタッフや従業員が警察に通報し救急車を呼んだ。事故に関係した車両が本路線の東側を塞ぐ形で停止したので、忽ち渋滞が始まった。近隣の店舗スタッフと従業員だけでは足りないので、私も西側の本路線から小松原通りに出入りするクルマの流れの整理にあたった。[2]
写真は警察が到着し交通整理を終えたときの撮影。
なお、この事故での運転手の怪我の状況などは分かっていない。
このエリアで事故が多いのは、交通量に対して道路幅員が足りていないのが主因だが、間接的に山大病院通りと小松原通りの交差点(蛭子交差点と仮称)を歩車分離式で交通整理していることが遠因になっている。歩車分離式の交差点は歩行者と自転車が渡る時間を独自に確保するため、車道は双方向の青信号時間が短く赤で待機する時間が長い。この信号待ちを嫌気して、東から沼方面に向かうとき蛭子交差点の信号が変わりそうと見るや、その手前で市道浜線側に左折し狭い本路線を経由してショートカットするドライバーが非常に多い。
西に向かう場合も同様で、山大病院通りに出ると尾崎交差点(山大病院通りと県道琴芝際波線の交差点の仮称)と蛭子交差点の2ヶ所に歩車分離式があって待たされるのを回避するため、工学部通りを走る車は沼交差点を直進して市道西の宮小松原通り線を経由して本路線に入る流れが目立つ。
蛭子交差点は尾崎交差点に比べて自転車・歩行者の往来が少ない。以前は歩行者が横断歩道の前で立っていても構わず右左折するドライバーが日常的だったが、現在は歩行者を見るとキッチリ停止するマナーが定着している。このため横断者の少ない蛭子交差点を歩車分離式にする必要はなく、通常の2サイクル交通整理に戻せばある程度改善されるのではないだろうか。
(暫定的な記述であり提言セクションに移動します)
《 関連記事リンク 》
以前の総括記事。時系列記事に降格している。派生記事: 市道下条浜通り線【1】
出典および編集追記:
1.「米寿紀藤閑之介翁」p.112〜113 に、上町通りと小松原通りの交点から北の土手道に対して”そこから鍋倉地峡までの見通しが良くかつての大名行列の到着を知りあるいは長くお見送りするのに好適な場所だったと推理するのである”と書かれている。
2.「FBタイムライン|交通事故が多発する交差点(2025/8/21)
」
1.「米寿紀藤閑之介翁」p.112〜113 に、上町通りと小松原通りの交点から北の土手道に対して”そこから鍋倉地峡までの見通しが良くかつての大名行列の到着を知りあるいは長くお見送りするのに好適な場所だったと推理するのである”と書かれている。
2.「FBタイムライン|交通事故が多発する交差点(2025/8/21)
」《 個人的関わり 》
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