市道門前馬の背線【2】

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(「市道門前馬の背線【1】」の続き)

市道は急な坂を登って最後の家屋を見送ると、小さな丘の上に到達する。車が入れる道もここまでで、市道はそこで左に曲がり山の奥へ分け入っていく第二幕となる。

進行方向の左側がゆるい丘陵部、右側が沢で畑地が広がっている。
市道と言ってもただの山道同然だ。[2009/12/20]


この場所の拡大地図である。


水路には古びたコンクリート蓋が掛かっていた。
これである程度幅は稼げるにしても軽トラですら進攻不能だ。泥が流れ込まないよう蓋を掛けたのだろう。


十数年前もこのコンクリート蓋の上を歩いて何となく山の奥を究めて歩いていた。
その蓋が切れる上流端あたりにすぐ山側へ黒々と空いた穴が目に着く。


初めて訪れたときは見落としていたが、自転車で訪れた3年前には気付いていた。
奥はかなり薄暗く、潜入にはちょっと勇気を要したのだが…
派生記事: 馬の背水路の水神様?
この辺りは笹が異様に多い。適度に日が当たるせいか土手や山際一面に蔓延っている。


やがて水路の蓋がなくなり開渠となって山道に寄り添うようになる。
この辺りはまだ市道区間になっている筈だ。


ここから右の沢の方へ降りる道がある。
左側に見える白い札は「わな有り注意」の告知板だった。
イノシシを捕らえる箱わなで人がトラップされる心配はない


市道は当然ながら直進であり、右の分岐へ降りてみたのはここ最近のことである。
およそ予想される通り、沢の一番低い位置を流れる蛇瀬川に向かっていた。
別の日に蛇瀬川を追跡するとき実際に歩いている


水路はコンクリート製ながら、型枠を建て込んで現場打ちしたようである。コンクリート二次製品を繋げる現代版の直線的な造りにはなっていない。
削る土量を少しでも減らすためか、山沿いの成りに応じてうねうねと曲がっている。こういった水路は今となっては珍しい。


初めてこの道を歩いたときは先がとても長かったように思う。3年前自転車で通ったときも徒歩よりは速い筈ながら長いと感じた。恐らく初回はこの先一体何処まで続いているのか知らなかったというのも一つの要因だろう。

最初の分岐から早足で数分歩くことによって先方にコンクリートの橋のようなものが見えてくる。
小川のせせらぎの音が聞こえていた。


少し山道から外れて沢地側へ寄っている。
知らないうちにすぐ近くまで小川が近づいていることに気付く。


これが他ならぬ蛇瀬川である。
高台の分岐にきたときは離れた場所にあったのだが、山奥へ入るにつれて沢の幅が狭まったのだ。

水路はその先で蛇瀬川に余剰水を返す井堰に出会う。今は灌漑用水が要らない時期のせいか、市道に沿った水路に流れ込まないよう木の板で仕切られており、山の水はすべて蛇瀬川に流れ込むようになっていた。


いずれ蛇瀬川の記事を書くときにも参照すると思われるので別途派生記事にしておいた。
派生記事: 馬の背水路の分水井堰
さて、明白には断言できないのだが…
概ねこの辺りが市道の終点になる。
何しろこんな感じの山道である。舗装などされていないし「市道ここまで」のような終点表示が出ているわけでもない。市道路河川管理課所有の地図でも適当なところまでピンク色の矢印が引っ張られているだけだった。
市道吉ヶ原線の場合は県道との立体交差部までピンク色の線が描かれていたので目安がついた。本路線は何の目印もなく、特にこの分水井堰が終点として記載されているわけでもなかった。

この市道の路線図である。
終点を決めようがないので適当に描いている。


国土地理院の地図にも水路や山道は明瞭には描かれていない。登山道と思われる点線 - 元々の意味は四輪を通さざる道なのだが - も昔作成されたデータから更新されていないのだろうか…現況とはかなり異なっている。
地図では途中で蛇瀬川を横切り沢の対岸へ移るように描かれている。この点線経路は「わなあり」の表示があったあの降り口と思われる。
少なくとも市道の終点部分はこの先にある馬の背堤まで繋がってはいなかったので、市道レポートとしてはこれにて”強制終了”ということにしておこう。

さて、こんな山奥に分け入ったところでレポートを強制終了し、多くの読者が恐らく一度も来たこともない山中へ放っぽり出されてしまったわけだが…
十数年前に初めてここを歩いたときには市道なんて考えもしなかったし、恐らくは常盤用水路を探索するという当初の目的すら欠いていた。ただ、この小道と水路は一体何処に続いているのだろう…という答を得るためだけに先へ進んでいた。
そして思いがけず秀麗な景色に出会ったときのことを記録するためにも、ここで終わらせるわけにはいかない。

…ということで、適当に参照用のインデックスをつけて続きを書いている。後続記事の写真が多いために、本記事に収録される写真枚数は通常の規定量を超えている。アクセス環境によっては読み込みに時間がかかるかも知れない。ご容赦頂きたい。
《 馬の背コース 》
情報以下の記述部分は、将来的に追記内容が増えたとき単一記事に分割されるか他記事へ併合される可能性があります。

馬の背コースと言っても確定的な名称ではない。何もなしでは記事リンクで案内するとき困るので「勝手呼称」している。
山奥へ向かっていることからも分かるように、この道は霜降山・観音岳に向かう登山ルートの一つである。今でこそ表舞台にはあまり出て来ないが、霜降山が我が市を代表する山という地位に些かの揺らぎもなく、現在も登山道は有志によって整備されているし、山歩きを嗜む人々も決して少なくはない。

霜降山の登山道は夥しい本数が存在し、細かな枝線や事実上廃道になっているものまで含めると正確には掌握しきれていないと思う。
たとえば幼少期に私が遊んだ野山に登山道の一つが存在する…廃道になっている模様

当サイトでは道路や地区道、由来のある道の記事を扱うものの登山道のすべてまで網羅しきれない。その先にある秀麗な物件や思い出深い場所を案内するプロセスとしてのみ、こうした登山道を紹介する。
なお、本項目は馬の背下池および小池(仮称)への到達経路を案内する記事からも参照されている。

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蛇瀬川向けの分水井堰を過ぎると、水路の幅はかなり狭くなる。もはや水路というよりは自然の小川に近い。
山道は水路と共に先で90度右に曲がっている。


このすぐ先で水路の片側のみがコンクリート壁になり、別の水系が流入してくる場所に出会う。この水系は人の手が入らない自然の小川である。
先には細い水路を渡る自然の石橋が見えている。


石橋と言っても大きめの自然石を置いただけだ。
中ほどが割れた状態でありながらなお落ちることなく橋の形状を保っている。


この「割れた石橋」は、十数年前に訪れたときからこのような状態だった。水路を造ってこの石を置いた後に割れたのはかなり確からしい。
ここから先は水路というか小川の伸びる方向にまったく道がない。蛇瀬川はこの小川に並んで一段低い位置を流れているようだが、いずれも深い藪の中に消えていて詳しい状況は確認していない。
足元が悪く殆ど日が差さない暗い場所で踏み込む気になれなかった

水路を直角に横切った後、いよいよ登山道としての本領発揮とばかりに高度を上げ始める。


坂はかなりきつい。進行方向左側が小さな沢になっていて、先ほど見た小川が岩を噛み流れているらしく、水の音が聞こえていた。


きつい登り坂の途中に背中を見せている立て札があった。
初めて訪れた十数年前はもちろん自転車を押し歩きした数年前でも存在しなかったように思う。
さすがに坂がきついのでこの手前で自転車を留め置いて歩いた


水泳禁止区域を知らせる標示板だった。もっとも現在いる山道からは周囲を見回しても池らしきものは見えない。池から流れ出る小川のせせらぎが聞こえるだけである。


真っ直ぐ坂を登った途中で大きめの露岩が目立つ場所があり、ここで登山道は右へ大きく折れている。


詳細は後述するが、実はかつてこの場所に左へ向かう分岐があったらしい。十数年前は恐らくここから進攻することで深く考えることなく溜め池の堰堤に到達できたようだ。

実際、そこには小さいながらも紺碧色の水を湛えた美しい溜め池があった。岸辺には数十トンはあろうかと思われる巨岩が露出していた。
山道に沿って進む細い水路と常盤用水路の関係は結局見いだせなかったが、初めて観る美しい山池に感動し、ここで数枚写真を撮影したものだった。
実はさっきからその当時の写真を探しているのだが、どういう訳か見つからない…削除する筈はないのだが、もしかすると誤ったミラーリング処理の設定で自動消去されてしまったのかも知れない…見つかり次第ここに貼ることにする
この市道レポートが誕生する当初のきっかけは、常盤用水路を探し求めて誤って分け入った山道だった。その意味では物語はここで終わりなのだが、更にこの先にある物件への繋ぎとする目的も兼ねてもう少し先まで案内しておく。

露岩を越えて登りが急になり始めた先に明白な分岐と道標に出会う。
初めて徒歩で訪れた十数年前には当然ここまで来ていない。また、数年前に自転車を連れて来たときにもこの道標は存在していなかったと思う。


右が馬の背線下池コース、左が中山観音コースと記されていた。
このことから先にある溜め池が馬の背下池と命名されていることが分かった。


馬の背下池の総括記事からご覧になった方は、以下のリンクで呼び出し元記事に戻ることができる。

(「馬の背下池」へ続く)

左は霜降山へ向かう登山路のうちの中山観音コースとして知られる道である。数年前に自転車を押し歩きしたときには、あの美しい溜め池を一目見るためにここまで来たのだが、堰堤に向かう道がまったく分からないままどんどん高度を上げ、池を俯瞰する高台まで来てしまっていた。

これは3年前に再訪し、馬の背コースの高台から俯瞰した写真である。


不思議なことに、その後数回訪れたときのいずれも足元に見える溜め池の堰堤に向かう道を見つけることができなかった。十数年前に初めて訪れたときは深く考えることもなく溜め池の岸辺へ到達できており、当時の自分が一体何処を歩いたのか長い間ミステリーだった。

最近、馬の背にある溜め池すべてを丹念に踏査する過程で、先に述べた通り、馬の背池の新堤の堰堤部分に到達する経路が分からなかったのは、十数年の年月を経て経路が不明瞭になるほどに道が失われていたからということが判明した。
後続記事に最近行った堰堤への踏査記録を案内することにして、本編を終わることにする。
記事が入り組んでおり構成にかなり苦しんだ…粗雑になってしまった感じが否めないかも…^^;

(「馬の背池・新堤【1】」へ続く)

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