市道門前馬の背線【1】

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現地踏査日:2013/2/15
記事公開日:2013/3/9
およそ市道と言えば、街中にあって住宅地の間を縫うように車が通るアスファルト舗装路のイメージがあるだろう。しかしそれだけでなく山の方に入っていき最後は地区道または私道に接続されて終わる市道吉ヶ原線のような認定市道もある。

市道を調べ始めた頃はこのような山道タイプの市道は珍しいのではと思っていたが、実はそれほど希少価値はない。山間部に近いマイナーな市道では他の市道に接続されない「ピストン市道」となっている例が多い。車では何処にも抜けられないので関わり合いが少なかっただけなのだ。

市道門前馬の背線は吉ヶ原線のときと同様、ずっと昔に歩いたことがある山道で、後から調べることによって認定市道と分かったもう一つの例である。それも後で述べるように最初の出会いは「迷い込んだ」も同然なのだった。

起点とされる位置を地図に示そう。


この場所へ行ったことがあるかないかは別として、付近に表記されている中山観音というキーワードは宇部市民なら馴染みがあるだろう。他方、路線名に現れる門前(もんぜん)や馬の背(うまのせ)は地元在住者や山歩きを愛する人々によって認知されているが中山ほどには知られていない。門前は中山観音近辺を指す小字であり、同名の地名は東岐波にも存在する。かつて寺院周辺が昔の人々の社交場だった名残を留めている。馬の背はこれから向かう山間部を指す地名で、山地の形状に由来すると推測される。

馬の背の山奥に向かうこの道が市道であることは、初めて迷い込んだ後に何年も経って道路河川管理課の管理する地図を閲覧することで判明した。認定市道を示すピンク色の蛍光ペンの線は、中山観音バス停から山奥へ向かって進む細い道をなぞっていたのである。

ちなみにこれがバス停の映像だ。
県道はここで直角に曲がっており、中山観音たる廣福寺の前にバスが転回可能な程度の広場がある。


県道のT字路にお尻を向けて撮影するとこのようになる。
バス転回用スペースに隣接して廣福寺の駐車場があり、お寺の参道の前を過ぎて山の方へ向かっていく道が見えるだろう。


市道門前馬の背線は概ね廣福寺の参道手前から始まっている認定市道だ。即ち市道の起点は今の県道と繋がっておらずバス転回用スペースから始まっている形になる。詳細は県道の記事で述べる予定だが、かつて県道は一本道でこの場所で大きく外カーブしていた。上の写真では画面右端に写っている立て札のところで中山川を斜めに横切っていたようだ。
この付近に中山川の県管理上流端があり、ここに古い石橋の痕跡のみが遺っている。
詳細は以下の派生記事に。
派生記事: 門前橋
一度でも中山観音を訪れたことのある人なら、廣福寺の周辺に数軒の民家があるのを目にしているだろう。しかしその裏手には山が迫っているし、当然ながら車が通れるような広い道などない。そもそもこの近辺は北側に霜降山を元とする山地が控えているので北に向かう車が通れる道はまったく存在しない。そのことはこの道に初めて出会った十数年前から知っていた。

何の目的をもって身近とも言えない山道を歩いてみようという気になったのかそろそろ答を明かそう。
常盤用水路を探している過程で
迷い込んでしまった。
常盤用水路の存在自体は私が中学生の頃から知っていた。社会科の授業で配られた国土地理院の地図に、普通の川とは全く違う奇妙な水色の線が走っていることに気付いていた。それは意外にも中山観音の近くを通っていたのだが、どう見ても水路らしきものがあるようには思えなかった。中山のどの辺りを通っているのか知りたかったのである。
現在ではネットで国土地理院の地図を自由に閲覧できるし、民間各社はもっと詳細な地図を作成しネット上で提供している。しかし当時の自分は印刷された地図すら持っておらず、遠き昔に授業で使った地図の記憶だけが頼りだった。この過程で「もはやこんな山奥に常盤用水路は通っていない」と分かっていながら何となく引き返さずどんどん奥まで歩いた。その過程で秀麗な溜め池を見つけたのだった。

認定市道であることを知った数年前には自転車で数回この道を辿った。そして最近のこと、ある別の目的でこの市道を歩く過程でレポート向けに写真を撮り直した。十数年前から最近のことまで織り交ぜて先に進んでみよう…

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廣福寺の石段である。
石段の前に中山観音の由来を記した説明板と祠があった。市道は境内の石積みを伴って奥へ伸びていた。


市道は一見してここへ住まわれる人々のための地区道のように思われる。実際この道を通るのは地元在住民以外では霜降山に向かう登山者くらいのものだろう。


せっかくここまで来ていながらかの有名な中山観音を取り上げず名前すら殆ど知られない市道を掲載するなんて…と言われそうだが、随所で述べている通り、基本的に当サイトでは寺院・仏閣の類は「物件」の対象外という扱いにしているので個別記事が作成される予定はない。もっとも常盤用水路の経路が判明してからは中山観音を頻繁に訪れており、ここが拠点となる他の物件もいくつかある。今後作成される記事でしばしば中山観音が写真に登場するだろう。

市道は何かの目的地を求めるように、野山へスッと伸びていた。
道幅は普通車一台が通れる程度。離合はできないが先のT字路からこの道へ入ってくる車には出会わなかった。


振り返って撮影。
初めてここを訪れた十数年前にはT字路に接する和菓子屋や車屋は存在せず、バス停と中山観音の駐車場だけだった。あのときも駐車場の端に車を置いてこの道を歩いた筈だ。


中山観音の境内を過ぎた先で市道は小さな分岐に出会う。
もっとも初めてここを歩いたときも山手に向かう道がメインだと感じていたので迷うことはなかった。


路面は一応アスファルト舗装されている。見た目あまり傷みはないが最後に舗装されたのがいつか分からない程度に古い。


市道はここで細い水路を横断する。
2級河川中山川の上流で、この先は面河内池という溜め池に続いている筈である。
しかし水路に沿って遡行する道はまったくないことがその後の踏査で判明している


中山川を渡った先で市道は小さな丘に向かう。
民家の数も徐々に少なくなっていく。


山裾を前に、市道は信じられないくらいのきつい登り坂になる。歩いていても前に足を出す動作が重く感じられる。そんな中、原動機の力を借りた郵便配達人が身軽に坂を走り回っていた。


十数年前は常盤用水路の探索が目的だったので、これほど高い場所に登ってしまった時点でどうも違うのでは…という疑念を抱き始めていた。他方、国土地理院の地図で常盤用水路らしき経路を見たと言っても中学生のときの事で記憶は曖昧だった。もう少し先まで歩いてから考えようという中途半端な気持ちもあった。
具体的なことは言えないがここまで歩いてきた市道沿いのある住民にたまたま出会い挨拶がてら常盤用水路について尋ねた…ここに暮らしてかなりの年数が経つが分からないという答えだった

最後のきつい直線登りである。
しかし高台までそれほど遠くはなく、前方には空が覗いている。
デジカメを右手に握りしめ重たい足取りで進む私を余所に、郵便配達人は所定の業務をこなしつつ一気に坂を下っていった。


最後の一軒の家屋を過ぎると、視界に占める空の面積が大きくなる。 見覚えのある送電線が上空を横切っていた。


初めてここを訪れたとき撮影したショットである。
送電線の位置や形状が違うことが分かるだろう。[2009/12/20]


関心のない人にはまったく無縁な話でありながら、山間部を闊歩する送電鉄塔は山歩きする人々には重要なランドマークとなる。確かに山の景観は損ねるが、似たような尾根が連なる山の中で自分の現在地を確認するのに役立つのである。
この意味で国土地理院の地図から送電線の経路が削除されたのはまったく酷い暴挙と言える

山口宇部線と呼ばれるこの高圧送電線は、ここ最近(平成25年1月)若干経路が変更され鉄塔も建て替えられている。

ダブルのワイヤーにスペーサーが取り付けられているのが見える。
高圧送電仕様に変更したのだろうか…


さて、丘を登り詰めた先に見える景色は…
このようになっていた。


舗装路は丘を登り切ったところでぷっつり途絶えていた。
ここまでは曲がりなりにも車で進攻できる。何も知らずに入り込んでしまった車が転落するのを防ぐためか、いつ設置されたのやらも分からない腐った色のガードレールが通せんぼしていた。

今まで登ってきた坂道を振り返って撮影。
この短い区間で10m程度の高度を稼いでいる。[2009/12/20]


このガードレールに沿って右側には農道らしき細い道と水路が伸びていた。
遠くに見えるのは北小羽山にある市営住宅群である。


起点付近の門前橋と同じく市道の進む方向とは逆だが、このすぐ近くにあるので案内しておこう。
派生記事: 門前の庚申塚
庚申塚は峠など概ねムラ境となる場所に造られる。実際この丘はごく狭い近傍で一つの尾根を形成しており、一番高いところを水路が流れていることになる。しかし注意深く周囲を歩き回ると、丘の形状が均等でないことに気付く。即ち起点の中山観音側は10m近い高低差を持っているのに、丘の反対側は殆ど平坦地でありその先で更に山の斜面となっている。
テクノロードは丘をぶち抜いた単一の下り坂なので車で走る限りまず気付くことはない

中山川および蛇瀬川の経路を調べる過程で地図を眺め、現地を歩くうちにこの周辺の地形が持つ特異性に最近気付いた。同時にその成立要因としてある一つの仮説が頭に浮かんだ。

しかし…
市道レポートが進まないので、いずれ記事にすることにして今は先に向かおう。

庚申塚に背を向けて撮影している。 市道は反対側、つまりここで左へ直角に折れて沢を遡行する方向を目指す。


十数年前に初めてここを訪れたとき、まさかこれが常盤用水路の上流部なんてことはないだろうと考えた。幅が狭いし水も流れていない。
初めて常盤用水路の一部を眺めたのは山門付近の開渠部で、この倍くらいの幅がある。しかし河川では上流部で幅が細くなるのは常であり、常盤用水路もいくつかの支流が合わさっているために上流部は細くなっているのでは…とも思われた。

当時は自分の中にある常盤用水路の知識などその程度だったので、この水路ではないと否定的解決するには先を辿る以外なかった。多分違うだろうと思いながらもこの道の先に進んだ一つの理由であった。

台帳ではこの左折部分から先もピンク色に塗られていたので、車が通れないこの区間も市道であることは間違いない。
10年前、この山道と水路につられてどんどん奥へ分け入った時のことを思い出しつつ更に先へ進んでみよう。

(「市道門前馬の背線【2】」へ続く)

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