市道平原浜田線【3】

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(「市道平原浜田線【2】」の続き)

住宅地の最後の一軒を見送ると、道の両側から民家が完全に消失して市街地を遠く離れた山野の道のようになる。下り勾配も峠付近よりきつく、こちらから下っていく分には自転車に跨っているだけでどんどん加速していく。
もっともこのたびは目的地ではなく本路線のプロセスそのものがターゲットだから、気持ちよく下り続けるわけにはいかない。要所で撮影のため停止した。

下り勾配は昔と変わらないが道幅は拡がった。自転車時代はこの半分以下の幅しかなかった。


特に大きく異なるのが下り坂の途中から再び山の斜面を登り直す右への分岐路である。


市道東文京台線で、文京台ニュータウンの整備に伴い道ができて認定市道となった。
車で数回通ったことがある程度で、ニュータウンに知り合いが誰も居ない私にとっては縁遠い道だ。


浜田に向けて自転車で下るときはペダルを漕ぐ作業も不要…キャッホー♪とばかりにどんどん自然加速で転がり進んだ。登りのときにかいた汗が風で冷やされるのが心地よかった。それだけに帰りは由利野峠越えに向けて浜田側から登るのは大変にしんどかった。特にこの近辺は民家がなく完全な山道状態で、夕刻時も迫ってくれば早々に走り去りたい寂しい場所だった記憶がある。

道の左側は沢になっていて、溜め池になっている。峠を越えて下る側に家が見当たらない一つの理由だ


小さいながらこの溜め池には名前があり、開作堤とされている。溜め池の存在は高校生時代から知ってはいたものの、名前があると分かったのはつい最近のことである。
派生記事: 開作堤
また、降って湧いたように溜め池の傍でバス停に出会う。


文京台三丁目バス停である。
しかし…一体どこからバス路線になっているのだろうかという疑問が生じるだろう。


先の市道東文京台線で住宅地の中を通ると、平成期にできたフロンティア大学がある。学生の足を確保するため、中山から文京台に上がって浜田に抜けるバス路線が新設されたのである。[1]ここ数年のことだ。
バスはフロンティア大学を経由して東文京台線を逆から下ってきてこの市道へ流入している。
もっともバス路線指定される以前から対面交通の幅の道になっていた

開作堤を過ぎると下り勾配が緩やかになる。道幅が広くなっただけで今もこの近辺の沿線に民家は殆どない。


やがて再びちらほらと家並みが見え始める。
殆どの人にとってはランドマークにもならないのだがここで高圧線の下をくぐる。左に住宅地へ向かう地区道があり、そこを境に家が現れ始めるようだ。


地区道に向いて撮影。
別に知り合いは居ないし何処かへ抜けられる主要な道でもない。しかし自転車で一度進攻したことはある。


その目的も、あまり見慣れない変わった形の送電鉄塔の撮影だった。
派生的内容なので暫定的に横話に移しておいた。
派生記事: 箱型送電鉄塔
下り坂は終わって殆ど平坦路になる。
道幅はこんなに広くなかった筈なのに昔どうだったかが思い出せない。


分離された歩道のついた対面交通の道だ。しかし交通量が増えるのはこの先の分岐路を過ぎてからである。
珍しく正規の横断歩道に出会った。



左から合流するのが市道岩鼻浜田線で、琴川橋左岸から出発してここが終点になる。
琴川橋の袂から松崎町を経てここに至る路線で、途中狭い場所がありながら交通量が多い。


終点部分へ接続するリンクを案内しておこう。
派生記事: 市道岩鼻浜田線・終点
この場所は十字路になっていて右折する側は文京台に隣接する高台の住宅地に向かう地元管理の道である。
長く教えた生徒が居たのだが…この場所での歴史が浅く記憶があまり残っていない

また、市道岩鼻浜田線の終点となる角には藤山八十八箇所の祠が存在する。
派生記事: 藤山八十八箇所・第26番
多分、自転車で峠を越えていた頃と比べると線形改良および拡幅で昔の面影がないと思う。
自分自身、自転車で走っていてもピンと来るものがない。道路線形から周囲の景色から、昔に重ね合わされるものがまったくない。


浜田三丁目バス停。文京台三丁目バス停と並んで数年前に新設された。
後から追加したのでバス停擦り付けがない。もっとも交通量はそれほど多くないので、バスが停車しても追い越す形でやり過ごせるようだ。


終点も近くなってきた。
この辺りでは自転車の想い出と言うよりは業務で毎月訪れた住宅地のことが思い出される。


右カーブの先に信号機が見えてきた。


終点は県道琴芝際波線に接続される。カーブで見づらいので橋の手前と十字路の奥にダブルで信号機が設置されている。
信号機の上に感応バーがあることから分かるように、感応式信号である。
最近は「感応式信号」の表示を出さないらしい


先の市道岩鼻浜田線を経由した車も流入するので、この交差点を出入りする車は断続的に結構ある。県道側の歩行者向け信号機がないので変わるタイミングが分からず、県道を走る向きには不意に足止めを喰らうことがあるちょっと嫌な信号機だ。
市道終点側に車が数台見えたら県道はそろそろ変わると予想できる

なお、ここを直進する道は認定市道ではなく駒ヶ坪農道とされている。入口に農道名の札が立っている
この先にNo.28が比較的最近見つかった…経路を含めて記事にするかも知れない

市道は中山川を渡って県道にて終点となる。殆ど何の特徴もない橋だが記事を作成しておいた。
派生記事: 浜田橋
この橋の左側には如何にも古そうな石碑が遺っている。当サイトでは当初「謎の石碑」のように掲載していたが、後日書籍を参照することでやはり浜田橋に関するものであることが判明した。
詳細は浜田橋の項目の末尾に述べている

終点から振り返っての撮影を忘れていたので、初めて全線走破したときの写真に代えよう。
もっとも終点でカーブしているので先の方まで見通せないが…


高校生の自転車通い時代ではここで終わりではない。浜田橋を渡って左折し、県道琴芝際波線を宇部駅の方へ向かっていた。それらの状況は県道の記事を書く折りに語られるかも知れない横話として取っておくことにして…
年月が経ち、市道は拡幅で昔の景観も殆どなくなり当時を巻き戻せないほど記憶が薄れてしまった。

それでも由利野峠付近にみられる連続カーブは昔からそのままであり、今後も道路改良で姿を変えることはまずないだろう。当時も今も奇妙な線形だ…と考えるのみでその謂われまでは追及しなかった。今後、もしかして情報に接することがあれば追記で謎を明らかにできるかも知れない。
【路線データ】

名称市道上条金山線
路線番号55
起点市道藤曲厚東川線・藤曲歩道橋
終点県道琴芝際波線・浜田橋
延長約2500m
通行制限なし。
備考由利野峠付近に連続急カーブあり

延長など各データの正確性は保証できません。参考資料とお考えください
出典および編集追記:

1.「宇部市営バス路線図」によると中山線となっている。
なお、中山線は2016年10月1日のダイヤ改正によって浜田3丁目〜文京台1丁目の区間が廃止されることとなった。(2016/9/30)

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