市道岩鼻浜田線【1】

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現地撮影日:2014/8/31
記事公開日:2014/9/6
以前に似た路線名の岩鼻中山線を公開したので、どの道がどれだか分かりづらいかも知れない。本路線は整理番号が2桁なので昔からの主要な路線ということになる。具体的には琴川橋の左岸接続部付近から厚東川に沿って遡行し浜田開作に至る道だ。
確かに重要な道で交通量は多いし自分も親の運転、自分の運転共に車で何度か通っている。宇部駅方面への連絡路の一つでもあるので自転車で通ることもあるが、狭い割に交通量が多いので後述する物件の撮影を除いて最近はあまり通らない。
物件というか撮影したくなる題材は割と豊富なので、本編および次編ではまだ記述していないものも含めて派生記事がいくつも現れる。時期を違えて数回訪れて写真を撮ったものの中から適宜組み合わせて本編を構成しているので、空模様が若干異なる写真が混在するのはご了承いただきたい。

さて、起点はこの場所の近くだ。
橋を渡る方は市道岩鼻東割線という別の路線の起点となっている。本路線は橋を渡らずここで右折する方向にある。


ところが…
琴川橋の右側はこの記事を起こす現時点においてこうなっていた。


道がありませんっ(>_<);
理由は写真に写り込んでいる看板そのまんまで「橋を造っている」からだ。橋台や橋の部材搬入、重機が動き回るスペースを確保するため橋の接続部周辺を締め切っている。ただし現在は一段落して次期工事待ち状態にある。

市道の路線を調べるにあたっては必ずその起点と終点の正確な場所もチェックしている。2ケタ市道のチェックは相当初期に行っていて私の手元には一覧表の形で保存されている。
当時メモしたデータに誤りがなければ、起点を地図にポイントすると一応この辺りということになっている。


「一応」と言うのも、記事公開直後の現時点では道路工事が途中まで進められた状態でこの近辺の線形が定かになっていないからである。上記地図では厚東川をカーブしつつ渡る斜めの破線が記載されているだろう。

破線で示されるのは新琴川橋(仮称)で、現在架かっている琴川橋に代替される予定の新橋である。この橋を含む市道岩鼻中野開作線が新路線として計画されている。この辺りを車で通る方ならご存じと思うが、一昨年から去年にかけての架橋工事で現場が動いていた。現在物理的には新橋で両岸が繋がっているが、橋に取り付く道路部分は路体工事までで停まっている。

ここがいずれ道路敷になることを見越したのかあるいは古い道路に設置されていたものなのか、速度制限の標識が設置されている。


工事が先へ進まないのは予算の問題だけではない難しい問題を抱えているからと思われるが…それをここで書くと長くなるので派生記事で述べる予定にしよう。
派生記事: 建設中の新琴川橋(仮称)
(記事が書き上がり次第リンクで案内します)

スタートからいきなり躓いていると言うか場所や経路が確定しない状況になっていてスッキリしない感じはする。元の経路か今後変更される予定の経路を探れないだろうか。

近くにヒントがあった。
ちょっと古いが5年前の琴川橋付近の写真である。琴川橋の袂にかつて迂回を促す看板が設置されていた。
現在も同じ看板が設置されている…他に明瞭な写真がなかったので


新しい琴川橋がどう接続されるかはこの看板には書き込まれていない。赤で記載されている区間が2箇所あり、それらが新橋を架ける以前にあった道路線形のようだ。[1]現在は新橋の左岸接続部を大回りするような仮設道路になっているが、作業スペースを確保するためそうせざるを得なかったらしい。

そうなればかつての道はここを真っ直ぐ進んで宇部線との立体交差に向かっていたことになる。
市道岩鼻中野開作線が供用開始されるとき本路線を元のように通すとしたら琴川橋の下をくぐらざるを得ない。


橋の接続部は視座から数メートルも高いところにある。ここからスロープを造って平面交差にしたなら、先に見える宇部線の架道橋の下をくぐるには更にきついスロープになってしまう。他方、接続部には砂利が敷き詰められていて作業のために仮に盛っているだけだから、鋤き取れば立体交差にできるだろう。もっとも将来的にここがどのようになるかは未だ分からない。

無理やりスタートして工事現場の中を横切るわけにはいかないので、実際の車の通る流れに合わせて移動した。
ここは岩鼻駅の前を通る細い道、市道平原厚東川線の終点である。本路線の続きをトレースするなら右側だ。


架橋工事中の新橋を避けるように道が造られている。工事区域との境はガードレールではなく単管バリケードだ。
この区間は仮設道なので供用開始までに線形が変わるだろう。
橋が開通したらここまでの記述と写真を差し替える予定


現在は新橋の袂で直角に曲がっている。将来的にはこの写真で左から琴川橋の前を通って真っ直ぐここへ到達すると思われる。


さて、ここから先は従来通りの線形だ。
起点となるべき場所からスタートすると、すぐ本路線は宇部線のガードをくぐるために若干の下り坂となる。


桁下高を確保するために道路が掘り下げられたように見える。しかし橋台の間隔は固定されていてかなり狭い。


鉄道の橋りょうについては以下の記事に書いた。
派生記事: 梅光橋りょう
ガード下をくぐると再び本路線は元の高さを取り戻すため上り坂になる。


即ち宇部線の下をくぐるためだけに一旦下り、そして上るという縦断構造になっている。動力のついている車なら上り下りに問題はなくむしろ道路幅の狭さと見通しの悪さが気になるのだが、自転車の場合はこのスロープが結構つらい。ガード下地点は前後の道路より2m程度低く、どちらから走ってきても上り直すのに余計な労力を強いられる。

見通しは悪いし道路幅が狭い割に交通量が多いため、自転車だとしばしば背後から車に追い立てられる。写真では分かりづらいが舗装路面は荒れていて側溝布設で切り取られたアスファルト路面を部分的に補修しているため至る所ガタガタである。いくら舗装されていても油分が抜けたアスファルト路面は砂利道とあまり変わらない位に平坦性が悪く、転がり抵抗が大きい。個人的には宇部駅方面との往還時に自転車でここをあまり通らない一つの理由になっている。[2]

この直線路を進んだところから振り返って撮影している。
実はこのショットだけ時期を違えて撮影している。


上の写真は一連の記事をほぼ書き上げた後から挿入した。説明がなければ何を撮ったのか恐らく分からないだろうが、この場所である興味深いものを見つけて数枚写真を撮ったのである。ただし私的物件かも知れないので詳細な記述は差し控える。この地域の住民がかつて利用していた共同物件なら派生記事として追加する予定である。
何のことか分からないだろうから詳しくは現地をあたって頂きたい…上の写真では右下にある

本路線は若干内陸部を通っているためここから厚東川は見えない。標高としては家一軒分程度高いところを通っていて、全行程での最高地点にもなっている。


上の写真では何やら意味ありげな頭の赤いコンクリート杭が見えている。ある方面での知見に長けた方ならこれが何かはすぐ推測できただろう。

振り返って撮影。
コンクリート杭は本路線の線形とは無関係な方向に並んでいる。


これはJR西日本による境界杭で、この場所に限らず社有地となる部分に設置されている。以前は普通のコンクリート四角柱状態だったのだが、管理上の必要性からか近年コン杭の頭を紅白にペイントした上で管理番号がマークされるようになった。かつて宇部線はこの場所を通っていたのである。ただし私自身は現物はもちろん写真を見たことがないい。昭和中期頃には現在の線形に変更された筈だ。
このコンクリート杭を辿ればかつて線路敷であったことを推測させる土手状の領域が遺っている。現在はレールも砕石も完全に取り除かれているが、用地だけは現在もJRの所有らしい。

左に砂利道の分岐路が見えてくる。
この部分はもっと明白だ。


およそ推測されるように、現在は未舗装の農道のようになっているこの部分が旧線路敷の続きだったのである。先ほどの赤い杭のところから本路線を横断していた。即ちここに平面交差の踏切が存在していたことになる。
踏切の名称など詳しいことはまったく分からない

岩鼻駅の先から厚東川を渡った少し先に至るまでの区間は昭和中期に線形改良されている。かつては橋りょうの長さを切り詰めるためにこの辺りまでS字状にカーブし、厚東川のもっとも幅の狭い部分を狙って渡っていた。このS字カーブの連続は曲率半径が小さかったために列車の運行速度が制限されていた。スピードアップを目的に厚東川橋りょうを新たに架け替えてカーブを緩やかにしたのである。旧線部分は現在もこのように土手状に遺っており、特に厚東川を渡る両岸には初代厚東川橋りょうの古い橋台が今も遺っているし、干潮時には橋の基礎だった石積みが散乱した状態で観測される。
これは派生記事にするには大きな話題なので鉄道カテゴリで書く予定にしている。
派生記事: 宇部線・線形改良区間
(記事が書き上がり次第リンクで案内します)

なお、ここまでは鉄道旧線関連の記述なので上記派生記事を作成した折りには本編から移動する予定である。

旧線跡の分岐を過ぎて右へカーブすると、右側山の手の方へ入る分岐路がある。


この分岐路は地元管理の道で、歩けば岩鼻公園まで行くことができるようだ。
この進入路に面して藤山八十八箇所の祠がある。
派生記事: 藤山八十八箇所・第32番
なお、この道から岩鼻公園は近いが車では駐車場まで到達できない。
八十八箇所の撮影をしているとき花見客に岩鼻公園までの道を尋ねられた

珍しいかも知れないつづら折れありの標識。


路側帯を意識して撮影してみた。
確かに僅かながらつづら折れ状態になっている。


ここからは松崎の丘を降りる形で下っていく。
前方には厚東川が見えかけている。川を上流へ遡行するのに下り坂になるわけだ。


このカーブミラー横の家の庭先にも藤山八十八箇所の祠がある。


詳しくはこちら。
派生記事: 藤山八十八箇所・第34番
本路線沿いにはこういった藤山八十八箇所の祠が異様に多い。昭和初期かそれ以前から往来があり人々の暮らしがあった。
祠は殆どが私有地に設置されているが、元々は旧藤山村内に四国のお遍路さんを再現したものなのでかつては誰でも参拝することができていた。現在も道路から眺めたり祠にカメラを向けること自体問題はないと思う。
ただし私有地に設置されている分の接近には注意を要する

(「市道岩鼻浜田線【2】」へ続く)
出典および編集追記:

1. 昭和40年代後半の航空映像を見ると十字路に近い形で接続されていたようである。

2. 特に宇部駅方面から帰るときしばしば上条経由か本路線経由かを考える。本路線は遠回りになる上に意外に起伏があるので、殆どの場合で上条の峠越え(市道上条金山線経由)を選択している。

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