ショートフィルム・「食べる。」

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記事作成日:2023/5/13
最終編集日:2024/1/2
ここでは、山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」における10周年企画28分の1テレビの企画であるショートフィルムコンテストで放映された短編映画「食べる。」について記述する。
写真は短編映画の最初に現れる字幕部分のテレビ画面接写画像。


主演は宇部マニアックス、監督はどさけん氏、カメラ・音楽・編集は岡藤氏である。どさけん氏の管理している YouTube アカウントで全体公開されている。内容は市外のある場所で買ってきた弁当を黙々と食べ続けるというものである。外部リンクと埋め込みタグを貼っておく。

[短編映画『食べる。』監督 奥山研二(どさけん)(再生時間:3分50秒)]


にんげんのGO!では2023年5月5日の22時40分スタートからの第4枠で、ショートフィルムコンテストとして松田ディレクター監督のウベミアンラプソディーとあわせて放映された。しかし後述するようにこの短編映画は最初から28分の1テレビ企画での放送を目的として収録されたのではなく、まったく独自に採取されていたことが後で判明している。
《 概要 》
宇部マニアックスがビニル袋に入った弁当を携えて歩いてくる。景色の良い休憩できる場所を見つけてベンチへ座りひたすら弁当を食べる。時折遠くを観察したりお茶を飲んだりはするが、いっさいしゃべらない。最後にご馳走様をして遠くを眺めるシーンから空を映して短編映画は終了する。なお、BGMは岡藤氏が作曲した作品である。
【 収録に至るまで 】
短編映画の話が最初に出たのは4月7日である。FB経由で岡藤氏から「現在どさけん氏の YouTube 配信を手伝っていて『宇部マニさんとYouTube 撮りたい』とのことで、出演をお願いします」というダイレクトメッセージが送られてきた。

どさけん氏とは「にんげんのGO!」の隧道どうでしょうや大人の社会見学などで接点はあっただけで、その他はリアルでもSNS上でも時間軸の交わる部分がなかったためこのオファーは全く意外だった。折しも4月12日には隧道どうでしょうのシーズンVIのロケだったので、そこで詳細を聞けるだろうと思っていた。

12日のロケでは撮影や現地でのトークが一生懸命だったし、ロケ地への移動も2台車で別車両に乗っていて話す機会がなかった。ロケ終了後に本社で解散するとき、本人から「(14日は)よろしくお願いします」と声を掛けられた。YouTube 配信を意図していることは語られたと思うが、具体的に何処でどんなことを話す場面を収録するのかなどは分からなかった。その後都合により実際の撮影は一週間後に変更されている。
【 収録場所の選定 】
収録は4月21日に行われている。正確な収録場所など短編映画で明かされていないことは当面ここでも伏せて、公開可能な情報に限定して記録する。

当日は収録関連でしばしば待ち合わせ場所として使っている宇部護国神社下まで岡藤氏が迎えに来てくれて、そこから収録当時どさけん氏が住んでいた山陽小野田市有帆の自宅へ向かった。
写真はどさけん宅で落ち合ったときの撮影。
この総括記事を作成している現時点でどさけん氏は退去し既にここには住んでいないことに注意


そこからどさけん氏の運転で短編映画の撮影に好適な場所を探した。この時までに食べるところを撮りたいという意向を知らされていたので、途中で弁当の店に寄って自分の好きなものを買った。短編映画に出てくる袋入りの弁当は、買ったときのそのままである。

最初に立ち寄った候補地(縄地ヶ鼻公園)は、地図では知っていたものの市外であるが故にまったく初めて訪れた場所だった。そこでどさけん氏はある物件を紹介した[1]が、私は説明されるまでその正体を当てることができなかった。その場所は眺望があまり利かなかったため別の候補地を探して移動した。そして2番目に訪れた場所で収録されている。
【 収録時の状況 】
どさけん宅へ寄ったところから随時手持ちのカメラで撮影している。しかし撮影場所が分かってしまうものが殆どなので、その中から場所の特定が困難(不可能ではない)と思われるセッティングのときの写真を載せる。出演者は黙々と食べるだけで何も語っていないので、動画を見ただけでは不可解かも知れない私の挙動についてもここで説明している。

これはベンチに座って弁当を左手に持って食べることを想定して、位置合わせをしているときの撮影である。


どさけん監督は収録したいイメージに沿ってカメラの位置や最初の撮りはじめのアクションを指示し、映像と音声の採取は岡藤氏が行った。ひたすら食べるのみで会話を収録する意図がないので、携行録音機やマイクは装着していない。しかし短編映画では流れないだけで、実際の収録時は適宜しゃべっていた。

ベンチで座ってから遠くを眺めたりカメラを構えたりしているのは、宇部マニアックスとして普通に行っている行為の延長である。食べるときの所作について、どさけん監督は「いつもしているように普通に食べて欲しい」とだけ言っていた。自宅で食べるときはデスクの上に置いて箸でつまむだろうが、撮影場所はベンチのみでテーブルがなかったので左手で持って食べている。

途中で弁当によく入っているハランを食べてしまうシーンがあるが、あれはやらせではなく本当に気付かないまま口にしてしまったものである。魚フライの下に敷かれていたのを気付かず箸で摘まみ上げて口に含んでしまい、食感で気付いて指先で摘まみ出している。

写真はショートフィルムコンテストで実際に放映されたときのテレビ画面のカメラ接写。


ペットボトルのお茶は弁当を買うときに自販機で買ったのではなく、あらかじめショルダーバッグに準備していた。食べるシーンを撮ることは知らされていたので、必要だろうと思って自宅にあったミニボトルに急須のお茶(ウーロン茶)を入れて持参していた。[2] ハンカチで口元を拭うシーンは、弁当に入っているナポリタンスパゲッティを食べると多分口元にソースが着くだろうと想像してのことである。最後にゴチソウサマのアクションをしていることも含めて、普通の所作で食事しているとは言っても映像を採取されていることを意識した行為はとっていた。

短編映画は最後に宇部マニアックスの横に回り込んで空を写して終了する。どさけん監督としては最後のシーンに青空を想定していたが、実際には真っ白になっている。この日の天気は悪くなかったのだが、最近稀に見るほど黄砂の飛来が酷く何処の遠景も白く霞んでしまっていた。
【 短編映画の公開について 】
この項目は周辺の状況を元にした私の推測であり、誤謬が含まれているかも知れない。

当初岡藤氏から話があったように、この短編映画はどさけん氏の YouTube アカウントから配信される予定だった。この時までに28分の1テレビ企画のための題材採取が始まっており、松田ディレクターの要請を受けて秘密裏に QUEEN のフレディー・マーキュリーに扮した映像・音声の採取が進められていた。

どのタイミングだったのかは分からないが、28分の1テレビの最終スタジオ収録が近い30日までにどさけん氏と松田ディレクターが独立して宇部マニアックスを素材とした映像採取を行っていたことが判明した。そこで恐らく当初のスケジュールを変更して双方の作品をショートフィルムコンテストという形で企画に取り込まれたようである。
《 制作の背景 》
漫然と視聴しているなら単なる一素人が弁当を食べるだけの動画に思えてしまうだろうが、実のところ些か哲学的である。この短編映画を制作するモチベーションについて、実際の収録が終わった後の対談が同じく YouTube で公開されている。

[宇部マニアックスさんと『食べる。』を撮り終えて語る「当たり前」の再発見(再生時間:5分17秒)]


この対談は全体の収録から2箇所を切り出しているだけで、殆ど撮って出しである。どさけん氏曰く「食べることは生きることである。誰もが普通に行っている食べるという行為を通じて”生きている”にスポットを当てたかった」

最初宇部マニアックスはこの収録のモチベーションがよく理解できていなかった。ある収録候補地に到着し、そこで具体的に指示されたのは「前の道路から弁当の入った袋を持って歩いてきてベンチに座る」ことと「いつもしているのと同じようにひたすら弁当を食べて欲しい」だけだった。短編映画仕立てにすることは伝えられていたので、この中からワンシーンを切り出して素材として使うのだろうと思っていた。

対談の中ほどで制作の意義を理解し、共通項として特に意識しないで食べるという行為と、身の回りの何でもないように見える景色をカメラで撮ってストーリーを乗せている宇部マニアックス的活動に重ね合わせて語っている。
【 宇部マニアックスが主演である理由について 】
しかし単に「食べる」状況を動画収録するのなら、別に宇部マニアックスでなくてももう少し可愛いおんにゃの子を主演にした方が良かったのでは…という意見もあるだろう。これについてどさけん氏は次のように述べている。
「ロケに行ってお昼ご飯を食べるとき、宇部マニさんを見ていたら凄く美味しそうに食べてるんですよ」
食べ方の作法が一般的な社会人に照らし合わせてどうなのかは自分自身には分からない。しかし食べるときの所作について子どもの頃から非常にうるさく言われていたのは確かだった。昭和世代の親が子どもに教える食事作法は「〜してはいけない」の連続である。そもそも食べるというのはヒトがいくつか持ち合わせる本能欲の一つ(食欲)であり、ヒトは欲望を満たすとき粗野になりがちだからそうならないような作法が求められていたのだと思う。

これも親が常々言っていることだが「誰が見ているか分からない」というものがある。何をするにしても誰かから見られて傍目にも下品だとか道義に外れたことをするなと戒められていた。ロケのときの食事に限らず誰かと食事に行けば、独りで食事するときよりも”きれいに”食べようとするかも知れない。しかしそれは恐らく他の一般的社会人と同等レベルと思われる。むしろ”誰が見ているか分からない”どころか、紛れもなく日頃から食べる姿を観察する人があったということだった。
出典および編集追記:

1. 500ポンド爆弾投下によって生じた窪地である。私は何の予備知識も持ち合わせていなかったため、外観だけから秋吉台にみられるようなドリーネと答えていた。同年8月22日に再訪し写真を撮っている。

2. 自転車で出掛けるとき熱中症対策として携行できるようにショルダーバッグに入る小さめのボトルをキープしていた。外側のフィルムがないのはお茶のブランドが写り込むのを避けるために剥がしたのではなく、携行前から剥がしていた。飲み終わった後のボトルはいつも買い物しているアルク琴芝店でリサイクルに出していて、外側のフィルムを剥がして出すよう求められているからである。

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