松崎の用水路

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現地撮影日:2016/3/20
記事作成日:2016/4/9
当サイトにおいて松崎の用水路とは、岩鼻公園の北側、松崎町と浜田2丁目の間を連絡するレンガ造りのポータルを持った水路隧道を主体とする用水経路を指す暫定呼称である。
写真は松崎側の水路隧道ポータル部分。


推定される隧道分の中央部分をポイントした地図。


用水路とは言え今までのところこの隧道部分しか明らかになっていない。松崎側は写真のような井戸のような形をしたコンクリートの円筒柱に接続され、底から水が抜けるようになっている。浜田側は大迫池の入江の一つに繋がっている。
隧道の長さは目測で約50m、最大土被りは10m近くある。ポータル部分はレンガ積みの精密なもので、かなり大掛かりな工事だったように思われるが扁額は存在しない。隧道そのものは通じているが、内部の崩落が著しく現在は使われていないように思える。

隧道ポータルに扁額がないため隧道名や竣工年は不明である。藤山校区の郷土マップに記載はなく、既読の郷土関連の書籍にも一部関連がありそうな記述が若干見えるのみで、現在のところ建設時期など詳細がよく分かっていない未解決物件である。
松崎を経由する灌漑用水路としては、明治期に中山川の水を浜田井堰から取り込み居能開作へ導くものが知られる。この用水路は秋富重太郎が設計し、明治8年完成の一部隧道区間を含むもので、現在の岩鼻西児童公園のところに存在していた請堤へ送水するものであった。[1]隧道ポータルの外観から、発見された当初は明治期造られた請堤への用水路の一部ではないかと思われたが、現在では否定的である。恐らく大迫池の水位が上昇し灌漑用水として使わず排出するようになったとき、松崎側に給水可能となるよう隧道を掘削したものと考えている。
《 現地での留意項目 》
上記の地図だけでは何の目安もない場所にマーカーがポイントされていて参考にならないため、現地案内を兼ねて画像で解説する。

市道岩鼻浜田線を北へ進むと、厚東川に接近して護岸沿いに進む場所へ出てくる。


上空を鉄塔西宇部線が横切っている場所である。

私設のカーブミラーがある場所から右へ入ると、コンクリート蓋の掛かった側溝に沿う細い道がある。
左側の地区道で行き止まり案内の標識の立つすぐ上である。


素堀りの溝を辿って沢地を遡行するとやがてほぼ正面にレンガ積みのトンネル部分が見えてくる。この道自体はトンネルの前で不明瞭になっている。

隧道部分の松崎側はポータルこそ堅牢なものの内部は一部壁や天井部分が崩落して土砂が堆積している。保存状態が不明なうちは決して隧道内部への潜入を行わないよう強く推奨する。

危険この場所は生命にかかわる重大事故の危険があります。決して不用意に接近なさらないで下さい。

続けて大迫側のポータルを見たい場合は隧道内を通るのではなく一旦尾根に登る必要がある。

松崎側からの細い道はポータル手前で途切れているように見える。実際は一旦切り返して住宅地に面する斜面の上を通るようになる。明瞭な遊歩道にはなっておらず恐らく私有地内通行と思われるが、公園の散歩で歩く人は相応にあり通行は概ね問題ない。ポータルの横から直接斜面を登ることでも遊歩道に到達可能ではあるが、近隣にシイタケの榾木が並べられている場所があり、明白に私有地と思われる場所には立ち入らないようにする。

大迫池側はポータル部へ接近する道そのものがまったく存在しない。岩鼻公園へ向かう尾根伝いの道の途中から外れて大迫池方向へ下降することになる。したがって藪漕ぎまたは踏み跡の淡い山歩きの経験がない方の接近は推奨しない。降りる場所の目印になるものはないので、松崎側のポータルの場所を推測した上で下降開始する必要がある。

大迫池側は隧道の長さを切り詰める目的で沢地の一つを遡行する形でぎりぎりまで堀割を造っているため、ポータルの周辺は極めて急峻である。沢地であり周辺は水気が多く極めて足元が悪い。


堀割を直接下降するのはリスクが大きい。遠回りでもポータルから一旦離れた場所へ降りて堀割をたどる方が安全である。堀割には夥しい木の葉が堆積しており、足元の地面の状況が分からない場所が多い。倒木も著しく、汚れても構わない服装が必要である。足元は長靴装備が望ましい。
岩鼻公園の散歩道と鉄塔の索道は松崎と大迫の間の尾根を伝う形で伸びているので、撤収時は方向さえ間違わず尾根を目指せば迷う心配はない。
報告を受けて初めて現地調査を行ったときの時系列レポート。全3巻。
時系列記事: 松崎の用水路・第一次踏査【1】

カメラが修理から戻ってきて再度現地へ動画撮影も交えて再調査したときの時系列レポート。未作成。
時系列記事: 松崎の用水路・第二次踏査【1】

現地在住民からの聞き取りにより本物件の用途が明らかにされたときのレポート。全2巻。
なお、一連の記事はプライバシーの問題を含むため当面は限定公開としている。
時系列記事: 松崎の用水路・第三次踏査【1】
《 個人的関わり 》
この物件は自力で見つけたのではなく、岩鼻公園の散策を常としているメンバーによって偶然に発見されたものである。岩鼻公園のもっとも高い場所に東屋があり、そこから更に北へ山道が延びている。普段歩かない道を進んで松崎方面へ降りようとした過程で発見、報告された。
《 記事制作後の変化 》
現地そのものに変化はない。

別の文献を参照することで、最近この隧道は厚東川の水を汲み上げて大迫池へ貯留するための導水経路だったのではないかという説が浮上した。特に隧道の手前にある円形のコンクリートはポンプ所の土台だったのではと思われた。

戦前期は居能開作に供給する灌漑用水が充分ではなく、新開作(居能)用水として厚東川に水利権が設定されていた時期があった。動力ポンプが普及し始めた頃に取り付けを行い、海水が混じらないように干潮時に厚東川および中山川から流れる河川水を汲み上げて大迫池に溜めていたという。このポンプ所は戦後の混乱期にポンプの盗難に遭いそのままとなった。しかし居能開作に工場が進出した頃から宅地化が進み灌漑用水需要が減って大迫池の水のみで賄えるようになったため、動力ポンプが復旧されることがないまま水利権も自然消滅している。[2]

円形のコンクリートの外観より中継ポンプ所が存在していた可能性はあり得る[3]が、動力ポンプで汲み上げて大迫池へ貯留していたという事実はあるにしてもこの場所とは断定できない。ただし隧道を利用していたと考えるなら揚水高を大幅に切り下げられるため最も効率的な場所とは言える。厚東川より汲み上げる導水管の遺構などは確認されておらず、護岸工事などで既に喪われている可能性がある。本件に関しては地元聞き取りなど更なる情報が必要である。(2017/1/27)
【 大迫溜め池の用水取り出し口 】
2月1日、現地の再撮影を行う折に地元在住民への聞き取りを行う機会に恵まれた。この過程で隧道は大迫池の水を松崎地区方面へ取り出すためのものであることが判明した。ただし隧道の建設時期は明らかになっていない。また、厚東川の水を汲み上げるポンプ所は少なくともこの場所には存在していなかったという。(2017/2/2)

同年12月に現地へ再撮影に行き、たまたま竹の伐採を行うために現地入りした土地所有者から話を伺うことができた。この方は2月に接触した地元在住者とは別の方である。
前回接触した方からの聞き取りと同様、隧道は大迫池の用水を松崎側へ取り出すための経路であることが確認できた。しかし建設時期は分からないということだった。用途廃止した後、隧道より松崎側に池の水が流出し斜面が崩れ、市道が一時通行止めになった話もご存じだった。厚東川から水を汲んで大迫池へ回していた件については、ポンプ場は何処にあるか分からないものの少なくともこの場所ではないらしい。また、隧道のあるこの場所は聞き取りを行った本人ではない別の方の私有地である。隧道観察などで現地に入るのは問題ない模様。隧道の最上部に境界杭があり、それより大迫池側は市有地(岩鼻公園)となっている。この隧道を含めて浜田地区に郷土関連の研究を行っておられる方があり、事情を知っているかも知れないとのことである。(2017/12/22)
《 地名としての松崎について 》
情報以下の記述部分は、関連項目が作成された折りには本編から切り離し移動されます。

松崎(まつざき)とは藤山校区の西側、厚東川左岸にある地名で、現在は松崎町を構成している。写真は配電線の電柱に取り付けられた松崎町の町名プレート。


位置的にはJR宇部線岩鼻駅の北側であり、厚東川の下流域でもっとも幅が狭まる特異的な地形として知られる。東側は大迫池を含む。
町名としての知名度はそれほど高くはないが、海が近い地形に着目されたからか早くから人々の暮らしがあったことが松崎古墳の存在により立証されている。

地名明細書では藤曲村の居能浦小村に松崎(まつさき)として収録されている。同じく岩鼻という小名も存在していたが、当時の読みは「いわな」であったらしい。後年制作された小字絵図では、現在の岩鼻駅を含めて字松崎となっていて岩鼻という小字は存在しない。他方、松崎については派生小字として沖松崎がある。

地名の由来としては岩鼻と並んでほぼ間違いなく海へ突き出た岬と植生であろう。厚東川の右岸側は開作地であり一連の地名が生まれた当時は海の一部であった。現在松崎や岩鼻のある左岸側は昔から今の地形のままだったことを裏付ける。
厚東川へ張り出した地勢からすれば堅い岩盤の存在が示唆されるが、地質的には蛇紋岩の目立つ鍋倉や向山とは異なっている。岩鼻から松崎、浜田にかけての海に面した斜面にはさざれ石状の地層が目立つ。これは遙か昔の厚東川の前身にあたる河川が砂礫を運び堆積させた地勢である。同種の地形が木田郷の県道沿いにもみられる。

現在では松崎町の読みは「まつざきちょう」となっている。[4]どの時期に濁点ありの読み方に変わったかは調査を要する。
出典および編集追記:

1.「なつかしい藤山」(田中信久)p.27

2.「宇部の水道」p.77

3. 直接汲み上げる形式のポンプ所は否定された。何故ならば隧道のある地点から厚東川までの直高は10mをはるかに超えており、この場所にポンプを設置して河川水を吸い上げることが物理的に不可能という理由による。したがってこの地にポンプ所が存在していた可能性を考えるにしても厚東川の近くで汲み上げた水を大迫池向けに流す中継ポンプに限られる。

4. 検索の結果による。多くのページで「まつざき」の読みが与えられている。

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