写真は市道小羽山中央線からの撮影。
位置図を示す。
一般事項については市のホームページに記述がある。[1]ここでは、当サイトの視点に基づいた題材と個人的関わりをまとめている。
《 概要 》
小羽山校区(現在は地区と呼ぶ)は、宇部市土地開発公社による小羽山団地の造成により昭和50年代に誕生した校区である。県営・市営・雇用促進事業団による団地が順次整備され、戸建て住宅の区画に家が建ち並び始めて人口が急増した。小学校や郵便局、店舗や金融機関も整備されていき、新川校区と上宇部校区から分離する形で小羽山校区が誕生した。これに合わせて昭和56年3月に現在の位置に小羽山市民センターが完成している。(以下特段の断りがない限り小羽山ふれあいセンターを略して「センター」と記述する)
センターの正面玄関から反対側を向いて撮影。
市道の反対側に見えているのは小羽山派出所と中央公園である。
センターは昭和50年代の建設であり、建物内の会議室や部屋は相応な造りが観察される。
畳敷きの和室には昭和期に一般的だった室内灯がみられる。
二階の窓から北側を撮影。
センターの裏手が広場になっている。高台に見えるのは小羽山市営住宅群。
このようにセンター内部は他の地区でほぼ同時期に建設されたものと大差はない。しかし屋外には細かな観察によっていくつかの”奇妙なもの”が指摘されている。
【 住居表示板 】
センター入口の門柱右側には、住居表示のプレートが貼られている。このプレートは小羽山地区の住居表示が始まった最初期のものと考えられている。
何故なら、小羽山の「羽」の字が現在では殆ど見なくなった旧字体だからである。昭和50年代は既に漢字の旧字体は現行物には使われなくなったものの、一部の漢字は異体字のような扱いで使われていた。小羽山地区は昭和54年8月1日の第7次住居表示で北小羽山町、南小羽山超、東小羽山町となっている[2]ので、この住居表示板の設置時期が概ね分かる。この奇妙な住居表示プレートを最初に指摘したのはコードネームYと呼ばれる謎の人物である。一見些末とも思えるこの事実は、センターより配布される小羽山だよりに掲載された。
【 石臼 】
センター玄関の左横、建物の角に恐らく現在は使われていない石臼らしきものが放置されている。これは新年の餅搗き行事で使われていた石臼ではないかと思われる。現在も新年の行事で餅搗きが行われているかは確認を要する。水が溜まらないように裏返しにされた状態で置かれていて、市役所本庁の裏手にはセメント造りの古い臼らしきものが放置されている。
【 広場 】
センターの裏手にはコンクリート板の敷き詰められた広場がある。写真は小羽山市営住宅側からの撮影。
この広場には一面にコンクリート板が敷き詰められている。転ぶとかなり痛いだろうが、表面の土が雨で流れる心配がなく、大学ピンポンのようなボール遊びをするときよく弾んで好適だろう。同様の広場は他地区にはみられず小羽山独特である。
赤いコンクリート板は比較的新しそうだが、通路状に敷かれているコンクリート板はかなり老朽化している。、何か別の施設があったのではとも感じられる。中央の一段高くなっている台座部分によく子どもが上がって遊んでいる。これは合併浄化槽のようである。
広場とセンターの間にも通路があり、隣接する大和小羽山店の駐車場と相互に往来可能である。
ただし車が誤って進入しないようにバリカーが設置されている。
この通路はスーパーの駐車場の一部に見えるが、市道小羽山9号線という市の管理する公道である。[3]上の写真で左側に車が並んで停まっているのはセンターの駐車場の一部である。スーパーの駐車場を分断する形でこの通路が認定市道となった経緯はよく分かっていない。認定番号が後期のものなので、小羽山地区の市道を一通り割り当てた後に追加されている。大和前の道(市道南小羽山線)から本線へ出ることなくセンターへ往来可能にするために後から市道としたのかも知れない。
【 でにさ階段 】
センター裏の広場と市営住宅との間には5m程度の高低差があり、階段で往来できる。この階段は市住宅課により管理されているようである。この階段は同じくコードネームYによってでにさ階段と勝手呼称されている。その特異性については項目に設置されたリンクを参照。
でにさ階段に隣接して自治会の器具倉庫がある。
この倉庫は「凸」の形をした奇妙な造りになっている。
ドローンを使って真上から撮影すれば、より明白な凸の字に見えるだろう。そのことを航空映像で検証しようとする過程で先述のでにさ階段の特異性が見いだされた。
《 近年の変化 》
センター入口にある標識が交通標語から「地域共生社会小羽山モデル地区」に更新された。以前はコミュニティー推進協議会防犯部による「とび出しはぼくも車もどっきんこ」「ふれあいはあなたがつくる勇気から」だった。この標識の写真は、以前作成していた小羽山ふれあいセンターの派生記事に収録されている。
《 関連記事リンク 》
《 個人的関わり 》
初めて小羽山ふれあいセンターを撮影したのは、市道の走破や溜め池の調査を行うようになった2009年である。市道小羽山中央線の記事を作成する折に全線を自転車で走って沿線の主要な構造物などを撮影している。以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。 |