まこも池

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記事作成日:2021/8/1
最終編集日:2021/8/7
情報この総括記事は内容が古くなった旧版をコピーして再構成されました。旧版は こちら を参照してください。旧版の編集追記は行わず将来的に削除します。

まこも池は、小串台の北側にあるやや小振りの溜め池である。
写真は県道琴芝際波線から西を向いて撮影。高台に見えるのは宇部変電所


位置図を示す。


池の名称の「まこも」は漢字表記すると真菰で、この池がある近辺の小字名に由来する。しかし池の名称を指す場合は常にひらかなで表記される。[1]
《 概要 》
県道琴芝際波線を北上したとき、小羽山入口の三差路を過ぎて更に高度を上げた先で緩やかな逆S字カーブに差し掛かる。
ここでまこも池の堰堤上を通過している。


昭和49年度版の地理院地図航空映像を見ると、堰堤の通過部分がクランク状になっていたことが分かる。


道幅を拡げると共に中山側では溜め池の斜面に擁壁を築いてカーブを緩くしている。後述する余水吐などはこのときの改良と思われる。


快晴時に市道まこも線入口付近から撮影したまこも池の全体像。


位置的には新川地区に入るが、県道を隔てて小羽山地区に隣接するために小羽山関連の題材でも紹介される。[1] 県道に沿って池の北側付近に真締川水系と中山川水系との分水界が存在する。

まこも池は変形したハート型をしている。北側にある2つの沢にはここより更に高い西側の大場山などからの湧水が流れ込むのみで、流入河川は皆無である。水の入れ替わりに乏しいため灰緑色を呈していて透明度は著しく低い。
道路に面する部分はコンクリート護岸だが、沢の部分は自然の岸辺になっている。


2つに分かれている沢地の東側近くには里道が通っている。
泥濘の溜まった遠浅の水際になっていて、里道沿い付近が水際へ近付ける数少ない地点で、その他は雑木林や私有地で占められ接近できる場所は殆どない。

人が水際へ接近することが殆どないせいか、まこも池にはカメが大量に棲み着いている。
観察する限り殆どが外来種のアカミミガメだった。(ズーム撮影画像はこちら


流入河川が皆無な割に湧水が一定量あるらしく、低水位になることはあまりない。
余水吐付近は県道と市道で二方を囲まれているために水位が下がるとゴミの投棄が目立つ。まこも池に限らず道路沿いにある溜め池の宿命である。


水際には礫石が多く、水際へ降りたことが一度しかないこともあって今のところ顕著な遺構などは見つかっていない。
【 付帯設備 】
まこも池の余水吐や用水の取り出し口は県道の屈曲点付近に存在する。
右側に見える階段部分が樋門、中央に通常の余水吐、一番左に非常時の洪水吐が存在する。


余水吐と樋門部分をズーム撮影している。
樋門はコンクリート斜樋に木栓を締めるだけの簡素なもので、恐らく現在は操作されていない。
余水吐は固定式であり、通常はこれを越えて池の水が溜まることはない。
恐らく県道の整備にあわせて改修されている


数十年に一度の豪雨に見舞われたときの洪水吐が県道下に造られている。
過去にここから水が流れ出たことがあったかどうかは分からない。


前出の昭和49年度版航空映像でも分かるように、かつて余水吐から下流はかなり深い沢だった。平成初期にこの沢地が完全に埋め立てられて新興住宅地となった。

洪水吐の下流側には施工時期の異なるコンクリート水路がみられるので、この排水路自体は早くからあり、県道整備か宅地造成時に排水路を造り直している。


沢の底を流れていた小川は盛土と共に嵩上げされ、現在はコンクリート三面張り水路となって住宅地の裏手を流れている。この水路はいか土公園の手前で市道小羽山中央線の下を暗渠でくぐって封鎖されたボックスカルバートの側溝へ繋ぎ込まれている。
このため現在のまこも池を地図で眺めると排水路がない溜め池のように見える。
【 その他 】
まこも池は小さく浅い溜め池なので、冬場の非常に気温が下がったときには氷結する。
2021年1月にはうっすらと氷が張った様子がみられた。


まこも池での釣りは特に禁止されていない。晴れた休日などは県道や市道真菰線から釣り糸を垂れる子どもたちの姿をよく見かける。ブラックバスが釣れるという。[3] 2014年4月に溜め池への転落に伴う死亡事故が起きている。詳細は分かっていないが、釣り中の転落か自動車事故である。過去にも死亡事故が起きている。[4]

市教育委員会による遊泳禁止の立て札は近年まで設置されていたが、老朽化したこと、掲示を出すまでもなく既に遊泳を試みる学童が皆無であるからか再設置はされていない。
《 歴史 》
蛇瀬池が鵜ノ島開作の灌漑用水確保を目的に造られた人工の溜め池で、築堤年や工事責任者が分かっているのに対し、まこも池の成り立ちは殆ど知られていない。しかし近年、一次資料を参照することによって蛇瀬池よりも成り立ちが古いことが明らかになった。

これは享保年間に藩へ提出された地下上申絵図の小串村北側をデジカメ接写した画像である。
絵図には筆で「まこもつつみ」と描かれている。
出典: 地下上申絵図(山口県文書館所蔵)


地下上申絵図では蛇瀬池がまだ描かれておらず「じゃで田」となっている(→蛇瀬池の歴史)のに対し、二反田堤馬の背堤も描かれていることから、少なくともまこも池の原形はそれらの溜め池と同程度に早くから存在していたことが確実である。

防長風土注進案にも「まこも堤 水面三反五畝」と記載されている。一反が約1,000m2なので、現在の単位で言えば約3,500m2に相当する。同じ規模の溜め池として山門堤(おそらく現在の小路ヶ池)が三反五畝である。

地下上申絵図と防長風土注進案の双方に「まこも堤」の如く平かな表記されていることは特筆に値する。この名称は現在の溜め池にも継承されていて、所在地の小字名は真菰でありながらまこも池が漢字表記されることはない。これには命名の由来である「真菰」の漢字表記の画数が多く、地下上申絵図のような限られたスペースに筆書きするのが困難だったことも理由の一つではないだろうか。
まこも池で繁殖するアカミミガメたちの平和だけれども壮絶な場所取り物語。
派生記事: ライバルを蹴落とせ!
出典および編集追記:

1. ゼンリン©宇部東部版を始めとする多くの地図で「まこも池」と表記されている。地下上申絵図や防長風土注進案でも平かな表記となっている。

2.「小羽山付近の史跡と伝承」(平成18年度小羽山まちづくりサークル)掲載の地図には「まこもの池」という表記がみられる。

3.「FB|2015年1月27日投稿分」の読者コメントによる。

4.「FBページ|2017/7/4の投稿」の読者コメントによる。

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