松尾水路【1】

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ここでは、既に公開済みの松尾水路の総括記事において追加の記述を要する部分をまとめて掲載している。
個人的関わりを元に記事化を開始したので、今のところ全線を記事化する予定はない。いずれも現地撮影した日は異なっている。
《 石積みの裏側区間 》
現地撮影日:2013/11/24
記事公開日:2015/4/14
かつて存在した沢へ下る道ぐにゃんぐにゃん道の分岐点で水路の上流部は石積みの下を回り込むように流れていた。
この区間はすぐ下まで田になっていて農道からは橋もなかったためまったく接近できない場所だった。


当時の水路はそれでなくても水質の極めて悪いどぶ川同然で、しかもこの辺りは水の動きが殆どないお堀のような状態だった。まして幼少期にヘドロの中へ長靴を突っ込むトラウマ的出来事[1]があり、水路そのものは自分にとって近づきたくない存在だったと思う。
しかし幼児はともかく学童期には既に「怖いもの見たさ」のような心理があり、お堀のようになっているあの辺りは一体どうなっているのだろう…のような興味はあった。農道との分岐点では飛び越えることもままならない溝幅なのだが、それが旧道部のC地点では小さな溝に変わっていた。何処でそのように変わっているのか分からず、それぞれの溝が繋がっているかどうかも分からなかった。

沢地にスーパーが出来たとき、付け替えの新農道がC地点より溝に沿って造られた。ここを通ることで学童期から謎だった部分を容易に観察できるようになったのだが、その頃には自分も大学生でまして地元を離れていたせいもあって恩田地区の変遷自体に大した興味を示していなかった。

恩田地区を去った後、かつて自分が暮らしていた地区道を丹念に記録する過程でこの水路のことを思い出した。一通り地区道の写真を撮った後、幼少期の想い出にもなった水路にも目を向け始め、幼少期到達できなかったその場所の近くを観察してきた。

お堀のような石積みの折れ点は現在はまったく容易に到達できる。
それはちょうどスーパーの駐車場の端にあたり、そこだけ柵が開けられていた。


駐車場の柵の後ろはすぐ溝になっているわけではなく若干土手状の余剰地があった。

下流側を撮影。
流量が限られているためU型側溝を布設して両側をコンクリートで固めている。自分の中のイメージにあるのは、このコンクリートの概ね3分の2程度の幅を持つお堀だった。


石積みの折れ点の裏側。幼少期どうしても視ることができなかった部分である。
この部分でコンクリート水路は途切れていて従来のような土手のまま遺されていた。昔のイメージにかなり近いが、溝としては水量が少ない気もする。


次の折れ点で石積みはやや退き水路の両側が自然の土手状態になる。
そこには見たこともない小さな石橋がそのまま遺っていた。


この石橋は私の幼少期からずっとここに有ったのだろう。
駐車場の一角だけ柵が開けられたままになっている理由が分かる気がした。


即ちずっと昔からこの田へ出るための私有道があって、溝を安全に跨ぐために石橋を架けたのだろう。沢地にスーパーができて田がなくなってからも石橋は残り、駐車場を経てスーパーまで出られるように柵を開けておいた…というところだろうか。
石橋もその裏側にあった土のままの斜面もまったく初めて目にするものであった。

同じ場所からの上流部の眺め。
新農道が隣接するあたりからコンクリート水路に変わっている。これは幼少期からのものだろう。


溝から先は殆ど間違いなく私有地だろうが、場所の説明必要上この一枚の撮影目的でのみ立ち入らせて頂いた。


石橋の状況は昔から変わっていない筈なので、農道側から見えていたやや幅の広いお堀状態は石積みの屈曲部から上流側で狭まりこの石橋で跨げる幅になっていたようだ。
出典および編集追記:

1. 総括記事でも紹介した外部ブログ記事「子どものころ、はまった遊びはコレ!」を参照。
《 国道交差部付近 》
現地撮影日:2015/1/28
記事公開日:2015/4/16
水路が国道を横断する付近は幼少期の個人的関わりがあった場所で昭和40年代後半の頃の状況を覚えていること、この他にもう一つ別の物件に関連して言及すべきことがあるので現地の写真を添えて記述した。

現在の水路と国道190号の交差部付近の状況。
国道の歩道から下流部に向かって撮影している。


この場所をポイントした地図を示す。


この歩道は恩田小学校への登下校路だった。日々6年間通いそれ以外でも市街地へ出るとき恩田バス停まで歩いたので昔のことながら周辺の地形は今も充分によく思い出せる。
以下の記述は小学校登下校路の記事を作成した折りには移動する

まず私が恩田へ越して来たときから道路や歩道部分は殆ど変わっていない。即ち元は長沢という名の通りの幅が広い沢だったのだが、国道が対面交通仕様で通された昭和40年代後半には既に現在の高さだった。水路横断部分を残して道路敷は沢地に盛土して通されている。上の写真で見ると水路交差部の地覆コンクリートは新しいが、その下に古い石積みかコンクリートが遺っている筈である。当時既に幅2m程度の歩道で、沢地側には転落防止柵のような過保護な設置物などなく、僅かに断面が10cm×10cm程度のコンクリートの縁取り(現代のアスカーブのようなもの)がなされているだけだった。歩道の側面は垂直壁で、沢地からは大人の背丈以上の高低差があった。現在ある水路とほぼ同一レベルの余剰地が広がっていた。

上の写真の位置関係で言えば、水路に対して左側は隣接する民家の畑地で、右側は何にも利用されていない荒れ地だった。この荒れ地にはススキや葦と思われる草が生い茂っていて、暖かい季節になると葦にびっしりと茶色のケムシがくっついているのが見えた。荒れ地は平坦ではなく掘り出した土を乱雑に積み上げたようになっていて、一部は歩道と水路の交差部へねぶり着けられていた。[1]

現在ではコンクリート張りの階段となっているが、幼少期はちょうどこんな感じで肌色の土砂による斜面となっていた。


当然ながら昔の地形そのものは何一つ遺っていない。
水路の高さと位置関係のみである。その水路も今や両岸は練積ブロック、底部もコンクリート張りである。


歩道からわざわざコンクリート階段を設置している理由はこれだ。
中国電力の送電鉄塔である。今や完全に周囲を駐車場などで包囲されたために管理道を拵えていたわけだ。


鋼構造物の寿命は長い。私たちが恩田へ越してくる以前からここに建っていた。この周辺は既に田んぼで、当時は鉄塔の真下まで行くことができた。しかし田の中へ入ってはいけないと教えられていたからか、田が乾いているときも真下へ行った記憶がない。現在は草押さえのコンクリート張りとなり周囲は有刺鉄線が張り巡らされたが、鉄塔下周辺がかつての地盤高である。

国道交差部の水路の様子。
面取りされたボックスカルバートが見えている。これが国道の初期の整備期に造られたものと思う。
歩道部分を車道より数十センチ高くしている


カルバート下を通して上流側をズーム撮影。
国道より上流側は幼少期からまったく観察したことがない。学校が国道の南側にあるため反対側の歩道を通ることがなかったからだ。


さて、ここからは昔からあったと思われるものの一連の写真を撮影する過程で見つけられたものである。
水路と国道歩道交差部のほぼ真下だ。


こんな何処にでもありそうな溜め桝にわざわざカメラを向けているのも自分なりの理由があった。
もしかするとあれかも…という発想があった。


大してキレイでもない排水をズーム撮影していてあまり見よいものでもないが…
溜り水の下に何かバルブのようなものが見えていないだろうか。


そろそろ着目している物件の素性を明らかにすると…恩田地区の細かな記事まで目を通した読者はお気づきかも知れないが、常盤公園入口から恩田小学校の西の端あたりまでは概ね歩道に沿って宇部興産(株)による工業用水管が埋設されていることが知られる。戦前に常盤用水路を造ったのとほぼ同時期に市東部の工業地帯へ給水する目的で造られたもので、まだ実物を目にしたことはないがもしかすると内部はこないだ見つけた明神川の隧道みたいにレンガ巻き立てかも知れない。歩道上には工業用水の銘が入った鋳鉄蓋が観察される。詳細は以下の総括記事を参照されたい。
派生記事: 宇部興産常盤工業用水
常盤用水路では河川や沢地を横切るサイフォン区間には排泥用のバルブが設置されている。上水ならともかくそれほどキレイでもない常盤池の水を供給する管渠なら、河川交差部に排泥バルブがあるのでは…という予想はしていた。

バルブらしきものが見える溜り水の上には2枚のコンクリ蓋が設置されており、その上は…よく見ると作業靴らしき足跡が無数にみられた。


普通に考えればこんな場所に人の足跡がつく筈はない。何かの作業で訪れたからではないかという想像が働いた。
この空間にある道路側の壁には青で「正」という字がペイントされているのも何か関連性がありそうに思われた。

もっとも排泥用のバルブかどうか断定はできない。歩道に沿って昔からの雨水側溝があることが分かっているので、単にその繋ぎ込みかも知れない。
もしここがそうなら、赤岸の沢地を流れる中川との交差部にも同様のものがある筈だ。その場所には昭和の後期まで長いこと埋設管の施工跡が遺っていたことが知られている。
以上の記述も上記の常盤工業用水に併合するかも知れない
出典および編集追記:

1. 今思えばその残土はかつて炭鉱で掘り出されたボタを適宜敷き均したものかも知れない。ただし外見はそれほど黒っぽくなく真砂土に近い色だったような記憶がある。同様の残土が積まれている場所は恩田小学校正門前の歩道付近にもあった。

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