中川(指定水路)

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記事作成日:2025/7/11
最終編集日:2025/7/12
情報この記事は恩田地区近辺を流れる指定水路の中川について記述しています。
厚南地区を流れる県管理の中川については こちら を参照してください。

中川は市の管理する指定水路の一つで、恩田運動公園の陸上競技場付近から南東に流れ、JR宇部線の宇部岬駅西側で岬明神川に合流する自然河川である。
写真は恩田町五丁目にあるUBE独身寮裏手を流れる中川。


現在の流路を地理院地図に重ね描きした画像を示す。は上流端、矢印は下流端を表している。
流路のGeoJSONデータは こちら


宇部岬郵便局の東側で終点となっているが、実際は市道岬駅通り線の下に函渠となった岬明神川に合流する形になっている。
《 歴史 》
岬方面へ注ぐ自然河川として存在していたことは確実だが、防長風土注進案などには渡内川や塩田川の初期の河川と同様記載がない。初めて中川という名称が現れるのは、地名明細書の記載である。沖宇部村の五拾目山小村に中川浴筋という小字がみられる。


中川は上流端から一貫して南東に向かって流れている。この流路は、南東に細長く伸びる浅い沢の西側にあたる。現在は沢の両端を中川と岬明神川が流れているので、初期の内陸開作時に流路を沢の両端に寄せて水田を構築したのかも知れない。

中川という呼称は、沢地の中央を流れていたという率直な観察以外思い付かない。現在でも同様で、街中にある雨水の排水路の一つという認識に過ぎず、水路としての名称があることは殆ど知られていないだろう。
《 流路の概要 》
適宜いくつかの区間に分けて上流から記述している。
【 国道190号以北 】
まだ現地踏査も撮影も行っていない。写真を確保次第追記する。
【 国道190号〜市道笹山岬台線 】
この区間は国道と市道神原町草江線の立体交差部はボックスカルバートで、開渠はコンクリート三面張り水路である。一部に練積ブロックがみられる。溝普請のためのタラップや通路は設けられていないが、水路沿いの殆どがアスファルト舗装されていて土砂が流れ込む余地が殆どない。

市道笹山岬台線の手前で函渠となる。
ここから函渠の区間が長く、ゴミが流れ込むと除去が困難になることからスクリーンが設置されている。


【 市道笹山岬台線〜JR宇部線横断部 】
これより住宅地の宅内道路下を函渠で通っている。函渠区間を100m程度進んだ下流側で松尾水路が合流する。
松尾水路は合流点手前までは住宅地の裏手を開渠で通じており、函渠の接続点手前には同様なスクリーンが設置されている。


宅内道路の下を通って市道恩田八王子線に出て来るが、市道接続部にはポストコーンが設置されているので四輪の通り抜けはできない。

市道恩田八王子線の押しボタン式信号の先、市道上中堀岬線の起点左側に水色の水利関連の設備と分かる機器が設置されている。
写真は下流側からの撮影。


機器にはゲートの開度計が付属しているので、道路の反対側にある東芝中水路への分水を行っているのかも知れない。全体に錆び付いた感があり現在も使われているかは明らかでない。


これより市道上中堀岬線の真下を函渠で流れていく。市道の起点から1m近く下っているのは、中川を堰いて高い位置で東芝中水路に分水するためと思われる。


市道の終点はJR宇部線の宇部岬駅裏である。
水路は函渠のまま鉄道の下を流れていて、線路側に橋りょう構造は何もみられない。


この区間が函渠となる以前(恐らく昭和40年代後半まで)は、鉄道横断部はガーダー橋だった筈である。函渠を埋設して市道としたのみならず鉄道横断部も函渠にするのは、当時としては大工事だっただろう。元のガーダー橋の名称は今となっては分からない。現在の函渠には、名称や施工年が分かるものが確認されていない。
【 鋼矢板区間 】
鉄道横断部より下流は、両岸に鋼矢板の連なる開渠となる。


鋼矢板のセクションを噛ませて両岸に打ち込み、上部をコンクリート覆工と梁で補強している。


大量の鋼矢板を必要とするが、ブロック積みに比べて施工が容易で堅牢なためか、他の河川や水路改修でも多用されている。県管理の中川もこの手法で護岸補強を行っている。ただし地表から数メートルの垂直壁が生じるので、物を落とすと回収が困難である。清掃用の昇降タラップはなく、転落すると地表に戻るのが非常に困難である。

JR宇部線下をくぐり数メートル直進した後、流路を直角に変える。この奇妙な折れ曲がりは自然河川だったかなり早い時期に生じていたらしく、スタンフォード地図にも同様に記載されている。


この折れ点に別の小河川が接続していたことが分かっている。昭和11年調制の宇部市街圖に明白な枝が記載されている。


この分岐点は現地でも確認されており、最近の調査で宇部岬駅の待避線の裏手と民家や集合住宅の間に若干の高低差があり、笹山通り近くまで溝状領域として遺っていることが判明した。


これよりJR宇部線のすぐ北側には東見初水路が逆方向に自然流下している。人工的な水路とは言え東芝中水路も周辺の雨水が流れ込むことから、ごく狭い範囲で浅い分水界が生じていることが観察できる。
《 個人的関わり 》
草江の地区道の派生記事にある丸信恩田店の買い物道でも書いているように、市道神原町草江線との交点付近は遊び場の一つだった。秘密の基地という面白い遊び場があり、当時クラスの同級生(小学3〜4年生)の家が近かったことで仲間がよく集まっていた。

昭和40年代の末のことであり、当時からこの辺りの中川は今と同じコンクリート水路だった。ただし水底には名前の分からない水草が大量に繁茂していて、常に濁った水が流れるどぶ川というイメージだった。”秘密の基地”から角材を持ち出して水底に突き刺しグルグルと回すと、大量の水草が巻き付いた。水底はヘドロが溜まっていて水が真っ黒になった。子どもの頃は何処にでもありがちな汚いどぶ川というイメージで、名称はもちろん知らなかった。

市道神原町草江線より下流側も何度か歩いている。ここに隣接するアパートに母の知り合いが居て、子どもは同じクラスではなくもしかすると学年も違っていたかも知れないが、何度か遊びに行っていた。後に県外へ引っ越していき数回年賀状を出していた。中川を更に下流までたどって歩いたことは幼少期にはない。
出典および編集追記:

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