市道常盤公園江頭線・横話【1】

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本編では市道常盤公園江頭線にまつわる派生的記事をまとめて掲載している。
一部の記事は将来的に国道190号や常盤公園関連の記事からも参照される。
《 常盤公園前三差路 》
現地踏査日:2013/6/3
記事公開日:2013/6/4
常盤公園前交差点は国道190号の分岐点で、市道常盤公園江頭線の起点になっている。
形態としては三叉路で信号は半感応制のようである。


100mほど市街部に寄った場所に市道江口野中線が横切る宇部市則貞交差点があり、信号はそちらと連動している。いずれの市道も交通量がそう多くないせいか停まった車や横断者の押しボタン要求に対する感応速度はかなり遅い。特に常盤公園正面玄関から国道に出るとき、上の写真のように運悪く前の車が交差点を出た直後の黄信号にさしかかってしまった場合、次の青までウンザリするほど待たされる。
計測はしていないが待ち時間は少なくとも2分を超える

この特性が周知されているからでもなかろうが、路線バスや状況を知らないドライバーは別として平日は国道に出る方向への車は少ない。先を急いでいるとき一度この長い信号待ちにハマッたら国道に出る経路として選択肢から外すドライバーも居るかも知れない。
国道190号は4車線で交通量が多いので、この時間配分は如何ともし難いところである。国道から常盤公園に向かう場合はまったく問題ないが、国道に出る場合で急ぐときにはこの交差点ではなく亀浦交差点側に出るか別の市道を利用した方が良いだろう。
《 常盤公園の標示板と塞がれた階段 》
現地踏査日:2013/6/3
      2013/6/11
記事編集日:2014/8/7
本路線の起点である国道190号常盤公園前交差点には、国道から見えるように古いモニュメントが設置されている。


建築ブロックが積まれ、金色の文字で常盤公園と標示された大理石がはめ込まれている。
かなり時代を感じさせる標示だ。


この裏側を眺めると…
こうなっていた。


モニュメントのすぐ裏側にコンクリートの階段があるが、建築ブロックで塞がれれる形になっている。その階段へ到達する経路もフェンスで塞がれているのでいわゆるトマソンとなってしまっている。


このコンクリート階段は夫婦池の堰堤に続いており、かつて樋門を操作するときのために設置されたものと思われる。もっともモニュメント自体かなり古いので、階段が塞がれたのも早い時期らしい。ここは塞がれているものの国道の歩道側に別の階段がありフェンス門扉が設置されている。

なお、夫婦池の堰堤に関しては以下の記事を参照されたい。
派生記事: 夫婦池・本土手【1】
この記事を書いている間に国道に面して設置されている常盤公園のサイン塔が塗装替えされた。更新直後のサイン塔はこのようになった。[3]


最近は常盤公園については「ときわ」と平かな表記するのが主流になってきている。
現在ある漢字表記のサインなども順次書き換えられそうな雲行きだ。


西駐車場のサイン塔も同時に塗り直されている。なお、この写真を撮影した後にデザイン公募があり再度新しいものに塗装し直されている。
飛び上がり地蔵尊
情報この項目は分量が多くなったので単一記事に分割されました。記事の移転先は項目タイトルに設定されたリンクを参照してください。

《 常盤公園・樋門入口 》
現地踏査日:2013/1/23
記事公開日:2013/7/6
飛び上がり地蔵尊を過ぎたその先に市道に面して通用門のような入口がある。


両開きの鉄扉が設置されているが、門扉は酷く錆び付いていて最近使われたような形跡が感じられない。


門柱の前面には常盤公園の樋門入口という石版が埋め込まれていた。
まるで一般家庭向けのような鉄平石を積み上げた門柱だ。
昭和後期まで一般家庭でもこのようなタイプの門柱がかなり流行った


樋門入口という名称が与えられた門が造られている以上、ここからかつて公園に出入りしていた時代があったのかも知れない。自分なりの記憶を辿ればここから出入りしたようなことは一度もない。

門扉越しに中を覗いてみた。
軽トラ一台通れる程度の未舗装路の先に本土手の樋門小屋が見える。樋門入口と呼ばれる所以だろう。


門柱には閂が設置されているが、奥に伸びる道を見る限り軽トラが通ったらしい踏み跡が認められた。今でも除草作業のために公園緑地課の作業車が出入りすること位はあるのかも知れない。
単なる通用口ではなく樋門入口という銘板まで掲げた門柱が設置されているので、一般の来園者も出入り可能だった時代があったように思える。

なお、現在は門扉は施錠され一般の出入りはできないが、草刈りなど園内整備や工事関係者の出入りの都合で門扉が開いていることがある。園内の入場が無償となっていることもあり、正規の門ではないにしても来園者の出入りについてはそれほどうるさく言われていないようである。
門扉の開いているとき出入りする来園者の姿を何度か見かけている
《 大きく膨らんだカーブの理由 》
現地踏査日:2013/1/23
記事編集日:2014/8/21
車で市道常盤公園江頭線を走ると、飛び上がり地蔵尊を過ぎたすぐ先で右カーブの幅が異様に膨らんでいる箇所に気付くかも知れない。


既に前出の派生記事で写真に現れている通り、飛び上がり地蔵尊や樋門入口に隣接しているカーブだ。かなりきつい曲がりなのに横断勾配が殆どないため車の横転事故もあったらしい。[5]

不必要に外カーブが大きく張り出している。本来の一車線分くらいはある。
車が外へ膨れて走らないように本来の車線部分の路側を内側に引き、余った部分にはゼブラがペイントされている。


実は写真のような状態となっていることはかなり稀で、昼中は平日でも大抵車が停まっている。その殆どが飛び上がり地蔵尊に参拝する人たちの車だ。
この膨らみ部分は何も飛び上がり地蔵尊を訪れる人向けに駐車スペースを拵えたのではなく、理由があった。
かつて道の真ん中に松の木が生えていた。
現在の道路中心線に大きな松が生えていて、市道の上下線がその松を避けるように分かれていたのである。

残念ながら写真は撮っていないが、たまに親父の車の運転で通るときに見ていたし、自分自身、岡ノ辻から下ったところにある生徒の家庭教師に行くときここを車で何度も通っていた。そのときもまだ分かれていたかも知れない。
確か根元付近で二つに分かれるかなり太い松だった。幹や枝が道路交通の邪魔になることはなかったが、あまり見られない構造だったので印象に残っている。
本土手より下流側にある溜め池は夫婦池と呼ばれているが、私はかつてこの場所に植えられた相生の松に因むものと思っていた。
実際はそうではなく女夫岩という小字から命名されている

この松はかなり最近まで現存していたと思う。少なくとも平成時代のはじめまでは市道の真ん中にあった。なくなった理由はよく分からないが、恐らくマツクイムシの被害で枯れて切り倒されたものと思われる。
市道沿いに植わっていた松の木は昭和期より確実に減っている

振り返って撮影。
石炭記念館の高い櫓がここからも見えている。


松の木が枯れて取り除かれた後、その部分は道路敷に転用された。そこで外側へ膨らんだ歩道はそのままにして、路側帯の位置を移動して余った部分をゼブラ処理したのである。したがって松の木があった当時は本土手へ向かう車は本当に現在の縁石に沿って大きくカーブせざるを得なかった。
ドライバーから運転しづらいという声はあったかも知れない。ただ、松を切り倒すと祟りが出るという話があった模様だ。[5]

この道路構造がなくなることはないだろう。しかしどうしてここだけカーブが幅広になっているかという理由は、記録に遺して伝えなければいずれ誰も知らなくなってしまうのではないだろうか。
出典および編集追記:

1.「ときわ公園物語」p.66〜67、「宇部ふるさと歴史散歩」p.74〜75、「ふるさと恩田」(ふるさと恩田編集委員会)p.102 など多岐にわたる。

2. 毛利元就が郡山城を拡張したとき従来の人柱の慣習に対して尊い命を奪うべきではないとして石に文字を彫ったものを埋めたとされ、これが東岐波古尾八幡宮や西岐波市民センターにもある「百万一心」の石碑の始まりである。 「宇部ふるさと歴史散歩」p.177
また、1857年(安政四年)の居能開作の折りには当時飼っていた愛犬を人柱の代わりとし、以後も犬の像を造って開作の安全を願うと共に愛犬の冥福を祈っていたという。「なつかしい藤山」p.22

3.「厚東 第35集」厚東郷土史研究会, p.98

4. 2013年後半にときわ公園のイメージロゴが公募され、2014年度のはじめに採用が決定された新ロゴで再度塗り直されている。

5.「FBページ|2014/8/20投稿分」の読者コメントによる。(要ログイン)
なお、「松を切り倒すと祟りがある」という言い伝えは、当時は堰堤の補強目的で松を植えさせ大事に管理してきた経緯に基づくものと思われる。松の木を一本伐ると罰として百本植えさせたり厳罰を与えるなどの歴史的事実があった。

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