市道丸山黒岩小串線・横話【2】

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(「市道丸山黒岩小串線・横話【1】」の続き)
《 初めて恋人を誘って入った喫茶店 》
申し訳ないがこの喫茶店自体を宣伝する意図は毛頭ない。私の自分の人生の一コマとして記憶に残っているというだけだ。

その喫茶店は岡の辻バス停の傍にあり、経営者はともかく店の名前は昔から変わっていない。また、記憶が誤っていなければかつてこの近くには2軒喫茶店が並んでいたように思う。


表題の通り、ここが私の人生において自らの意識で入った喫茶店である。もちろん一人ではない。当時付き合い始めた恋人とコーヒータイムを過ごすために入ったお店だ。
昔から日記をつけていたので調べれば詳細が分かるかも知れないが、今は自分の記憶を辿って書いてみると…

元から奥手で女性に声を掛けることもできない自分にもお付き合いする女性ができた。市内のある会社に就職し、人並みな給料をもらうようになって自分の車も持つようになった時期だ。最初の一年は仕事を覚えるのにとてもそんな余裕などなかったが、一年後に入社時予定されていた課へ配属されてからは幾分気持ちと時間の余裕ができたことが背景にあった。
付き合い始めてまだ日が浅く私も彼女も親と同居していたので、外で逢う以外なかった。
親の居る相手の家に行くのは結婚の意思表明の一つとして考えられる…まだそういう段階ではなかった

外で逢うにしても寛いだ時間を過ごすなら公園か喫茶店だが、屋外だと天候に左右される。必然的におしゃべりをしたいならデートの場は喫茶店と相場が決まっていた。
この喫茶店は正規に就職する以前、後述する調査員の仕事をしていたとき訪れていたので覚えていた。彼女を助手席に乗せたなら、ナビゲートするのは男の努めである。市内の喫茶店を一つも知らず探し回るような愚を避けたかったので、私は恰も以前から知っていたかのように迷うことなくこの喫茶店へ車を走らせた。
年上の彼女だったので格好をつけたいという心理もあったようだ

喫茶店でコーヒーを注文したのは自明だが、もちろん今となってはどんな話をしたかはまったく覚えていない。あるいは2度くらい訪れたようにも思うし、それは隣りにあった別の喫茶店だったかも知れない。
マッチ箱収集をしていたので喫茶店のマッチ箱があるかも…

恋人ができてからは自分が外出する都度、何処に喫茶店があるか覚えておく習慣ができた。やがて今まで自分が知らなかっただけで、市街部にも沢山の喫茶店があることを知った。雰囲気の良いお店でしっとりした会話を楽しむオアシスとしてデートの場を演出してくれる存在だった。
彼女から最初に誘われて入ったのは別の喫茶店だった…それで自分もいろいろ喫茶店を覚えようと思った

この記事をかく現時点では周知の通り、市内に限らず個人経営の喫茶店が激減している。全体的に個人所得水準が劇的に低下したこと、ファミレスのような低コストで会話の場を提供してくれる店が沢山現れたことに因ると思われるが、喫茶店固有の情緒や雰囲気が正しく理解されていない面もある。遺憾ながらよほど個性的な魅力があって大手のコーヒー専門店に対抗できる店でなければ、あと数年しないうちに個人経営の喫茶店が悉く姿を消してしまうのは確実だろう。

この市道の起点には私が今までの人生でたった一度、お見合いをした過程で入ったカレー店があった。
今まで意識もしていなかったのだが、横話として記事をまとめている過程で、あまり自分には馴染みがないと思われていたこの市道の沿線には意外にも人生の小さな節目イベントが随所に埋め込まれていたと気付いた次第であった。
《 岡の辻について 》
岡ノ辻のもっとも代表的な場所と言えば、個人的には名前こそ付されていないが岡ノ辻交差点とも言えるこの場所が思い浮かぶ。


昔住んでいた恩田からすれば岡の辻はかなり遠い。知り合いは殆ど居ないし馴染みの薄い地であるが、自転車レポートで走ったのは初めてではなく、昔から仕事で複数回訪れている。
本当に初めて岡ノ辻を訪れたのは学生卒業後のある調査に関する嘱託業務で、地域一帯の労働力人口や商業関連店舗の個別調査が目的だった。既に運転免許は取得していたがまだマイカーを保有していなかったので自転車で訪れていた。

労働力調査ではこの先の市道岡ノ辻新浦線を過ぎた先にある黒岩の手前までが対象区域だった。その辺りは後岡ノ辻と呼ばれ、昔は事業所も少ない本当に寂しい場所だった記憶がある。
後岡ノ辻の最も奥にある事業所の名称を今でも覚えている

地名に関して考察してみると、前岡ノ辻、岡ノ辻、後岡ノ辻という地域およびバス停が存在し、岡ノ辻というキーワードがかなり昔から基準として用いられていたことが想像される。

岡ノ辻の「岡」は、現在の「丘」にあたる。
日本の地名・人名には「岡」を用いるが「丘」は使用頻度が低い傾向がある
そして「辻」は道が交わる場所を示している。このことから岡ノ辻という地名は、海を基準にしてそれより高台にあって2本の道が交わる地に由来するように思われる。辻を形成するもう一方の道は、西岐波から岡ノ辻に向かってくる市道岡ノ辻新浦線だろう。

詳細は市道岡ノ辻新浦線で述べるが、この道は床波から水揚げされた海産物を当時の市の中心部である上宇部方面に運ぶ行商人が歩いた古道と思われる。
なお、常盤池に面したこの付近の入り江には東條という名称が与えられ小字としても遺っている。これは「東にある条(みちすじ)」と解釈され、入り江から東側にある岡ノ辻そのものを指しているようだ。

床波から岡ノ辻へ至る途中には、昔から有名で名前のついた信じられないほどの急坂がある。そして岡ノ辻はその坂を登ってすぐの場所にある。かつて行商人が重い荷を背負って急坂を登り、この地で一休みしていたのではないかという想いが巡る。
《 セイタカアワダチソウ畑 》
現地踏査日:2013/10/20
記事公開日:2013/10/21
岡ノ辻交差点の角地は市道より一段低く、永く荒れ地状態となっている。
先日、自転車で黒岩方面に向かう途中ここを通り、見渡す限り派手に生えまくったセイタカアワダチソウ畑になっていることに気付いた。


畑と言っても別にセイタカアワダチソウを栽培している訳ではない。とにかく繁殖の度合いが半端ないのである。周囲は軽く花の香りも漂っていた。


ここまで盛大に繁殖すると壮観でさえある。
黄色い派手な花の部分と茎や葉の緑色が結構美しい。


本当に見渡す限り一面セイタカアワダチソウだ。
他の植物や樹木が新規参入する余地もないように思える。しかしよく眺めれば部分的にススキも頑張っているようだ。


確かにセイタカアワダチソウが繁茂する場所には他の植物は生えづらい。自分自身を含めて植物の生育を阻害する化学物質を放出しているためと言われる。

セイタカアワダチソウの繁茂は殆どの人には歓迎されない。美しいと言うよりは禍々しい、ぜんそくの原因になりそうだなどと忌み嫌われるものである。
とりわけ昭和中後期頃にはぜんそくの原因になるという理由から「セイタカアワダチソウを撲滅しよう!!」という運動も展開された。小学校時代は美術の正課クラブで同タイトルのポスターを描いた記憶があるし、則貞あたりがまだ草地だったときにクラスの友達と鎌を持って刈り取りに行ったことがある。もっとも刈るというよりは単にセイタカアワダチソウの中へ分け入って鎌を振り回し遊ぶ程度のものだったが…
クラスの誰と行ったかも覚えている…しかし当の本人はまず覚えていらっしゃらないだろう

黄色い粉をフワフワさせたような外観からは、花粉が散ったらもの凄いことになりそうな印象がある。しかし現在では花粉症やぜんそくとの因果関係は否定されている。[1]

それにしても現在なお問題視されているのは、セイタカアワダチソウが元々の日本には存在しなかった外来種であり、強烈な繁殖力で他の植物を駆逐してしまう点にある。一旦根付いてしまうともの凄い勢いで繁殖し、飛び火のように近隣地まで勢力拡大していく。もっとも自身の持つアレロパシー作用により、更に年数が経てばセイタカアワダチソウ自体の生育も阻害されて衰退していくらしい。

思えばセイタカアワダチソウの最盛期は、昭和中後期あたりにあったように思う。平成期に入ると、これほど大量繁殖している場所は逆に少なくなった。もっとも広範囲に荒れ地状態のまま放置されている場所が少なくなったことも理由だろう。

岡ノ辻交差点付近のセイタカアワダチソウは、恐らく今が繁殖の最盛相にあるようだ。もしかすると駆除などの手を加えなくても相応な年月が経てばススキなどの在来種が勢力を盛り返して主役の座を奪うのかも知れない。
なお、特にこの場所が管理不十分でセイタカアワダチソウ畑になっているというのではなく、空き地は適宜草刈りされている。
既に公開済みの写真を観ても草刈りされている状態が分かるだろう
《 東條の入り江に降りる道 》
岡ノ辻の主要な交差点から常盤池の方へ下っていく細い道がある。
写真で言えば左折する道だ。


この道は認定市道ではなく、地元管理の道ないしは私道である。自動車学校やその周辺にある民家が利用する道であり、車で進攻したところで何処にも抜けられない。しかし自転車や徒歩の場合は距離がかなりあるものの常盤池の周遊園路に出ることができる。東條の入り江山炭生の鼻近辺を踏査する経路として使える。


東條の入り江の先端部に向かって真っ直ぐ坂を下ったところに自動車学校がある。


舗装路は自動車学校の前までで、そこから先は車が通行できる道はない。したがってこの先の目的地に行くにも駐車できる場所がないことに注意されたい。

ただし冒頭の地図を拡大すると分かるように、自転車程度ならその先に東條の入り江の痕跡に沿って岬へ向かうあぜ道が存在する。
写真はそのあぜ道から振り返って自動車学校を撮影している


歩行者や自転車がこの道を通って周遊園路に向かうのは問題ないだろう。
ただし自転車は現在のところ周遊園路の乗り入れは禁止されているので、押し歩きするか適宜園路の外に停めて歩くことになる。
《 岡ノ辻八王子社 》
新興住宅入口前に設置された押しボタン式信号の近くに古めかしい祠が目に着く。
以下は初めてこの市道を走破レポート向けに写真撮影したときのものである。


ずっと昔から同じ場所にあったらしく、祠の前に向かう小さなコンクリート通路が造られている。


レンガ積みで囲まれた中に石灯籠のようなものが設置されている。
墓やお地蔵様のような存在ではないらしい。


表面には「八王子」という陰刻があるだけだ。
岡ノ辻とされるこの地には馴染みのない名称である。


このようなタイプの道ばたに置かれる石碑となれば道祖神や庚申塚が想起される。しかし八王子のように地名と思しき文字だけ刻まれた石碑は他で見たことがない。

この「八王子」の意味するものが何であるかを考えると、すぐ想像されるのは宇部岬方面にある八王子という地名だ。
しかしその八王子と岡ノ辻は直線距離でも10km近く離れている。直接の関連があるとは思えないし、小字レベルで考えるなら八王子という小字は市内に散在している。

それほど近くもないが、この市道のすぐ東側を併走する山口宇部道路で常盤小学校の反対側に八王子神社があることが知られる。この石碑からは1km強離れている。


この石碑は八王子神社に纏わる何かと考えたくなる。詳しいことは地元の方にお尋ねしなければ分からない。[*]
出典および編集追記:

* この祠は岡ノ辻八王子社と呼ばれていることが判明した。詳細は「宇部市|文化財マップ」の常盤校区マップに掲載されている。よって派生記事タイトルもそのように書き換えた。
一般に八王子と記された石碑はマムシ避けを祈念したものとされる。昔はマムシの血清がなく噛まれると生命の危険に晒された。山口宇部道路沿いにある八王子の祠も同様の主旨と思われる。
ただし岬にある八王子だけはマムシ避け由来ではなく別の由来があるとされる
《 黒岩バス停付近を通るとき注意すべきこと 》
やや告発的と言うか注意喚起ネタである。
常盤池一周を兼ねてこの市道を自転車で走る方が割といらっしゃることだろう。
とりわけ現在辿っているのと同じ起点から進む常盤池左回りルートで走る場合は、黒岩バス停付近の危険性を頭に入れておく必要がある。


その理由は以下の写真を見るだけでも明らかだろう。
自歩道と思われる末端部に摺付けがない。


末端部はガードレールが設置されており、車道へ復帰するにも段差がそのまま放置されている。即ちこの部分は純粋なバス停であり自転車が乗り入れてはならない場所と考えられる。しかし傍目にもその幅は自歩道の延長を思わせる。自転車で自歩道を走る習慣がある人なら、ほぼ間違いなくここはトラップに掛かってしまう。気付かずに進攻すれば、自転車は15cm程度ある段差をモロに落下することになる。空気圧の充分でない自転車ならリム打ちのパンクを誘発する。
私も完全に覚えきるまで2度くらいここを走ってしまい慌てた

この付近は車の往来が結構多い。両側に2m幅の歩道があるので、安全走行を志向するなら普通に自歩道部分を走るだろう。

近くを撮影した他の写真がないが、少し手前から写した初回走破時のショットがあった。
これは岡ノ辻交差点から最初の坂を下る途中の映像である。
起点からみて右側に自転車通行可の標識が掲示された自歩道がある。


写真を見る限り、登り坂になる部分から黒岩バス停まで目立った歩道らしきものはない。したがって黒岩バス停に見られる2m幅の歩道は、バス停擦り付けに伴って設置された通路で、自歩道ではないと言える。
ただ、現状を観るに2m幅の歩道は自転車通行可に見える。いずれにせよ誤って乗り入れたならバス停末端部に到達した時点で停止し、自転車を抱えて車道へ降ろさなければならないことに注意されたい。

ついでながらバス停のすぐ先にも自転車にとって危険箇所がある。
バス停の端で車道が左カーブしている上にそこで路側幅が急に狭まっている。


この場所に限らず自転車で車道を走っているときは、狭い内カーブに入る際に後続車両の気配を察知しておいた方が良い。慎ましく道路の左端を走っている限り車側に回避義務があるのだが、自転車一台如きでブレーキを踏むのを嫌がるドライバーは多い。
この近辺は右側には連続した自歩道が整備されているのに対し、進行方向左側の自歩道は不連続点や狭隘箇所が目立つ。先を急がずゆっくり進みたい場合は、右側の自歩道を利用した方が良いかも知れない。
《 常盤池の末端部にある溜め池 》
カーブの内側にあるものは…と言ってもそう大したものではない。


名前もない小さな溜め池である。
逆光のため白っぽく写っている


この池は常盤池の一部ではなく、沢の上流部にある。沢は常盤池の土取の入り江に繋がっている。
カメラを向けた意図は特段ないが、確か初回に走ったときもここでシャッターを切っている。池の中に等間隔に打ち込まれた杭と柵らしきものが一体何のための用途なのだろうかと気になったのだ。
類似するものを他の溜め池や常盤池の汀でも見たことがある。護岸の崩落防止か、下流側へ水を取るときゴミが流れ出ないようにするためだろうか…
市道丸山黒岩小串線の旧道区間
情報この項目は分量が多くなったので単一記事に分割されました。記事の移転先は項目タイトルに設定されたリンクを参照してください。

常盤スポーツ広場
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(「市道丸山黒岩小串線・横話【3】」へ続く)
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - セイタカアワダチソウ|性質」による。

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