市道沼風呂ヶ迫線・横話

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ここでは、市道沼風呂ヶ迫線の派生的記事をまとめて収録している。
沼三差路(仮称)
情報この項目は市道西の宮野中線の派生記事に移動されました。記事の移転先は項目タイトルに設定されたリンクを参照してください。

《 生協宇部店発祥の地 》
記事作成日:2016/7/22
2016年7月現在Wantsが入っているこの場所は、店舗としての利用履歴では3度目ということになる。田だったこの場所を最初に整備して店を開いたのは生協である。

生協と言えば共同購入で有名である。共同購入システム自体は現在も行われているが、以前ほど利用頻度は高くない。これは昭和中後期は未だ専業主婦率が高く車の免許を持っていなかったことが多いのに対し、現代では一家に一台から一人に一台が普遍的になってきたからである。主婦も免許を取得し車を乗るようになったため、共同購入よりも自分で店まで運転し買い物することが一般的になってきた。恐らくその流れを受けて、宇部市内で最初に買い物客を待つ形での生協の店舗が造られたのがここである。それも平成期に入ってからのことだったと思う。

当時は現在Wantsのある場所に店舗はなく、酒のキキーズが入っている建物が店舗だった。したがって店舗としてはかなり手狭である。駐車場も現代のように広く整備されていたのではなく本路線沿いに数台停められる状態だった。初期は駐車場自体未舗装で、雨が降るとかなりぬかるんだ。また、店舗からやや離れているので駐車場からは傘を差して移動しなければならなかった。
我が家でも初期は共同購入と店舗購入を並行させていたが、共同購入では最低2人メンバーが居ないと配達してくれなかった。主婦も仕事を持つことが一般的になってきた中、平日の昼間に商品を受け取れる主婦が少なくなった。このため多くの共同購入グループが解散し、我が家でも共同購入したいという声は若干ありながら商品受け取りの問題もあって解散した。この流れで店舗購入する買い物客が次第に増え始めた。

そろそろ上宇部の店では手狭だし駐車場も十分でないと判断されたのか、その後恩田町2丁目のコープやまぐちへ店舗を移動している。この場所での生協としての営業期間はそれほど長くはなかった。しかし元から買い物が好きだったことと目先他の店にない変わった商品があることに魅力を感じ、旧店舗時代に自分用の生協のカードを作成している。このカードは現在も保有しているし使えるが、最近は生協で買い物をすることが殆どなくなった。

その後の改修時期は不明だが、生協宇部店だった建物をそのまま利用する形で現在は酒のキキーズが入店している。真向かいにあるWants宇部沼店は生協の退店した後にママポートが入ったとき駐車場を拡幅して建てたものと思われる。その後に百菜屋上宇部店が入り、現在は前述のようにWants宇部沼店となっている。
《 宇部山門郵便局 》
記事作成日:2015/1/16
本路線の中ほどで小路ヶ池に隣接する形で宇部山門(やまかど)郵便局が存在する。
写真は局舎の全容。


特定郵便局にしては珍しく二階建て構造となっている。もっともこの部分は郵便局利用者が立ち入ることはなく用途は分からない。その外観から想像されるように平成期に入ってからの築造である。このため昭和50年代後半に行った市内すべての郵便局の記念証印は作成されていない。

本路線の沿線や近くには元々郵便局は存在しておらず、したがって宇部山門郵便局は宇部寺ノ前局が場所を変えて宇部中村局となったのとは異なり全く新規に開局された。風呂ヶ迫市営住宅をはじめとする周辺地域の居住者増によるものと思われる。宇部山門郵便局からの最寄りの局は宇部常盤台局か宇部中村局になる。

駐車場は局舎の前に数台分造られているが、利用者の多い局でしばしば満杯になっている。交通量の多い道なので大概は頭から駐車場へ停めることになる。その場合、本線に向かってバックで退出しなければならずかなり困難である。


道路沿いのアクセスの良い場所にあるため散発的ながら利用回数は多い。このことに関して十数年前ではあるがあまり宜しくない想い出があった。もっとも郵便局の対応の責任ではなく全面的に私が悪いのだが…

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

既に十数年経っているわけで、今や当時の窓口担当者も代わっていることだろう。したがって現在ではこの方面へ来る便があるときにはたまに利用している。また、配当通知書のコピーを手元に置くという面倒臭い作業も、その後確定申告向けの払い出し内訳書が郵送されるようになってからは全く不要になった。
《 風呂ヶ迫について 》
記事作成日:2014/12/1
風呂ヶ迫(ふろがさこ)は上宇部校区に属する町名である。
写真は風呂ヶ迫バス停サインと風呂ヶ迫市営住宅第7棟。


風呂ヶ迫町は風呂ヶ迫市営住宅を中心に構成される。市営住宅の中を本路線が通過しており、第8棟の先が終点となっている。市住の西側には風呂ヶ迫池がある。
かつて風呂ヶ迫行きの市営バスが存在していたこと、独特さを感じさせる地名であることから市民の間での知名度は高い。町名の他に市道の路線名、市営住宅名として用いられている。独特で覚えやすい名称を活かして町外において風呂ヶ迫を冠した名称の建物も存在する。

小字としての風呂ヶ迫は、現在の風呂ヶ迫町および風呂ヶ迫池を合わせた領域にほぼ一致する。[1]制作時期の古い小字絵図では風呂ヶ浴と記述されていること、明治期の地名を編纂した地名明細書でも西ガ原小村の墓ノ尾配下の小名に風呂ガ浴(ふろがえき)が収録されている[2]ことから、かつては風呂ヶ浴が正則で後年風呂ヶ迫に書き換えられたとみている。この理由は明らかではないが一般的にみられる「『浴(えき)』の字および読みの忌避」であろう。風呂の字および音を含む地名は実のところそれほど珍しいものではなく、市内では小串に風呂ノ浴が知られる。他地区にも同種のものがいくつか存在する。

風呂という文字からは公衆浴場を想像するが、かつてこの近辺に共同浴場が設置されていたという確認はとれていない。風呂(ふろ)は室(むろ)に音が通じ、暖かな場所、温度のある水が得られる地に由来するという説がある。[3]風呂ヶ迫から丘陵部を挟んだ東側に字金吹があり、かつて存在した金吹園に代表されるような温泉療養地として知られていた。風呂ヶ迫は金吹と同様、丘陵部の斜面という地勢で共通しており、温度のある湧水が得られていたと考えるのは自然であろう。迫(さこ)はその字の通り山間部が迫っている地である。

一般検索でも宇部市の風呂ヶ迫町そのものがヒットする程度に少ない地名ではあるが、まったく同名の風呂ヶ迫という地名が周南市にも見られる。
徳山発電所に近い分岐路であり実際に車で通ったことがある


周南市の風呂ヶ迫の場合も北側が高くなる緩やかな傾斜地の中ほどという地勢は共通している。
出典および編集追記:

1. 一部に字墓納(はかのう)が含まれている。

2.「山口県地名明細書」(山口県文書館専門研究員 田村哲夫著)p.136

3.「山口県地名考」(高橋文雄氏 山口県地名研究所)による。

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