市道神原町草江線・未改良区間の工事

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記事作成日:2016/9/21
ここでは、市道神原町草江線において後年改良工事が行われた区間についてまとめている。

本路線の全区間において清水川交差点から200m程度恩田側にある信号機のついた分岐から先は平成期に入って新規に造られたり既存の狭い道を拡幅改良された区間である。このうち恩田ふれあいセンターの横、市道草江五十目山線を横切る先から終点までの区間が最後に着手され映像も多く記録しているので、本稿ではこの区間を中心に記述する。それ以外の区間については変化を追跡した画像が採取されていないので、判明している情報のみ末尾に記述している。
《 市道草江五十目山線交点より終点までの区間 》
この交差点の位置を地図で示す。
なお、この埋め込み地図はYahoo!サイト連動なので、後年の閲覧では新しいものに改訂される。[1]


すべての工事が終わったのは2016年3月のことであり、本記事を作成する時点では上記の地図はまだ反映されておらず古い路線を描写したままである。工事前の狭い区間は以下の時系列レポートに取り上げている。
時系列記事: 市道神原町草江線【3】|狭隘区間
また、この区間は工事前の2013年5月にストリートビューの映像が採取されているので、連続的に工事前の状況を知ることができる。
ただし次回映像採取時にはこの版は更新されると思われる


以下では、上記の時系列レポート以降の工事進捗状況を断続的に採取した画像を時系列に沿って掲載する。定期的に訪れている訳ではないので、現地の着工時期は若干のずれがあり得る。
【 2013年9月11日採取 】
草江駅に向かって下る道の途中、石積みのあった畑部分にユニットハウスが設置された。


【 2013年11月19日採取 】
狭隘区間の中ほどから撮影。
既に数軒の家が退き、計画線の外側部に新しい側溝が布設完了していた。


踏切より終点側の路体盛土を行っていた。
畑のところに設置されていたユニットハウスはこの工事のためのものである。


狭隘区間沿いの家がかなり退いていたこと、終点側の工事が始まっていることからいよいよ最終区間に着手すると想像された。これ以降、継続観察案件としてこの方面を通るたびに写真を撮るようになった。
【 2014年2月8日採取 】
終点側の路盤工が行われていた。


なお、一つ前の写真でも見えているように県道宇部空港線との十字路にあたる場所への信号機は改良前から存在していた。改良前は殆ど交通がないため、草江駅側から出てくる車が殆どないにもかかわらず県道側が頻繁に赤信号となり、しかも相当な時間待たされる状況になっていた。
【 2014年3月27日採取 】
終点側から踏切までの表層工までが完了した。
踏切は狭いままであるため、起点側の狭隘区間開始地点にあるのと同じ幅員減少の標示板が設置されていた。


【 2014年8月13日採取 】
この頃に狭隘区間開始地点の十字路のところに工事看板が設置されている。


この看板よりいよいよ最後の区間の改良工事が始まると確信したので、改良前の狭隘区間について詳細に写真を撮影した。
【 2015年1月20日採取 】
狭隘区間開始地点から先の道路拡幅工事が始まっていた。
既に新しい道路の線形が定まっており、車道舗装の片側車線は表層まで、歩道部は路盤工まで完了していた。


新しい道路線形は一部が旧路線部から外れる。
この頃出来上がった道路部との部分的な切り替えが行われていた。
古い側溝が見えている部分が元の経路


この切り替え箇所は草江駅に向かっての下り坂が始まる地点である。これより終点側は現地盤より切り下げて一定勾配を保つための切土が含まれるので、元からの道へ交通を切り替えた上で掘削を行っている。
【 2015年4月11日採取 】
狭隘区間開始地点から先の車道と歩道の舗装まで完了した。
一部の路側帯がまだペイントされていない。これは最後に表層を被せる行程を残しているからである。
ロードペイントは塗布式の仮ライン


この頃から踏切手前の畑部分の切り崩しが始まった。一連の改良工事において唯一の切土箇所である。
草江駅駐車場から撮影。排水工の掘削が行われていて、土質が明瞭に現れている。
工事現場外からのズーム撮影画像はこちら


現場が動き始めていることは一部の観察者によって把握されており、改良工事によって地層が現れているのが見えるという指摘が当サイトにも寄せられた。もっとも情報を寄せられる前にタイムリーに現場を訪れて画像採取できていた。

上部の黒ないし赤茶色は畑向けに客土したと思われる粘性土、その下は若干粘土を含んだ砂質土である。礫などは含まれず堆積性の地勢と言えるだろう。
写真に写っている薄黄色の大袋は土質改良材である。このまま路体とするには地耐力が不足すると判断されたものと思われる。
【 2015年5月2日採取 】
草江駅側の下りスロープ側面の道路擁壁が施工完了している。
しかし駅手前の畑にあった石積みは最後まで残されていた。


石積みで隔てられている反対側では改良区間の掘削工事が行われていた。
この場所は従来の道自体両側が石積みとコンクリート擁壁だったので、元々の道も車が通れるように周囲を切り下げていたことが分かる。改良区間も同等程度に掘削するので、最大直高2m程度の切土によって畑があった場所の丘陵部は完全に消滅することになった。
【 2015年6月7日採取 】
最後の下りスロープ手前までの表層工が完了した。
センターラインや路側帯の墨出しが行われている。


【 2015年7月15日採取 】
電柱の移設が完了し、最後まで残っていた畑側面の石積みが解体されている。
改良区間の側溝や擁壁は既に完成し、路盤工が行われていた。


これは昔からあった狭隘区間においてもっとも最後まで残っていた場所の写真である。
【 2015年10月7日採取 】
畑部分を切り崩して舗設を行い、新路線への切り替えを行っている。
古い道路敷は現行道路との計画高がかなり異なるためバリカーで仕切って切り離されている。


この高低差はかつての道路は駅までの下りが不定勾配だったものを単一勾配へ変更したためである。古い道路敷は数十センチほど飛び上がったような状態で取り残されている。そのままでは危ないので現道との取り合い補正作業を残している。
【 2015年12月9日採取 】
道路線形に支障する草江駅ホーム部分の取り壊し作業が行われている。
手前に見えるのは恐らく破砕された駅ホームの残骸だろう。


実のところ踏切前後の改良着手の早さは意外な目をもって観察された。市内の至る道路では踏切部分のみ狭隘状態で取り残され何年も改良されないのが常態化しているからである。これには本路線が市道路課単独管理の路線ではなく都市計画道路鍋倉草江線となっていることも要因にあるものと思われる。[2]

踏切部分の施工は各旅客鉄道会社の管轄でもあり、公共輸送機関なので安全管理や施工管理に特別のものが求められる。したがって鉄道関連の各種施工はノウハウを持った業者が行うのが常である。
2016年1月中旬より3月下旬にかけて深夜〜早朝を全面通行止めすることにより踏切部分の工事が行われている。前後の道路は一般土木業者が施工し、更には上下水道整備に各指定業者、電柱の設置で関連業者が断続的に施工するなどかなり入り乱れて工事が進められている。このうち踏切部分については以下の派生記事を予定している。
派生記事:  草江第1踏切の拡幅工事
(記事が書き上がり次第リンクで案内します)
【 2016年3月22日採取 】
踏切の拡幅工事が完了している。
古い道路部との間に生じた段差の取り合いなどの工事が行われていた。


一連の工期は3月末で、新年度入りすると共に狭隘区間前後にあった標示板は取り除かれた。従来から経路を切り替えつつ通れる状態ではあったが、平成28年度入りするまでに未改良区間は完全に対面交通の道として完成した。
これに伴い、草江駅前と恩田ふれあいセンター付近に新規のバス停が設置され、市営バス路線に昇格した。
【 竣工後の状況 】
狭隘区間が解消されたために、開始終了区間におかれていた標識やクッションドラムは片付けられた。また、狭隘区間ありを案内する標識も取り除かれている。この方面を頻繁に訪れるわけではないので単発的な観察を元にした所感となるが、国道から草江駅横を通って山口宇部空港へ至る交通量はそれほど増えたようには見受けられない。大型車両の通行も可能になったが、該当車両もそれほど見られない。
出典および編集追記:

1. 狭隘区間のまま描写されている地図のキャプチャ画像

2. 現場に設置されていた工事看板には本路線名は現れず鍋倉草江線道路改築工事(第9工区)など書かれていた。都市計画道路としての呼称や対象区間は市単独管理による認定市道名とは異なる。
恐らくは工事にかかる原資の出所も異なる
したがって本来は認定市道ではなく都市計画道路の項目として掲載すべきだが、ファイル整理が煩雑なのでこのままにして必要に応じて都市計画道路の項目を作成する。
《 それ以外の区間 》
本路線を包括する都市計画道路鍋倉草江線も含めて、市道恩田線分岐点より東側は平成期までに路線経路が定まっており、側溝工事や交差点改良などを除いて大幅な変更は行われていない。
以下では市道恩田線分岐点より終点側について記述する。
【 市道恩田線分岐点〜恩田東交差点 】
本路線で清水川交差点から恩田方面へ進み、野球場の方へ直進する道(市道清水川競技場線)を過ぎて直進する区間は、平成初期に新規道路築造されている。
写真は市道恩田野中線との交点付近。


昭和中期以前には清水川交差点は既に存在していたものの、これより恩田側は現在の国道190号恩田交差点へ向かう道のみだった。昭和中期には神原から清水川までの道路線形と道路仕様に合わせて野球場へ真っ直ぐ登る道を築造している。この道は俵田体育館の建設に伴い、大型ダンプ車などが通れるように造られたものと推察されている。しかし野球場前で俵田体育館方面への道のみが造られ、国道へ接続する延伸道路は造られなかったので、清水川から則貞方面へ向かうには一旦恩田交差点まで逆戻りしつつ左折する経路しかなかった。

そこで市道清水川競技場線の起点より更に100m程度恩田寄りの地点から新しい規格に基づいた道路を築造している。従来の恩田交差点に向かう路線は市道恩田線として分離された。新しい区間は昔からの道を何本も横切るため、信号機が異様に近接していたり一方通行に変更された道が存在する。

この区間の工事写真は手元にないばかりか、正確な施工時期さえよく分かっていない。そもそも個人的にも現場工事の場面を一切目にしていない。恐らく大学での下宿生活と重なっていた時期で観察できていなかったようである。国道190号へ接続されるまでには既に国道は4車線化されていたので、かなり規模の大きな工事だった筈である。
【 市道長沢源山線分岐点〜市道草江五十目山線交点 】
上記の新規築造工事は国道への取り付け部までだったが、幅広い道路で草江駅に向かう道の一部が取り込まれてしまったので、この道の一部を付け替えて国道へ向けての擦り付け施工がされている。この工事は恐らく前項の道路築造工事と同一時期であった。市道長沢源山線の起点部分で道路が狭くなり、そこから草江駅側まで未改良区間となっていた。

この区間の改良は断続的に行われたように推察する。即ち市道長沢源山線起点から恩田ふれあいセンター前まで一気に行われたのではなく、数回に分けて拡幅が進められた。恩田幼稚園が移転する前は幼稚園前のところで幅員減少していた。現在、幼稚園は則貞へ移転している。この時までに草江駅のところも拡げて空港へ直接行ける広い道になることは聞かされていたが、工事が遅々として進まないことは観察できていた。その後野山へ引っ越してからは現地の変化は把握できていない。

狭隘区間の改良工事に付随して新規にバス停が2箇所設置された。草江駅前バス停は新規築造区間に設置されたが、恩田ふれあいセンター前バス停は既に道路改良が完了していた場所へバス停擦り付けを追加設置する形で2016年1月より行われている。


《 今後予想される変化 》
現時点で時系列記事に書かれているような山口宇部空港への案内標識はそのままである。即ち一般には松山通りを経由して空港へ向かうような案内がされている。今後は各市道や県道に出ている標識の変更が予想される。

なお、草江駅のホームであるが、駅舎の改築に伴ってあらかじめホームを宇部岬側へ向かって延長していたようで特に追加の工事は行われていない。

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