市道神原町草江線【3】

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(「神原町草江線【2】」の続き)

国道を横断後もそれなりに幅広な道が続き、すぐに左へカーブする。もっとも先に述べたような理由から、あれほど多かった交通量はガクンと減る。
ここから右手へやや細い道が伸びている。市道長沢源山線である。


この道は僅か200mばかりだが、先で笹山にも岬台にもアクセスできるので利用価値は高い。沿線の住民だけでなく単純な通り抜け需要もあり、現時点では幅広の市道神原町草江線と交通量はそれほど変わらない。
寄り道記事というには重すぎるがここで案内しておく。
寄り道どころか帰って来れなくなるかも知れない…^^;
派生記事: 市道長沢源山線
振り返って撮影。まだ国道の交差点が見えている。
国道との接続部がちょっとおかしい。カーブの外側にもう一本別の道があるように見えるだろう。


清水川交差点を過ぎてから先の国道接続部までは平成時代になって新しく造られたと述べた。それから数年後に次期工事として国道から南側になるこの区間の拡幅工事が着手された。その理由は他でもない市街部から空港までのアクセスを容易にするためである。
現時点では全車両が無条件には通れない…取りあえず通れるし空港に近いから案内したのだよ^^;

しかし市街部の道の拡幅でしばしば直面するように、この近辺も既に道路の両側に民家や店が建ち並び、用地確保が容易には進まなかった。道路敷が確保できた区間から順次拡幅された結果今の道路ができた。このとき古く狭い道の大半は新しい幅広の道で上書きされたのだが、交差点が十字路になるように国道の接続部をずらしたので、部分的に古い区間が遺っている。カーブの外側に膨れている部分が昔からあった道である。

このあたりの詳細は、追加の写真と共に以下の別記事にまとめている。
派生記事: 市道神原町草江線・旧線区間(国道以南)
道路の規格としては国道横断前と殆ど変わらない。対面交通ながら片側車線の幅は充分に広いし、自歩道も両側に整備されている。その割に通行量は少なく、何だか勿体ないような気がするだろう。


別記事でも触れたように、この近辺の古い道は店舗側へ貼り付くように伸びていた。現在立っている場所は、民家などが道路敷より退くことで確保された。したがってこの辺りから市道下り線側に並ぶのは平成期以降に建てられた新しい家が殆どである。

左側走行していたので、市道の右側からの分岐路を見落としていた。
道路の側帯が破線になっており、車の出入りがある道の存在を示している。


これは認定市道ではなく単なる地区道で、しかも行き止まりである。
しかし通路に沿って設置されたブロック塀を見ていて思い出したことがあった。


この地区道は最後の民家を過ぎると車の通れない道となり、その先に墓地がある。ちょうど宇部興産(株)独身寮の建物の裏手にあたる。
独身寮ができる以前は、鉄工所社宅の中を通って直接行くことができた。もっとも恩田に本家があるわけでもない私たちなので幼少期からまったく立ち入ることはなく、近所の子どもたちの間で肝試し的な話題に上るだけだった。
追加の写真を撮りに行く過程で思い出しちょっと偵察してきた
派生記事: 肝試しの墓場へ向かう道
下り坂の途中、左への分岐がある。市道恩田2号線である。
一応、車でもこの道を通って国道まで抜けられる。しかし中央分離帯が切られておらず常盤公園方面には出られないので利用価値に薄い。


この道は私が恩田へ居た頃からあり、国道沿いに今もあるスーパーへ買い物に行くとき自転車でよく通った。路線番号が881番なので、認定市道となったのは後のことのようだ。
派生記事: 市道恩田2号線
緩やかに坂を下り、暫く平坦な区間を進む。先の方では再び登り坂が見えていることから、小さな沢を横断していることになる。
右手に見えるアパートのオーナーが変わる以前に小学校中学年時代まで遊んでいた友だちがいた…在学中に福岡へ引っ越していった



沢には河川や用水路など、水の流れる道がつきものである。この沢部分にはどういう訳か、若干の距離をおいて2本の別水系の用水路が流れている。
どうして沢の端に2本もあるのか子どもの頃から気になっていた


1本目の水路は先ほどのアパートの手前にある地区道沿いにある。沢の端を流れているので、水路の片側の擁壁が高く、民家の土地に高低差がついていることが窺える。


この用水路は中川という名前がつけられている。詳細はこちらに。
派生記事: 草江1丁目・丸信恩田店の買い物道

市道は沢の底にあたる区間を真っ直ぐ進み、細い道と別の用水路に出会う。


横切る道は市道岬赤岸線で、昔からある道と思われる。しかしこの近辺まで遊びに来たことが殆どなく、この道自体昔から殆ど通ったことがない。
派生記事: 市道岬赤岸線
この十字路の近くに昭和50年代後半あたりまで個人経営のヤマザキのパン屋があった。
詳細を横話記事に追加しておいた。
派生記事: ヤマザキのパン屋
先の水路と似たようなサイズだ。両者は50m程度しか離れていない。


この場所の拡大地図である。
近接して南西に流れる水路が並んでいるのが分かるだろう。


近接していながら、それぞれの用水路は完全に別系統である。ここで横切った水路は本土手から流下する下小場系であり、先に横切った水路は切貫から流下する上小場系のようだ。いずれも水源が常盤池であることは共通している。
地図上で判断しているだけなので断定的なことは言えない

2本目の用水路の少し手前にある標識。
200m先で左側の幅員が狭まると告げている。ここまで幅広で順調に空港へ向かっていた市道の先行きを暗示させるものなのだった。


2本目の用水路を渡ると市道は再び登り坂になる。
この坂の中腹に確か恩田幼稚園があった。出来てから歴史が浅いと思うのだが、市道の拡幅にかかることから移転した。


丘陵部の最高地点に交差点がある。
ここから最終目的地の空港は結構近い。交差点から坂を下れば空港が見えてくる。飛行機の離発着はここからでも見えるし、曇天など気象条件によっては飛行機の飛び立つ騒音がかなりうるさい位だ。
離発着の音や電車の警笛音から天気が下り坂に向かうことを予測する目安にしていた
交差点の角には恩田ふれあいセンターがあり、かつてはこの手前右側にあった鮮魚店でよく魚をつくってもらっていた。
派生記事: 恩田市民センター横の鮮魚店
さて、ここからでも既に概略がわかるように、信号機で交通整理されている交差点でありながら空港を目前にして市道はボロを出すことになる。


ここで横切るのは市道草江五十目山線で、国道190号の則貞交差点に向かう比較的主要な経路である。
それはいいとして…


異常に狭くなる!!


この先、幅員減少という目立つ看板に加えて、大型車が通り抜けできない旨の注意書きがある。
標識やら看板やら並んでおり、わざわざ上下線を分離して島状の中央部にクッションドラムを設置している。

島状地帯から先を撮影してみた。
今までの幅広でゆったりした道は何処へやら…その片側車線分の幅すらない。


減速!!と赤書きしているのも頷ける。対面通行だと勝手に解釈して進行すれば、対向車は避けきれずモロに正面衝突だ。


道路自体は物理的に幅員減少する場所まで造られ、きちんとアスファルト舗装までされている。しかし歩車道境界ブロックの延長上にはまだ民家の庭で車が停まっている。


しかし地元車両および事情を知っているドライバーは心得たもので、減速はするものの戸惑って一旦停止する車など見かけない。


ここから空港までは、整備されている以前のどの区間よりも狭い。一番狭い区間が未改良のまま残されていることになる。起点の神原交差点は元より、途中の案内板のいずれもがこの市道を山口宇部空港への経路として案内しない理由だ。観光バスは通行を許されていないし、いくら通れると言っても普通車だってちょっと辟易してしまう道路状況なのだ。

この区間だけ整備が遅れている明確な理由は耳にしていないが、予算上の問題というよりは用地買収の難航だろうと想像される。
国道190号以南の拡幅は今から10年前には既に終わっており、この時点で終点まで同規格の道路を造る意図があったことは明らかだ。私たちが恩田の地を後にした13年前では、拡幅は元恩田幼稚園前あたりまで完了していた。
Yahoo!の現在の航空映像はこの時の状況を反映している
それから十数年経っていながら、予算の都合で市道草江五十目山線との交差点までしか拡幅工事が進まなかったとは考え難い。用地交渉が難航しているのではないかと想像される理由だ。

反対側から来る車のために対向車へ注意するロードペイントがみられる。しかし長いこと今の状況が続き、隣接する空き地に真砂土が入れられ砂消し状態になったせいか、文字が掠れていた。


同じ場所で3年前に撮った写真である。
交差点の状態は同じだが、まだ隣接する部分が田畑のままだった。真砂土で路床を造っていることから、市の買い上げが完了したことを意味する。


この区間の幅員は昔からそう変わっていない。
しかし何もかもが昔のままという訳でもなかった。このたび私が訪れたときも、確実に次期工事へ向けての準備が進められているのを感じたからだ。

(「市道神原町草江線【4】」へ続く)

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【追記】(2012/6/5)

沢の両端を流れる水路の名前が確認できた。
最初に渡る用水路は中川、市道岬赤岸線沿いに流れる水路は岬明神川であるらしい。
いずれもゼンリン©の地図にて確認済みである。ただし地元在住者からもその名前で認識されていたのか、どの区間をその名称で呼ぶのかなどは不明である。

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