市道維新山線

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現地踏査日:2012/4/11
記事公開日:2012/5/9
市道維新山(いしんやま)線。
フィーリングで書くのもどうかと言われそうだが、維新山とはなかなか恰好良い名前の地名だ。関連の有無は別として、明治維新の息吹を感じさせる。

私が高校生の頃はまだ個人情報保護法以前の時代で、卒業アルバムには生徒全員の名前と住所がズラズラと掲載されていた。その中に同級生の住所で宇部市維新山という表記を見つけて、恰好良い地名だと感じると共に維新山って一体何処にあるのだろう…と思ったものだった。
それから何十年もの間、その語には一度も接することがなく疑問に思っていたことすら忘れて過ごした。市内の道路に興味をもち、市の道路河川管理課で認定市道の路線図を眺め始めた3年前のこと、再び維新山というキーワードに接することになった。

維新山という小字名をもつ認定市道は2つ存在する。これから紹介する維新山線はその存在場所から路線の形態からちょっと異色で路線長も極めて短く、走るには手頃な市道である。

場所については、市内在住の多くの読者なら以下の写真一枚で答に代わるかも知れない。
ここが市道維新山線の起点である。


この方面に馴染みがない読者のために起点を地図でポイントしてみた。


起点にはとても目立つ「宇部護国神社の表示塔が立っている。市道の起点は、真締川に沿って伸びる市道真締川西通り2号線に存在する。

この塔の横にはガラス板がはめこまれた案内板があり、護国神社の由緒や行事予定表が貼ってあった。


ここから90度左を向けばそちらが市道維新山線の向かう方向なのだが…
写真の背景に写っているものから分かるように、撮影日は記事公開より1ヶ月前の4月中旬である。この場所でこの時期ならではなのだが、
サクラが満開状態!!


写真は末尾の数枚を除いて殆ど3年前の4月上旬に撮影されている。道路や周辺に関しては今も殆ど変わりがないし、時期的には4月のこの頃の写真と共にレポートをお届けするのが最適だろうからそのまま流用した。

市道の全容は既に上の写真一枚に現れている。ここから真っ直ぐ護国神社前の階段に向かうまでが市道維新山線のすべてである。認定市道と言うよりは殆ど参道だ。

道幅はさほど広くはないものの、狭くて離合も困難というほどでもないアスファルト舗装路である。
もっとも離合に悩んでしまうほど車が通るわけではないが
起点から向かって右側はズラッと桜並木、左側は舗装されず砂利敷のままで参拝者用の駐車場になっていた。


参道の桜並木の華やかさは護国神社にあっては序の口で、境内はもっと多くのサクラを観ることができる。市内でも有数の花見スポットで、この時期は市道沿いの駐車場はこんな感じで車が並ぶ。夜桜も楽しめるように、境内には至る所に提灯が吊される。

市道は数十メートル程度の直線路を経て護国神社に至る階に突き当たる。左手にはひときわ目立つソテツが見える。


終点到着。
常に参拝者や花見客が入り乱れている中、通行人が途切れたところで写した原典サイズの写真を載せておこう。拡大対象画像です。
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市道は護国神社の階段へそのまま繋がっているように見えるが、実はここはT字路で、山沿いを進む古道の市道維新山西山線に接続される。

樹高10m近くある大きなソテツが終点付近に植わっている。その傍らには「皇太子御成婚記念植樹」の標柱があった。


ソテツには車での来訪者宛のメッセージが掲示されていた。4日に開催される宇部護国神社春祭りに関する案内で、車を留め置く方は祭りの終わる4日の夕方には移動をお願いする旨の案内だった。

歩いて境内に向かう人も多く、石段の先には更に咲き誇るサクラが見えていた。


境内に入ればもっと見事なサクラが観られるとは思ったものの、それはしないでおいた。花見客がサクラの下に陣取っているところにカメラを向けても写真にならない。

いろいろな事情あって、寺院関係とは市来して遠ざかって(と言うか家族からも「軽い気持ちであちこち神社を巡るものではない」と釘を刺されていた)いた。最近になって漸く過去の呪縛から解き放たれ、必要に応じて訪問するようになった。

護国神社に関しては、呪縛を受ける以前に花見で一度だけ来た記憶がある。もっとも花見とは言っても多くの花見客にありがちなようにあれこれ食べておしゃべりするのが主で、サクラの木は元より周囲がどんな場所だったかも覚えていない。そもそも護国神社がどういう由来を持ち、他の神社に比べて何が特別なのか分からなかった。護国とは国を護るの意だから、この近辺を指し周辺地域の小字にもなっている「維新山」から連想し、明治維新に尽力した人々が祀られている神社だと思っていた。

その解釈もあながち誤りではないが実際はそれだけではない。もっと広く戦死者や自衛隊殉職者など、およそ職務として国を護ることに尽くした人々を祀る神社である。[1]
したがって護国神社は当然ここだけでなく全国津々浦々に散らばって存在する。

この市道が「護国神社線」ではなく「維新山線」となっているのは、宗教色を避けるためではなく、護国神社への参道としての役割に限定されないからだろう。実際、市道維新山西山線に接続されていて参拝者以外の人もたまに通る。神社の社有地は恐らく石段から先の部分でこの直線路は昔から公地だったのだろう。

終点より振り返って撮影。
ひたすらサクラが存在感を主張する中、背の高いソテツが市道へ影を落としていた。


以下の2枚は今年の4月上旬に撮った最新の映像である。
時期的にはピークを過ぎて散り始めだった。


撮影時は11日だ。この頃ならまだ概ね見頃なのだが、今年は例年になく風の強い日が続いて早く散ったような気がする。

アスファルトに白の文様を描くのもまた風流だ。拡大対象画像です。
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サクラのない時期の写真も撮っている。
以下の3枚は、七五三の近い3年前の11月撮影のものである。


サクラがなくても参拝する客があるので駐車場部分に車がなくなることは滅多にない。


市道の終点にあたる参道の階段前。


起点付近に飾られていた七五三の祝いの幟。
キャラクタをあしらっているところが今風でおもしろい。護国神社のお堅いイメージにそぐわないが、こういう親しみやすさを兼ねた宣伝は悪くないと思う。


この市道の経路図。
拡大表示してやっと書ききれる程度の長さだ。
市道維新山西山線はあまりに細い道なので完全には記載されていない


吹けば飛ぶような短い認定市道だが、これからも毎年美しい桜並木を魅せてくれることだろう。
【路線データ】

名称市道維新山線
路線番号510
起点市道真締川西通り2号線・交点
終点市道維新山西山線・護国神社階段前
延長約60m
通行制限なし
備考護国神社の参道。

延長など各データの正確性は保証できません。参考資料とお考えください
記事が少ないので本編に派生記事をそのまま載せる。
《 維新山について 》
記事作成日:2015/6/13
最終更新日:2018/2/12
維新山(いしんやま)とは大字中宇部に存在する小字で、東側は護国神社、西側は幽霊坂に向かう古道(市道丸山黒岩小串線)までの領域である。北側は西山に接し、南側は西岩田に接している。
本路線は終点を除いて全区間が西岩田に属している

冒頭で明治の息吹を感じさせる格好良い地名とまで書いたが、些か指摘しておかなければならない事項がある。

一般に「維新」と言えば、人々はどうしても明治維新を連想する。しかし維新山という地名に関しては、必ずしもそれは当てはまらない。それと言うのも明治維新を期に与えられた地名ではないからである。漢字表記こそ異なる可能性があるものの、「いしん山」とされる地名の成り立ちは少なくとも江戸期までは遡れることが分かっている。[2]地名明細書には中宇部村の中村小村に小名の筆頭格として記載されている。配下には岡ノ辻、崩、西山、いか土、上人塚の各小名が収録されている。

宇部護国神社に関しては慶応二年(1866年)11月の創建で、明治維新のとき戦死した人たちを祀るために造られたのが始まりである。当初は崩(くずし)招魂場と呼ばれていた。崩とは幽霊坂に向かう古道を挟んだ反対側に存在した小字である。付近の電信柱には崩山と書かれたプレートが確認されており、維新山と並んで古くから名前を与えられた山であった可能性がある。

明治維新のイメージがあまりに強いので結びつけて考えたくなるものだが、一般的な熟語としての「維新」は常に明治維新のみを指す語とは限らずすべての物事が改められ刷新されることである。[3]このことから維新山という地名の由来は護国神社を含めてこの地を開拓し人々の暮らしなどの関わり合いが新たに始まったことを示唆しているように思われる。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - 護国神社

2.「ふるさと歴史散歩」p.32 など。
歴史的には意心山と表記されたこともある。

3.「大辞林 第三版 - 維新

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