市道上条金山線・横話

市道インデックスに戻る

ここでは市道上条金山線の派生的記事をまとめて収録している。
《 香川学園教育研修センター 》
現地撮影日:2012/4/17
記事公開日:2013/3/3
香川学園高校(旧呼称)のグラウンドから水路一つ隔てて鉄筋コンクリート平屋の割と大きな建物があり、香川学園教育研修センターと呼ばれている。


高校の名称自体に旧称を用いたことからも分かるように、以下の話は私にとって昨日のことのように思い出せる内容ながら、数十年前のことである。むしろ最近のことは全く分からない。ひとたびここから離れた後は完全に縁が切れた場所となってしまったからだ。

この建物が私にとってどういう場所であったかを一口で言えば、
ここで一年間、物凄い勢いで勉強した。


別途自叙伝でも著さない限り恐らくここでしか触れることがないだろうから些か詳細に述べてみようと思う。但しかなり冗長なのでご希望の方のみ以下のボタンを押すことで記事が展開される。

現在も補習科としてこの建物が使用されているかどうかは分からない。もっとも今や完全な部外者である身であれば、敷地内に入る気は起こらなかった。


現在でも建物や敷地は香川学園の所有のようである。
もっとも一年前の撮影であり状況は変わっている可能性がある


ここで過ごした短いが非常に濃い一年間は、紛れもなく我が人生の一部だったはずである。しかし今となってはあまりにも遠い昔の世界で、記憶は定かでありながらまるで他人の人生談を語っているようにも思われるのであった。
《 西宮八幡宮前の道標 》
西宮八幡宮の鳥居横、市道藤曲2号線終点の接続部に道標が存在する。


西宮八幡宮の鳥居を正面から撮影している。
写真では標識に隠れて見づらいが、左側の道路標識の背後に設置されている。


主要な行き先が平かなで記されている。


90度左側へ回ってみた。
方角を示す指のマークがちょっと奇妙である。


更に90度左へ回っている。


道標自体は古めかしいが、指示先の朱色や文字が異様に黒々しく、読みやすいように後年色を加えたのだろう。
石碑自体新しいものとも考えられるが、設置された年月の部分については墨入れされておらず充分に判読できなかった。
【 記事公開後の変化 】
いつの時期かは調査を要するが、撮影した当時(2010年2月)には墨入れがされていたが、その後消去されている。現在も墨の入らない状況が長く続いている。
《 若盟結信會の石碑 》
現地撮影日:2012/4/17
記事編集日:2013/12/26
市道上条金山線の終点より少し手前、坂を下っていく途中の民家の庭先に古い石碑が建っている。
他人様の庭先にカメラを向けるのは憚られるのだが、これは個人の持ち物ではなさそうなので…


この石柱である。
側面に2ヶ所穴が空いていて、祭りの幟を立てるときよく使われるあれだ。


このときはこれ以上近づいて撮影はできなかった。


遙か昔、地元の有志たちが建てたもののように思える。もしかして上条と金山の境なのだろうか…
あちこちで見かけるこの石柱は何という名前なのか分からない


横からみたところ。
幟を固定するためとみられる穴が上下2箇所に空いている。


昔のムラとなる境にはしばしばこのような石碑が建っているのでその一種と思われる。個人所有地内なので石碑を詳細に観察はしていない。

【 記事公開後の変化 】
現地撮影日:2013/12/25
記事編集日:2013/12/26
最近、この市道を通ったとき石碑の建っていた敷地の民家が解体され更地になっていることに気付いた。


更地状態になっている今は石碑の詳細を調べるのに好都合なので、今まで撮れなかったアングルからも撮影してきた。

側面に彫られた文字。
若盟結信會と刻まれているように思える。どういう意味なのかはちょっと分からない。


石碑の裏側を観ようとすると民家の庭先へ入り込むようになってしまうので今まで出来なかった。
そして調べてみたのだが…何も文字はなかった。


上部はやや鈍い四角錐状態に削られ、側面には丸い穴が2箇所あいていた。祭りのとき幟を固定するのに使われる典型的な石柱である。


結局、この石柱の素性については相変わらず分からなかった。
今のところこの石柱について言及している文献に出会っていない。かつてこの場所に家を構えていた昔の人が何か思うところあって建てたのだろう。家が解体され更地になっていながら石碑は遺っていたので、次にここへ家が建ったときにもそのまま遺されるのではないだろうか。
《 金山について 》
金山(かなやま)はこの市道の終点に冠せられている小字である。同小字を含む路線として市道崩金山線市道金山線がある。

古くから人々の暮らしがあった地と推測される以上、金山の名称の由来は今となっては決定的なことを言えない。表記から見れば「金にまつわる山」が想起される。砂金が産出していたのではないだろうかという想像が働くのは自然で、沢の奥には当時砂金を採ったとされる大きな窪地が存在するという。[b1]
金と言えば霜降山(城山)に埋められた黄金の鶏にまつわる伝説が有名だが、この鶏は金山で得られた金によって造られたという。[b2]実際にこの地でいつ頃どの程度砂金の産出があったのかは調査が必要である。金ではないが何かの鉱物が産出していた可能性がある。

金山から尾根一つ隔てた県道沿いに中山川が流れている。別の説だが、金山は中山のアナログではないかとも思われる。
綴り替えや短縮された読み方などで地名が揺らぐのはよくある現象

---

派生記事の追記になるが、厳密には本路線の終点近くの小字は金山ではなく赤岸になる。金山が冠せられたのは大字だったからか、終点位置が当時違っていたなど別の理由によるものかも知れない。
砂金の産出については懐疑的である。ただし鉱物が採掘されていた歴史はあるので、広く鉱物の産出する山という意味ではないかと思う。
同じ名称の小字が丸尾原に金山だんぼとして知られる。ここに言うだんぼとは溜め池の義。
藤山村に目立った「ダブ」との語義的関連性があるかも知れない
出典および編集追記:

b1. 市道崩金山線走破時に出会った地元在住民からの聞き取りによる。現在は孟宗竹の侵入で原形が分からないかも知れないという。現地への接近は困難で、市道より窪地らしき地形を視認するにとどまった。詳しくは移植公開された市道崩金山線の記事を参照。

b2. 同じく地元在住民からの聞き取りによる。

* 金山温泉は金山にではなく居能に存在していた。温泉源を掘り当てた人が金山在住であったために金山温泉と名付けられたようである。詳細は「金山温泉の石碑」を参照。

ホームに戻る