上内地隧道

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記事作成日:2023/6/25
最終編集日:2023/7/10
上内地(かみないぢ)隧道は、萩市の椿東にある恐らく里道の素掘り隧道である。
写真は正面からの撮影。


地理院地図で大まかな位置を示す。


県道11号萩篠生線から庄屋川を外れて小さな峠を越えて後小畑に向かう道の途中に存在する。客観資料に乏しく未だ詳細がよく分かっていないが、明治期に掘られたことが分かっている重要な物件である。

なお、この総括記事を作成している現時点では後述するロケで一度しか訪れておらず、現地の写真はロケ中に自前のカメラで撮影した分しかない。撮影アングルなどが不十分なものが目立つのをご了承頂きたい。
《 概要 》
長さが約175mあり、ほぼ直線である。山側から姿勢を低くすれば反対側の明かりを視認できる。佛坂隧道と同様な素掘り隧道なので扁額などはない。可能な限り堀割で進めて限界地点から隧道となっている。土被りは佛坂隧道よりは少ない。

内部の状況。


隧道の中央付近は、天井が異様に高くなっている。入口部分に比べれば3倍以上ある。これは山側・海側から同時に掘り進めたものの測量が稚拙であったため、上下で食い違ったためとされている。


現地を見る限りでは、山側からの掘削で下り勾配が足りなかったように思われる。貫通した後で山側から掘った区間の底部を下り勾配に削り直したことで、最初に掘った天井部分が高い位置に取り残されている。山口市仁保津の椎の木峠トンネルも上流側に天井が高い部分がみられる。

全区間において地質は中硬岩のようで、海側付近に少し崩れた部分があるのを除いて大きな崩落はみられない。枝線や待避所のようなイレギュラーも見当たらない。
岩質は佛坂隧道で見られたものより茶色がかっており、霜降山系の岩のように平面を作るように割れるものが目立つ。


霜降山系の岩は海が近い場所に多く見られるので、内陸部である佛坂隧道や椎の木峠トンネルほど硬い岩質ではないかも知れない。

海側の隧道入口付近。
すぐ横に峠越えの道が遺っている。


峠越えの道はそれほど急峻ではなく、隧道を掘削するべき理由が薄い。それ故に何の理由で隧道が掘られたかを考察するきっかけとなった。
《 隧道の成り立ち 》
この物件は後述する「にんげんのGO!」の松田ディレクターが継続調査を手掛けており、放映当時から更に新しい事実が判明している。現時点で把握している情報をここに記述する。
【 初期の取り組み 】
地理院地図にこの隧道は明瞭な形で記載されていないが、素掘り隧道としては異例の長さであり線形も整っている。しかし隧道に関して知られていることは殆どない。現地を案内した藤田さんも幼少期に一度通っただけで、名前が分からずいつ頃掘られたのかも知らないと話していた。

現地で初めてこの物件を見たとき、素掘り隧道としては異例の長さをもつことからかなり重要な物件の筈であり詳細を調べる価値があると述べた。


しかしいつ頃掘られたのかは、現地の状況を見るだけでは分からず即答を避けた。特に海側の隧道取り付け道がコンクリート舗装されていることから、近年のものかも知れないと感じた。
現在ではコンクリート舗装は昭和中期以降の補修と考えている

ロケ後、この隧道の詳細を調べるために各種資料をあたった。しかし隧道に関する情報がまるでなかった。私も市立図書館の萩市史を参照したが、四 交通・通信の項目にそれらしき道とトンネルの記号を見つけただけで手がかりは得られなかった。
そしてこのトンネルの記号も上内地隧道ではなく県道の如意ヶ嶽トンネルを表していると考えられる


この日のロケではJR山口線の清水橋梁とJR美祢線の湯本トンネルを訪れていた。隧道どうでしょう・シーズンVでは前半としてこの2つの物件を放映する傍ら、素掘り隧道の正体を調べるために再度松田ディレクターが山側と海側の両集落を訪れて聞き込み調査を進めている。そしてどちらの集落からも年配者ではこの隧道を知っており、通ったことがあるという回答が多数寄せられている。

山側集落の聞き取り調査で、この素掘り隧道が上内地(かみないぢ)隧道であることが判明した。上内地とはおそらく所在地の小字名である。転訛して「かみなーぢ隧道」や、あるいは「かみなり隧道」とも呼ばれていたようである。後者は地元民や学童にみられる典型的な聞き做しの転訛であろう。
固有名詞や聞き慣れない物品の名称にしばしばみられる

萩市街部を経由せずに北側の海岸へ出るには近道だったこともあり、比較的近年まで軽トラなども通っていたようである。しかしこの時点ではいつ頃か、あるいは何の目的で誰が掘ったのかは不明だった。現地を案内した藤田さんの説では、単に人が通るために掘ったとは考え難いという。小さな峠に掘られた隧道ではあるが、峠はそれほど急峻ではなく、わざわざ隧道を掘るよりは歩いて峠を越えれば済むからである。

海側の集落での聞き取りで、新たな情報が得られた。山側で伐採された樹木を海側へ搬出するために造られたのではという説である。特に山陰線を始めとする鉄道網が整備される時期であり、線路の枕木としての需要が高かった。これを補強するデータとして、当時の山側集落は県下で木材の生産量がトップという資料が見つかっている。したがって採取された材木を連続的に運ぶために、従来の峠越えではなくその下に輸送用のトンネルを掘ったのではないかという説が唱えられた。この仮説を元に、隧道の掘削時期として明治末期あたりが考えられる。
【 何のために掘ったのか 】
シーズンVの後半までに決定打となる客観資料が発見された。この隧道に関する記述がみられる書籍で、大島郡在住の有力者が木材を産出する周辺の土地を購入し、海側へ木材を搬出するために財を投じて隧道を掘ったことが判明した。時期的には明治後期とされている。

山側の地域は、当時で県下一の材木生産地だったという統計がある。採取された木材は海側へ搬出し港で船積みされ、一部は山陰本線の敷設に必要な枕木として使われた。内陸部からは小さな峠を越えれば海側への搬出は一応可能である。それにもかかわらず私財を投じて隧道を掘ったのは、明らかに搬出作業の効率化であろう。

既にみてきたように、上内地隧道は素掘りながら直線的に掘られている点で佛坂隧道とは対照的である。これには搬出する資材が長物である木材という点を考慮する必要がある。佛坂隧道もやはり内陸部の長登や宗国といった鉱山から鉱石を小郡へ搬出する便のために掘られたのだが、積載するのはトロッコであり少々の曲がりはあまり問題にならない。他方、上内地隧道では木材を長物のまま通すとなれば、隧道に屈曲があると搬出不可能になる。峠を越えての搬出も不可能ではなかっただろうが、大量の木材を継続的に海側へ運ぶことを考えれば、ある程度の投資をして隧道を掘った方が効率面で成り立ったのであろう。

したがって人馬の往来目的ではなく、当初は長物である木材を容易に搬出するためというのが掘削の理由であった。峠の高低差がそれほどないことから、滝案内人の藤田さんが「人や馬なら峠を越えれば済むことだから往来の目的で掘ったとは思えない」というのは正しい推論だったこととなる。
《 アクセス 》
萩市街から向かう場合、県道11号萩篠生線を北上し如意ヶ嶽トンネルを通過すると左側に旧道が見えてくる。如意ヶ滝一号橋を渡ってすぐ合流点があるので、そこでUターンするように旧道へ入る。
カーブミラーがある先に山の方へ分け入る分岐路がある。写真は分岐点より振り返って撮影。


分岐点より右側の山へ入る道を進む。


100m程度歩くと洞窟のような隧道入口が見えてくる。なお、旧道の先は行き止まりで元の県道へ出ることはできない。奥に事業所があり交通量は皆無ではないので、路肩へ寄せて停めるようにする。
《 通行にあたっての注意 》
この隧道を含む前後および峠越えの道は、昭和中期頃まで通行されていたという話なので恐らく里道である。萩市道の可能性もあるがまだ調べられていない。現在は立ち寄る人が殆どないせいか、案内看板は出ていない。立入禁止にもなっていないので自己責任での通行となる。

隧道は直線的であり途中に危険な場所はない。内部は完全に光の届かない空間なのでサーチライト必携である。海側の坑口付近は湧水が著しく泥濘が深いので、少なくとも膝が隠れるまでの丈がある長靴でなければ安全に通過できない。バランスを崩して転倒すると泥だらけになる。汚れても良い服装か着替えを持っておくと良い。壁や地面に手を着くと泥で汚れるのでハンカチやタオルも必要である。

ゲジは観測されなかったが、天井には夥しい数のコウモリが羽を休めている。
写真はロケ中の撮影で、真っ黒く写っているすべてがコウモリの個体である。


天井にライトを当てる程度では動かないが、コウモリが嫌いで騒ぎ立てると一斉に洞内を飛び回るようになりパニックに陥る。積極的に人を攻撃してくることはないので近くを飛び回っても過剰に恐れないようにする。

むしろ人間に出会ったことがない個体が多く、カメラを向けても逃げず怖がらない。
写真はロケ中に撮った壁に留まっている個体。


ただしコウモリに限らず野生の生き物は、人間が対処できないかも知れない異物(ウィルスや菌など)を持っている恐れがあるので決して触れてはならない。羽根の生えたネズミのようであり、不用意に触れようとすると噛まれるかも知れない。[2]
《 個人的関わり 》
この素掘り隧道との出会いは、私のみならず「にんげんのGO!」の関係者の殆どすべてが同程度の知見しか持っていなかった。例外は絶景!滝見物落差1000で滝案内人を務めた藤田さんだけである。すぐ近くに如意ヶ滝があり、そこが紹介されたときにはこの隧道はまるで話題に上って来なかった。

その後、藤田さんにより如意ヶ滝の近くに幼少期(恐らく7歳頃)素掘りの長いトンネルを通ったことがあるという情報が提示された。最初に藤田さんの情報を元に松田ディレクターが2022年11月に単独の下見を行っている。隧道には辿り着けたもののあまりの長さと不気味さに圧倒され、内部を視察しないまま退散したという。最終的に隧道どうでしょうのシーズンVで最後に訪れた隧道として紹介された。
【 隧道どうでしょうのロケ 】
山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」の継続編である”隧道どうでしょう”のシーズンVとしてロケが実施された。ロケは2023年2月22日に行われ、6月下旬に放映されている。

遠方なので再訪は困難である。ロケでは往復共に隧道を通ったので、その上を通る峠は調べられていない。山陰側で萩方面を探索する機会があれば再訪地に組み入れたい物件である。
外部ブログ: 謎のトンネルを追う|にんげんのGO!公式ブログ(2023/6/19)
出典および編集追記:

1. 「今週も隧道をもう一回見てね|にんげんのGO!

2. 過去に自宅の台所へコウモリが侵入し飛び回ったことがある。ほうきで叩いて墜落させた後、ゴム手袋をして捕まえて追い出そうとしたとき歯を剥き出しにして鳴いて威嚇したことがあった。

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