常盤池・南遠山の鼻

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現地踏査日:2012/1/15
記事編集日:2013/1/6
南遠山(みなみとおやま)の鼻は常盤池の西にある岬の名前で、すぐ近くを白鳥大橋が通じている。
位置図を示そう。


岬の名称は、その所在地となる小字に由来している。
ただし遠山という小字の由来は今のところ推測もつかない

山炭生の鼻およびにしめの鼻が2つのほぼ同じ方向に伸びる入り江が出会う形で形成されているのに対し、南遠山の鼻はながしゃくりの延長部分に対し、直角に交わる楢原の入り江が成す岬となっている。岬自体もやや丸っこい虫垂のような形をしている。
《 アクセス 》
南遠山の鼻は常盤公園の西入口より周遊園路を経て容易にアクセス可能である。しかし常盤公園の外から接近するのは、地図上では容易そうに見えて実のところ困難である。
市道楢原線の終点部分は宇部興産(株)常盤寮の建物および駐車場で占められており、直線距離にして南遠山の鼻まで200m程度ながら誰でも通行可能な道が存在しない。
常盤寮の駐車場を経由しての出入りができないようフェンス開口部は閉鎖されている

周遊園路なら白鳥大橋を渡った袂になる。
現在では岬に東屋が設置されている。


岬は遊歩道と同レベルに盛土され、モニュメントと休憩用の東屋があった。


盛土の法面には芝生が張られている。以前どうだったかは来たことがないので分からない。


東屋の前からパノラマ動画撮影した。

[再生時間: 28秒]


今でこそ白鳥大橋で容易に接近できるものの、まだ橋が架かっていない平成期以前は楢原の入り江に沿って到達する以外なかった。
これは昭和49年度の航空映像である。
「国土画像情報閲覧システム - 常盤池北西部(昭和49年度)の航空映像」
http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CCG-74-12&PCN=C23&IDX=15
別ウィンドウで開いたページ右上にある400dpiのリンクをクリックすると高解像度の画像が表示される
まだ白鳥大橋は存在しないし、それどころか常盤池の西岸に遊歩道がなくまったく手つかずの状態である。楢原の入り江が内陸まで深く切れ込んでいるために、西岸へ向かうには現在の市道楢原線を使って迂回しなければならなかった。
航空映像で見ると、現在とほぼ同じ丸っこい岬が突き出ているのが分かる。かつては宇部興産(株)常盤寮から行けていたようだ。
岬の外周に変化はあまりないが、現在は盛土された上に芝生を敷き東屋が建っているので、改変され昔の姿は遺っていない。航空映像では常盤寮と汀までの距離が殆どないが、現在では充分な幅のある遊歩道が通されているので、汀の一部を埋める形で護岸を築いたようである。
現地踏査日:2012/12/3
記事編集日:2013/1/6
南遠山の鼻から撮影した写真があまりに少ないので、再度立ち寄り追加の写真を撮影してきた。また、このとき東屋から下の護岸部分を辿ってみた。

東屋の全容である。


この東屋からながしゃくりの入り江を撮影している。
常盤池は低水位が続いており、護岸からは水底が見えていた。


護岸は周遊園路と同じ高さのまま続き、岬部分は全体を盛土して法面に芝生を張っている。


ちょっと行儀が悪いが、周遊園路を歩く人通りが切れたところで柵を越えて護岸の天端に降りてみた。

ながしゃくりと金吹の入り江。その間に挟まれた突端が先日、攻略を成し遂げたにしめの鼻である。


護岸の上を辿る形で岬の下側を観察することに。
護岸は自然の間知石である。


岬の真下部分。
低水位だけに水底がそのまま見える。護岸の下側は自然の一枚岩のように思われた。
護岸を築いたとき根入部分を確保するため岩を削っているようだ


護岸の天端と東屋との高低差は3m程度あった。
もちろん普通ならこんな場所を歩く人なんて居そうにない。


護岸は岬の先端を回り、白鳥大橋の接続部から楢原の方へ伸びていた。


時系列は異なるが、白鳥大橋の下をくぐって楢原の入り江左岸を辿るなら以下のリンクを参照されたい。

(「常盤池・楢原【2】」へ続く)

この護岸に沿って白鳥大橋のすぐ近くにかなり古い記念植樹の石碑が立っている。また、更に護岸を楢原方面へ辿った先に未知の水没コンクリート構造物がある。しかし先述のような理由で直接の行き来ができない。
時系列としては先に水没コンクリート構造物を踏査していた

ざっと踏査した限り、南遠山の鼻付近には特に興味深いものは見あたらなかった。
青空が広がっているとか、より良い状態での写真が撮れたら差し替える程度で、この記事自体は今後それほど追記されることはないだろう。

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