常盤池・楢原

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記事編集日:2016/2/10
楢原は、常盤池の西側に張り出した入り江の一つである。
写真は白鳥大橋より入り江の先端に向かって撮影


以下の地図では入り江の先端部分をポイントしている。


常盤溜井之略図にもその名称が記載されている。


名前の由来は、入り江の周囲にある小字の楢原による。詳細は地名の楢原を参照。
関連記事: 楢原について
《 アクセス 》
入り江の右岸側は学校や民家など私有地で占められているため低水位時であっても接近は極めて困難である。左岸側は市道楢原線を経て多くの場所が到達可能である。ただし市道は宇部興産(株)常盤寮の前で終わっており、常盤池の周遊園路まで到達する正規の道はない。
常盤寮の駐車場からの出入り口はこの最近封鎖されている

常盤池を周回する周遊園路を経由する場合、白鳥大橋の上から楢原の入り江を一望できる。また、市道楢原線など周辺の道路を伝って汀の殆どの区間を遠方から確認することはできる。しかし現地へ到達する手段がまったくない区間をもっとも多く持つ入り江である。
《 特徴 》
楢原は常盤池に存在する7つの入り江の中でもっとも早い時期に改変されている。自然の岸辺が残っているのは左岸の市道沿いの一部のみで、殆どがコンクリート護岸になっている。このため常盤池が築造された当時の姿がどうだったかは今のところ手元に資料がなく不明である。

・常盤池の全体を含めた周辺は常盤風致地区に指定されており、木々の伐採や宅地造成などは県知事の許可が要る。それにもかかわらず楢原の入り江周辺は常盤池の汀まで私有地となっている場所が多い。
地図では一般に公園や緑地は薄緑色で記述されるが、楢原の右岸は常盤池の岸辺全体において唯一緑地指定されていない。開発の規制が厳しくなる以前から土地所有するなどの経緯があったのではと想像される。

・入り江の先端は地図で示される通り、直線的なコンクリート護岸が鋭角に交わる形状になっている。人工的な護岸設置により生じたもので、この場所は「常盤池で最も尖った場所」として知られる。
公式に発表されているものではなく当サイトにおける勝手呼称


この改変は意外に早く昭和40年代後半の航空映像では既に今と同じ状態である。その形状と成り立ちは一つの興味の対象であり、現地踏査を複数回行っている。詳細は以下の記事に。
派生記事: 楢原・鋭角点
・高専グラウンドの端にも同様の小さな鋭角点がある。特別に興味をよぶ構造ではないが、常盤池の水位が充分に下がったとき汀伝いにしか到達できない接近困難な場所の一つである。


現地の詳細レポートは以下の記事に。
派生記事: 楢原・小鋭角点
・鋭角点の上流側の沢となる地点の市道楢原線沿いに周辺地区の汚水を排出するポンプ場がある。


同種のポンプ場は常盤池周辺にもいくつか散在する。詳細は以下の記事に。
派生記事: 常盤湖第一ポンプ場
・入り江に流入する主立った河川はないが、左岸の中ほどに開5丁目周辺の雨水を集めて流下する水路が接続している。

・入り江の末端部分を常盤池の周遊園路が白鳥大橋で渡っている。現在常盤遊園にある貸しボートは時間制限があるので無理だが、手漕ぎボート時代は住宅が建ち始めた楢原の入り江までボートを漕ぐ来園者も散見されたという。[1]

・入り江の左岸末端部分の護岸近くに一本のソテツが植えられており、大典記念と陰刻された大正時代の石碑が建っている。
右側は周遊園路で背後の建物は宇部興産の常盤寮である


この石碑とソテツは宇部セメントの創業を祝した記念植樹と考えられている。詳細は以下の記事に。
派生記事: 大典記念樹碑
・楢原の入り江左岸末端部とながしゃくりの入り江右岸末端部はほぼ直角に会しており、その突端部分が南遠山の鼻という岬である。

・居住地が近く改変が早くから進んだせいか、楢原の入り江には関連すると思われる遺構が目立つ。高専グラウンド付近の入り江に水没建築ブロックが見られる。


同様に、常盤寮のある半島の先端部分には中の詰まった巨大な水没現場打ちコンクリートが存在している。コンクリートの中央には鋼管らしきものが埋め込まれており、前出の建築ブロックが最初に発見されたときには鋼管部分のみを水上に現していた。
遠山地区から撮影…手前に水没コンクリート、高専グラウンド側に水没建築ブロックが見える


一連の遺構は常盤池の水位が若干低下するだけで姿を現し、航空映像からも視認される。両者は昭和40年代後半に撮影された国土画像情報システムでも写っており、昭和中期のものであることは分かっている。
この2つの構造物に関して常盤公園活性化対策推進室に直接照会したものの回答が得られず、いつ頃誰が何の目的で設置したのか永らく不明だった。
詳細は以下の記事に。
派生記事: 水没建築ブロック
派生記事: 水没コンクリート構造物
最近、その両物件に関しての情報提供を頂き、常盤池からの湧水を汲み上げ温泉の源泉として供給するための井戸であったことが明らかになった。特に建築ブロック部分はポンプ小屋で、汲み上げた源泉水をパイプで導き、前出の小鋭角点に汲み上げ用のパイプが設置されていたらしい。昭和中期頃まで湧水を湧かし銭湯として営業していたとされる。[2]

・入り江右岸の中ほどは高専のグラウンドが接しており、グラウンドの真下を直径1.5m程度の暗渠が通っている。見たところ何処にも接続されておらず、何のためのものか疑問に感じられる。


暗渠入口を見つけた当初は、近くにある祈祷台池に用水を送るための管かも知れないと推察していたが、現在は否定されている。
かつて高専グラウンドが整備される以前入り江に注ぐ水の道があり、そのまま埋め潰すわけにはいかないので暗渠を埋設して排水路を確保した上でグラウンド整備したのではないかと考えられている。[3]
2013年1月に行った低水位踏査でこの場所を訪れている。詳細は以下の記事に。
派生記事: 楢原・水没排水口
・現時点で楢原の入り江は常盤池全体レベルで観ても「もっとも汚れた場所」である。鋭角点は吹き溜まりになるせいか木の枝などに混じってペットボトルなどのゴミが堆積しており、低水位期に姿を現す。特に右岸側の汚染度が酷く、民間アパートに面した護岸直下には自転車が常習的に不法投棄されている。生活排水が流入している恐れはないと思われるが、水位低下時には堆積したヘドロが悪臭を放つ場所がある。小動物の死体も見受けられた。
一般には常盤池の汀に打ち寄せるゴミや倒木などは定期的に回収処理されている。楢原の入り江の汚染度が目立つのは、周囲が私有地に囲まれている点も要因にあるように思われる。

・楢原の入り江の景観やアクセスの悪さに関しては市としても認識しており、周遊園路を輪とみたてて各拠点が宝石の如くちりばめられた形の再生を目指す「緑と花と彫刻のブレスレット構想」が策定されている。この過程で楢原の入り江を周回できるように周回路を造り、水生植物を再生するという提案がなされている。[4]
《 その他の記事 》
楢原の鋭角点から常盤寮のある半島部分手前までの左岸の低水位踏査記録。
派生記事: 楢原【1】

南遠山の鼻より左岸を遡行し半島部分まで護岸上を歩いた踏査記録。
派生記事: 楢原【2】

市道楢原線の終点付近の沢より降りて半島部分まで護岸下を歩いた低水位踏査記録。
派生記事: 楢原【3】

白鳥大橋付近から高専グラウンド裏手までを歩いた低水位踏査記録。
全4巻で派生記事2巻を含む。
派生記事: 楢原【4】【5】【6】【7】

他に記事が作成され次第、リンクとして案内する。
出典および編集追記:

1. 忘れ物に気付いたので手漕ぎボートで楢原の入り江まで向かい接岸して「再上陸」して家まで取りに帰った…という当時の級友からの話を聞いている。

2.「梶返天満宮だより」第42号に掲載された波木康人氏作成による”昭和十五年頃の野中”の地図による。

3. 当時の高専グラウンドおよび護岸整備関係者による意見。
最近になってこの排出口は昭和の大渇水期に源山にポンプ機を設置し渡内川の水を逆流させ汲み上げていたときの管路ではないかと考え始めている。ただし管路が地表に敷設されたパイプだったか埋設管渠だったかは不明である。
ポンプアップした水を送る経路は概ね判明している

4.「宇部市 ときわ公園 緑と花の計画」p.20(PDFファイル)

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