市道神原町草江線【2】

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(「神原町草江線【1】」の続き)

清水川交差点から先で市道神原町草江線は若干カーブしつつ緩やかな登りになっている。


清水川交差点で横切る市道東新川野中線が区域の境界となっている。実際、起点から清水川交差点まで市道の左側が西梶返・東梶返、右側が神原町であるのに対し、清水川交差点から先は恩田町となる。

登り坂ではあるがママチャリでもどうにかなる程度の勾配だ。しかし今までずっと平坦な道だった分だけ少々きつく感じられるかも知れない。
特に向かい風のときなどは結構きつい


古い文献で、恩田山という表記を見かけたことがある。具体的な一つのピークを指すとは考え難いが、清水川から見た恩田への高低差を表現したものかも知れない。
清水川交差点に至る古道沿いに地元管理の祠がある…名前は失念した

軽い登り坂の途中に清水川バス停がある。
その先には再び空港方面を案内する青看が…


今度はロゴはなく空港への分岐だけをビジュアルに示している。
説明によれば「150m先でメインの道よりも細い右側の道に入れ」と解釈できる。


案内板では直進が太い白地で示され、空港方面の案内はそれより細い白矢印になっている。
しかし…
この先では似たような分岐が2つ連続していてちょっと紛らわしい。

まず最初の分岐。これは分岐案内の看板から100mも進んでいないだろうか。
もっとも車を運転していて体感的に100mを理解できるかどうか怪しい
本線はもちろん直進でいいのだが…



この分岐は市道清水川競技場線で、かつては分岐が直角ではなく薄くスライスする形になっていた。当時の道路構造が今も分かる形で遺っている。昔だったらどっちが本線か分かりづらかっただろう。


この分岐を鋭角に曲がる車は殆どない。現在いる位置から先にも競技場方面へ向かう道があるからだ。それを思えば元のV字型分岐のままでも良かったように思えるだろう。
それをわざわざ接続部分を曲げて直角に取り付けているのは、交差点の視認性確保のためである。斜めに接続されていれば、どうしても片側から来る車を見づらくなる。また、清水川交差点でも現に観測されるように車が交差点を通過する時間がかかってしまう。概ねこういった理由によりすべての交差点はなるべく直角に接続するよう改良される。
接続部付近でうねうねと曲がりくねってしまうのは仕方がない

大して見るべきものもない短い市道だが、寄り道してみたい方はこちらから…
派生記事: 市道清水川競技場線
その分岐をやり過ごすと、今度は右側へ同様の分岐に出会うのである。


恩田はかつての私の縄張り(?)だったので、大きな顔して語らせて頂かなければならない。
枝道ではなく、元は右の道が本線だった。
いや、本線という言い方からして誤りだ。早い話、今ではどの車両も当たり前のように通っている直進路は平成時代に入ってからのもので、昔は影も形もなかった。ここから国道190号へ向かうのは右へスライスする細い道だけだったのだ。

標識に示される通り、ここは「ト」の字の分岐に見える。
しかしそれは直前の市道清水川競技場線との接続部同様「可能な限り直角に取り付ける」という交差点改良の結果である。



右へ分岐する道は市道恩田線と呼ばれており、昔から存在していた恩田交差点に向かっている。
現在でも「恩田交差点」と言えばこれから市道が向かう広い方の交差点ではなく古い交差点を指すので注意が必要
市道恩田線の路線番号は861で本来恩田地区周辺に与えられた400番台よりずっと後なので、恐らくここから新しい道が造られ草江まで伸びる経路に接続され、市道神原町草江線が誕生したときに移行されたのだろう。


市道恩田線の入口部分。
今も歩道相当部分にセンターラインのペイントが若干遺っており、かつて直線的に伸びていたことが窺える。


八王子方面に向かいたい方はここで市道恩田線に乗り換えだ。
乗り換え先の記事はこちら。
派生記事: 市道恩田線
ところで…
清水川交差点の手前には空港へ直進2.5kmという案内があり、交差点を過ぎてから「再度150m先右折」と指示されていた。
その指示は明らかに空港へ行くにはこのまま市道神原町草江線を真っ直ぐ走るのではなく、狭い市道恩田線方面へ入ることを意味している。
これは予備知識なく青看を見たドライバーには当惑を覚える内容かも知れない。目の前にある広い道を蹴ってわざわざ細い道に入り、しかも目的地の空港から離れる方向になるからだ。

掲示される案内板は、公道を走り得るすべての車両が安全に目的地へ到着することを念頭に置いている。その意味からすれば決して誤っている訳ではないし順当な道案内だ。ただ、記事【1】の冒頭で述べたような条件を満たす運転手なら、ここでも看板の指示を無視して私について来て欲しい^^;
市道恩田線経由だと空港までかなりの遠回りになる上に途中の道幅もそう広くはない

かつては恩田交差点に向かう狭い道しかなかったということは、これから向かうのは市道神原町草江線としては今のところ最も歴史が浅い区間になる。実際、それは平成時代に入ってからのものである。したがって神原交差点から始まった市道神原町草江線の第一幕は、この分岐点ないしは清水川交差点までと言えるかも知れない。

恩田山という表現がされたように、市道はフラットな地域を抜け出して低い丘陵地帯に向かう。数百年前のレベルでみれば、神原交差点付近は常盤通りの砂浜を隔てて潮が入ってきたり降雨で湿潤する荒れ地だった。
神原中学校のある清水崎あたりまでは汀だったと考えられている
これに対し、清水川交差点から先の丘陵部は完全な地山だった。

分岐を過ぎると市道は再び平坦になる。
交通量は清水川交差点からそう変わらない筈だが、路側部分にゆとりがありそれとは別に自歩道も確保されている。その分だけ上下線の植樹帯の間隔が広く、しかも高い木を疎らに植えているので見かけ以上に広々と感じられる。


この辺りは珍しく路線の両側に田んぼが点在している。元はこのあたり一面田畑だったところへ新規に道を通したので道路幅も制約を受けることがなかったのだろう。

以前から狭い道路があったところに新しく道路を増設したので、この先国道に出るまでの間は細かな道路との交差や並走が観られる。
まず出会うのはそのうちで最も整った信号機付きの十字路である。


横切るのは市道恩田野中線で、先ほどスライス分岐して並走状態にある市道恩田線に起点を持つ。

恩田線が並走状態なので、恩田野中線の起点となる交差点の信号がダブって存在する状態になっている。
短い距離で連動しない信号を待つ形になるので、この方向に走る車の流れは少ない。


この交差点を渡った先にバス停があり、かなり細い道が斜めに横切っている。



バス停の名称がちょっと振るっていて、恩田運動公園である。
野球場や陸上競技場から若干離れているために総称的な名称にした感じだ。
ローマ字表記が痛い…onda_udonkouenに見えてしまう^^;


新しく造られた区間は車が高速かつ安全に通過するための道である。バスは地元住民たちを運ぶのが役目なので、新しい道が完成してもバス路線は旧道を走るのが一般的なセオリーである。
しかしここでは新しい区間にバス停が設置されている。古い道である市道恩田線を経由するバスは八王子方面に向かう別系統の路線として現在も運行されている。

さて、ここで斜めに横切るのは新設された今の道よりずっと昔から存在していた市道恩田則貞線である。
元から細い道だったのだが、現在の新しい市道で分断されたために通行条件が課せられるようになった。即ち自転車以外は終日一方通行になっていて、この場所から入るだけである。
競技場入口から入ったときこの道を逆走するミスを犯しがちなので注意が必要

そこより50m程度国道側へ進んだところに先の一方通行の道へ向かう細い分岐がある。
国道190号と主要方面を案内する青看が既にここから見えている。


詳細図を地図上に書き込んでみた。赤の線が市道神原町草江線である。


一方通行の道に入れるものの、すぐ出てこれる分岐が存在することになる。傍目には無意味な道に見えるが、沿線住民の出入りのために造ったのではない。現在ある幅広な道が平成期に入ってから造られたことを思いだそう。かつて国道に出る古い道の一つだったのである。

吹けば飛ぶようなこの細い道についても語って遺さなければならない話題があるので、別途寄り道記事を仕立てることにした。
派生記事: 市道神原町草江線・旧線区間(国道以北)
詳細は別途記事に譲るとして、上の地図の説明に「赤の線が市道神原町草江線である」と書いたのは、細く赤で描いた部分も枝線としてこの市道に含まれるからである。

こういった情報は路線名や経路を含めてすべて市の道路河川管理課で公開されている路線図を閲覧することで判明する。路線と言えば起点と終点があって、地図上では(容易に通行できるかどうかは別として^^;)一本になっていて枝がないと考えるのが普通だろう。
しかしこうした枝線を持つ市道は意外に沢山あり、バイパスに相当する新区間を造って旧道部分が短く取り残されたり、メインの路線から若干離れたところに市の管理施設がある場合に見られる。独立した管理番号と路線名を与えるよりは、近くにあるメインの市道に含めた方が簡素化されるからだろう。
市道北琴芝鍋倉町線に実例が多く見られる

さあ、国道までやってきた。
もちろん市道はここで終わりではなく国道を横切って更に先へ伸びる。
50km/h区間終了の標識は国道が60km/hであることを明示するためと思われる


しかし大方の車にとっては「市道はここで終わり」のような振る舞いだ。
自転車隊と同じく起点から進んできた車は、この交差点で8割方左折する。逆に常盤公園方面から国道を走ってきた車の半分程度はこの市道へ右折してくる。国道には右折専用レーンと右折矢印付きの信号機が付属する。それでもラッシュ時は一度で右折車のすべてが捌けきれないほど混み合う。

如何にも爺臭い発言かも知れないが、この近辺は随分と変わった。いや、今も変わり続けている。時期を置いて来るたびにロードペイントが塗り変わったり、沿線の商店や建物のテナントが入れ替わったりしている。
このたび訪れたときも初めて自転車レーンが追加ペイントされているのを知った。


この自転車通行帯を渡ったところにこんな鋳鉄蓋がある。
宇部興産(株)の保有する工業用水導水管である。


この工業用水の歴史は古く、常盤池の樋門よりほぼ国道190号に沿って工業地帯まで用水を運んでいる。
道路を外れて工業用水に流されて寄り道したい方はどうぞご遠慮なく…^^;
派生記事: 宇部興産常盤用水【2】
この交差点を振り返って撮影。
恩田在住だったので、かつては車で毎朝通勤するとき最初に待つことになる信号だった。


詳細は国道190号の記事を書いたとき述べようと思うが、国道は昭和50年代初めまでは対面交通で、この場所には横断歩道がペイントされているだけで信号機はなかった。
やがて国道の交通量が増加し、中学校の通学路で子どもが横断するとき危険ということで、最初に押しボタン式信号が設置された。その状態は4車線拡幅工事後も暫く続き、市道神原町草江線の現路線が新設されたときに今の交差点と信号機ができた。
新設工事は恐らく私が地元から離れていた大学時代に行われたのだろうと推測される

広い道ができたせいで通過する車両が極めて多いながら、この交差点自身には固有の名称が与えられていない。恩田交差点と言えばここより200m程度西にある市道恩田線との交点を指す。
もっともバス停は便宜をはかって両交差点の中央に移動された…かつては恩田交差点付近にあった

出勤するときこの場所で信号待ちをしていたということは、かつて私が暮らしていた家もそう遠くない場所にあるということになる。次章以降、好む好まないにかかわらず読者は一見冗長な写真や、写真の解説から離れた私の昔話を聞かされることになることだろう。

(「市道神原町草江線【3】」へ続く)

【追記】(2012/8/13)

未だ名称が与えられていないこの交差点は一般には恩田東交差点として認識されている。
出典は現在確認中…

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