市道楢原線・横話【1】

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この記事は、市道楢原線に関する派生的記事をまとめて収録している。
《 旧・宇部常盤台郵便局 》
情報この記事はかつて存在した宇部常盤台郵便局について記述しています。
現在の宇部常盤台郵便局については こちら を参照してください。

私の知る限り宇部常盤台郵便局は昭和50年代半ばには現在マンションの駐車場となっているこの辺りの場所にあった。


この場所の位置図を示す。


局舎は恐らく鉄筋コンクリート平屋で、局の前に車が2〜3台しか置けない狭い場所だった。郵便局がこのマイナーな市道に面していたので、存在自体が分かりづらく、地元在住の人でなければ覚えていない限り利用しづらかった。メインの道からでも郵便局の存在が分かるように、局名を書いた縦書きの木の札が建物の脇にあった。
郵便ポストはあったし局の建物に逓信マークは出ていた

個人的関わりとしては、恐らく昭和56年7月8日のいわゆる「登り連番」の記念証印目的で訪れたのが最初である。


記念証印はハガキ相当分の料金を貼られた切手に対して行えるもので、この目的であらかじめ台紙に40円切手を貼ったものを多数枚持って市内を巡回していた。当時のことは殆ど覚えていないが、記念証印を申し出たとき、せっかくの記念だから貧相な台紙ではなく良い台紙にやりましょうと提案されて硬質の台紙を提供していただいて押印している。
家から離れていたので普段の利用はまったくなかったが、場所は覚えていた。車を乗るようになってからもATM利用目的で数回立ち寄っている。
この場所にあったときからATMは設置されていた

宇部常盤台郵便局は、その名前を変えることなく現在は市道常盤公園開片倉線野中五差路近くに移転している。場所が分かりづらいこと、車を停め置けるスペースも局自体も手狭で老朽化してきたからと思う。移転した時期は平成期に入ってからのことである。今の場所に移転してからATM操作で立ち寄ったのは数えるほどしかない。
《 常盤湖第一ポンプ場 》
現地踏査日:2012/12/3
記事公開日:2012/12/27
市道楢原線が入り江に向かって下っていく途中、楢原の入り江の先端部分に白っぽい建屋があることに気付く。


カーブの外側から撮影。
建屋は市道と入り江の先端の間に存在する。


厳重とは言えないが入口には鉄門扉が設置され立入禁止の掲示が出ていた。


門扉越しに撮影。
正面の扉には発電設備という文言が見える。
停電時など非常動作用の燃料を貯蔵していることを示しているのでは…


門扉や正面玄関部分には何も出ておらず、何の設備が分からなかった。
その答は入口の側面にあった。


常盤湖第一ポンプ場
宇部市下水道部管理の構造物である。


常盤湖という命名があることから、最初これは池の水を排出するための設備ではないかという想像が働いた。
しかし常盤池に生活排水が流れ込むことは現在では有り得ないので、常盤池自体との直接な関連はない。掲示されている命名はあくまでもポンプ場の設置名として利用しただけだろう。

恐らくこのポンプ場は、楢原一帯に暮らす人々による生活排水を強制排除するための設備と思われる。下水の本管は楢原の入り江より高い市道常盤公園開片倉線を通っているので、逆勾配になり自然流下できない。そこで別経路の汚水管を埋設するのではなく、近くにある常盤公園開片倉線の本管まで動力を用いているのだろう。

同様のポンプ場は、東條の入り江の先端部分をはじめ数ヶ所存在する。特に常盤公園東駐車場から菖蒲園に降りた付近のトイレは、汚水排除に動力を用いている旨の掲示が見受けられらる。
《 想い出深い場所 》
現地撮影日:2014/9/27
記事作成日:2015/12/27
完全に記憶が消え去る前に私的事項だがここに書いておこうと思う。私以外の誰にもまったく意味が分からないだろう。申し訳ない。詳細に説明することは出来ないが、人目につきづらい派生記事の一項目として記述している。

本路線が楢原の沢地に向かって下り、最初に出会う大きなカーブの場所は個人的に想い出深い場所として認識される。
この場所の右カーブだ。


詳細は間違いなく日記に書いているので調べれば分かるだろう。それは今から何十年も前の正月のことで、私はあるタスクを目的で恐らく今と同様に自転車に乗ってこの道へ乗り付けていた。
それをやり遂げた後で自転車に跨がり家に帰ろうとしたとき…帰り道のこのカーブでお伽噺のような体験をした。今となっては正確なことは日記を見ないと思い出せないが、「紫色に香る霧のようなもの」を体験したという記憶がある。それは視覚と嗅覚により私に伝わってきた。

このこととは時期も場所もまったく異なるのだが、私とそのタスクにまつわるある方との流れで、この場所が意識される。
これは前面のメイン道路、市道常盤公園開片倉線の本路線起点より南寄りの場所である。


写真では道路の傍に畑が見えている。昔からある畑で、野中五差路からこの道を辿ってきたとき最初に楢原の入江が見え始める場所でもある。この場所にしばし佇んで当時の自分にとってはやや辛い話をしたような記憶がある。時系列ではこの場所の方が先の体験よりも更に数年昔のことである。
《 宇部興産常盤寮 》
市道楢原線の終点およびそこから地区道を進んだ先には常盤寮をはじめとする宇部興産(株)関連の集合住宅が多い。


遠山地区に限らず、常盤池の周囲には宇部興産(株)の土地が目立つ。常盤寮に知り合いが居るわけではなく、成り立ちは分からないが常盤池の周遊園路が整備される以前からあった。

常盤寮は周遊園路に接しているが、周囲をフェンスで仕切られているため一般には相互に行き来はできない。ただし全く物理的に経路がないわけでもなく、駐車場の一部からは外へ抜ける経路がある。[1]


これは白鳥大橋から撮影した常盤寮である。
先の駐車場のフェンスを抜けると、草地を通ることで一応は周遊園路に到達できる。


もっとも常盤寮の外側を通る形で周遊園路には繋がっていない。私有地通り抜けとなるので相互の行き来はできないと考えた方がいい。
楢原の入り江の左岸を辿っていてこのことに気付いた
《 楢原について 》
楢原(ならはら)は、常盤池の東岸に存在する小字である。現在の開5丁目・常盤台2丁目・野中3丁目にあたる。
写真は市道から撮影した高専グランドで、かつての字楢原だった代表的な場所である。。


字楢原は大字沖宇部と大字川上に跨って存在している。派生小字は存在しない。字楢原の東西の境は常盤池および市道常盤公園開片倉線で、北の端は現在の猿田住宅入口バス停付近にまで及ぶ。本路線が大字沖宇部と大字川上の境界となっていて、本路線より北側は大字川上字楢原となる。南の端の字切貫に接する境界はよく分からない。小字絵図を参照すると現在の菖蒲苑およびあじさい苑の中を通っており、常盤公園が整備された際に失われたものと思われる。
大字沖宇部字楢原において現在ある建物を代表して言えば、宇部高専の白鳥寮やグランドがある場所と言える。この辺りは昭和15年頃は墓地で火葬場が存在していた。[2]

楢原は、常盤池にある主要な7つの入り江のうち北西にあるものの名称にもなっている。ただし現在では「常盤池にある7つの入り江」と公称されているだけ[3]で、それぞれの入り江の名称は郷土史の分野であり表には出て来ない。楢原の入り江については以下を参照。
関連記事: 常盤池|楢原の入り江
本路線の名称にはなっているものの一般に認定市道の路線名は公の目に触れることが殆どない情報である。今のところ楢原という地名を確認できるアパートや電信柱の路線プレートなどの構造物は知られておらず、絶滅危惧の地名である。
楢原の由来についてはそのまま楢の木が目立った原という説、開拓によって「均された平原」という説がある。[4]
出典および編集追記:

1. その後このフェンスは閉鎖され通り抜け禁止の表示板が設置されている。

2.「梶返天満宮だより」第42号に掲載された波木康人氏作成による”昭和十五年頃の野中”の地図による。

3. 正面玄関の内側に設置された常盤公園の概要の説明板には「北方に入り組んだ7つの大きい入り江」と記載されているだけである。

4.「山口県地名考」(高橋文雄著・山口県地名研究所)

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