市道助田平原線【1】

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現地踏査日:2013/8/27
記事公開日:2014/3/21
市道助田平原線は、国道190号の中通踏切手前から国道を外れ、居能駅前を通って平原交差点の先まで向かう道である。

下に起点をポイントした地図を掲げる。


この地図だけで車を運転する方なら「あの道か」と理解して頂ける程度の知名度があるだろう。
国道190号は新町交差点から本路線の起点となる中通踏切までは一般車両の交通に供せられるもっとも海沿いの公道区間である。新町交差点から東は真締川を渡って明神町方面に向かう市道東海岸通り線があり、これと対比して本路線は昭和中期頃まで国道部分を含めた真締川以西部分の区間を西海岸通りと呼んでいたようだ。現在ではこの呼称は後述する踏切名にしか現れない。

この方面の道としては並行して内陸部を通る市道上町線が恐らくもっとも古い。本路線は居能駅周辺を干拓したときの護岸部分に相当するようである。
造船所とか回船なんて話を持ち出しても今ではピンと来ないのだが、藤山村時代は海運や養殖業に関しては宇部村よりも一歩抜きんでていた。現在昔の面影を具に観察することは難しいにしても、丹念に調べれば本路線の道中意外に興味深いものが見受けられる。このため本編の上巻・下巻共に派生記事がやたらと多い。その中には歴史的価値を超えて単純に私の個人的興味によるものも含まれる。本編と派生記事とのページ繰りが多くなり読みづらいだろうがご了承頂きたい。
また、本路線の名称を見る都度、個人的に思い浮かぶキーワードがあるのだが…今それを口にすると読者がズッコケ状態になると思うので最後の最後に暴露してみることとして…(謎笑)

…と言うことで、まずは起点へ。
これが現在の起点の状況である。


久しくこの場所を訪れていない人々にとっては、上の写真を見ると「景観がかなり変わっている」と感じられるだろう。実際、起点の形状が変わっているし上の写真でも左側に存在を主張するように張り出しているものがある。

宇部湾岸道路だ。
西中町交差点に出入口が造られ、そこから高架橋の形で通されている。


西中町からの乗り入れ部分が供用開始されたのはまだ3年前(平成23年)のことである。
これほどの大きな橋脚を設置するのだから、作業用スペースが要る。これに伴い本路線も多少なりとも影響を受けている。特に国道部分の視認性確保のため直角に近い形で接続されている。


起点から奇妙に蛇行しているのはこのためである。しかし以前はそうではなかった。
幸い、高架橋が造られる以前に本路線の道路レポート向け写真を撮っていた。地元から離れていて湾岸道路以前の道が記憶に遺っていらっしゃる読者なら、以下の映像の方が馴染み深いかも知れない。
派生記事: 国道整備前の起点付近
例によって本路線の走破には自転車を使った。そして単に終点まで走り抜けるのではなく、道中にあるものは可能な限り拾い上げている。
見落としなどがあったために日を改めて3度同じ経路を走った

湾岸道路の高架橋を囲むフェンスが切れる辺りで宇部線を横切る。


この踏切には路線の昔からの呼称である西海岸通りの名称が与えられている。
鉄道構造物関連のカテゴリを作成済みなので、派生記事として書いておいた。
派生記事: 西海岸通踏切
踏切から先は湾岸道路以前の状態で道幅は狭い。
歩道にあった柳の木は通行の支障になるせいかここ最近撤去されている。


センターライン付きの対面交通ながら路側部分が殆どなく、自転車だと不本意ながら歩道を通らざるを得ない。
狭い上にこの先に奇妙な線形部分がある。


120度の折れ点!!


センターラインだけカーブに描かれているだけだ。外側の白いガードレールは滑らかなカーブにしようという努力をまるでしていない(笑)

直線状態で突き合わされたガードレール。実直にその内側まで通ることなど不可能なので砂が溜まっていた。
ドライバー向けに急カーブありの看板が出ている。


反対方向から観察している。
変な線形だが、もっとも市道真締川南小羽山線に存在する直角曲がりほどではなく角度がやや緩やかなので徐行レベルにまで減速は強いられない。


折れ点を過ぎると、信号のないやや変形した十字路に出会う。
写真からは外れているが右からの道は市道西中通り線である。
この近辺は割と最近表層処理したようだ



左からの道は弥生道路と呼ばれる企業共同管理の道[1]で、主に物資輸送の大型トラックが通っている。しかし一般車両や自転車でも通行できる。明瞭な終点や起点は分かっていない。
派生記事: 弥生道路
弥生道路の接続部分。
工場群の上を高架橋で通る湾岸道路はここ数年の新しい景色だ。
当サイトではこの場所までを弥生道路として記事作成する予定としている


この十字路の海側の角に栄川ポンプ場がある。


今のところ下水関連の設備は物件として追っていないので、門扉の銘板部分を撮影するにとどめている。

ポンプ場があるということは、ここから海は近い。実際この先で本路線は潮が満ちれば海の水が押し寄せる川というか運河だった部分を横断する。


この近辺は本路線のうちで最も興味深い場所だ。最近入手した昭和12年の宇部市街図によると、橋として記載されている。ここで川というか舟も出入りする運河を渡っていたのだ。現在は橋の痕跡はまったくなく、海側はコンクリート護岸となっている。

訪れたときは干潮だった。正面に宇部線の栄川橋りょうが見えている。
潮が満ちれば全体が運河のように海水で満たされる。


この部分のみを指すわけではないが、海に向かうこの水路は栄川と呼ばれている。この近辺は昭和40年代後半に排水用のヒューム管だけ残して埋め立てられ陸地化している。かつてこの場所で潮止めも行っていたらしく、護岸の一部に樋門らしき遺構がみられる。
これは河川というよりは極めて重要な運河だったから総括記事として書くことになるだろう。
派生記事: 栄川
本路線の右側は埋め立てられ民間の駐車場になっている。その一角に関連すると思われる奇妙な遺構がある。


以下の項目は栄川の記事を作成した折には統合するかも知れない。
派生記事: 民間駐車場の一角にある謎のコンクリート塊
渡った先で小さな十字路になる。
左側からの道は市道東汐土手線である。この道も栄川沿いの土手を通る道だったようだ。


この道は、自身を通行しないことには到達不可能な場所に起点を持つ。その先には少なくとも3件の独立記事を作成できそうな興味深いネタが詰まっている。栄川を含めてこの近辺は今まで幾度となく訪れては写真を撮っている。
派生記事: 市道東汐土手線
そこからは車道・歩道ともに整った道となる。車道の路側部分もあるので幅広く感じられる。
3〜4年前に車道整備された


自転車を停めているところから細い路地があり、恐らく市道花河内線である。
また、本路線の左側には敷地のブロックに接する形で藤山八十八箇所の祠がある。
2日後に再度通ったときの写真


この祠は周囲の風景に紛れて3度目の走行でやっと気付いた。
派生記事: 藤山八十八箇所・第56番
若干緩やかに左へカーブする場所で、右側へ斜めに伸びる道がある。市道藤山停車場線という名で、如何にも成立が古そうな認定市道だ。


藤山停車場とは昔の宇部鐵道における藤山駅のことである。実際、この市道の終点は宇部鐵道時代の線路敷前まで伸びている。現在宇部線となっている部分は、かつて宇部電気鐵道と呼ばれていた部分に相当する。
古い遺構が多く大変に興味深い場所だ

この辺りは歩道があまり良い状態に整備されていない。段差があったり電柱が建っていたりする。
左側のコンクリート2階建ての建物は藤曲浦漁協協同組合だ。


前方にはまたカーブとも言えない軽い折れ点が見えている。この近辺は居能地区に関わりのある方は馴染みの風景かも知れない。

(「市道助田平原線【2】」へ続く)
出典および編集追記:

1. 道中に建っている弥生道路協議会の看板が根拠である。ただし道路の名称については一般的に知られているわけではない。

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