なお、発症時は自分自身このまま卒倒し意識不明に陥ってしまうのではないかと動転して、いつもしているような途中経過が分かる写真を撮っていない。以下に掲載している写真は事件が起きる前の撮影か、後日参考資料として撮ったものである。
《 事件が起きた11月7日の状況 》
この日は山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」隧道どうでしょう・シーズンVIIのロケだった。早朝に山口ケーブルビジョン本社への集合だったが、問題なく起きることができて体調も良好だった。久し振りの隧どうロケでテンションも高かった。天候はまたとない快晴で、11月にしてはやや暑いと感じられるほどの気候だった。いつもの流れで導入編を本社前で録り、当時隧道関連の展示企画が続いていた山口市小郡文化資料館に2台車で移動した。
写真は入館するときの撮影。
(導入編と小郡文化資料館の学習編は本編に先行して既に放映されている)
それから本編に相当する隧道を2ヶ所訪問し、最初の物件の訪問後に昼食をとって次の隧道に向かった。最終編集日現時点で本編はまだ放映されていないので行き先は明かせないが、移動距離が今までの平均よりやや長かった。最後の物件は誰も直接現地で確認しておらず、探索が難航した。しかし最終的にメンバー全員が現地を訪れて映像採取された。
最後の収録を終えたときは午後5時を回っていたが、私自身初めて訪れる物件で、車に戻るまでもあちこち撮影した。きれいな夕焼けを撮影後車に乗り込み本社へ向かった。もちろん私は運転せず後部座席に乗っているだけだった。
【 最初の異変 】
異変は本社へ戻ってきて車から降りた瞬間、極めてドラスティックにやって来た。「はい。お疲れ様でした。」
私は後部座席の端に座っていたので、横や後ろに座っているメンバーが降りられるように真っ先にドアを開けて降りた。そして地面に足を着いた途端、周囲の景色が激しく回転するのを感じた。キチンと立っているのが困難だった。明らかにちょっとしためまいとは異なる次元だった。しかしメンバーに心配を掛けてはいけないと思い、車から離れて暫く立っていた。別の車に乗っていたどさけん氏が私の方に来て声をかけた。
「お疲れ様でした。今日一日ありがとうございました。」
私は周囲の景色が回転して倒れそうなのを何とか踏ん張って言葉を返した。そのままどさけん氏はすぐ自分の車に向かったので、私の異変には気付いていない。めいめいが手分けして撮影に使った器具を持って勝手口に向かっていたので、私もこの様子を撮影した後で長靴を持った。
めまいは歩いている間はいくらか収まるようでもあったが、立ち止まると酷くなるようでもあった。じっと立っていても景色が回転するように認知されてしまう違和感が収まらなかった。
勝手口から倉庫に入って長靴を置いたところ。
この撮影がこの日の最後である。
足を踏ん張って静止しているのに景色は激しく回転していた。その違和感から吐き気を感じたし、同時にお腹の具合もおかしかった。そこで編成室を通ってトイレに行った。確か2度続けてトイレに行ったと思う。吐き気はあったが吐いてはいない。
他のメンバーはまだ道具の片付けを行っていたが、私はどうにも気持ちが悪いので編成室の椅子に座って突っ伏していた。目を開けているだけで部屋の中のすべてがグルグル回転していた。様子がおかしいことを知られると心配をかけると思っても、さすがにそうせずにはいられなかったのである。
【 事態の悪化 】
最初に真実チャンが声を掛けた。「宇部マニさんどうしちゃったんですか?」
「うん、何だか目が回ってちょっと気持ち悪い。少し伏していたい。」
編成室のテーブルの上には、来訪者が差し入れたと思われる小さな饅頭が置かれていた。「うん、何だか目が回ってちょっと気持ち悪い。少し伏していたい。」
「これでも食べてカロリー補給してください。」
「ありがとう。」
饅頭を2個ほどつまんだが、めまいはおさまらなかったのでそのまま机に伏せていた。やがて片付けを終えた松田ディレクターと長谷川さんがやって来た。「ありがとう。」
「何か目の前がグルグル回ってて。目を開けていられないんです。」
(この写真は後日のスタジオ収録時に撮っている)
ところがソファーに身体を横たえた途端、それまでで最大級の強烈な回転性めまいが襲来した。思わず飛び起きてソファーに座ったものの、スタジオ全体がグルグル回転するのを見るだけで吐き気が酷くなって思わず両手で目を覆った。
「ダメだ!気持ち悪くて横になれない。何?。これ一体何なの?。どうなるの?」
強烈な吐き気は、踏ん張れば堪えることができた。小学生の頃に自家中毒と呼ばれる症状で吐いたのを最後に、現在まで吐いたことは一度もなかった。吐けばスタジオが汚れるのと余計にでも周囲を不安にさせるから、とにかく堪えた。この頃から何が原因かを自分の中で考え始めていた。最初に思い浮かんだのは、いわゆるエコノミー症候群である。最後のロケ地から本社に戻るまでは小一時間くらいかかり、その間ずっと座席に座って身じろぎもしなかった。このときに血栓が生じて、本社に到着して車を降りた途端に血栓が移動して脳の血管が詰まったことで起きたと疑ったのである。自分の中で重大な症状が起きてしまったのではという恐怖があった。
「いや…多分大丈夫です。少し休んでいればおさまると思う。」
収録を終えて皆さん帰宅しなければならないのに、私一人がスタジオの中で休んでいるわけにはいかない。再び立ち上がって編成室に戻って椅子に腰掛けた。私は自分の身の振り方を考えていた。
「駐車場に停めている車で暫く休みます。落ち着いたら運転できるし…何かあったら知らせるので。」
本社からうちのアジトまでは片道で45分くらいかかる。私が車をここに置いて体調が戻ったら取りに来るのはいいとして、うちまで松田ディレクターを往復させてしまうのが心苦しかった。実際、意識はあるし話もできるから、安静にしていればおさまりそうだった。自分で何とかしようと思ったのは、正直言って救急車で病院に搬送されるなどの一大事にしたくない気持ちがあったからである。松田ディレクターが私を自宅まで送り届けることについて、長谷川さんも帰り際に念押しして言った。
「俺からも忠告しとくけど、今日はゼッタイに車を運転して家に帰るでない。」
片付けが済んでここに居るわけにはいかないので、歩くのも辛かったがショルダーバッグを提げて本社を出た。私は貴重品などの入ったバッグのみ車から取ってきて、他のものは自分の車に乗せたまま松田ディレクターの車に乗り込んだ。【 自宅に向かうまで 】
助手席に乗って松田ディレクターは新聞紙を詰めたバケツを手渡した。もし気分が悪くなって吐きそうになったとき処理するためだった。座っている間は特に何ともなかったが、いざ車が動き始めると途端に気持ち悪くなった。車が揺れることで脳内の回転映像が増幅されるのである。本社から県道に出るまでの短い距離でそうなったので、長谷川さんのアドバイスした通りで、この状態で安全にハンドルを握って運転できるわけがないほど目の前の視覚映像が乱れまくっていた。
外の流れる景色をみれば、自分は前に移動しているという認識から回転はいくらか抑えられた。それでも走行中に車が揺れることで吐き気が悪化した。運転している間も松田ディレクターは私の様子がよくないことを知って、路側帯に車を停めて携帯で夜間診療に繋げて判断を仰いだ。この記事を書いている現在は健康だから想像つかないだけで、この当時では「一体自分はどうなるのだろうか?」に加えて、重篤な症状が見つかってもう家に帰れなくなるかも知れない事態も頭を過ぎっていた。
【 夜間診療を受ける 】
カウンターでは前金の支払いを求められた。このとき支払いを求められた5千円は、持ち合わせてはいたものの私にとっては如何にも痛かった。薄暗い待合室で座っている間もややおさまってはきたがどうなるのかという不安だけがあった。やがて待合室左手にある診察室に呼ばれた。ベッドの上に座ってまずは血圧を測定された。上も下も標準値だったと思う。それから今朝から症状が起きたときまでの概略を伝えた。
「長い時間座っていてクルマから降りた途端に回転し始めました。だからいわゆるエコノミー症候群ではないかって気がしました。」
以下は問診時のおよそのやり取りである。
「その可能性は否定されると思います。下肢にできた血栓が立ち上がった途端に移動して血管を詰まらせることはありますが、一気に脳まで移動することはおよそありません。」
「では元から脳内の血管にあった血栓が移動して塞がれることでめまいが始まった可能性は?。あるいは脳腫瘍のような重い病気が隠れているかもということは?」
「完全に否定はできませんが、可能性は限りなく薄いです。今ここまでお話を伺ってきた内容を聞くだけで分かります。ここに着いたとき歩いて来られましたよね?。脳の血管が詰まったらそのいずれもできません。」
そしてベッドに座ったまま一連のやり取りを行っているうちに、視界の違和感と頭の重い感じがジワジワと薄れていくのを感じた。動かずに休んでいたことと、取りあえず生命に関わる重い症状が否定されたことによる心理的圧迫からの解放も要因かも知れない。それでも全く何もなしで唐突にこの症状が起きることも考え難いので、他に心当たりあることを尋ねた。「では元から脳内の血管にあった血栓が移動して塞がれることでめまいが始まった可能性は?。あるいは脳腫瘍のような重い病気が隠れているかもということは?」
「完全に否定はできませんが、可能性は限りなく薄いです。今ここまでお話を伺ってきた内容を聞くだけで分かります。ここに着いたとき歩いて来られましたよね?。脳の血管が詰まったらそのいずれもできません。」
「精神的あるいは肉体的な疲労がたまっていることは、この種のめまいを誘発しますか?」
「大いに関連性があります。」
「最初にめまいが起きてテーブルに伏していた後、ソファーで横になったら余計に酷くなりました。姿勢を変えるのは良くないのですか?」
「よくないですね。頭を動かして状況が変わることもありますが、急に動いたり首を振ったりすると悪化します。」
ここまで話した段階で、殆どもう何の処置も要らないくらいに脳内は平常化していた。血液は採取されなかったし薬の話もでなかった。肉体的な疲労については、この日のロケ以外の心当たりがあった。充分な休養が最大の薬であり、実際既に症状が軽くなり始めていたので問診のみとなった。「大いに関連性があります。」
「最初にめまいが起きてテーブルに伏していた後、ソファーで横になったら余計に酷くなりました。姿勢を変えるのは良くないのですか?」
「よくないですね。頭を動かして状況が変わることもありますが、急に動いたり首を振ったりすると悪化します。」
待合室では松田ディレクターが心配そうに待ってくれていた。私は診察室で医者から告げられたことを話し、疲労によるものが大きいこと、自分自身も問診を受けているうちに症状が収まってきたことを告げた。暫く待ってカウンターで仮領収を受け取った。明日の午後以降に診察料が確定するので、再来して精算しますとのことだった。今まで夜間診療を受けたことが一度もなく、国保の3割負担と言っても一体どれだけ追加請求されるのかという方が心配だった。
【 翌日の移動手段について 】
原因が恐らく単なる疲労であり、即座に検査入院という深刻な事態は回避された。帰宅して身体を休めるのが一番という道筋がついてから、翌日私がどうやって本社まで車を取りに行くかを考えた。久し振りに電車で山口入りしてもよかったが、最近収録が滞っている宇部マニニュースの件で岡藤氏とコンタクトを取りたいと思った。平日は大体時間が取れると話していたことを思いだし、状況を説明して山口まで乗せていってもらう都合の良い展開を考えていた。これを受けて松田ディレクターが岡藤氏に連絡をとってくれた。《 翌日(11月8日)の状況 》
翌日は快晴だった。酷いめまいはなかったが、ベッドから起き上がるとき少しフワッとした。前日のことがあったから、まだ完全には良くなっていないと感じた。隣りの台所まで歩くときも頭だけが何だかフワフワ浮く奇妙な感じがした。それでも昨晩ほどではなく、吐き気もめまいもまったくなかった。昨日の帰り際で状況を知っていた長谷川さんからメッセージが届いていた。
返信した後、予定時刻に岡藤氏に大丈夫そうだとの電話をかけた。岡藤氏は最近制作完了した移動式スタジオ積載の軽トラでうちに来た。状況が何も分からず大変に驚いた様子だったので、昨日までのことを話した。
「途中で具合悪くなったりしたらいけないから、下道で行きますね。」
下道(したみち)とは昔ながらの旧道を指す言葉である。山口までなら山口宇部道路ではなく国道190号などを経由するルートのことで、高規格道路では途中で停まれないリスクがあった。実際、下道を通って山口に行く途中でコンビニに立ち寄ってお茶を買った。こうして正午前に山口ケーブルビジョンへ到着した。岡藤氏は実際この日に山口へ仕事で行く便があっただけでなく、完成した移動式スタジオ搭載軽トラを披露することにもなった。
写真は本社で松田ディレクターに見せているときの撮影。
このスタジオはすべて手作りで、材料をホームセンターで購入して組み立てている。まだ記事には書いていないが、初期の宇部マニニュースでは、この移動式スタジオで収録したものを流している。私もそうだが、松田ディレクターも大掛かりながら自力で造ったことと随所にみられる稚拙な造りに感心するや呆れるやながらも称賛した。
(この辺りの記述は宇部マニニュースか移動式スタジオの記事を作成した折に移動する)
その後岡藤氏は山口市内の仕事先に向かった。私がこのとき本社編成室に入ったかどうかは覚えていない。あるいは前日のロケで同行した真実ちゃんに声を掛けたかも知れない。時刻は正午過ぎだったので、松田ディレクターと昼食を食べに行った後、私は山口ケーブルビジョンで一晩を過ごしたクルマに乗って帰宅した。これは車検以外で遠方にマイカーを留め置いて帰宅した最も遠い場所の記録である。
【 病院での精算 】
帰宅後、セントヒル病院からの着歴が入っていることに気が付いた。翌日の午後に診察費の精算を行うことを知らされていたので、改めて病院に行った。このときの現地や預かり証も撮影されていない。カウンターで預かり証を提出したところ、実際の診療費が1,190円なので3,810円還付されることが判明した。
問診だけだったのでさすがに3割負担で5千円を更に超えることはないと思っていたが、何しろ夜間診療を受けたのが初めてなので、どれほどの金額がかかるか知らなかった。前述のように5千円は私の生活体系では大金の部類なので、追加支払いではなく還付されたことで更にホッとした。この時系列記事を書いている現時点もそれほど状況は良くはないが、当時は嵩む出費続きでかなり生活困窮状態にあった。
《 推定される原因 》
前述の医師の見立てで告げられたように、このめまいはエコノミー症候群とはまったく関係がない。血栓が脳の血管を詰まらせたなどの原因も否定的であり、そもそも血栓が移動したことで発生した可能性もない。症例としては良性の回転性めまいである疑いが強い。回転性めまいに関する項目の記述を読むと、該当する部分がいくつもある。[1] その中で間接的な要因となったのが疲労の蓄積である。この疲労は当日の長時間にわたるロケが直接的な原因ではなく、それ以前の心当たりがあった。特に大きかったのがロケの4日前に開催された宇部まつりの準備である。この日は中津瀬神社の境内で新川歴研究会と宇部マニアックスのテントを設営した。研究会のテントには中津瀬神社の歴史に関する写真を展示し、宇部マニテントでは小冊子の販売とビデオ上映を行った。このときのテント設営と撤収が体力的にかなりきつかった実感があった。
写真は宇部まつりでテントと展示物を設営した直後の撮影。
終日現地に詰めて来訪者の応対を行い、最後の片付けで金属製のテントの脚を紐で結わえて倉庫まで4回くらい運ぶ場面があった。テントなどの部材は中津瀬神社の備品で、イベント開催のため無償で借りていたものだった。設営時には大人数が居たので手分けして行い負担が少なかったが、撤収時は人員が居なかった。テントの脚や開閉式(脚が蛇腹のように動くタイプ)は30kgくらいの重さがあり、倉庫まで運んで元の位置に格納するのは厳しい重労働だった。あまりにもきつかったので、来年はこの作業は無理かも知れないと感じたほどである。
ロケ当日は早朝から本社に出向いて収録し、その後かなりの距離を移動した。終了時刻が今まででもっとも遅く活動時間が長かったことで本社到着後に激烈な症状が発生したのは、それ以前から蓄積していた疲労に対して最後のわらしべとなったと考えられる。
宇部まつりの前日は、本来ならUSCに提出していた宇部マニアックスと市上下水道局の合同企画「大人も社会見学」で中山浄水場を案内する予定になっていた。しかし時季外れの台風が襲来したことで見学イベントは12月に延期になっている。今思えば、あのとき天候が良く予定通り開催されていたなら、疲労度が更に高まってもっと早く症状が出たり酷い症状になっていたりしたかも知れない。
【 高良氏による報告 】
後日、宇部まつりの報告を兼ねて高良オフィスを訪ねた。このときめまいのことを話したところ、自分も過去に似た症状が出て救急搬送されたと言った。もの凄い勢いで部屋が回る体感があって気持ち悪くて吐いたという。家の人に自分の目を見てもらったとき、眼球が同時に端へ移動してはサッと反対側に戻る異状を見つけている。すぐに家の人に救急搬送してもらったという。このときの診断として、耳石の浮遊が疑われると言われたようである。耳石とは人の平衡感覚を検知する組織の一つで、これが剥がれて三半規管に浸入することでめまいが誘発される。[2] この現象は加齢によるものが大きい。めまいの症状が最初に起きたときは激烈だが、耳石が安定化することで次第に身体が新たな状況に順応することで症状が緩和される。高良氏の場合は耳石体操のような動作を勧められたと話していた。
この症状は、睡眠時にいつも同じ方向を向いて寝ることで誘発されるという報告がある。[1] 私は常に身体の右側を下にして横向きで寝る習慣があり、朝目が覚めても同じ体位なのでまったく寝返りを打っていない。胃腸の位置関係から言えば寝るときに最適な体位がこの種のめまいを誘発する原因になるのは皮肉なことである。
【 現在の状況 】
最初のめまいが起きてから約一ヶ月程度、頭がフワフワした感じになることがあった。もっとも視野がグルグル回ることはその後一度も起きていない。頭の浮いた感覚も次第に頻度が下がっていった。ただ、関連性があるか分からないが年末から年明けにかけて景色の見え方が少し変化した。これは輝閃暗点の症状が出たとき、目の前に薄紫色のまだらなもやがかかって見えづらくなるのに似ている。眼鏡に入った擦り傷もかなり気になっていたこともあり、新しい眼鏡を購入したのはこれが理由である。疲労を溜めると誘発されることが明らかになったので、一日にこなすタスク量を制限する生活に移行している。これは義務的な定例業務だけでなく、会合や自分にとって愉しいアクションも同様である。時間を要するアクションを一つ入れたなら、同じ日に他の大きな予定を入れない。コラム執筆などで長時間屋外で撮影したなら、その日の夕方に定例業務を行うのは見合わせて翌日にする。「今日やれることを明日に延ばすな」ではなく「明日やれることなら明日にやろう」という行動方針である。
幸い最近は、身体的に疲労を感じるサインが早めに出るようになった。長時間屋外で過ごすと、帰宅してデスクに向かうだけで早く眠くなる。デスクワークの効率が落ちるだけなので、そういう時にはさっさと寝てしまう。壊れやすくなってきているマシンを丁寧に使って長寿命化をはかるのと同じである。
《 類似する事件 》
大学生時代に顔面蒼白となり、列車の中で卒倒寸前になる体験を起こしている。このことを日記に書いた記憶がある。そのときの症状は回転性めまいではなく、視野が真っ白くなりビリビリと痺れるような感覚でつり革を持って立っているのが困難だった。前に座っている女性に「すみませんが席を譲って頂けませんか?」と声を掛けている。女性は黙って立ち上がり私がそこに座った。めまいと言うよりは立ちくらみであり、この一度だけで以後起きたことがない。最終編集日時点で調査したところ、この立ちくらみ事件が1985年6月26日に起きたことが日記から判明した。下宿から山口線矢原駅まで自転車を漕ぎ、小野田にある家庭教師宅へ行くときの列車内で起きている。詳細は立ちくらみの項目で記述する。
《 関連記事リンク 》
」