「にんげんのGO!」と宇部マニアックスとの出会い

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記事作成日:2022/9/19
最終編集日:2022/9/19
ここでは、「にんげんのGO!」と宇部マニアックスとの出会いと題して、宇部マニアックスが「にんげんのGO!」に登場するようになった背景について記述する。
《 メッセージのやり取り 》
この時までに私は現在のホームページと宇部マニアックスのFBページで情報配信していた。ディレクターの松田氏は検索でうちのホームページかFBページを見つけたか以前から閲覧していたようである。以下に当該部分のメッセージ履歴を記録する。なお、メッセージは内容を損なわない程度に一部を編集している。

はじめに以下のようなメッセージがFBページ経由で送られてきた。[2018/02/05 17:38]
宇部マニアックス様
 
いつもフェイスブックで記事を拝読させていただいております。
突然メールをいたしまして申し訳ございません。
私は山口ケーブルビジョンで番組ディレクターをしております松田大輔と申します。同社で「にんげんのGO!」という番組を制作しております。番組のコーナーに「風景印220景」という企画があります。
(番組ホームページhttps://comichan.c-able.ne.jp/ningengo/)
山口県内の226郵便局に風景印という消印が設置されていて、それぞれ郵便局管内の名所旧跡などが描かれています。これを集めまわり、その図柄について調査リポートするという企画です。これまで5年半で222ほどまわり残りは4つとなっております。
図案にはメジャーなものからその土地の人にしかわからないようなある種マニアックなものまで数々のものがございました。その土地に足を運び、一見マニアックだと思えるものでも、その地域の歴史や文化が必ず息づいていて、そこに住んでいる人の誇りがあることに感動を覚えることが多々ありました。
もうすぐこの企画はゴールを迎えますが少し心残りがございます。それは宇部市の風景印は5つしか設置されておらず…(中略)…宇部市についてもう少し深くリポートをしたいと思いまして宇部マニアックスさんにご連絡を取った次第です。もしもよろしければ一度お話をさせていただけませんか。ご検討をお願いいたします。
この時までに私は前述のように山口ケーブルビジョンは知っていたしある場所では相当お世話になっていたが、番組そのものは全く知らなかった。何だかとてつもない事が起きそうな気がしつつも次のように返信している。[2018/02/05 17:38]
こんにちは。宇部マニアックスの管理人でございます。
県内の風景印を集めるというのはコンプリート時の達成感が大きい企画ですね。昔、一般の日付印収集をやっていたので風景印は殆ど手元にありませんが、山口・四辻局が山口・鋳銭司局に局名変更されたときの記念風景印を持っています。(局の方の好意で取り置いていたものを売って頂いたものです)

今調べてみましたら、宇部局の風景印はかつて工場群とハクチョウというデザインでしたが、現在は彫刻の散歩道と南蛮音頭というデザインに変わっています。

宇部市を代表するフレーズとして「緑と花と彫刻の街」があります。この花と緑の部分は、前バージョンの風景印で工場がデザインになっていたことと無関係ではなく、一時は工場の吐き出す煤塵で工業都市としては世界一空気の汚れた街であったことの裏返しです。空気の汚れはそのまま環境悪に繋がり、暴力団の抗争や少年非行の多い街でした。そこから官学民一体となって綺麗な環境を取り戻す努力が払われました。空気が綺麗になった後、街にもっと緑や花を増やそうという動きから誕生したフレーズです。

来週11日に宇部の歴史を駆け足で語る超概説セミナーを開催し、そこではこの街を造った人々とその根底にある精神を語ることにしています。
(https://yamaguchi.keizai.biz/headline/2998/)

この街は地の利(石炭)から人材まで他の自治体にはない特異な成り立ちがあります。書き始めるときりがないので、直接お話しした方が早いかも知れませんね。

10日に引っ越し作業、11日にセミナー、14日琴芝小とスケジュールがあれこれ入っていますが、今週は9日までなら平日でも夕方まで時間が取れます。宇部市の市街部に近い所に住んでいます。
返答にあるように、当時私は西梶返のアパートを退去して新アジトへ引っ越すことが決まっていた。引っ越し先の契約日は2月10日であり、11日にはパークレーン宇部の3階にある一室で地元の企業家の卵となる人材向けに宇部の歴史を語って欲しいという要請を受けて宇部マニアックスとしては初めてとなるセミナーを開催することとなっていて、講義用のスライド作成を行っている最中だった。更に14日には琴芝小学校の郷土学習の一環として渡邊塾経由で私は小学3〜4年生向けに桃色レンガに関する授業を行うこととなっていて、同様にデータ作成を並行させていた。
お返事頂きましてありがとうございます!
日付印を集められていたなんて驚きです。また風景印の中に空気の汚れから立ち直ろうという気持ちがあるのではとの見方に目からウロコでした。私は7日は1日中空いているので例えばお昼13時頃に宇部市のどこかでお会い出来ませんでしょうか。山本さんのご都合が良い場所を教えてくださいませ。
日頃は暇を自称している私にとってこの月のスケジュール過密はまったくの例外的事象であり、ここ数年でこれほど予定が詰まったことは例がない。入居先の予定日が10日ながら当日の荷物搬入はまず無理だったので、アパートの退去日を年度末の3月末として引っ越し作業を先延ばしにして目先の資料作成を最優先した。このため11日までならいつでも時間がとれる状態だった。

そこで私は西梶返のアパートから自転車で一漕ぎの距離にあるジョイフル神原町店で午後1時を希望し、番組ディレクターの松田氏と会うこととなった。[1]
《 初顔合わせ 》
私は時間までに当該店舗の1階駐車場へ自転車を停めて待機していた。
この写真は初めて山口ケーブルビジョンの営業車両を目にしたときの映像である。
松田氏が車から降りようとしているその直前の映像である…しっかり撮ってあったのです


食事時の時間帯であったが平日の昼間ということもあって店内はそれほど混んでいなかった。ちなみにジョイフル神原町店はオフィスときわの代表者とかつて地域SNS時代でも物件の情報共有や最新の成果報告などでしばしば”使徒会合の地”として常用されていた店舗である。

写真は店舗内での撮影。松田氏がドリンクバーで席を外したときに撮ったと思われる。
私が差し出した宇部マニアックスの名刺が小さく写っている。


私はどのようなことを話したか今となっては明瞭には思い出せない。松田氏から恐らくどういう経緯で今のような活動を始めようと思ったのか尋ねられただろう。これに対する回答は、11日のセミナーでも宇部マニアックスの歴史と題して話すために時系列をまとめていたので容易に答えられた。

個別の案件についても恐らくサンデー宇部のコラムや手持ちの資料を提示して超コアなところまで語ったと思う。ホームページやFBページで宇部マニアックスのコンセプトは大まかに推測できるところであり、元から名所や史跡探訪に終始するスタンスでもなかったので、何でもなさそうな物件についても持ち合わせる範囲の知識を語った。店舗のすぐ前を通っている道路の名称(市道神原町草江線など)についても語ったかも知れない。

恐らく「にんげんのGO!」という番組が志向する”視聴率を横目で見ながらではなく伝えたい面白い諸々を番組として構成する”スタンスとかなり重なり合ったからであろう。私は殆ど毎日やっている日常的な活動を淡々と語ったのだが、松田氏の興奮ぶりはただごとではなかった。私が語る物件などへの興味にもの凄い勢いで引き込まれたようで、この時のことを「ドリンクバーの飲み物を注ぎに行く時間も惜しい位だった」と、番組を伝えるブログの「風景印 その先へ。そして宇部マニアックスさん」で述懐している。
この現象は渡邊塾の塾長と初めてうべネットワーク青空で会ったときに重なり合う

その後恐らく本題として、松田氏からメッセージで知らされていた新企画を元に更なる具体的なプランが提示された。宇部市内で比較的規模が大きいながら風景印が備わっていない郵便局 - 具体的には床波局、東吉部局 - に題材となる物件を探すという流れである。風景印については、私は高校生から大学時代まで郵便局の消印研究をかなり精力的に行ってきた背景があり、この辺りの事情はよく知っていた。床波や吉部地区で題材となりそうな場所はいくつも知っていたので、候補地を提示するのに困難はないと思うと答えた。松田氏は私との話を持ち帰り、後日ロケの候補地を実地に訪れたいので案内して欲しいと依頼された。
《 ロケハン 》
宇部マニアックスとしては床波と吉部にどのような物件があるか頭に入っていたが、そこがどれほど番組の企画として充分なのかは実地に訪れてみないと分からない。したがってロケハンを行っている筈なのだが、それがいつだったかどの順番で視察したのか等に関するデータが見つかっていない。

この日までに私は新居への引っ越しを完了していたので、宇部護国神社の下で待ち合わせて私と松田氏の2人で視察している筈である。データが見つかり次第追記する。
《 最初のロケ 》
最初のロケは2018年2月27日に行われた。待ち合わせ場所はロケハンのときと同じ宇部護国神社下の道(市道維新山線)で、ここで「にんげんのGO!」レギュラーメンバーである長谷川さんとどさけん氏に初めて会った。カメラマンは冨永さんだった。

初めての体験であり、当日はどんな服装で行くべきなのか迷って松田氏に相談している。およそうちにはフォーマルな服装の持ち合わせがなかった。このときいつも着慣れている普通の格好で良いと言われてかなり安心したのを覚えている。このとき引き合いにされたのが「どさけんさんも毎回ランニングシャツですから」であった。

このときまでに私は持ち物にピンクを重視する習慣ができていた。どさけん氏が私のポニーテールとネイルに驚いたのを記憶している。これは相当にインパクトがあったようで、後に私を表する語録の一つとなった。(→どさけんの語録

番組企画での実際の映像に使われたかどうかは覚えてないが、ここで初めてマイクと録音機を装着して宇部護国神社についての概略を話したような記憶がある。宇部日報社の記者に取材されて話をしたり写真を撮られたりしたことは過去にあったが、テレビ番組向けに映像や音声を採取されたのは初めてのことであり、恐らくまるで要領を得ていなかっただろう。
出典および編集追記:

1.「FBタイムライン|山口ケーブルビジョン(株)のある番組制作に宇部マニアックスとして協力することになりました(2018/2/6)

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