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《 隊長 》
項目記述日:2019/5/11
渡邊ゼミ(渡邊塾)における当サイトの管理者である私の肩書き呼称。命名者は当該ゼミの塾長による。私を指して一般人からこのように呼ばれることは皆無な半面、塾所属メンバーからは常に隊長と呼ばれる。したがって当サイトやFBなど塾所属メンバー以外が目にするドキュメントに隊長の表記が現れることは一般にはない。

隊長という命名の理由は明らかにされていないが、カメラを携えて市内のあらゆる場所、殊に普通では入って行きそうにもない山野などへ突撃する探検隊イメージに由来するようである。言うまでもなく踏査において引率している隊員がいるわけではないが、FBページでは私が隊長として購読者全員を引率しているといった気構えである。

今のところ、隊長を冠した勝手呼称の物件名は存在しない。FBではしばしば隊長を誤って「体調」と誤変換している。体調不良を訴えることが多いためであるが、女子トーク大好きなのを始めとした”おんにゃの子”寄りなスタンスからむしろ「不良隊長」なのではないかという声もある。
《 タイムライン 》
項目記述日:2022/4/7
最終編集日:2023/1/29
一般には時間の流れに従う何かを指す語である。当サイトやSNSなどでタイムラインと書いている場合は次の2つの意味のどちらかである。
【 Facebookのタイムライン 】
自分自身から見た場合では、利用している FB における自分のアカウントからの発信情報、またはそれが列挙される場所である。広義には自分と友達などでの繋がりがある利用者やフォローしているページなどから発信される情報が並ぶ空間を指す。「タイムラインで見つけた」と書いていれば、自分以外の発信情報を指しており、「後でタイムラインにあげておこう」とあれば、何かの情報を(運営しているページ側ではなく)自分のアカウントで公開するという意味である。
【 Twitterのタイムライン 】
FBと同じく、自分がフォローしているアカウントから配信される情報が列挙される空間である。Twitter ではタイムラインのことを TL と略記することが多い。
【 イベント運営におけるタイムライン 】
イベントにおいて、特定の訪問箇所や所定の説明を行うときに要する所要時間および絶対時間の流れを意味する。放送業界ではと呼ばれるものに相当する。

USCの散歩イベントでは、開始時刻に若干のずれは生じても基本的に終了時刻は(参加者の同意がない限り)厳格に守られる。バスなどで集合場所へ来ている場合、イベント終了時刻を元に帰りのバスの便を選んでいるからである。予定より早く集合場所に戻るのは問題ないが、遅れることがないように宇部マニさんぽでは開催前に最低一度は実地にコースを歩き、タイムライン計測を行っている。

全体の流れをリハーサルすることが理想的だが、現地までの往復のようにイベント内容とは別に固定時間を要する部分を見越してイベント開催時間から控除しておく必要がある。歩く経路が異なったり参加者の体力によって差が出て来そうな場合、事前に歩いてタイムライン計測を行う。
《 駄洒落 》
項目記述日:2021/2/10
最終編集日:2021/4/5
音が類似するまったく異なる語を当てはめて表現する言葉遊びの一つで、洒落よりも少し程度が落ちるという意味で駄の語を冠して表現される。
写真は「にんげんのGO!」レギュラー出演者のハッセーにより発せられた場面の画像ショット。


近年ではしばしば「親父ギャグ」と同一視され、若い世代からは敬遠されている。ギャグは漫画のような動作を含める言葉だが、親父ギャグと言えば専ら中高年世代が唱える駄洒落と思われている。冒頭のハッセーによる駄洒落は、キャラクターの一部となっている。その発言は「にんげんのGO!」において上記のようにテロップ付きで放映されたり、状況によってはカットされることもあるらしい。
【 駄洒落の真骨頂 】
当サイトの記事で何処に駄洒落が現れているかは覚えていないが、とりたてて忌避しているわけではない。ただし、記述された駄洒落は口頭で唱えられるものよりも幾分鮮度は落ちるものと考えている。何故ならば、記述では「考える暇が無限にとれる」からである。よほど精巧で工夫された駄洒落でなければ、新鮮味が感じられない。

これに対して口頭で唱えられる駄洒落は、何かの題材に遭遇したとき可能な限り短時間で発せられるのを至上命題とする。極めて短時間で、しかも場の状況に即してタイムリーに唱えられれば、それは駄洒落ではなくウィットの域である。その価値が高いのは、短時間で唱えるためにはあらかじめ多くの状況に接して経験を積み、語彙がなければ実現できないからである。発せられた言葉に類似する別の語を短時間で脳内検索する能力が要る。

あるいは真逆に、極めて言い古されていて今更感のある駄洒落は、場合によっては強い切り札となり得る。特に「この人は駄洒落など絶対に言いそうにもないお堅いキャラだ」と思われている人物がサラッと「駄洒落など言ってる奴は誰じゃ?」などと唱えれば、その場に居合わせる人々は総崩れ脱力し、革命でド貧民の最弱カードが大富豪を覆すような場面も起こり得る。

会話から記述まで広く言葉を扱うことを生業としているも同然な現状では、駄洒落を連発する人と行動を共にすることが増えれば当然ながら影響を受ける。2021年始めの会合で同行したときは、ディレクターの松田氏が発する駄洒落にハッセーが押され気味になっていた一幕があった。私もこの方面での面白い駄洒落を即座に発せられるように、常に脳内の検索機能を鋭敏にしておかなければならないと考えている。
《 立入禁止 》
項目記述日:2021/5/1
最終編集日:2021/5/2
一般向けにこれより先に立ち入ってはならない意思表示。しばしば立て札や看板で掲示され、設置者も行政から団体、一般人まで多様である。
写真は宇部市メガソーラー発電所前の門扉に設置された立入禁止の掲示。


立て札であれ貼り紙であれ、一般には立入禁止の文言が書かれた掲示物が出ていれば無条件にそこから先へ進むべきではないと解釈されている。掲示が見える状態で出されていながら無視して進攻するのは常識人のすることではない。例えば冒頭の事例であれば高圧電流を扱う設備のある敷地であり、不用意に触れば(対象物によっては触らずに接近するだけで)ただちに命を失いかねない危険がある。通常は更に高いフェンスや有刺鉄線を張り巡らせるなど物理的な進攻を阻止する構造になっている。

このような設置の妥当性が明らかなものを除いて、当サイトの管理者は立入禁止の掲示を酷く嫌悪している。あまりにも安易に設置されて周辺の景観を損ねるものが目立つばかりでなく、中には里道の正当な通行権を侵害している可能性がある掲示まで存在するからである。設置が妥当か分からないものが多く、これが理由で充分な現地調査ができていないエリアが相当にある。
【 有効性を欠いた立入禁止掲示 】
通路の途中に立入禁止の掲示が出されているだけで、設置者が誰であるかとか何故それより先に進攻してはいけないのかを明示しないものが極めて多い。掲示をロープ一本で取り付けているだけで容易に跨ぎ越せたり、極端なものではロープごと地面に落ちたまま放置されているものもある。個人的にはそのような立入禁止の掲示は無効と解釈している。

とりわけ疑義の差し挟まれるのは、霜降山登山道の途中に出ている立入禁止の掲示である。


この掲示板はホームセンター等で売られている汎用品で、あらかじめ「関係者以外立入禁止」という文言とイラストが描かれている。管理者が誰かは分からないし何故先に進んではいけないのかも明示されていない。何よりも現地は四輪が入れないように鋼製の車止めが設置されているものの、その横から歩行者や自転車がすり抜け通行可能であり、現に車止めの横に明白な踏み跡が着いているのである。このような立入禁止の掲示も無効で、従うべき謂われはないと考えている。

何故ここに立入禁止の掲示が出ているのか理解に苦しむ。それと言うのもこの経路は、霜降山登山道においてトンネルコースとして明示されているからである。即ち登山者がまったく普通に通行している。この先は山陽自動車道の霜降山トンネルに続いており、登山道はトンネルの上を巻いて通るような経路になっている。工事用道路として建設したものと想像されるが、沿線には個人の田が広がっている。四輪が入れる状態にすると不法投棄の温床となるため、車止めを設置したものと思われる。

もしそうなら、この場所の「関係者以外立入禁止」はまったく不適切な掲示で、四輪の通行禁止と表示すべきだった。そして実際には施錠されて四輪が通れない車止めがあるのだから、掲示自体がまったく不要である。なまじこの掲示があることで霜降山登山者は後ろめたい気持ちでゲートの横をすり抜けなければならない状況を想像すべきである。ちなみに登山後に逆からここへ出てくることも可能で、その入口には通行禁止の明示はされていない。

この件に関して過去に上記のカメラ映像を提示して市道路課へ問い合わせたことがあるのだが、担当者は(新年度入りの異動直後だったせいか)この道が何処の所管であるかを調べることもなく「関係者以外立入禁止の掲示が出ているのなら入ってはいけないだろう」と答えるだけであった。
【 通行権侵害の可能性がある立入禁止掲示 】
前述の関係者以外立入禁止の汎用品はまったく始末が悪く、安く入手できるため一般人が「入って(通って)欲しくない場所」へ気軽に設置する事例があまりにも多い。その多くは社有地の入口や私有地へ通じる道などと設置が正当化されるものだが、中には里道を自分の家の前まで拡げて道を造っている場所の入口に立入禁止の掲示を出している場所がある。四輪が入り込んで行き止まりと知って庭先で転回したり、ゴミの不法投棄を目的に入り込むのを阻止する意図なのだろうが、それ以外の徒歩や自転車で里道を通ろうとする人に対する通行権の侵害である。

里道の入口前にロープを張ったり、甚だしい例ではドラム缶を並べて物理的な通行を阻止している事例もある。このような明白な里道の通行権侵害については、市道路課に報告すれば設置者にただちに撤去するよう指導してもらえる。しかし山越えの里道では既に通行実態がない場合が多く、里道か私道か容易に調べる手段がない(またその必要性もない)ことから、長期間放置されることもある。
《 探検家 》
項目記述日:2020/6/18
最終編集日:2020/11/17
令和2年度の小羽山地区放課後子ども教室において、宇部マニさんに対して与えられた称号。6月17日に開催された紹介的なトークイベントにおいて命名された。写真は小羽山小学校のすくすく教室でトークを行ったときの風景。


概ね30分ということだったが、シナリオなしで話をしたり写真を見せたりで大勢の子どもたちを前に大騒ぎしつつ導入編を行った。
【 背景 】
6月上旬に小羽山校区で学童教育を担当なさっている方から突然に電話がかかってきた。校区内に居て郷土関連の活動をしていることを恐らく局長経由で情報キャッチし、放課後の子ども教室で話をして欲しいと依頼を受けた。詳細を聞こうと思ってその後小羽山ふれあいセンターへ出向いた。

子ども教室のスケジュールは6月以降のスケジュール表が作成されていて、その中で17日に地域の人との交流する趣旨で「探検家山本さんの話を聞こう」というテーマが設定されていた。なお面白いことに年間スケジュール表は素案ではなく、その印刷状態で各戸に配布済みであった。私は「探検家」という称号を与えられ、それをテーマに子どもたちを前におしゃべりすることが既に決まっていたわけだった。

普通なら知らないうちにスケジュールを組まれるとはとんでもない話だが、そもそも4月には小羽山校区限定のイベント「小羽山ものしり博士づくり計画」が策定され、そこで私は市民センターから目的地までを往復した参加者に、道中で見つけられる面白いモノについて解説することになっていた。この企画自体はcovid19の影響で中止になってしまったが、その後に新しい生活様式が確立されてきてからは、zoom を用いて留学生も交えた遠隔トークで桃色レンガとシダの化石の実物を披露している。
【 探検と探険 】
「たんけん」で変換させると、探検と探険が候補に表示される。どちらが先に来るかの初期状態は不明で、変換を行っているデバイスの学習機能に依存する。字義から言えば探険とは「危険を冒して価値あるものを探り出す」ことで、一般に未開のジャングルを歩くなど過酷な自然に身を置いて行うことが想起される。これに対して探検とは「険」が「検」に置き換わっていることからリスクある行為の要素に薄く、単に「念入りに調べて探り出す」点検としての意味合いが強い。

子どもたちを含めて一般人が行う場合、探検と探険の境目は曖昧である。個人的には近年の生態系の変化により、単独で初めての山へ分け入ることは極めて減っている。秀逸な風景や新しい発見が得られるメリットに対して、野生動物との遭遇や怪我などのリスクが高まっているのを感じるからである。このため近年では通行が正当化される未知の里道を探索し記録する活動が多くなった。

探険と探検の境目が曖昧なため、探検がノーリスクというわけではない。溜め池への接近や里道か私有地か分かりづらい道、一般道でさえもリスクは存在する。重要なのはそこで発生し得るリスクを予想し行動することである。場所の特異性によりリスクが読めない場合は、潜在するリスクを顕在化し同様の危険な目に遭わせない努力が払われる。このリスクには探検者が怪我を負うことにとどまらず、写真の撮影でトラブルに巻き込まれたり探索中に無理解(あるいは無知)な人間に恫喝されるなども含まれる。

探検によるリスクを遠ざける必要から、身を置いたり写真撮影が正当化される場所で予期しない危険を体験したり理不尽なトラブルに遭った場所は、その原因を考察した上で情報共有される。(→接近すべきでない場所一覧)
《 短縮言語 》
項目記述日:2020/11/17
最終編集日:2020/12/10
日本語において重複する音が2つ以上続くとき、その音を一つに置き換える表現手法を指す。書き言葉でも会話でも使用可能。勝手呼称である。後述するように完全なオリジナルではなく同種のものが以前から自然発生的に誰からも唱えられていた。

単一の単語から複合語、助詞との連結などあらゆる場合に同じシンプルな規則が対応する。「一昨年(おととし)」は「おとし」、「バナナ」は「バナ」に変わる。当サイトに収録されている「かるたいかい」は「かるた大会」の変形である。「肩たたき」を「かたき」、「会社社長」を「会社長」と短縮する亜種もある。

文法と言うよりは同一音が並んだときに一つにまとめるという変形(トランスフォーメーション)ルールが簡単なため、かなり早い時期から唱えられていた。私一人で唱えていたわけではなく兄との会話で自然発生した。昭和50年代後半の日記にはそのやり取りを記述している部分がみられる。何故短縮言語を唱えるのかという後付け的理由として「話す言葉をできるだけ短くすることで口を動かす労力の省エネになる」と説明されていた。その割に短縮できることに気付いて後からわざわざ短縮言語で言い直したりすることもあった。

前後に並ぶ単語によっては、短縮化した結果奇妙な別の意味になることがある。「同じムショ(同じ事務所)」「電気感謝(電気機関車)」「サッと蹴る(サッと溶ける)」などと、特に歪んだダブルミーニングとなるものは”傑作”として逐一メモしていた。
写真は当時メモしていたノートの接写である。


プロ野球速報で「広島負けた」は、想像する通り「ひろし負けた」となる。連敗すれば「ひろしまた負けた」となるわけで、別にこれが原因という訳ではないが親父はこの奇妙な短縮言語のやり取りにすぐ気付いて「くだらずの部類」と斬って捨てていた。ちなみに広島+負けたが短縮された結果現れる語はうちの親父の名前である。確かに聞いてて愉快な筈もないであろう。

日本語では体言に後置される格助詞のうち「〜から」は、特に短縮言語と相性が良い。テレビの実況中継でアナウンサーは冒頭にしばしば「〜から中継です」と唱えるので、最後が「か」で終わる地名はすべて短縮適用可能である。「赤坂ら中継」「盛岡ら中継」「アメリから中継」などと本当に際限ない。アホらしいと思いながらもまだ双方が言っていない「か」で終わる地名を無理やり探して唱え続け、次を言えなくなった方が負けというゲームの様相を呈していた。どうにも次が見つけられず、どさくさに紛れて「インドから中継」と言い逃げて知らん顔するという救い難いくだらずゲームと化していた。

当サイトでは短縮言語の実例などなさそうなものだが、個人的関わりを記述している場面で使われている部分がある。吉原川の上流にある道々滝は幼少期の遊び場で、私が苔で足を滑らせて落下した想い出の地である。兄貴はその滝のことを初期は「お前の落ちた滝」と言っていた。短縮言語を唱えるようになってからは常に「お前の落ちたと表現されている。これでは私が落ちたのか単に木ぎれが流れ落ちたのか意味不明なところが面白い(ということになっている)。
【 近年の採用事例 】
言語として認識していないだけで、同種の言い換えはかなり以前から宣伝目的などで使われている。「知っておくとお得な情報」のことはしばしば「知っ得情報」のように表現されていた。ドラッグストアモリでは条件を満たしたとき発券される「お得なクーポン」を「おとクーポン」と表現している。何だろうそれは…発券される都度音が鳴るクーポンなのか?「ポンッ!」と…の如くツッコミを入れたくなる。あるいはこのような場合「『お得ーポン』だって?それはおかしい!『お得クーポン』と言うべきだ!」としかつめらしく主張するのが粋とされる。

いくつかの標準語を組み合わせて作った商品名やブランド名で用いた場合、固有名詞と言い切ることができる。具体的な商品名として、塩昆布と部長を並べて短縮化した「塩こん部長」なる昆布茶が売られている。


このような場合もわざと短縮化を解除させて「塩昆布部長」と言い直すこともよく行われる。このように短縮言語には元からお遊び・おふざけ要素が含まれている。

お遊び要素を醸し出すために、2020年春期に開催が予定されていた「小羽山ものしり博士づくり計画」では、参加者に配布される散策マップの超コアな情報に対して「おばやマニア情報」という呼称が与えられ実際に印刷された。この企画は covid19 の影響により実施されなかったが、新しい生活様式対応に再構成され現在マップ制作が続けられている。このマップで紹介される南小羽山の「ロボット堰堤」に対して(その外観の類似性から)「おばやまジンガー」と名付けることが提案されている。

舞台が小羽山なので、短縮言語化の観点からは「ま」で始まる名詞との親和性が良い。例えば小冊子をリリースするときタイトルを「小羽山だより」とすれば極めて順当だが、これを「小羽山ガジン」と短縮化し漢字表記すると一見わけが分からなくなる。分かりやすくするには「おばやマガジン」とすれば良いだろう。
【 短縮言語の弊害 】
短縮言語により発生した奇妙な言葉は粘着的記憶に近い要素を持っている。何度か唱えているうちに「耳にこびり着いてしまい離れにくくなる」ことが知られている。重度になると無意識に何度も唱えてしまう状態に陥る。局長もこの現象に遭遇してしまい、頭から駆逐するのにかなり苦労したことがあった。
《 地域SNS 》
最終編集日:2019/12/22
広義には全国各地の地方自治体などで運営される招待制のソーシャルネットワーキングサービスで、夥しい種類のものが現在も運営されている。当サイトにおける狭義には、兵庫県を中心とした母体を持つシステムを借り受けることで宇部市がかつて運営していたソーシャルネットワーク「うべっちゃ」を指す。このシステムを利用した地域SNSだけでも全国に十数団体があり、最盛期には殆どどの都道府県にも存在していた。以下、この項目では特段の断り書きがない限り「うべっちゃ」を指して地域SNSと略記する。
【 最初期 】
地域SNSの発足は2008年度と思われる。導入の経緯は分からないが、市と民間の共同運営という形で始まった。年間10万円かかる運営費(母体システムのリース料)は市が負担し、システム管理者を含めた運営管理母体は市と民間の有志による共同だった。新規開設時の会員募集などの告知はなされなかったと思われる。運営開始した翌年の2009年に広報うべで情報を知り、参加申し込みした。このときのことはブログで記事化されている。
外部ブログ: 「Amebaブログ|地域SNSに参加しました
当時はSNSという概念自体が新しいものであり、今から思えばSNSの定義を満たすものとして mixi が存在した。これは最初期には既に会員となっている人からの招待を受けることでしか参加できないものだった。後に mixi は招待制を撤廃し一般参加が可能となったものの、招待制というプレミアム性が毀損されたこと、参入障壁が低くなったことでネットリテラシーの十分でない利用者が流入したことで質的低下を招いたと認識されたことから撤収者を増やす原因となった。自分自身も招待制が廃止された時点で参加する価値なしと判断し、アカウントを凍結している。

mixi では共通の趣味や出身地別にサブコミュニティーが形成されており、地域限定のネタで盛り上がれるには好適な場だった。mixi を退会した後は情報発信と交流がはかれる場はYahoo!ブログのみであり、全国版ブログでは地域ネタを振っても殆ど反応がなかった。そのような状況にあって、地域会員の参加比率が高い地域SNSはうってつけの環境だった。これは将来的に大きなものに育つという感触を得たため、上記ブログ記事にある通り新規会員向けの説明会の日にはバドミントンを休んでまで参加している。このときの参加者には、市の管理者からの認証を経たということで無条件に新規会員として承認された。

参加した当初からすぐに今までYahoo!ブログで書いていたような地域限定ネタを地域SNSへ投稿した。足元の郷土が舞台とあって読者の食いつきが極めて良く、忽ちトモダチ[1]が増えた。連載記事は大変な興味をもって読まれた。国道190号の起点から終点まで1キロ毎に設置されているキロポストで写真を撮り、沿線にみられる風景や特記事項を配信する国道190号シリーズは大変な人気を博し、これは後の道路レポート記事の基礎ともなった。

その後 Facebook が登場することで徐々に会員が流出し、会員の減少に呼応して掲載される記事が少なくなってきた。市の運営するサービスであるために投稿内容への制約(宣伝的な内容の投稿禁止など)も目立ち、これも会員流出加速の遠因となった。会員が増加に反転する目処がたたないこと、市も無料で利用できる FB へのアカウント移行を行ったことから、契約期間を1年残した時点で閉鎖がアナウンスされた。一時期は後継母体(うべ地域SNS研究会)を設立して市からシステムを譲り受けて運営する案も検討されたが、資金捻出が見込まれず当初の契約期間(5年)の節目となる2013年3月末をもって閉鎖された。

閉鎖まで1年の猶予期間があったので、その間に地域SNSへ提出されたすべての記事は回収されている。当サイトでも当時地域SNSへ公開していた記事を再構成しているものがあり、それらを移植公開記事と呼んでいる。閉鎖はされたものの当時繋がりを持った仲間の殆どが FB に移行しており、地域SNSの果たした役割は非常に大きい。
出典および編集追記:

1. 地域SNSでは友達申請して承諾し合った利用者同士の関係を「トモダチ」と表現していた。「友達」と表記しなかったのは、面識がなくとも関係を締結可能な意味で従来の「友達」とは異なる概念であったからと思われる。
《 地区 》
項目記述日:2022/5/1
最終編集日:2024/2/16
この項目を記述している最近においては、旧来の小学校区に相当する語として使われている。宇部市においては校区という語を廃して地区と呼ぶように変更されている。学童数が少なくなった昨今、近接する学校区を見直して既存の小学校関連の設備を統廃合することが視野にある。詳細は校区を参照。
【 地区の順序とコード化 】
前述の学校区が統廃合されても、特定の場所にあるものを指し示すのに地区分類は重要である。データをデジタル化して管理するのが常識となった今、漢字表記された地区名は分かりやすい半面デジタル管理には些か都合の悪い点がある。単純にファイル名やフォルダ名として与えると、先頭の漢字によるJISコード順になってしまう。「上巻」「中巻」「下巻」といったフォルダを作成すると、一覧表示では上中下ではなく下上中という順で表示される不快な現象として知られている。

幸い市内の地区は24箇所であり、これはアルファベット26文字で収まる。紙幣の記番号のルートと同様に数字と紛らわしいI(アイ)とO(オー)を取り除いた24個を割り当てれば一文字で表現できる。この場合、24地区を妥当な順序で配置することも重要となる。このことを考慮して24地区にアルファベットを割り当てた一覧表の例を挙げる。
コード地区名
A東岐波
B西岐波
------
C常盤
D恩田
E
F見初
------
G川上
H上宇部
J小羽山
------
K琴芝
L神原
M新川
N鵜の島
P藤山
------
Q小野
R二俣瀬
S厚東
------
T西宇部
U厚南
V黒石
W
------
X吉部
Y万倉
Z船木
この配列は認定市道の番号順を北から南へ、東から西へ向けて設定する手法に準拠している。間にある区切り線は旧村や大字境界に基づいていて、実際に24地区すべてを分類する場合は考慮する必要はない。

大量のデータをデジタル化処理する場合、人間が目で見える形の地区名は必要ないからアルファベット一文字だけで管理できる。フォルダ名のように人間が目で見て分類する必要がある場合は、例えば「A_東岐波」「B_西岐波」といった名称を与えれば、24地区すべてが妥当な配列で表示されて探しやすい。

この分類手法自体は以前から念頭にあったが、将来的に市内すべての物件をコード化しデータベースを作成する際に必要と考えて再検討された。[1]物件が属するカテゴリやその下位分類についても妥当なアルファベットを与えて分類することを現在試みている。
出典および編集追記:

1.「FBタイムライン|妥当な校区配列とコード割り当て
《 長髪 》
項目記述日:2019/6/22
最終編集日:2022/3/20
髪の毛が長い状態のこと。またはそのような人を指す語。一般に、現代社会では女性の髪は男性よりも長いことが多いため、女性について言及されることは少ない。大抵は男性の長髪を含意している。特にロングな毛髪を略したロン毛という語はかなり明白に男性の長髪状態を指している。

当サイトの管理人はロン毛である。2012年頃より全く突拍子もない理由から髪を伸ばし始めて現在では完全に定着している。
写真は2021年の年明けに撮影した自分の後ろ姿。


長髪の男性はそんなに珍しくはないが未だ少数派であるのも事実である。一部の人(特に昭和中期前世代)は男性の長髪に明白な嫌悪感を示している。現時点では人それぞれだという考え方が一般的である。長髪志向に至ったには時系列的な背景がある。ここでは自己分析を兼ねて私の今までの髪型履歴を記述する。
【 学童期 】
幼稚園時期や小学校時代は特に髪を伸ばしていたわけではない。学童期の写真を見てもごく普通の髪型である。学校では髪型や髪の長さについて特に規定はなかったが、昭和中後期は「男らしく、女らしく」が当たり前な世相だったので、多数派として男の子の長髪が生じる余地がなかった。

この頃の私は散髪に行くのを嫌がっていたが、髪が伸びてきたのを放置していると親は女の子になっちゃうよと諭した。これは髪を切られるのが嫌というよりは一定時間床屋の椅子に座ってじっとしているのが嫌だったからである。最初の試練は、当時の男児殆どが経験したように中学校へ上がるときだった。
【 中学校時代 】
当時の中学校の校則には「男子の髪は丸刈りに、女子の髪は肩に掛からないのを原則とする」が謳われていた。女子は長い髪をしているのが普通なせいか、肩に掛かる長い髪は三つ編みにすれば容認されていた。しかし男子はイガグリ頭以外の髪型は決して認められなかった。髪の長さを短くすべきという校則がどれほど厳格であったかは、毎週月曜日に実施される髪型検査で如実に現れている。

検査のとき男子生徒は頭に手をやって自分の髪を右手人差し指と中指で挟む。このとき指の間から髪の毛が出れば違反とみなされた。教諭は机間巡視を行い、違反している生徒はその日のうちに散髪へ行くように命令された。しかし月曜日は何処の散髪屋も定休日なので髪を切ることができず、翌日登校したとき「まだ長髪違反を直していない」となじられることもあった。
何故理髪店は月曜日が定休なのかと謂われのない不満を抱えたものだった

現代の学校教育からすれば完全に人権侵害だが、当時は「学校が決めたことは誰もが守るべき」が常識だった。このため小学6年生の卒業前の中学校仮入学で髪を切らなければならないことが判明して愕然とした。行きつけの理髪店でバリカンで自分の頭を刈り取られ泣きそうになったのを覚えている。学童時代から自分のやや長めな髪を気に入っていたクラスの級友は、髪を切られるとき泣いたという。こうして中学校にあがるときは、男子は少なくとも頭部のみは誰もが同一の状態となった。

他の中学校がどのような状況かは調べていないが、少なくとも中学校時代に市内でそれぞれの中学校に通う男子生徒は同じようなイガグリ頭だった。しかし市外や県外から転校して来た生徒は、転校前の学校が長髪を容認していた場合は髪を切らなくても良い特例があった。実際、クラスで他校から転入してきた男子で一人だけ長髪の生徒が居た。当時の自分は髪を伸ばしたいとまでは思わなかったが、イガグリ頭ではない「普通の髪」にしたかったのでもの凄い不公平感があった。

心境的には嫌な思い出しかないイガグリ頭だったのだが、当時の自分が意識していなかったメリットも大きい。思春期に入るとニキビが出るなど皮脂が多く分泌される身体の変化が起きる。長髪だと不潔になりやすいのだが、イガグリ頭だと洗髪が楽であり手間をかけずに清潔を保てる効果があった。当時の男子生徒の長髪禁止は、一般には「髪型にうつつを抜かして学業がおそろかになるのを防ぐため」と評されていたのだが、実生活においての効用も確かにあった。
【 高等学校時代 】
中学校を卒業するとやっとイガグリ頭から開放された。自分も暫く伸びるに任せて学童期の頃の髪型へ戻した。しかしすぐに長髪へ転向したわけではない。当時の校則は中学校時代ほど髪型に厳しくはなかったもののそこまで自由奔放を許してはいなかった。元々が大学進学を前提とした男子校であるため、学業に支障を来すと思われる諸々のものが柔らかではあるが制限された。

この頃の髪型は最も長い髪の毛先が耳に掛かる程度だった。それでも髪を伸ばしてみたい願望はあったようで、学校へ行かずに済む夏休みの間は散髪へ行かず長めにしていた。補習科時代では幾分その傾向も強まったようで、毛先が首筋に当たる程度に伸ばした写真が見つかっている。

昭和後期は未だ男性の長髪は芸能人や著名な作家に限定されていて、普通の男性がすれば女々しいとかホモだとか平気で唱えられる時代だった。どうかすればそれは性的倒錯や異常の部類で、悪いこと、いけないことという認識が自分の中でもあった。いけないと考えるからこそ逆に女の子のように髪を長く伸ばしたい願望があったようで、女性向けの香りの良いシャンプー[1]を買ってきて使っていた時期がある。
【 大学〜社会人初期 】
大学は自由な場であり校則という概念そのものが殆ど存在しなかった。どんな髪型や格好をしていても自由で、実際に目立つ格好をした生徒はいくらでも居た。しかし中学校から高校にかけて「人と違うことをする」ことへの勇気と罪悪感が払拭しきれず、髪型に対して特に頓着していない。ごく普通の髪型をしていて伸びれば適当に散髪へ行っている。洗髪が面倒と思ったのか石けんで髪を洗うことも行っている。このことは社会人に入ってスポーツを嗜むようになるまで続いた。
【 社会人中期 】
社会人になってバドミントンを嗜むようになると、夏場の激しい運動で汗を大量にかくようになった。この頃は髪型云々よりも快適にスポーツできることを重視していたため、短く切り詰めるようになった。成人期におけるイガグリ頭の再来である。運動が終わった後に洗髪するときサッと済ませられるメリットがあった。身の回りで同様にしている男性が多かったため、浮いてみられなかったというのも理由にある。他方、冬場は寒く感じられるため元に戻すこともしていた。

平成初期は女性の茶髪が大流行した。重苦しい雰囲気が取れて軽い付き合いができる印象があり、綺麗に手入れされた茶髪の女性を注目した。それのみならず自分でも髪を染めたいと思い実行した。当時は会社勤めで収入が十分にあったので、オヤジ臭い印象のある散髪屋を避けて美容院に行くようになった。最初は緑を入れてやや重めの茶色から始まり、それから徐々に明るくしていった。退職後も行きつけの美容院へ通って好みの色に染めてもらっていた。

イメージチェンジと気分刷新したいという思いから、傍目にも年齢不相応に思えるほど明るい茶色にしたことがある。この状態で市役所住宅課へ登庁したとき、専管が如何にも場違いな格好じゃないかと言いたげに頭髪へ目を遣ったのを覚えている。
もちろん批判などは一切されなかった

この頃より自分が遺伝性の AGA を患っているらしいことに気付く。指摘されることはなかったが、バドミントンの試合状況を動画撮影することを行っており、自分の後ろ姿を見ることで判明した。現在もあまり変わらない状況だが、当時は今以上に男性のチビ・ハゲ・デブは三大悪とみなされ、女性からは付き合いたい男性の対象外に置かれる厳しい現実があった。行きつけの美容院で相談し、ウィッグを誂えてもらったことがある。装着すれば薄毛は十分に隠せたものの短期であり得ないほど髪が伸びた状態となり違和感があった。また、バドミントンのような激しい運動では外れるのではという懸念があり、汗を沢山かくと蒸れるのもあって程なくして使わなくなった。

AGA は遺伝性疾患であり、薬剤の使用によって進行を食い止めることしかできない。現在でも薄毛に効果があるというエビデンスのある療法は外用でミノキシジル、内用ではフィナステリドなどのステロイド剤に限定される。ミノキシジルはかなり長い間常用していた。効果のほどは対照実験を行い得ないので明確ではない。未だ特許期間内でありジェネリックが存在しないため経済的負担が重く、ジェネリックも現れる様子がないので使用を断念している。
【 社会人後期 】
平成中期は髪型の興味よりも進行しつつある AGA の対策が主だった。一部にはスキンヘッドにすれば全く目立たなくなるという助言もあったが、長髪嗜好に至る現在よりも前からそのことは選択肢になかった。この頃には男性の薄毛は女性にとって肥満ほどに忌避されることはなくなっていたし、むしろ男性のスキンヘッドが好きという女性も居た。頭髪は人間にとって必要だから生えてくるという効用説も理由にあったが、恐らく幼少期から持っていた適度な長髪嗜好によるものだろう。

面白いことに髪を伸ばすことにした時期やきっかけは正確に判明している。記事として表明したのは2012年11月下旬のことだが、夏季の窓口業務が終了する以前から何となく髪を伸ばしてみたい気持ちがあり、そのままにしていた。そこへ10月下旬にYahoo!アバターのアイテムが開放されたときわざと女の子っぽいアバターに改造したところ、まるで違うイメージになった自分のアバターを可愛いと感じ、次に自分自身がそのようになってみたいという願望が長髪志向を後押しした。[2]

髪を伸ばし始めた初期は毛先が首筋に当たってチクチクしたり、毛先が曲がる好ましくない現象があった。特に外側へ反り返る髪はイソギンチャクヘアーなどと呼んでいた。更に時間が経過することで一番長い部分をまとめて束ねることができるようになった。初期では未だ髪が長い状態は女性っぽく見られる風潮があり、バドメンバーからは(女性が多いことと元からの性格的な面もあって)女の子扱いされた。昭和期なら恥ずかしいとネガティブな受け止め方をしただろうが、既に人並み外れた考えや行動に慣れていたこともあり、自分の中では新しい刺激として肯定的に受け止められた。

更に髪が伸びてくると髪留めが必要になったが、自力で買ってくる勇気がなかった。バドメンバーの一人がシュシュを買ってきてくれたので、初期はそれで髪を束ねた。メンバーは冗談半分、本気半分でシュシュで束ねた髪の私を「可愛いよ」と称したが、やがて可愛いという目で見られることが嬉しくなった。この傾向から髪型だけでなく意図的に女性が好む可愛いアイテムや色彩を取り入れるようになった。女性化願望とはまるで異なるこの心理状態を明快かつ統一的に説明するために別の価値観という概念が産み出された。

最後に散髪屋へ行ったのがいつだったかは今となっては分からない。2012年の夏季業務入り前は明らかである。髪を伸ばし始める以前はコストのかかる美容院通いを止め、髪は自分で染髪しカットは年中無休で安く切ってもらえる39cutなどに行っていた。
【 現在 】
現在も散髪へ行く気持ちなどまるでなく、伸びるに任せている。ただし耳にかかると眼鏡を掛けるとき不便になるため、髪染めを行う前に適宜カットしている。

夏場は髪が長いと暑苦しく見える。そして実際首筋の後ろへ貼り付くと暑く感じる。外出時には違和感がでないようポニーテールにしているが、入浴後に買い物へ行くときなどはそのままで外出することもある。束ねるのは髪と頭皮に負担を掛けるからである。髪染めのときと首筋の後ろが暑く感じるときはツインテールにすることもある。ただしその状態で外出することは現在ではない。
バドミントンに行くときはウケ狙いでわざとツインテールにしていた

髪が長いと汚れやすくなるので、毎日洗髪している。より正確には髪を洗うのではなく脂の溜まる頭皮を洗うのである。脂が溜まった状態を放置するのは不潔なだけでなく、毛穴が塞がるので新しい髪が生えるのを阻害する。初期はシャンプーからコンディショナーなどすべてを女性用で揃えていたが、頭の脂は女性よりずっと多く分泌されるため、シャンプーだけは男性用のしっかり洗えるタイプにしてコンディショナーやトリートメントは女性用を使っている。

トリートメントはパンテーンの洗い流すタイプと洗い流さないタイプの両方とラサーナを持っているが、最近はコストがかかることもあってあまり使っていない。ブラッシングするとき髪を傷ませないように櫛通りを良くするリーゼの軽やかストレートオイルミストをたまに使っている。春先以降の紫外線が強い時期は、UVカット機能のあるスタイリングフォームを毛先につけている。とかく髪が長いと良い状態を保つのに手間がかかる。

しかし長髪でいながらボサボサだったり不潔なままにするなどあり得ないので、髪には良くないが白髪染めして外観を整えるだけで後は自然なままにしている。髪が長いと夜寝ていて寝返りを打ったとき身体の下敷きになって引っ張られ痛い思いをすることもある。長髪の女性は夜寝るとき大変なことが理解される。一般に女性の髪の美しさは非常に大きな魅力的要素と考えるので、男性の私より髪が美しくない女性は敬遠してしまう。

定期的に鏡に写る自分を撮影して髪のボリュームや長さをチェックしている。減っていくのを見るのは寂しいものだが、まだ今のところ目立ったボリュームの減少はない。十数年というレベルでまったく散髪に行っていないのに、無限に伸びているわけでもなく一番長い髪から順次抜けていくことでほぼ釣り合っている。よく毛先カットが推奨されるが、短くなるのは勿体ないから殆どしていない。

髪が減っても全部切ることとかおよそ考えられない。もし髪のボリュームが減ってきたらウィッグかエクステンションを使うことを考えている。ヘアエクステに関しては Seria で容易に入手できるものを既に使っている。FBのプロフィール画像は、ヘアエクステを使って髪を盛った状況で撮影したものを載せている。換言すれば、現時点ではそこまでしてでも長髪の自分を保っていたい。
【 何故髪を長く伸ばすのか 】
一般に人は他の人の身体的なことについて口に出して尋ねないものである。それでも何故に長髪を保とうとするのか疑問に思う人は多いだろうから最後にここで書いておこう。

女性化嗜好(志向)があるのではという見方がされるかも知れないが、それは当面誤りである。初期に髪を伸ばし始めたことでバド仲間(殆どが女性)から女の子みたいで可愛いと言われ、それを契機にピンクや女性の好むアクセサリー志向が出てきたという流れが正しい。今のところ長髪で居るもっとも妥当な回答は、元から長い髪が好きであることと散髪代の節約が理由である。これには理髪という自分にとって時間とコストを要する重要度の低い生活習慣は、惰性で継続するのを止めて切り捨てるという近年生じた思考形式にも沿っている。(→諦める
出典および編集追記:

1.「恋コロン 髪にもコロン ヘアコロンシャンプー」という商品名だった。

2.「男性の長髪が流行ると思う|Amebaブログ(2012/11/26)」
《 ツインテール 》
項目記述日:2019/6/22
最終編集日:2022/7/31
髪を後ろに垂らして両側に二分し、それぞれを結ぶ髪型。髪が相応に長くボリュームがなければできないため、専ら女性向けの髪型である。ツインテとも略称される。

当サイトの管理人は長髪なため、ボリュームに欠けるものの問題なくツインテールを結える。
写真は2019年5月にウケ狙いでツインテールを結ったときの自撮り。


初ツインテはポニーテールデビューよりも一年くらい後のことと思われる。隣町バドへ行っていた時期、気心知れたメンバーばかりだったのでウケ狙いでわざわざピンクのシュシュを使ってツインテに結って出掛けていた。体育館に入ったとき、後ろ向きになって「可愛い?」と言ってツインテ姿を披露し、メンバーの女の子に「可愛いよ♥」と言ってもらってツインテを撫でナデしてもらい「ありがと♥」と返すのがお約束だった。

男性のポニーテール自体未だ少数派であり、ましてツインテールの男性を見かけたことが一度もないためさすがにツインテで買い物に行く勇気はない。隣町バドへ行くときはアジトを出るときからツインテだったが、ガソリンが少なくて途中でそのままガソリンスタンドに寄ったことはある。何も言及はされなかった。隣町バド以外でツインテのまま他の場所へ行ったのはこの一度きりである。

長髪だと夏場はさすがに暑い。ポニーテールだと首筋の後ろに汗をかきやすくなるので、自宅にずっといる時に限りツインテにしていることがあった。置き薬の交換など来客があったときも構わずそのまま応対していた。「今日はまた可愛らしい髪をしていらっしゃいますね」と言われたことがあったが、別に何とも思わない。女の子に言われたらとても嬉しいが男性から言われても無反応である。
【 最近の状況 】
最終編集日時点では、外出時はもちろん自宅でツインテにしていることも稀である。ただし髪を染めるときだけは鏡で白髪をチェックしやすいように輪ゴムで髪をツインテールに結って耳の方へ寄せて作業する。そうして鬢の辺りをハサミで切り揃えた後、ツインテの生え際から中ほどあたりまで髪染めを塗っている。

白髪染めに限らず、最近は風呂で洗髪して乾かした後は髪を結わず常に自然なままにしている。結ぶと髪に負担がかかることとボリュームダウンして見えるためである。長髪志向は些かも衰えてはいないが、さすがに年齢が進むことでボリュームが少なくなってきた。

一般にはツインテールは女児限定のヘアスタイルと思われているのか、成人以降の女性には殆どみられない。子どもっぽく見えてしまうのと多数派のヘアスタイルでないため目立ってしまうのが敬遠されるからだろうか。それでもごく稀に成人女性のツインテールを見ると、その美意識を羨ましく感じるしうっとりしてしまう。近年の例では滝フェスで同席したわだりえさんが代表格である。
低水位踏査
ダム湖や溜め池などの水位が低下したタイミングを見計らって行う物件調査を指す。低水位調査とも呼ばれる。
写真は低水位踏査により上陸に成功した蛇瀬池の中の島からの風景。


低水位踏査では普段なら水に隠れて見えない部分が現れるため、岸辺に埋没している遺構や水中の地形を知ることが可能となる。通常の靴装備で行動範囲が広がるため、しばしば汀を辿って歩いたり通常水位では到達不可能なアングルからの撮影が行われる。詳細はリンク先の独立記事を参照。
《 定義 》
項目記述日:2019/6/19
最終編集日:2020/5/26
辞書的意味を与えようとすると自己言及になってしまうが、ここではある特定の事象を厳密に議論しようとする場合、誤って解釈されやすい用語の適用範囲をきちんと定めておくこと。真に厳格な議論を進めようとする場合、これを曖昧にしておくと何かを主張しようとする者にとって好都合な結論を導き出せてしまうことになる。

当サイトでは特に厳密性が要求されそうにない状況においても定義づけする場面が多い。元から数学好きであり、論理は数学の一部を構成する。「Aである。何故ならばBだから」の如き順を追って筋道を立てる議論は、多くの読者を納得させる初歩的事項である。土台となる部分は、可能な限り疑いの余地が差し挟まれないものが良い。定義が曖昧だとどうなるかの事例はいくつも列挙可能である。
【 UFOなんて何処にでも実在する 】
近年では議論に上ること自体少ないが、昭和中後期辺りは巷に言われる UFO なるものの存否が非常に話題になっていた。目撃談ばかりではなく撮影したと主張する人からの写真が提示されたり、その真偽について評論する専門家が現れたりしていた。事例紹介を行うだけで一つの番組が成立していた程である。肯定派からはその正体や何処からやって来たかについての説明がなされたり、否定派からは気のせいだとか捏造写真だなどと侃々諤々の議論になったものだった。

上記では「巷に言われるUFO」という書き方をした。即ち一般には地球上の如何なる飛行物体にも類似しない特異な挙動を示す乗り物で空を飛び、それには人間と概形が似ているが明らかに非なる生命体が操縦していると唱えられる。俗な言葉では「空飛ぶ円盤」であり、乗っている生命体はしばしば「宇宙人」と言われる。そのような飛行物体と生命体は、どちらも現時点で存在が立証されているわけではないばかりか、正体が何であるかさえも厳密に判定はされていない。”この意味でのUFO”は、存否については不確定である。

しかし原義としての UFO は上のような飛行体を指すのではない。元は Unidentified Flying Object(未だ確認ができていない飛んでいる物体)だから、上に言うような飛行体を包括するずっと幅広い概念である。遙か高い頭上に黒い点のような物が見えていてフラフラと動いているとしたら、それは随分と高いところを航行する飛行機か、割と低いところを飛んでいる鳥か、更に低い高さに撒き揚げられたゴミかも知れない。その如何なる場合でも正体が分からないうちは UFO と断定できるのである。したがって「あれはUFOだ」という主張は真であるが、それが地球外生命体との初接触事例だなどと騒ぎ立てるに及ばない。これは殆ど言葉遊びに近い部類であるが、定義を曖昧にしておくとこのような主張が可能となってしまう。[1]
【 地球外に生命体は存在するか 】
UFO(ここでは巷に言われる方の意味で)について書いたついでに、そもそも地球外に生命体は存在するか?という往年の問題がある。これほどの問題の場合は、一語一句を細かく定義付けなければ人を煙に巻いた議論まで可能となってしまう。

「地球外に」の部分は比較的容易である。人は地球の表面より極度に離れて生命を維持し続けることはできないから、事実上地球の表面に貼り付いて生きる存在と言える。それより外側の宇宙すべてにおいてという意味と考えることに誰も異論は無いだろう。次に「生命体」について考えると、一般によく言われるのが地球上に暮らす人間と相似な外観を有した生命体である。多くのフィクション小説や目撃談では、地球外生物を人と同じ形状に仕立て上げている。首や顔といわれる部分があり、そこに2つの目と耳、中央に鼻と口がある生命体である。しかしそれは「ヒトと同じ」という固定観念の為せる業であり、生命体はそれだけではない。

人間のような手足は持たないが、地面を這って進むヘビは大幅に形が違うから生命体ではないと考えるのは些か乱暴だろう。海の中に棲み着いたり陸地で穴を掘って暮らすなど、大きな分類項目で異なっているものの同じ生命体とみなすだろう。それらは平たく「生き物」と呼ばれる。しかしこの呼称だと生命体であることは確かだが、生き物かと問われれば考え込んでしまう存在もある。蚊やノミのように小さくても生き物と呼ぶのに抵抗はないが、冷蔵庫の中に仕舞い込まれていた惣菜を腐らせてしまうカビのような菌類はどうだろうか。生き物かと尋ねられたら悩む人がいるかも知れない。

これよりも原始的な存在、例えばマクロファージのような食細胞はどうだろうか。そろそろ生き物と生命体の厳密な定義が欲しくなるだろう。更には狂牛病の因子として問題になったプリオンやcovid19のようなウイルスは、タンパク質のカテゴリに入りそれ自体で増殖することは出来ないものの、感染という手法で他者に働きかけて自己増殖可能である。これらは一般には生命体とは考えられていない。タンパク質やアミノ酸は尚更のことである。

アミノ酸の類縁体となる有機化合物が宇宙空間に星間分子として検出されている。それらが十分に大量に存在していれば、そこからアミノ酸が発生する可能性が高まる。更にそれがペプチド結合して有意な働きをもつタンパク質を生じるのは低い確率の問題となる。それでも星間分子として広い宇宙に観測されているのなら、量的には相当にあると思われる。生命体と言えるかどうか極めて微妙な存在があるのではないだろうか。

最後に「存在する」ということの意味を考えよう。これ自体の正確な義を定めるのは地球外生命を実際に見つけるよりも困難かも知れない。今まで空飛ぶ円盤としてのUFOの場合、目撃談と疑義が大いに差し挟まれる写真データなどに限定されており検証可能性をもつデータ提示はできていない。現在はメディアが報じないだけであって、あらゆる瞬間に空を観察している人々(あるいは機器)が存在する筈である。それも観測機器の向上により数十年前以上に精密かつ広範囲に可能となっている。それにもかかわらず生命体の存在が確認できていないのは、探索範囲か探索対象が狭すぎるからだろう。

過去に発表されたフィクションなどの影響により、多くの人々が地球外生命体が存在するなら、それは「人間のような外観をしていて高度な文明や知能を有している」という固定観念を払拭しきれないでいる。紛れもなくそのような生命体が発見されたら、世界中の人々はどよめき立つだろう。しかし、有力紙のトップに「地球外生命体が発見される!」という見出しを躍らせた後、その正体は実は地球上の何処でも普通にみられる原始的な細菌類だった…なんてことだったら(それでも十分に驚愕するに値するのだが)世間一般の人々の注目や関心は一気に鎮まってしまうかも知れない。

地球外生命体がもし観測できたとするなら、個人的には生命体の定義を思い切り外側へ拡張した上で、その一番外側にある原始的なものに限られると予想する。地球人が見慣れた動物や人のような外観を呈した生命体が観測できるのは、その更に数十ケタ分の1のオーダーだろう。それでも存在する確率ゼロとは言い切れない。有限な範囲の宇宙空間を観測してそこに生命体がゼロであることを確認し、それより物理的な等方向すべてにおいて「このすぐ外側に隣接する一定領域にも存在しない」という非存在の数学的帰納法のような方法(およそ見当もつかないが)を援用しない限り、地球以外の宇宙空間すべてに生命体が存在しないことの証明は不可能だろう。
出典および編集追記:

1.「FBタイムライン|UFOはいわゆる世に言う『ユーフォー』ではない
《 定点撮影 》
項目記述日:2019/3/22
最終編集日:2020/11/16
そのままの通り時期を違えて同一地点で撮影することを言う。撮影対象が逐次変化していくものを同一地点から撮影するものに対しては定点観測と呼ばれる。長期間かけて建設されるビルなどを定点観測し続け、成果を時系列に配置したりあるいは動画として再構成すると興味深い題材となることはよく知られている。

そのような特別な意図はなく、当サイトの管理人が慣行的に定点撮影している場所が市内に数ヶ所ある。旧新川橋の西岸から市役所庁舎を撮影したアングル、市道沖ノ旦末信持世寺線の「黄金の十字路」が見え始める場所から北を撮影した画像が代表的で、いずれも定点撮影された画像が十数枚存在する。写真は末信地区の定点観測画像である。


特に印象的な場所では複数回撮影され、そのことで訪れるたびに足を停めてカメラを構えることが習慣化していることによる。
【 擬似定点撮影 】
定点撮影は意図して行われたものだが、意図していないのに時期を違えて訪れたときたまたまほぼ同じ場所から撮影して定点撮影のような状態になってしまった一対の画像がいくつか知られている。これのもっとも初期の事例は、厚東川水路橋の対岸接続部より嶮岨な道を2度にわたって訪れたとき、倒木が横たわっている場所で撮影された2枚の写真である。

何年振りかに訪れた場所なのに初回訪問時とほぼ同じアングルから撮影する擬似定点観測が起こることは、当初は不思議な現象と思われていた。しかし過去に撮影された画像を分析すると同種の画像ペアの事例がいくつか見つかり、それほど稀な現象でもないことが判明している。特に対象物が単一で撮影場所として選定可能な場所が限定されるときに起こりやすい。

橋の名称プレートのように狭い範囲を撮影した場合には定点観測写真どころかほぼ同一の写真となるが、前述のようにある程度離れた場所から里道などを撮影したものでもよく起こる。これは同一の人間がある場所を訪れたとき、同じ頭で考えた人間が撮影操作を行うことに起因すると考えられている。即ち、前回ここでカメラを構えた記憶を思い出した上で撮影したのではなく、その場所に立って景色を記録するならこのフレームでこのアングルから行うだろう…という行動様式が自然に思い出される結果と言える。
【 意図的な定点撮影 】
景観が大きく変わってしまったことを視覚的に分かりやすく表現するため、過去の画像を元にその撮影場所を推定し、できるだけ近い状態で撮影することがある。サンデー宇部のコラム Vol.32「今年、景観が大きく変わった場所」では、岡ノ辻の造成地で過去の撮影画像のデータを参照しつつ場所を探し、現在の様子を撮影したものを併せて掲載している。
【 継続的な定点撮影 】
初めて継続的な定点撮影が行われたのは、市役所立体駐車場建設工事においてであった。初期にはさまざまな場所から撮影していたが、後に旧庁舎4階の東の端から撮影したときが最も全体像を捉えやすいことが判明して定点撮影が定着した。
写真は2019年4月の建設途中における撮影。


更に後には4階の東の端からというだけではなく、数枚ある窓ガラスのうちの1枚の左上隅にカメラのレンズを押し当てて一定範囲が映るように構えるなどより精密化している。撮影時期はバラバラだが、立体駐車場の建設が始まってから供用開始に至るまではほぼ同一アングルから継続撮影されている。

立体駐車場の供用開始後、ゲート付き青空駐車場エリアが閉鎖されて1期棟の建設が始まろうとしている。この過程も同じアングルから継続撮影される予定である。最終的には撮影場所であった旧庁舎も取り壊されるため、数年後にはこれらの連続した画像群は必要に応じてデジタルアーカイブの形で供されることになるかも知れない。
《 テーマ踏査 》
当サイトの管理人が提唱する自己参加型の発見的・体験的娯楽の概念である。当サイトではコンセプトにおいて次のように定義している:[1]
身の回りにあって興味を惹かれる対象まで足を運び、画像や動画などで記録し、自分の脳内で翻訳した言葉で結び付けられたドキュメントを遺す活動。
最広義に表現すれば、身の回りにある景観などあらゆる存在の観察である。それではあまりに範囲が広すぎるので第一段階として観察者が慣れ親しんだ居住区域に限定(地域的限定)したり、逆に地域は限定せずに格別興味をもった鉄道やダムなどのジャンルに限定(対象的限定)される。第二段階として鉄道やダムを観察するなら道路も範疇に入り得るし、そうなれば必ずしも昔からある史跡や由緒ある観光地のみならず、現役の道路や公園なども対象となる。当サイトにおいて認定市道までも記事化の対象となっている点に顕著である。

それらは一般には特別の注意を持って観察すべきものとはされていない。公園の管理者や工事関係者でもない限り、現在街中にある児童公園や溜め池などをつぶさに写真撮影しようという発想は起きないだろう。テーマ踏査においてそれらが当然のように観察対象とされる本質的な理由は、時の流れが一方向であることによる。「時間の経過に呼応して身の回りの景観はかならず変わる」のであり、記録しておかなければ取り戻すことは永遠にできなくなる。我々はデジタルカメラをはじめとする安価で容易な記録手段を手にしている以上、現地へ赴いてそれらを記録しておくことは現代人の使命であり、必ずや後世において役立つ資料になるものと確信される。

昭和初期以前の史跡などは相応な知名度を持ち、その重要性から代々伝えられ各地の郷土史研究会による努力により多くの資料が残されている。他方、昭和中期以降の構造物などは現役物件も多くそれほど注意は払われていない。当然ながら、これから数十年も経てば今ある昭和中後期の現役物件はもちろん平成初期のものですら形が変わるし失われる。それらの資料も当然ながら記録を遺しておくことが重要であり、特にこの意義に於いてニュー郷土史と表現されることもある。

観察対象範囲の広さから分かるように、テーマ踏査は郷土史研究から廃道マニア、撮り鉄、ダム訪問など既に知られている自己参加型娯楽の多くを包括する概念である。未だ用語として訴えかけてはいないが、当サイトでは身近に愉しめる娯楽の一つとして、更には広義の地元再発見型の観光として提唱している。
出典および編集追記:

1. この定義にはドキュメントを遺す行為が含まれているが、それは当サイトが映像と共にドキュメントを記録する性質によるものである。一般には「対象まで足を運んで記録を遺し整理する」ことで足りる。
《 テールランプの別れ 》
項目記述日:2019/7/13
最終編集日:2020/1/30
「テールランプの別れ」とは、当サイトの管理人が初めて著した叙情詩である。若かりし頃の実体験をベースに構成されているが、末尾には「この叙情詩における人物名、場所などの設定はすべて架空のものです」と付記している。初版が作成された時期や実体験がいつ頃だったか正確には分かっていない。当時は日記を付けているので段ボールに詰まった資料を精査すれば判明するものの、美しくも哀しい結末となるストーリーの詳細を再度目にするのは精神的に辛いものがあり、それ故に日記を開いてまで調べないまま現在に至っている。

表題から推察されるように、これは若き頃の離れがたき恋人同士の物語である。自分の中では著した当初は「生涯において作成した唯一の叙情詩」と考えていた。将来にわたってこれ以上の内容のものを書ける自信がまるでなかったからである。自分と相手が居ることなので詳細は書けないが、それがどんなに切なく哀しいものであったかは、秘かにホームページへ載せていた作品を女性友達が見たいからと言うので公開したところ、それを読んだ直後に号泣させてしまったことで如実に示される。

ストーリーの舞台となった場所は説明可能である。東岐波と阿知須の境付近に横尾池という溜め池があり、市境まで市道新出横尾線が通っている。この市道で横尾池のすぐ横となる辺りだったと思われる。


ストーリーの後半には、舞台となったこの場所へ再度訪れたときの描写がある。溜め池は改修され道路も拡がることで昔の状況がまるで分からなくなっていたのは昔の美しくも辛い想い出を薄めることとなったと述懐している。

実体験は30年近く前のことで、間違いなく自分が経験した人生における時間軸の一コマであるのだが、今となっては(しばしば唱えているように)あまりにも昔のことで「まるで自分では無い他人の人生経験を語っているように」思えてくる。唯一の叙情詩と考えたいたもののそれからかなり経ってから異種の叙情詩を著している。(→うさぎチャンと暮らしたい

作成した当初から筋書きの甘さは自分ながら認識していた。しかし個人的にはたとえフィクションであろうとこれ以上の美しい恋人同士にまつわる叙情詩を作成できるとは思えない。それ故に先述の通り公開後暫くの間は生涯唯一の叙情詩と位置づけていたのである。
【 叙情詩の移植と閉鎖 】
この叙情詩は、最初期に制作されていた「すたのホームページ!」で公開され、一般に閲覧可能な状態で供していた。その後野山からの引っ越しで回線種別が変化(ダイヤルアップ接続から光回線)したためプロバイダを解除することとなり、一旦ホームページを取り下げた。その後Yahoo!ブログへテキストのみを移植し、更に後に現在のホームページを開設してから2014年5月24日に当初公開していたオリジナル版をコピーしている。

2019年12月中旬にYahoo!ブログが終了するまでにオリジナル記事は非公開ステータスに変更していた。この記事はAmebaブログへ下書きステータスで保存されている。当サイトへ移植された装飾版は現在もリンクによる公開を保留している。
【 叙情詩作成の背景資料が見つかる 】
Amebaブログはサービス提供を終了したYahoo!ブログからの自動移行手続きによって作成されている。Yahoo!ブログでファンのみ公開・非公開設定のブログ記事は、移植後は下書きステータス(自分のみ閲覧可能)となる。最近、移植されたYahoo!ブログ時代の古い記事から順に査読を行い公開ステータスの変更作業を行っていたところ、Yahoo!ブログへ移植したのとほぼ同じ時期に非公開ステータスで「叙情詩の経緯について」という自分向けのメモ書きを作成していたことが判明した。(→「テールランプの別れ」の制作背景
《 デジタル馬鹿 》
項目記述日:2019/9/7
最終編集日:2019/11/12
従来のアナログ的手法に頼れば簡単に済むものを、多大なコストを掛けてデジタル化した挙げ句、却って不便で難しくしてしまっている愚かな状況を指す勝手呼称同種の概念は間違いなく既に誰かが提示している筈である。行政の導入する事例について特に多い。

具体例として、約10年前に青山学院大が学生の代返問題に対処するために学生らにアイフォーン3Gを配布することで対処した事例が挙げられる。代返とは、出席状況を単位認定の参考資料にしている教授の講義に対応するために、友達などに頼んで自分の名前が呼ばれたとき返事してもらうことで出席を偽装する行為である。出席確認は一般に学生の返答や紙に記名するアナログ的手法が採られるが、代返の不正を防ぐために一意な識別子が得られる機器を用いて対処したという。

このニュースに対して当時自分が書いたブログではハイテク馬鹿という表現でバッサリ斬り捨てている。[1]代返という「取るに足りない事象」を阻止するために、膨大なコストをかけて端末を学生に配布し対処しようという考え方が愚かなのである。出席しているという事実が単位認定に影響すること自体疑問視されるし、そもそも代返されても教授が本人確認するのも困難なほど多数の学生を一堂に集めて行うマスプロ的講義とそこへ出席するということだけで評価がつくこと自体が疑問視されるべきである。もっとも十数年前の話なので現在は状況が変わっているかも知れない。
【 市内での具体例 】
遺憾ながら、他自治体を鼻で笑えないことをこのたび市がやってのけた。市の共生社会ホストタウン推進グループにより開始されたシェアサイクルの実証実験で、1時間あたり100円で電動アシスト自転車をレンタルするサービスである。シェアサイクル自体は実証実験に値する有用な取り組みと評価できるものの、その決済システムに問題があった。

このサービスを利用するには、まずスマホを持っていなければならない。そうでない人は端から爪弾きである。スマホから専用アプリをダウンロードし、自らの個人情報とクレジットカード情報を入力することでポートに配備された電動アシスト自転車が解錠され利用可能となる。自転車は市内数ヶ所に設けられたポートであれば何処へ返却しても良い。借りてから返すまでの時間を計算してクレジット決済する仕組みである。このことで直接の金銭のやり取りを避け、鍵を渡したり受け取ったりする人員もなくした24時間レンタルを可能としている。

個人的にはこの決済システムの部分に関してデジタル馬鹿と認定している。[2] 人口が多く自転車の借りだし需要も相応に高い都心では巧く機能するものの、相対的に田舎で需要に薄い宇部市で同じシステムが通用する筈がない。24時間借りだし可能と言っても市街部は夕刻以降は閑散としているのに一体何処へ行くのだろうか。百歩譲って自転車での移動を推奨するとしても、平坦で坂も少ない市街部なら電動アシスト自転車でなく足漕ぎ式の通常の自転車で充分である。そしてレンタサイクルならにぎわい宇部が既に無料で実施している。

決定的におかしいのはスマホとクレジット決済するシステムと、誰が電動アシスト自転車に乗るのかという利用者相違である。若い人はこの平坦な市街地でそんなものには乗らない。そもそも車がなければ話にならないこの市街部では、学生を除いて自転車に乗る若者すら殆ど居ない。更に自転車乗りの視点から言えば、街の造り自体が安全に自転車を乗り回せるように出来ていない。

方や、電動アシスト自転車に乗りたい高齢者がスマホを持っているだろうか。持っているとして、アプリを自力でダウンロードするだろうか。更にそこから個人情報を入力するだろうか。若い世代よりも詐欺には遙かに神経を尖らせている高齢者がクレジット情報を入力するだろうか。そもそもクレジット払い自体を受け付けずクレカを持っていない人が殆どだろう。

7月にオープンした常スマに入っているにぎわい宇部のレンタサイクルと重複したのはたまたまなのだろうが、決済のやり方を見るだけでこれはもうまず普及しないことが見てとれる。始める前から失敗が殆ど自明である。闘う前から殆ど結果が分かっている実証実験に市は100万円もの大金を注ぎ込んでいるのである。更に後には当初からあったにぎわい宇部の無料レンタサイクルが廃止されたので、スマホを持たない世代には実質的に自転車を借りて利用するサービス自体がなくなった。

ついでながら述べれば、このシステムは都心で援用されている会社に業務委託されている。どういう経緯でこの業者を選定した辺りはまるで説明されておらず不透明なものを感じる。今の行政は自前でやろうとせず、事ある毎に外部発注している。それもどういう訳か地元で調達しようとしない。第2次の市政施行100周年プロジェクトでも行政が安易な外部発注を行ったために市民の理解が得られず、プロジェクト自体が実質的に頓挫した。不透明な外部発注は、実証実験という名を借りた特定企業や団体への利益供与が疑われても致し方ない。

今回のシステムも「こんな新しいモノを導入したんだ!凄いだろう!」を言いたいだけに導入したのかもと揶揄する向きもある。もっとも導入した側は当初からビエンナーレ期間に相当する11月末までの実証事件であり、得られた利用実績などのデータを元に今後を再考するというスタンスになっている。
出典および編集追記:

1.「Amebaブログ|ハイテク馬鹿なお話

2.「FBタイムライン|方向性は実に正しいと同意するんですが…(2019/9/3)
でにさ階段
項目記述日:2021/9/21
小羽山ふれあいセンターの裏にある階段の勝手呼称である。
写真は当該階段。


センター裏手には子どもたちが遊ぶ広場があり、高低差のある小羽山市営住宅などとの往来用に使われている。これといった特徴など何もない階段であり、一体どんな特性があるのか、そして謎めいたこの名称の由来を問われて答えられる人はコードネームY以外誰も居ないだろう。

いみじくもこの階段の特性は、LFの一員であるコードネームYによって指摘された。この階段は「気付いた者だけが面白みを共有することができる」との示唆を与えているという意見もある。詳細は項目に設定されたリンクを参照。
テンプレート
項目記述日:2020/2/7
最終編集日:2022/2/5
当サイトに限って言えば、総括記事などを作成するときのひな形として保存されている基本ファイルを指す。よく使うフォーマットや参照形式を含めた形で管理フォルダに保存している。実際に使うときはテンプレートを該当するフォルダへコピーして使うが、時系列記事など特殊なフォーマットを要するものは、以前作成された類似するファイルをコピーすることも多い。実物はこの項目に設定されたリンク先を参照。
【 物品としてのテンプレート 】
現在では、ドキュメントやパンフレットを造り始める上でのひな形となるファイルをテンプレートと呼ぶことが一般的である。Microsoft Excel のファイルでも拡張子 *.xlt を用いて保存することで様式の整った用紙として使うことができる。そのようなデジタル情報以前の時代では、テンプレートと言えば専ら製図に必要な数値や線分を定型的に描く物品のことを指していた。

あいにく現物が手元にないが、薄いプラスチックないしはステンレス板に数字やアルファベットを打ち抜いて造られている。製図に整った数値などを記載するときテンプレートを当てて細いシャープペンシルでなぞれば常に同じ形で描き込まれるというものである。土木建築などの図面を手描きしていた時代の必須アイテムであり、恐らく現在でも文具店で容易に入手可能である。初期にはゼロから9までの数字を綺麗に描くための道具という意味で ten plate と誤解していた。

道路改良の工事を施工するとき、発注者(殆どが国や県の関連機関)に既存と改良後の変化が分かるように竣工までに道路台帳を作成し提出する。国道190号の中原舗装工事の道路台帳は私が(半徹夜状態で意識も朦朧とした状態で)作成した。このとき自前のテンプレートで描いている。
【 テンプレート書き 】
本来は数値や記号を定型的に描く小道具だが、外周の直線部分を利用して文字を綺麗に手書きする用途にも使われた。大学ノートなどの罫線にテンプレートを当てて下側の罫線からはみ出さないようにして書くのである。このようにして書かれた文章は下側が奇妙に揃って独特な外観となる。こうした筆記法は誰かがやっていたのを模倣したようで、大学時代の手書き日記ノートにもテンプレート書きした痕跡がみられる。
《 踏査 》
項目記述日:2021/11/7
ある物件の存否や存在箇所、その素性についての情報を得るために、当該物件が存在すると思われる場所へ実地に踏み込むこと。単に調査と表現している場合もある。調査は現地へ赴かず該当資料のある図書館などから情報を得る行動も含まれるため、踏査は現地調査という限定された意味となる。

物件のデータを集積する上での基礎的な行動である。ある特定の題材(ダムや工業用水道など)に沿って地域無限定で現地へ赴き調べることをテーマ踏査、地域を限定する代わりにそこへ存在する異なるジャンルの物件も拾い出すことをエリア踏査という。この関係はしばしば切手収集におけるトピカル・コレクションとゼネラル・コレクションに喩えられる。

著名な例では、広域に散在するダムを実地に訪れてダムカードを集める行為はテーマ踏査の一部である。市内あるいは更に学校区(地区)内に限定して史跡や見どころマップを作成すべく洗いざらい現地を調べるのがエリア踏査である。
《 時の運 》
項目記述日:2019/6/22
ある習慣や流行が広く認知されるには、その内容よりも提示するタイミングに依存するという考え方。勝手呼称ではなく以前から多くの人に唱えられていた概念であり、しばしば潮目や上げ潮といった表現で説明される。この流れを巧く掴んで乗り込めば、当人にとってさほど重要でないと思われることでも多くの共感を得て第二第三の波となり得るし、逆に流れを読まない活動は、どんなに苦労しても無駄骨となってしまう確率がきわめて高い。

今まであまり取り上げられて来なかった新しい風習や研究は、得てして永らく何らの活動も見られなかったのに、ある時点になって複数の人々によって取り組まれるようになる現象が目立つ。それも示し合わせたり対抗意識を燃やしてではなく、相互に何らの情報交換を行っていないにもかかわらずである。これは一つのシンクロニシティーとも言える。

もしもその現象が真であるなら、見えない何かの力が働きかけたと言うよりは、世の中である時間軸と状況においてこの先必要であると考えられるものを見出す人々が一定数存在するからと思われる。そのような空気の変化を感じたとき、少しでも以前から取り組んでいた身にとっては自らのアウトプットするものが従来よりも評価されがちとなり、大きな追い風となる。予期せず自分の望ましい流れに変化したなら時の運に乗っかれたこととなる。可能なら、望ましい流れになりそうな空気を読んで先回りして行動するのが重要となる。
《 常盤台系 》
項目記述日:2021/4/24
市内の常盤台などで見られるような石質を表現した語。地質学的にみた厳密な分類ではなく素人判断による勝手呼称である。常盤系の岩とも表現している。
写真は工学部付近の石積みにみられる常盤台系の間知石。


鍋島系の岩のような緑や青みがあるが、常盤台系の岩は青みが強い。また、鍋島系の石よりは硬く石積みに多用されている。この種の石は工学部通り付近の石積みや露岩に観察される。
《 常盤屋 》
項目記述日:2019/3/1
最終編集日:2019/11/10
かつて宇部市内に存在した私設バドミントンクラブの名称である。誰が運営していたかと言えば、他でもない当サイトの管理者の私である。

私設のクラブとしては2例目であり、活動母体は常盤小体育館で行われていたクラブである。常盤小バドは経常的に運動習慣を取り入れるようになってから行き始めた初期のクラブで、暫く活動した後メンバーと馴染み、もっと活動時間を増やしたいという意向もあって時間単位で借りられる公共体育館での開催を行うようになった。こうした背景から、常盤屋クラブを設立した後でも常盤小バドのことを「本家」と呼んでいた。

バドミントンのことであり当サイトとはまるで無関係のように思われて、実はそうではない。少なくとも個人的には常盤屋というクラブの終焉と現在宇部マニアックスとして展開されている活動の黎明期は、完全にシームレスであった。ただし、現在のような活動をしたいが故にクラブを閉じたのではない。参加者数がジリ貧に至っていたのは解散の大きな要因ではあったが、それよりももっと深くて辛い事実が理由だった。まだ継続して活動したいという若干名の参加者がありながら、殆ど明確な理由を唱えることもなく「一身上の理由で」クラブを解散すると宣言している。

常盤屋を解散することで、毎週日曜日の午後から夕方までの時間が空いた。それまでは開催場所を変えてでも体育館のコートを確保して毎週休みなく開催していた。数年振りに自分の時間を取り戻すこととなり、その時間を何に使おうかと考えた。今まで身体を動かす活動を続けていたので、それをパタッと止めると身体が鈍ると思った。そこで昔から好きだった自転車を乗り回すことを思い付き、ネットで安い自転車を購入した。安い代わりに重くて乗り心地が極めて悪く、このときじでんしゃなる言葉が生まれている。

野山から厚東川ダムや厚東川水路橋は比較的近く、かと言ってわざわざ車で行くような場所ではなかった。実際、じでんしゃを手に入れてからかなり早い時期にそこを訪問している。クラブ活動で既にデジカメは持っていたので、今まで行ってみたかったところへ出かけて写真を撮るようになった。このためしばしば両者の関係は次のように説明される:「宇部マニアックスの誕生は、永年運営してきた常盤屋の閉幕という痛みの引き替えだった」

常盤屋という名称は、純粋に当サイトの管理者である私が考えついたものである。クラブ名を何にしようかと候補をいくつか野帳に書き出していた。そのうちのいくつかは常盤小バドの創始者名を含めたものだったが、一つだけ私は何を思ったかおよそバドミントンのクラブ名らしくもない「常盤屋」を書き出していた。相棒はそれをとても面白いと言ってくれたので、クラブ名が即決された。

単にクラブ名の届け出を常盤屋としただけではなく、既に持っていたホームページに常盤屋のサブページを作成した。そこで出始めたばかりのデジタルカメラで試合を動画撮影し、珍プレー・好プレーを動画配信していたことがある。YouTube が世に出るよりも前のことだった。動画のようなサイズの重いコンテンツでも広告付きで掲載させてくれる csx というホームページスペースのレンタル会社が存在していた。
読書
項目記述日:2019/8/30
最終編集日:2020/5/26
一般には一定以上の分量がある記述情報を受け手が視覚的・音読的に取得し、情報理解を深めること。その手段としては現在においても紙媒体に記述されたものを受け手が目で追っていくことが多いが、別の人が受け手に内容を音読する場合もある。また、近年のデジタル化推移により紙ではなくネットを介して配信される記述情報を利用する行為も多くなった。詳細は項目に設定されたリンク先を参照。
《 とりこん 》
項目記述日:2021/3/22
船木新郷地区にあるコンクリート倉庫の壁にペイントされた謎の文言、あるいは当該コンクリート倉庫自体を指す呼称。言うまでもなく勝手呼称である。
写真は藪の中に佇む当該コンクリート倉庫。


この物件は市道西見迫田線沿いの社有地にあり、周辺には厚狭太陽光発電所や山陽新幹線など重要な設備が接していることもあって市道の両側の殆どが立入禁止エリアである。沿線には有刺鉄線が張られており不法投棄対策として監視カメラも設置されている。このコンクリート倉庫は市道からすぐ見える位置にあり、全体が酷く藪に包まれていて廃物と化している。

意味の分からない勝手呼称の由来は、倉庫にペイントされた文字である。読みやすいように白ペンキを塗りその上に大きく「清潔整頓」と描かれている。その横に関係者向けの伝達事項が書かれている。


文字が掠れて読みづらいが「とりこんは一拼を十個とする」のように書かれている。ここに現れる「とりこん」が何を示しているのかさっぱり分からず、謎めいた未解決物件のように扱われていた。

2021年にこのエリアを再訪し、原池近くに新たな太陽光パネルの設置が進められていて市道も部分的に舗装されているのを見つけた。沿線を再撮影して改めて現地の写真を提示したところ、とりこんとは養鶏業者向けのコンテナーないしは運搬器具を指すのではないかという示唆が提示された。即ちそのまんま「鳥を運ぶコンテナー」の業界による略称という説である。

昭和49年度版の地理院地図航空映像による解析から、厚狭太陽光発電所の建設以前のこの周辺は大規模な養鶏場だったことが分かっている。このことよりとりこんとはコンテナーを運搬する器具で、謎めいたコンクリート建屋は収納庫だった可能性が高い。周辺には未だ水道が整備されていなかった時代に造られたと思われる貯水槽のような構造物も知られている。なお、この項目は沿線の市道関連を記事化した折りには移動する。

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