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ハイブリッド(方式)
一般にハイブリッドと言えばハイブリッドカーが化石燃料と電力を併用するように、異種のものをかけ合わせた対象を指す。当サイトで特にハイブリッド方式と言った場合、車に自転車を積み込んで現地付近まで到達し、そこから自転車で踏査を行うスタイルを指す。
写真は県道宇部美祢線の走行のため美祢市役所の駐車場を訪れたときのもの


アジトから直接自転車で往来するには時間がかかったり途中にきつい坂道などがある場所で、調べ回りたい対象が複数箇所に散在している踏査において使われる。具体的には上記写真のように車へ自転車を積んで目的地付近まで向かい、そこを拠点として市街部で行われるような自転車による題材採取を行う。

現在使用している車と自転車は、機能面よりもむしろハイブリッド方式での運用が可能となることを前提に選定されている。詳しくは項目に設定されたリンク先を参照。
《 博士 》
項目記述日:2019/6/17
最終編集日:2019/12/23
当サイトにおいて前置きなしに書かれている場合、鹿児島大学に在席する三浦壮准教授の渡邊塾における通称名を指す。写真は石炭記念館開館50周年における基調講演を行う博士。


博士は宇部出身で、現在は鹿児島に在住し鹿児島大学法文学部法経社会学科准教授である。近代における企業経営史が専門で、宇部という街の成り立ちの影響を受けて九州筑豊から宇部にかけての炭鉱経営に関して造詣が深い。また、渡邊塾メンバーでは一番の若手である。
【 渡邊塾メンバーとしての博士 】
渡邊塾が設立される以前、私自身がメンバーとして招待される以前から塾の母体となる各メンバーとの繋がりがあったようだが、詳細はよく分からない。博士との初対面は恐らく市内のある場所で開催された忘年会か何かだったと思われる。ここで博士の他に数人のメンバーとも対面した。

また別の場所(恐らく局長宅)で、私は小字絵図の写しを拡げて沖見初炭鉱や沖の山炭鉱のあった場所を示したことがある。その時までにホームページの存在は知られていて、内容に驚愕され博士の研究室ホームページから当サイトをリンク紹介されている。

私自身は石炭関連に殆ど知識がなく、また市内には語り部を含めて関連分野の研究者が沢山いらっしゃるため参入はしなかった。しかし塾長と博士、更には局長の歴史トークの影響を受けて日本全国の石炭で栄えた地域が斜陽化で軒並み没落していく中、どうして宇部はそこまで酷い状況に陥らずに自治体として継続してこれたかについての理解が得られた。大きな資本をもった財閥が地域を恣に支配するのを許さず、郷土へ還元する仕組みを早い段階から構築していたことにあったからで、この本質部分について私自身が初めてのセミナーを開催したとき宇部スピリットという語を用いて解説した。

博士はFBアカウントを作成していないため、主要なイベントがあったときにはメールでやり取りしている。FBの即応性や情報共有について有用性は感じているが、大学の業務が多忙を極めているからかアカウント作成は実現されていない。

2017年には塾旅の第一弾として博士の研究室を訪れることを主眼とした2泊3日の旅行に出かけている。なお、塾旅のすべての流れはその後膨大な写真つきドキュメントとして制作されている。その後としては長府侍町の武家屋敷視察のとき現地合流する形で再会を果たした。
【 最近の状況 】
2019年10月の石炭記念館開館50周年では、基調講演として博士が沖見初炭坑経営について論じている。この講演に先立ち、前日21日に市内のある場所でセミナーの内容について塾長・局長に混じって講演内容の検討を行った。当日は博士の基調講演に続いて筑豊炭田を伝える専門化と塾長のパネルディスカッションがあるため、基調講演とできるだけ内容が重複しないよう考慮したためである。当日の基調講演後には塾旅以来で塾メンバー4人が揃った記念撮影を行った。[1]

2022年8月度の新川歴史研究会へ初めて出席すると共に covid19 以来2年振りの再会を果たすことができた。


会合の後、局長の車で市街部の物件を巡って車内から案内した。日頃は文字と格闘する場面が多い博士にとって実地で視覚的に得られる情報は新鮮な刺激をもたらしたと語っている。
出典および編集追記:

1.「FBタイムライン|2019/10/24の投稿
《 二十歳の集い 》
項目記述日:2023/1/14
全国各地で祝われている旧称成人式のことで、成人の定義が20歳から18歳に変更されてから成人式という語を使わず二十歳(はたち)の集いという呼称に変える自治体が増えている。
写真は2023年実施時の撮影。


以下は宇部市の事例に限定して記述している。

近年の二十歳の集い企画運営に関しては、SAKI-DORIプロジェクト代表の局長が一手に行っている。初期には宇部マニアックスとして成人式パンフレットに掲載する宇部市内の写真や題材提供で参画してきた。近年は会場の警備や用具の搬入搬出など裏方役として活動している。このためよほど多忙でない限り、毎年の二十歳の集いでは会場玄関付近に常駐している。

この項目を作成している現時点では今年の開催を無事に終了し、報告書作成や精算など残務を行っている。二十歳の集い実施日が近づくにつれて局長が多忙になるのは容易に想像できることであり、例年12月に入る頃には不要不急の相談事は二十歳の集いが終わってからにするようにしている。
【 レッドカーペット 】
会場となる渡辺翁記念会館への玄関前には、例年赤いカーペットが敷かれる。


これは2022年開催から実施されており、その色調から入退出の際に高揚感を持たせる役割を果たしているだろう。
【 観察と報告について 】
例年、警備や会場整理で式の間ずっと玄関付近に常駐しているので、玄関付近や広場でどんなトラブルや問題が起きたかを把握していてイベント終了後に報告している。

駐車場へのクルマの誘導や退出方法に一部問題があった。特に午前と午後の二部制にしている中で、午前の部に出席した関係者の車が終了後もなかなか退出せずに居たために、午後の部へ早めに会場へ来た車が入れない問題が起きた。これに関しては、午前の部で駐車場に滞在できる時間に制限をかけて対処してあった。また、来訪者の駐車場とスタッフの駐車場は完全に分離していたのだが、午後新成人たちが会場前に居る状態でスタッフ駐車場へ2台の車が人混みをかき分けて進む不備があった。関係者だったのか誤侵入なのかは分からない。

2022年は文化会館と渡辺翁記念公園が共用で使っている正規の駐車場に停めず、前面の市道朝日町3号線沿いにある月極駐車場へ勝手に停めてトラブルとなり警察を呼ばれる事態があった。今年は駐車場の出入りで混み合うことが予想されたので、小串通り側も入退出可能にするために警備員を配備する予定だったが、実際にはポストが上がったままで使用されなかった。

式次第が始まっても最後まで入場せず、渡辺翁記念公園で知り合いが現れるのを待っている新成人は例年見受けられる。二十歳の集いをもって飲酒可能になると勘違いしている新成人が居たようで、芝生の上に空の酒瓶が数本転がっているのを見つけた。ただし規範を守らない事例はあっても他人に不快感を与えたり迷惑を及ぼす事例は皆無であった。

このことに関して、成人式という呼称が一般的だった近年までは、勝手気ままに振る舞う新成人を取り上げてメディアが”荒れる成人式”として全国ニュースとして面白おかしく取り上げる現象があまりにも目立った。実際には殆どすべての二十歳の集いが何ら問題もなく実行されている。ごく一部で起きた事例を針小棒大に取り上げて煽動する側の問題であり、一番愚かなのはそこまでしてアクセスを稼ぎたがるマスメディア自身であることが指摘されている。[1]
出典および編集追記:

1.「FBタイムライン|成人式今昔 - 君たちは自分のしたいようにやれているか?
《 バック 》
項目記述日:2019/6/4
一般には後方を意味する英語であるが、宇部市内の用水関係に限定した場合、広義には何かの目的のために一時的に水を貯留している場所を指す。写真は末信地区にある常盤用水路の沈砂池。
この場所を訪れた最初期の撮影で現在は土手部分が改変されている[1]


立て札には「バックに落ちると危ない」と書かれているので、この貯留水槽を指しているのは明白である。そしてこの場所だけではなく常盤用水路のサイフォン呑口・吐口にも同様の立て札があり、更には上条にある沖ノ山工業用水道の貯留池も同じ標識が設置されている。特にこの貯水池は関係者によって中山バックと呼ばれている。

バックという言葉の語源は分かっていないが、どういう訳か宇部興産(株)ではこの語を好んで使っている。工場敷地内には工業用水を貯留する水槽がいくつかあり、それらもバックと呼んでいるという。初期の検索の結果では、河川より灌漑用水を取り込む手法としてバックストリームという語が引っかかったことがあった。しかし用水関連ということしか共通点がなく、恐らく別の説と思われる。詳細が判明次第、編集追記する。
出典および編集追記:

1.「FBページ|2019/6/4の投稿」「FBタイムライン|「末信バック」追加情報
《 発信器仮説 》
項目記述日:2020/10/24
最終編集日:2022/6/12
確率論で考えて起こり得る以上の頻度で特定の人物に遭遇する現象を説明するために提示されている仮説である。些か戯言的であるが、異常に高い頻度で遭遇すると感じる当事者の体内などに発信器のような機器が取り付けられており、それを頼りに当事者の近くへ自然に吸い寄せられてしまうか、何かの強力な吸引力が働いているなどと説明される。

m 人で構成される母集団で、双方共に限定しない「誰かと誰か」が出会う確率は1でありしかも頻繁に起きている。自分一人を基準として、面識のある n 人のうちの誰かと出会う確率は n の大きさに応じて増大する。しかし自分一人を基準として、面識のある n 人のうちの特定の人物に出会う確率は、m が n よりも十分大きければ一般には極めて小さい。このことは「一定人数の中で誕生日が同じ2人は比較的高い確率で見いだせるのに対し自分と誕生日が同じ人が見つかる可能性は極めて低い」という誕生日のパラドックスとして知られる。

具体的事例として、野ウサギ局長の遭遇頻度が異常に高い事実に対してしばしば発信器仮説が持ち出される。初期では新川橋の親柱救出問題で対処法を模索していたとき、業務により自転車で銀天街を漕いでいたときたまたまにぎわい宇部にチケットを持参しようと歩いていた局長に遭遇した事例が知られる。この遭遇により対処法を相談することができたため「善は急げということですよ」として説明された。
写真はにぎわい宇部に向かって歩く局長の後ろ姿


近年では西梶返三差路で事故発見の第一目撃者かつ報告者となったときの状況で確率を超えた奇特性が発現された。厚東川バイパスを自転車でアジトに向かって走行しているとき目撃され、そのまま自転車を車に積んで局長宅まで直行し会合を行ったこともある。起こり難い程度に低い確率から予期しない次のアクションに繋がる事象がかなり頻繁に起きている。

発信器仮説は間違いなく否定され、別の論理的説明がなされている。主因は行動パターンの類似性である。相応に離れた場所で活動し行動半径が狭ければ衝突は起こりにくい。近くであっても生活のパターンが異なればやはり衝突は起こりづらい。例えば平日の昼間だと事務所務めの人は他人との接触自体殆どないし、営業で外回りしても関連する業種の人々にしか会わないからやはり衝突は起こりにくい。他方、自営業者で業種も類似するなら、いくつかの場所を訪問するにしても相互に類似性がみられるから衝突しやすい。

初期にはこのことが正しく認識されておらず、特定の場所で頻繁に出会う女性を運命の人かも知れないなどと誤解してしまう出来事もあった。十数年前のこと、あるスーパーで正午近くに買い物すると、買い物客が大勢いる筈なのにいつも同じ女性に目が留まってしまう現象がそうだった。その後の解析により、特定のその女性に限らず他の買い物客でも同じ人物が観測されることから、結局「大抵の人がスーパーで買い物する時間は習慣により均一化している」という原因で片付けられた。残念ながら自分よりもずっと年上ながら好きでたまらないその女性は運命の人ではなく単に買い物の行動パターンが同一であったに過ぎなかった。
それでも最終的に自分から声をかけて今では顔を合わせれば話ができる状況になっている
【 2022年の異常に高頻度な多発について 】
このように特定の人物と頻繁に遭遇する現象は、単純に行動パターンの一致に過ぎないとみられていた。しかし2022年に入って確率的にみても考え難いほど奇妙な遭遇劇に戸惑っている。

3月下旬のある日の午前中、4月に開催される宇部マニさんぽ白岩公園編について宇部スポーツコミッションから問い合わせがあった。そこで私は本番の16日までに一度現地を歩いてみてタイムラインを計測してコース選定など報告しますと返答した。別に急いだことではないのだが、天気は良いし3月度のコラムも提出して身体が空いていた。そこで思い立ったときすぐ行動に移すのが良いと考え、すぐに丸喜小羽山店へ向かった。
現地には駐車場がないため丸喜小羽山店は白岩公園へ行く人向けに車を停めることを承認している

参加者向けに配布するマップは、私がホームページに掲載しているものをNPO法人霜降会の代表者が追記したものを印刷していた。それは白岩公園の最寄りの民家に置かれているが、宇部マニさんぽではこれをコピーして使うことにしていた。事後承諾になるので、できれば一度代表者に会って承諾を頂きたいと思っていた。代表者は白岩公園の清掃も行っており、コース選定についてもアドバイスが得られると思っていた。

そして駐車場に車を停めたところ、霜降会のメンバーの一人にばったり出会った。今しがた白岩公園へ行って定期清掃を行ってきたばかりということだった。そして代表者は少し離れて停めた自分の車へ戻ろうとしている矢先であり、メンバーと話している私の後ろ姿ですぐに分かって大急ぎで引き返して来られた。まさに一番会って話をしておきたかった代表者に遭遇したわけである。

お陰で私は配布マップの承諾を頂けただけでなく、当日歩くコースのアドバイスももらえた。スポーツコミッションのうべ探企画はご存じなかったので、私は車に乗せていたうべ探のパンフレットを手渡した。それもちょうど人数分の2部ほど助手席に残してあった。

何もなければ、私は基本的に家のことを済ませて昼から外出している。午前中からこうした用事で外出したのは最近例がないので、確率的に信じがたい現象だった。あの日はとにかく善は急げとばかりに深く考えずサッと家を出たのだが、巧いタイミングで遭遇すればとても好都合という場面では発信器は装着された本人を強力に”電磁誘導”するようである。

さて、この項目を追記している4月4日は好天で花見も終盤に近いと感じていたので午前中から写真を撮りに出かけていた。正午を過ぎたので市街部へ戻って久し振りに小串通り沿いにあるラーメン店で外食しようと思った。午前1時ではまだ店が混んでいると思って、途中で小羽山地区に差し掛かったときサクラが綺麗だったからふれあいセンターに車を止めて中央公園のこいのぼりを撮影した。それから車へ戻ろうとしたとき、そのタイミングでセンターに局長の車が入って来たのである。

お互いすぐに別の用事を抱えていたので局長宅の会議はなかったが、7日に新川歴史研究会の定例会を控えているので、ふれあいセンターの駐車場でしばし立ち話で情報交換した。ふれあいセンターに居た人はピンク色の服を着た私を窓から見ていたようで、その後訪れた局長に「隊長がこいのぼりを撮影しに行ってるみたいです」と伝えている。

6月のある日、午後から雨が上がったので写真を撮りに行こうと思い、先に小羽山市営住宅で配達をしていたときだった。来客者用駐車場へ戻るとき、わざわざこの道を通るとも思えない状況で局長の車が通り掛かっている。小羽山地区在住なのであり得ることとは言っても、数秒でも違っていればバッティング劇は起こらない筈だった。
【 発信器仮説の科学的な説明について 】
もっとも妥当なのは確率の問題に過ぎないという説である。バッティング劇が起きるのは行動に伴って発生する遭遇確率の和の結果なので、外出頻度が多ければ間違いなく上昇する。更に生活圏が近接していれば蓋然性は更に高まる。

そうは言っても他地区在住というだけでなく、他市からたまたま撮影にやってきた人物と新琴川橋の上でばったり出会うという現象も生じている。他の方からの話でも遙か遠方の県外へ旅行し、観光地で市内在住者と出会ったという報告例がある。

物理的に隔離されていて連絡のとりようがない二者が、相互に影響を及ぼすような事象が発生する理由として量子もつれに原因を求める説が存在する。非常に限定された状況では観測されたという記事を何処かで見たような記憶もある。しかしそれが生身の人間たる二者間で起きるものかは分からない。しかし肯定的に考えるなら「物理的に離れている二者でも我々人類が考えているよりも意外に”近い”」のかも知れない。
《 発言色 》
項目記述日:2022/3/20
最終編集日:2022/3/21
ある発言が居合わせる複数人のうちの誰によって発せられたかを分かりやすくするために、特定人物に紐付けられたテキストの彩色。文字と色調を伴うもののため、カラーによる再現が可能な印刷物やホームページ記事、テレビ番組でのテロップ等で用いられる。

後述するように、当サイトでも発言者を明瞭にするために導入されている。発言色導入の歴史は古く、インターネットのあるチャットサイトで各人の発言を区別しやすくするためにテキストに色彩設定する機能があったのを利用したのが最初である。
【 当サイトにおける発言色 】
近年は公開される時系列記事が殆どないが、ダム見学会で担当者と会話を交わす場面などで現れる。このときの自分の発言は常にすたカラーで表記される。行き先によって会話する相手は常に異なるため自分以外の発言色は殆どない。ただし塾旅では参加メンバーが限定的だったため旅行記では発言色を用いている。一般的には女性との会話には独特な濃いピンク系統の発言色が用いられる。発言は当サイトでは常に16ポイントの太字で表記される。
【 「にんげんのGO!」における発言色 】
山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」では、シリーズによって異なる登場人物が会話する。そこでも発言色が取り入れられているのが分かる。レギュラーメンバーであるどさけんハッセーは、それぞれ薄緑色と青の発言色で表現される。
写真は萩の明木で収録されたときのどさけんの発言色。


その他の登場人物では発言色の揺らぎがみられる。宇部マニさんを含めて男性陣の発言には水色から青が多く、現地で聞き取りしたときの登場人物では黒もある。真実ちゃんの発言は少ないが、概ね濃いピンク系で表示される。滝シリーズのわだりえさんは概ね橙色と固定している。松田ディレクターによれば、発言色は完全に固定し運用しているわけではないが概ね固定して彩色している場合もあるということだった。
ハッセー
項目作成日:2021/4/5
最終編集日:2021/10/31
山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」のレギュラー出演者である長谷川氏の呼称。写真は2021年春に湯田自動車学校で開催された「やまぐち鉄道フェスタ」で台紙にサインしているハッセー。


番組では本名とハッセーの呼称が同程度に現れている。キャラクタとしては何にでも興味をもつハッセーを唱え、駄洒落を持ち味としている。鉄道と切手分野に強く、ゾロ目や登り連番となる年月日の記念証印はカレンダーに印をつけてかならず行っている。県内の風景印を備える郵便局を訪問し現地の話題と共に伝えるシリーズの後継となった「風景印その先へ…」を通じて活動を共にすることとなった。詳細は項目に設定されたリンク先を参照。
《 初セミナー 》
項目作成日:2018/2/11
最終編集日:2020/1/25
宇部マニアックスの名で初めて開催されたセミナーのこと。2018年2月10日に宇部パークレーン3階にある一室で開催された。
写真は当時撮影されたセミナー開始前の室内の様子。


市内で起業を志す人々に宇部の歴史について話して欲しいとの依頼を受け、当時の自分が持ち合わせる知見を合わせて歴史概論的な内容を構成してパワーポイントの資料を用いて解説した。福原家に始まり、炭鉱の歴史に軽く触れながら渡邊祐策翁により高められた経緯とその背景にある思想的繋がりを「宇部スピリット」の語を用いて表現している。

セミナー開催に先立ち聴講希望者の声を聞いたところ宇部マニアックスの何たるかを知りたいという要望も多かったため、個人プロフィールに合わせて宇部マニアックス誕生の歴史についても冒頭で述べている。不特定多数を前にして何かを話すということは、白岩公園におけるNPO法人山岳会の清掃イベントにおいての概要や山口宇部空港における「おもて宇部」の合同セミナーの事例があったが、まったく単独でのセミナーはこのときが初めてであった。

初セミナー開催は山口宇部経済新聞で取り上げられ、大々的というほどではないがFBタイムラインにて告知された。このときのイメージ写真掲載のために渡邊翁記念公園の銅像前で記者に撮影されている。
【 自他の評価 】
この初セミナーについての自己の評価は完全に確立されており、即ち壮絶な大失敗である。他者からの評価も明白なステートメントがないだけで極めて低いものが想像される。聴講者からお代を頂かずに開催できたのがせめてもの救いとしか言いようがない内容だった。その原因はいくつもあった。

まず、セミナーの主題が最初に要望されていたものから変化したこと。それに合わせようとして作成中のシナリオを弄ったことが致命的に働いた。このためセミナーで一番伝えたい中核が見えずまとまりのない内容に終始した。何もかも全部アウトプットしたいという気持ちが強すぎて所定の時間内に無理やり収めようとしたため、解説が不十分で更に難解なものとなった。スライドソフト(ノートPCの内容をスクリーンに投影して見せながら話すためのソフト)の資料作成を要請されていたが、個人的にはこの時初めてスライドを作成するソフトウェアをインストールして使う有様であり、スライドが前後へ行き来して見づらかった。後に「パワーポイントの資料ではページを前後してはならないのは常識レベルだ」と指摘された。[1]使用していたソフト(OpenOffice)の仕様上巧くできないことが多く、以後スライドソフトを使った資料作成自体を見送る遠因となった。

セミナー開催のための資料を準備する時間も足りなかった。開催日は9年間住んだ西梶返のアパートを後にして新アジトで居住開始する賃貸契約の開始日であり、引っ越し作業で慌ただしかった。更に14日には学童の郷土学習向けとして桃色レンガに関する授業を琴芝小学校で行うこととなっており、説明資料の作成に追われるなど近年ないほどスケジュール過密状態となっていた。

聴講者の質が悪かったとはとても思えないが、セミナー内容に合致していない参加者は確かに多かった。元々が起業家向けのセミナーである筈だったのだが、途中でターゲットを変更したせいもあり、もしかすると聴講に来たのに全然違う内容のことを聞かされたと感じた人があったかも知れない。講師が宇部マニアックスと聞いてどんな人か見てみたいという気持ちからの参加もあり、そういう人々にはある程度意向には沿っていた半面、宇部の歴史の解説を聞かされても恐らく退屈なものに映った。実際、あまりにも解説が退屈なせいか前列に座っていながら居眠りしている聴講者の姿があった。

後日寄せられた参加者によるレスポンスも芳しくなかった。良い評価があったのは以前から活動を知っている”身内”であり、穏当な感想を書くのは自然なことだった。何も知らずに参加した聴講者の評価の多くが辛辣だった。中には事前にFBで友達申請しておきながら、セミナー後に山口宇部経済新聞の告知記事をシェアした上で「何を言っているのかさっぱり分からない」「話している内容が支離滅裂」と自分のタイムラインで書き散らしている聴講者があった。感想を述べるのはまったく本人の自由であるが、わざわざ他人の評判を貶める発言を広範囲にシェアする人間は私にとって害悪以外の何物でもないので、FBでの友達関係を断つだけでなく恒久的ブロック措置している。(→有害な繋がり)
【 その後の影響 】
前述のように不慣れなスライドソフトを扱って失敗したこともあり、その後この種のソフトを使っての資料作成を敬遠するようになった。しかしこれはパワーポイントが悪というのではなく、使っている OpenOffice の仕様の悪さによるものが大きい。一般的に使われている Microsoft 社のパワーポイントはそうでもないかも知れないが、OpenOffice は無償で使える裏で不具合が極めて多く、[2]使っていてまったくストレスの溜まるソフトウェアである。

一部にはセミナーでパワーポイントを使うことの弊害を指摘する向きもある。スクリーンに投影された内容を凝視させるために聴くのがおろそかになってしまうと言われる。この点に関しては同意することも多い。もっともセミナー自体の壮絶な失敗もあり、パワーポイントの使用以前にその後のセミナー開催に慎重になったことは否めない。殊に2度目として試験的に開催された「航空映像から発見された物件」では内容的の評価は高かったものの、トーク内容の問題点を次々と指摘されたことによりスライドソフトを用いたセミナーの開催意欲が完全に消失した。そして「自分はよほど資料を元にトークすることには不向きで『書く』タイプの人間なのだ」という自己理解の元で、セミナー開催は当面封印してドキュメント制作に注力するようになった。

ドキュメントのみではなくトークを交えて郷土題材を表現できるようになるには、更にその後の宇部観光コンベンション協会主催の地旅による現地案内や山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」で番組制作に関与する時期まで待たなければならなかった。
出典および編集追記:

1. もっともその後受講したセミナー(例えば吉井デザインワークスの吉井氏による会合など)ではパワーポイントでページを前に戻して巧く説明し直す場面もあるため一概に鉄則であるとまでは言えない。

2. 例えば聴講者にスライドを見せながらトークするためのノートを記入し確定するとスライドの最初のページへ強制的に飛ばされる、スライド全体を俯瞰する左側のコラムを閉じてしまうと表示を元に戻す容易な方法がないなど。最終的にアンインストールして現在ではプレゼンソフト自体を使っていない。
《 ばにら 》
原義は、かつて一世を風靡したメールサービス Postpet(R) で宇部マニ管理人が飼い慣らしていたバーチャル野ウサギの名前である。現在では元々あったハンドルネーム「すた」の補佐的アカウントとして位置づけられている。名前の由来は、ミニウサギの毛がバニラの色をしていたことに依るとされるが、実のところ別の意味が隠されている。
本件の詳細については限定公開の場でしか記述できない

バーチャル野ウサギはメールを送受信する介添え役であったために、宇部マニ管理人のハンドルネーム「すた」において「ばにら」は対照的な存在として認識されている。リアルな世界の人間に対するバーチャルな野ウサギという存在、熟考する人間に対する直感的・野性的な思考形式という存在、男性である私に対比する理想の女性の名としても比喩される。

2つのハンドルネームを小文字表記し、両者をアンダースコアで結んだアカウント(sta_vanilla)はグローバルIDとして扱い、無料で登録可能な多くのネットサービスで取得されている。アンダースコアで繋げるのが正式な表記だが、サイトによってはアンダースコアの含まれるアカウントを認めていなかったり[1]、ハイフンさえ使えない場合[2]もある。こうしたサイトへの対応として sta-vanilla や stavanilla の表記も存在する。

退職後に個人営業の屋号を税務署に登録するとき、いっときは「すた・ばにら」を選定しようと考えかけていた。この発案は、何を営業しているのかまったく分からないという知人の勧めあって撤回された。また、Facebook の使用を始めた初期においては実名登録の利用規則に承服しきれず、姓と名をそれぞれ「すた」「ばにら」と入力し活動していた。
なお、一般名詞のバニラとは異なるのでアカウントは「すた」と同様に平かなで記載するのが正式である。
出典および編集追記:

1. 現在でもサブドメインの記法にはアンダースコア(_)の使用が認められていない。Infoseek時代の旧サイトにおけるアカウントが sta-vanilla であった所以である。

2. YouTubeなど。
《 ハマる 》
一般的な俗語としては何かの対象に特別強い嗜好を持ち、反復して触れようとする症例を示す。当サイトでもその用法が稀に現れるが、大抵は水気を含んだ柔らかな地面の歩行時に足元がズブズブと沈んでしまう状況を指す。極端な場合はスニーカーを履いたまま深く沈み込み靴が泥だらけになるため、以後の踏査が困難になる。
写真は低水位時の蛇瀬池踏査中まさにハマッてスニーカーが残念な状態になった直後の映像


普通の生活を営んでいるうちは靴が足にハマる場面など殆ど起こり得ない。当サイトにおいて特に目立つのは、水位の下がった池沼や干潮時の海岸河川に接近し、普段は水面下に隠れているものをできるだけ近くから撮影したいという奇特な性癖による。
《 引き売り 》
項目記述日:2022/10/4
最終編集日:2023/1/1
押し売りの対義語。一般的な言葉ではなく勝手呼称である。押し売りがどのような行為がは周知のところだから、その真反対の手法を想像すれば分かりやすいだろう。

宇部マニアックスとして初の小冊子を刊行したとき念頭に置かれた販売法である。これは概ね以下のようなポリシーである。
(1) 購入を促す言動を行わない。
(2) 同じ相手に二度以上の商品説明を行わない。
(3) 値引きしない。
(4) 立ち読みを容認しない。
如何にも商売気のない手法に見えるが、書店を介して委託販売するほど大量に制作するようになるまでは標準的手法として維持する。
【 販売メソッド 】
完全に購読者の意思に沿った販売を行うのを基本としている。知らない人に商品情報を伝えることは必要だが、片っ端から購入をお願いすると、それほど興味がない読者に商品が渡ることが起こり得る。買われた小冊子は読まれない確率が高く、特に渋々買ってもらった場合で内容が不満だと、次の購入は期待できない。ごく少数でも内容に満足して頂けたならリピーターとなり得る。今後も同種の小冊子刊行を考えているだけに、次作を期待して頂けるリピーターを増やせば制作するモチベーションを維持できるし制作部数の見積もりも容易になる。

小冊子の現物を見せて販売価格などの客観情報を伝えて、興味がなさそうであればすぐに片付けて話を変える。特に郷土関連の書籍に興味がないと分かっている方には最初から話を出さない。現物を見せていながら買わないと断る側に気まずい思いをさせてしまうことになる。まして売上げ重視の営業マンの如く押すことは絶対にしないし、事前に興味を示していた人以外への案内はいっさいしない。

数打てば当たるとばかりに知らない人を訪問しまくるのは、どんな商品であれ最悪の手法である。昭和から平成にかけて「断られたときから営業が始まる」と言われてきたが、今の時代には全く相容れない。断っているのに押すのは迷惑行為であり、要らないからお引き取り下さいと意思表明していながらなおも食い下がるなら警察案件である。
アパート時代に飛び込みの愚かな営業マンが帰らなかったので警察を呼びましょうかと忠告してあげた

小冊子は基本的に値引き販売しない。最初に税込み価格を決めて公表したなら、誰に対しても数量に限らず同じ価格を提示する。高いから買わないはともかく、値引きしてくれるなら買うというオファーは受け入れない。商品に対する価格見積もりは個人の自由だから、高いから買わないという評価は正当だし、その人にとっては本当に高いのだろう。しかし値引きするなら買うという態度は、小冊子の価値を現状より下に見ているわけだから却下する。こういう方には次回以降の案内自体がないだろう。

ただし冒頭で「基本的に」と断っているように、新刊をリリースして相当な期間が経過した場合の価格引き下げは熟考を要する問題である。連載漫画やリリース直後の新曲には時間的価値があり、早い段階で多数が買い求められ期間が経つにつれて売れるペースが鈍る。書店の書籍などの刊行物は再販制度によって価格が支えられているが、他国では一定期間経過後の時間的価値逓減を販売価格に反映させている場合がある。時間が経っても価値が下がらない古地図などの客観資料は対象外になるだろう。

また、学童などでどうしても小冊子を読みたいけどお小遣いが足りないという状況を値引きできないからと無碍に却下するのも大人げない話である。この辺りは実際にそういう事例が起きた時点で判断することになるだろう。

立ち読み条項は、この引き売り手法の中でも異質な販売メソッドである。書籍の内容がまるで分からなければ購入の判断ができないので、厳格過ぎるように思えるかも知れない。このためホームページには小冊子を開いた状態の写真を掲載し、内容も概要を書いている。もう少し内容を知りたい方のために、対面販売時には常に見本誌を携行している。見本誌を手に取ってパラパラめくることはできるが、熟読することはご遠慮頂いている。

書店で販売されている多くの書籍は現物を手にとって閲読できるし、中にはかなり長時間立ち読みしている客もある。書店もそのことについてあまりとやかく言わないのは、一般に膨大な書籍類がストックされており、その売上げで埋め合わせ可能だからである。それ故に立ち読みは(袋綴じで販売されるものを除いて)概ね黙認されている。

有償で販売されている書籍類をじっくり読んだ末にやっぱり買わないと書棚に戻して退出するなら、その行為は明白なタダ読みである。立ち読みと表現するから罪悪感が薄いだけであり、やっていることは明白な情報の窃盗である。近年は単行本や雑誌がビニル袋に封入されて販売されているが、寄稿している著者の権利を保護するなら当然のことである。

最終編集日において初版となる小冊子の特典付き限定分は、この販売メソッドと関係者の協力を頂いてほぼ完売した。この販売メソッドの実施で、小冊子発刊情報だけを聞いて即座に購入された方が9割以上で、見本誌を手にとって中を見た上で買われた方はゼロだったという興味深い結果が得られている。

この事実は、今後発刊する小冊子を不特定多数の客が手に取りやすい書店に出しても立ち読みされるだけでメリットが薄いかも知れない推論を補強する。他方、書店は写真や文字情報を求める人たちの結節点であり、多数の方に受け入れられる内容ならば口コミで伝播するメリットは大きい。宇部マニアックス文庫は現時点でたった一つしか刊行していないので、願わくば立ち読み可能になる程度に多種多彩な刊行物を制作することを遠い目標にしたい。
《 日ノ山系 》
項目記述日:2021/4/25
市内東部の日ノ山やその下の海岸で見られるような岩の質感を表現した語。地質学的にみた厳密な分類ではなく素人判断による勝手呼称である。
写真は若宮海水浴場の東側にみられる特徴的な色調の岩。


霜降山系と称しているものと同種の花崗岩であるが、それよりもピンクや赤の要素が多い。ぽろぽろと崩れやすく砂防対策を要する地質など色調以外では霜降山系と同一である。分布は日ノ山山中とその下の海岸で、きららビーチから阿知須にかけて部分的にみられる。霜降山系と同様の色調をした岩の方が多い。日ノ山系ほど赤系の色調が目立つ花崗岩は今のところ他の場所では知られていない。
《 ふいんき 》
最終編集日:2022/3/23
雰囲気(ふんいき)の誤読。過去にはしかるべき方面でネタとして流行った時期があった。誤読であることを知りつつわざと「『ふいんき』が正しく漢字変換できない」と問いかけるのが定型句である。[1]
この影響を受けていた当サイト制作初期では故意に誤記を通している箇所がいくつかある。地域SNSでは常用していたために移植公開の記事には特に多い。しかし現在ではネタが通じる読者メンバーが居ないせいか衰退している。

ちなみに近隣地域でも雰囲気を「ふいんき」と揺らいで読む方言の如き使用例は見当たらない。拾ったを「ひらった」と読むような部類については方言の項目を参照されたい。
出典および編集追記:

1. この定型句はふいんきネタとして知られている。詳細は「ふいんきの基礎知識」を参照。なお、近年のIMEでは多くの制作元で誤読を指摘し正しい読みと変換を与える機能が備わっている。
《 フォルムを愛でる 》
項目記述日:2019/12/23
最終編集日:2022/4/4
物件の属する形態的カテゴリに関係なく、観察したときの形状の希少性や秀麗性を題材とする外観的カテゴリ分類の一つ。道路、河川、ダム…といった区分が形態的カテゴリ分類であり、当該物件の形状、色彩といった物差しで区分するのが外観的カテゴリである。フォルムを愛でるとは純粋にその外形の美しさや面白さを評価するものなので、物件のみならず素材にまで及ぶ。フォルム(forme)とは deformé の対義語であり、実際に観測されるままの形状であることを意味する。

いくつかの形態的カテゴリに跨がるとは言っても外観の形状が評価対象であるから、有形物が中心となる。人工の構造物が特に多いが自然界にみられるものも結構ある。何処にでも普遍的にみられるものは特に頓着されることがなく、幾何学的に美しく感じられるものが対象となることが多い。

もっとも分かりやすく観察も容易なものを例に挙げるなら、JR宇部線の新川橋りょうがある。これは典型的なトラス橋であり、側面から観察すると直角二等辺三角形の連なった形状として認識される。


一般には新川橋りょうは河川(真締川)、鉄道(JR宇部線)、橋(橋りょう)といった形態的カテゴリに跨がり、そのうちの一つに諸元を記載した総括記事が作成される。しかしフォルムを愛でる観点からはその外観だけに関心がある。写真撮影においても意図した通りのフォルムが得られるように視座やアングルが工夫される。

個別物件に対する深い理解には程遠いが、特異な形状をしているものは発見されやすいため、特段の予備知識を要さず撮影対象にできるメリットがある。このような外観の観察を経て別の新たな特性を見つけ出すことも多い。
【 演出系フォルム 】
対象物をそのまま観察しても特に見るべきものはないが、ある特定の角度や遠方からのズームによる撮影、見る時間帯など旬ネタ的要素を追加することで特異なフォルムを呈する題材が存在する。親指と人差し指でOKのサインを作り、それを満月バックで撮影することにより恰も満月を摘まんでいるような写真があるが、類似する手法によって特定のフォルムを創造するのである。未だ正式名を与えていないが、暫定的に演出系フォルムと呼んでいる。

典型例は、市道床波吉田線と市道吉田丸尾線の交点となるT字路付近にある吉田バス停をある場所から観察したときに成立する吉田三連発である。蛇の道は一定箇所からズーム撮影することにより道路のセンターラインと路側帯が異様な蛇行曲線となるものであるし、一部を故意に被写界から外すことによって異常なメッセージや案内に読み取れるロードペイント類が知られている。これらは物件に対する知識よりも発想の転換や注意深い観察力が大きな鍵となり、街角ウォッチの良いモチベーションを与えている。

若干蛇行した水路や道路は、離れた位置からズームによる圧縮効果を使って極端に歪んだ蛇行状態で写すことができる。このうち蛇瀬川の三面張り水路部分を使った演出系フォルム画像は、小羽山ものしり博士づくり計画の2021年創刊号に掲載されている。
《 プチ遭難 》
項目記述日:2019/4/26
最終編集日:2020/2/13
自力での移動が可能なものの、既知の場所やランドマークへの位置が何処も把握できていないまま相当な時間にわたって不定方向に歩き回っている状況を指す。自力で動くことができなかったり、手持ちの情報だけでは既知の場所やランドマークへ移動する手段がまるで分からず他者からの援助を必要とする真の遭難とは異なる。

ある程度の範囲にわたる山中を歩き回ったり長丁場の藪漕ぎ道中に起こりやすい。現在位置が充分に把握できていなくとも、例えばある場所への到達を目的として道のない山中を強引に進攻し続けている間はプチ遭難ではない。一定距離ほど進攻すれば到達できる場所なのに明らかに方向や距離が違うことに気付き、来た経路を引き返しても既知のどのランドマークにも戻れないと判明した時点でプチ遭難となる。

プチ遭難や真の遭難が起きるのは確率の問題である。進攻の見通しが甘かったり地形分析が粗雑だと起こりやすくなる。移動中のランドマークを正しく把握していないことも原因となる。数多くのプチ遭難を容認してしまうと、やがて真の遭難が起こるかも知れないのはハインリッヒの法則そのものである。

言うまでもなく現在まで真の遭難は一度も体験していない。No.11の到達経路として市道持世寺田の小野線から強引に山を越えて斜面を下るルートを提示したとき私は二度実行して安泰に戻ってきたが、同志が2人組で移動していながら殆ど真の遭難に近い状況に陥り、何時間も山中を彷徨う経験をしている。

私自身のプチ遭難の事例は、黒岩山の登山後の帰路ほぼ同じ場所で2度も起こしている。特に2度目は高低差を読み誤り採石所跡の削られた崖の下まで降りてしまい、日没前に帰宅するには20m近くある崖を強引に登って戻る以外ない危険な状況であった。


何のランドマークも存在しない山中をあてどなく歩き回ればプチ遭難は容易に起こる。先述の黒岩山の事例は、かつて開墾され平坦な畑地になっていた場所にモウソウチクが進入して竹藪となったことで視界が効かずランドマークが乏しい上に似た地形が多いことがプチ遭難を誘発する要因となっている。
《 物件 》
項目作成日:2020/7/19
最終編集日:2024/2/26
物件という語は、一般には賃貸や売り出しに供された不動産を原義として用いられる。しかし当サイトでは原義で使われることはなく、当初から主観的にみて特別な要素をもった対象という意味で用いている。案件と表記している場合もあるが同義である。管理人のウォッチ対象であり、写真や詳細説明などの記述を交えて当サイトを構成している。
【 物件の定義 】
何をもって物件とするかについて、現在では以下のように定義している。[1]
観察者にとって特別な興味を惹き、その成り立ちなど背景を肉付けすることで他の人にも類似する興味を共有できる可能性のある有形物。
著名な寺社仏閣や史跡、風光明媚な観光地など多くの書籍で紹介されるもの(古典的物件)を含み、それ以外の微細な遺構や現役の構造物もその存在意義や背景を記述することによって物件に含められる。したがって物件とは一般に認識されている郷土史跡を拡張した概念と言える。
【 記事化における関連性 】
物件は当サイトで記事作成される最小単位として機能する。ときわ公園や真締川のように線的・面的要素をもつものは、その中に異種のいくつもの物件を内包している。現役の国道・県道・認定市道はそれ自体物件とはとても思えないだろうが、沿線に存在する物件を説明する過程で母体となることから、当サイトでは歴史的に物件として扱ってきた。後に資料によって当該道路の成り立ちが判明したり建設時の状況が判明したりすることで、総括記事を伴った物件となっているものもある。

他方、方言や人物、祭りやイベントといった場所性を持たない対象は検証可能性を満たさないことが多いため、現在のところ物件には含めていない。しかし当サイトではそれらを文化カテゴリに属するものとしている。フォルムを愛でるといった取り組みのように、物件とそうでない文化的なものの中間に属するものもあり、これらを記事化するときどう扱うかについては現在模索中である。
物件の分類
夥しいジャンルにわたる物件をどのように分類するかは、永年の課題であった。これは物件を撮影した画像(動画を含む)と、それを用いて構成されたドキュメントの分類がある。近年、すべての物件を10のカテゴリに区分し、非物件だが記録すべきものを文化カテゴリに含める試みを進めている。ただしこの課題に取り組むよりはるか前から橋やトンネルといった記事が作成済みであり、画像とドキュメントが異なる区分を持つこととなる二重構造を当面の間、追認することとした。

10のカテゴリ分類については、項目に設置されたリンク先を参照。
【 封印物件 】
踏査を行いながらも後に様々な理由によってそれ以降の調査や再訪を行わない扱いとなった物件。概ね以下の事由に該当するものが封印扱いとなる。
(1) 私有地または社有地であることが判明し、関係者以外の立ち入りや撮影自体が容認されていない場所にある物件。
(2) 所在地や現地の状況を公開すると、不用意に訪れた人が重大な事故を起こす恐れのある物件。
(3) 稀少な動植物の分布が確認されており、公開することで乱獲や環境破壊が懸念される物件。
(4) 現地の訪問や撮影に関してトラブルを起こした物件。
該当する前に採取された画像などはそのまま温存されるが、ホームページなど一般公開されていた記事や写真は削除される。関係者およびメディアを通した許可申請を経て入場できる場合を除き、個人的に再訪することはない。

封印物件は特定の場所や広域にわたる場所など多様である。具体的にはあるお寺や鉱山跡、水利関連の遺構などがある。広域に該当するものとしてUBE(株)のエリア内にある物件(ダブルストレーラー平面交差地点や牛岩神社など)がある。この件に関して調査したところ国道190号宇部興産本社前交差点より海側はすべて社有地であり、関係者以外の立ち入りや写真撮影は禁止されている。

関係者の回答として、本来は宇部興産本社前交差点から社有地側に門衛を置くべきところを便宜上省略しているだけであり、関係部署に用事がある場合以外の立ち入りは禁止という。現状は工場の夜景を撮る目的で立ち入り写真撮影する人は多く、ネット上にも写真が散見される。一連の行為は承認を得ていない限り不法侵入にあたり、通報されて退去しない場合は警察案件となり得ることに注意が必要である。

なお、本件に関して社有地であるから立入禁止が明言されているものの、牛岩公園の訪問は構わないと答える担当者もあり首尾一貫していない。当サイトでは以前掲載していた宇部興産関連の記事は、誰でも観察可能な常盤用水路関連を除いてすべて削除している。あまりにもトラブルが多いため、最近はいっさい周辺に立ち寄らない。個人的には「郷土資産に理解のない会社」と認識しており、この体質が改善されないうちは今後も記事にする予定はない。

現地で怪我をする恐れがある場所として、常盤池周辺に分布するタブ跡がある。転落すれば脱出不可能になる場所が知られており、こういった情報はホームページには公開しない。また、野性のランの自生地やサンショウウオの棲息地についての情報を得ているが、不用意に公開すれば乱獲を誘発するため当サイトがその原因を作ってならないのは明らかである。

私有地でも白岩公園のように誰でも訪れて構わない場所は従来通り公開する。しかし公地であって誰でも訪問・撮影を行って良い筈の場所でも撮影していたり、時には周囲を歩くだけで暴言を吐かれるなどトラブルになった事例が数多くある。遺憾ながら、このような対応を取られた場合は以後の訪問を見合わせるだけでなく、当該物件の話が出る都度誰であろうが不用意に訪れるとトラブルになりかねないから行かないように勧めている。その中には比較的著名な景観地もある。物件に限らずそういった対応を取られた場所が市内でも無数にあり、そういう「注意喚起スポット」は(当サイトには公開しないが)事ある毎に情報共有している。
出典および編集追記:

1.「FB|2018/8/15のタイムライン
《 踏み跡 》
かつて人の往来があったと推定される僅かな痕跡などを指す。写真は白岩公園の東ピークにあった短い踏み跡かも知れない場所。


一般には獣道(けものみち)と呼ばれるものの一部である。真に人が歩いていた痕跡である事例はそう多くない。野生動物の通路に過ぎない場合が多く、中には部分的に低木や雑草などが生えない領域が自然発生しているものの誤認もあり得る。

踏み跡探しは、まったく人の通らなくなった廃道などで以前は道があったと思われる場所を推測する有効な手法である。その性質上、当サイトではしばしば藪漕ぎとセットになって現れる。

近年は野生動物が里山近くまで降りてくることが多くなり、不用意に藪漕ぎや踏み跡を辿ると遭遇してしまうリスクがある。概ね足跡や気配を感じて逃げ去っていくが、踏み穴近くまで知らずに踏み込んでしまうと襲われる。このため藪漕ぎはもちろん人が殆ど通らなくなった山道を一人歩きする頻度も下がっている。
ふるさとコンパニオン
項目記述日:2019/9/6
最終編集日:2021/4/26
宇部市内において、郷土の史跡や彫刻などの見どころを一般向けおよび他市他県からの来訪者に案内することを主な目的とした団体の通称名。正式名称は宇部市ふるさとコンパニオンの会であるが、所属会員自身はしばしばふるコンと略称している。宇部市観光・シティプロモーション推進部、観光・グローバル推進課より派生する団体で、参加者自身が歩くことで健康作りに寄与すると共に郷土の再発見の手助けをするプログラムを提供している。[1]この点で宇部観光コンベンション協会が手掛ける地旅に似るところがあるが、ふるコンのプログラムは食事や入館を伴わないものは参加費が無料である。

郷土を舞台に活動する点で共通項が多く、従来から散発的にふるコンの主催するイベントに参加していた。2018年の新規会員募集の折にはメンバーの誘いもあってふるコン会員養成講座に参加したが、個人的に受け入れ難い部分がいくつかあり研修会終了後は正規会員にならず離脱している。詳しくは項目のリンク先を参照。

covid19の影響で会員や参加者を問わず大勢が集まる形態のイベント開催が困難になってきたことを受け、全メンバーが一通りのガイドができるように養成されていた従来の方針を改め、彫刻や郷土史などいくつかの分野に分割し各メンバーが得意とする分野に特化できるよう改訂された模様。
出典および編集追記:

1.「宇部市|観光ボランティアガイド
《 ブレインダンプ 》
項目記述日:2019/3/2
聞き慣れない言葉だが、脳へ意識として上っている事柄すべてを紙などへ書き出すこと。ブレイン(brain)は脳、ダンプ(dump)とは内容物をバサッと取り下ろすことをいう。特に朝起き抜けで脳裏へ次々と浮かんでくることを書き出すことが有効とされる。[1]
用語そのものは出典先の記事で初めて知ったが、同等の行為はかなり有用なものと気付いて比較的最近行い始めていた。
【 実行事例 】
記事で指摘されているように朝が確かに効果的である。不思議なことに朝起きた直後は脳が通常でないほど活性化されているようで、普段起きているときには浮かびようがないアイデアや発想が生じている。ときにはまだ完全に目が覚めておらずまどろんでいる状態でも発生している。気の利いた語録めいたものが多く、脈絡もないキーワードの羅列である場合もある。

特にこの現象が連続的に起きているとき、何もせずベッドでうとうとしているのが惜しくてブレインダンプと言える行動をとっている日のメモがある。
脳の活性化というのだろうか。朝、まどろんでいる間にいろんなアイデアやコンセプト、企画、キーワードがぽんぽんと浮かんでくる。それらをダダ漏れにさせるのが惜しくて起き上がって書き付ける。今もそうして起きてきたところだ。(2019/8/24)
朝起きた瞬間が一番多いが、その他に風呂でシャワーを浴びているときも同種のことが起きる。このときはすぐに書き付けることができないので、重要かも知れないと感じたアイデアは風呂から上がるまで失念してしまわないように唱え続けてメモしたこともある。現在しているようにずっとデスクへ向かっているときに同種の活性化が起きたことは殆どない。

実際にダンピングを行うときは紙と鉛筆ではなく、PCを起動してデスクトップ上に作り置かれている一時記録用のメモ帳ファイル(Temp.txt)に打ち込んでいる。一からPCを起動させているととても時間がかかってしまうが、うちではPCを常時スタンバイで運用しているのでマウス操作やキーボードの打鍵により十数秒で”復活”し文字入力が可能となる。

ブレインダンプで得られた情報のすべてが有用であるとは言えないにしても、普段デスクに向かっているだけでは生じようがない奇抜なアイデアがしばしば発生する。通常は手元の情報やデータと脳裏に仕舞われている記憶を統合し、某かの結論や対処法を導いているのだが、朝起き抜けのブレインダンプでは起床時のような統合作業を伴わない。起きた瞬間から脳裏に何の前後関係もなく一つのセンテンスが置かれているような状況である。
【 朝起き抜けの活性化が発生する理由 】
機序は不明にしても確実に言えそうなことは、何故睡眠がそれほど重視され必須であるのかの理由そのものだろう。無から有を創り出すような作業は起き抜け直後の時間帯がもっとも適しているように思われる。
出典および編集追記:

1.「1日の生産性は朝に決まる。頭の中を整理する「ブレインダンプ」のすすめ|ライフハッカー
《 プレゼンテーション 》
項目記述日:2024/2/11
複数人を前に文字や写真を交えて情報伝達する手段のことで、会社での会議や一般聴衆向けの説明会ではしばしばプレゼンと略称される。以下では個人的な関わりに限定して記述する。
【 初期の状況 】
宇部マニアックスとしての活動が増えてきた初期、プレゼンを行って題材提供する機会があった。数年前ではプレゼンと言えば Microsoft の Powerpoint(しばしばパワポと略称される)の支援ソフトを使って制作されたグラフや資料をスライドショーで提示するのが一般的だった。無償で使えるものとしては OpenOffice が同等機能のソフトを提供している。

当時はスライドショーの制作自体にまったく知見がなかったため、扱ったことがある知人からノウハウを教えてもらった。重要なこととして表示される文字のテキストを大きくして見やすくすることと、スライドショーのページを前後に操作しないで済むように作ることを強調された。この時点で一般向けの講座で、プロジェクターから表示される文字が小さくて見づらい現象が指摘されていたし、ページの前後操作は分かりづらい印象を与えるからだった。

この目的で OpenOffice からプレゼンソフトをダウンロードして制作を始めたものの、酷く手間がかかった。慣れだけの問題ではなく当該ソフトには不用意に変更した表示状態を元に戻す操作がないなど不可解な挙動が目立った。非常に時間がかかって目的のスライドショーは完成したものの、もう二度とやりたくないと思わせてくれるソフトウェアだった。しかし代替手段がなく、二度目に琴芝小学校で桃色レンガにまつわる郷土学習を行ったときもこのプレゼンソフトを使った。制作には前回以上に手間がかかり、すっかり嫌になって当該ソフトをアンインストールしてしまった程である。

その後もプレゼンを必要とする場面は何度も訪れた。写真やグラフと共に情報提供するスライドショーの有用性は確かであるにしても、正直言って「あの忌々しいソフトウェアを使うことを考えただけでモチベーションが萎える」状況だった。
【 プレゼン手段の方針転換 】
そこまで実施してきたスライドショーでは、重要な文言を書いたテキストと写真だけで構成されていた。元データはテキストファイルと画像ファイルなので、プレゼンソフトで編集するより直接プロジェクターで表示させた方が簡単である。早い話「講演を行うならプレゼンソフト」という固定観念に縛られていただけだったのである。テキストもプロジェクターで表示させるために大きな文字で画像化すれば一元管理できる。表示させる順番を保つため最初からファイル名を数値化すれば良い。

しかしこの方法ではプレゼンソフト無しで対応できない部分がある。スライドを表示させる都度、呼応した説明を行うテキストが表示されない。一般的なプレゼンソフトでは、プロジェクターで提示している一つ次のサブ画面に説明文が表示され、講師はそれを見ながら解説することができる。初期には話しながら画面を進めるタイミングを書いたノートを別に用意していた。この方法で援用した初期の事例が、小羽山小学校すくすく教室で学習アドバイザーとしてスライドショーを見せたときのことである。

局長もプレゼンソフトに頼らずに別の方法でデータをスライドショーで投影するスタイルを支持している。プレゼンソフトで制作されたファイルは特有の拡張子を持っていて、該当ソフトがなければ開くことができないためインストールはしているが、私はプレゼンソフトを受け取る機会自体がないため OpenOffice の表計算ソフトのみ残して他は削除している。
【 現在の状況 】
プレゼンソフトの存在自体を否定する積もりはない。上手に活用すれば今でも訴求力の高い情報伝達手段を支援するソフトウェアであり、たまたま私が初期に出会ったソフトが残念なものだったからであろう。行政を含めて今でも説明会ではまったく一般的である。しかし私個人としては今後もプレゼンソフトで講話などの資料を作成することは、恐らく永遠にないだろうという感触がある。元から情報伝達したい対象が特殊なことと、それを簡易に説明するのに凝った演出などまったく不要だからである。

これは「プレゼンを通して何をどう伝えたいか?」という本質的部分である。新商品の提示や学術論文の発表、データを交えた問題提起などなら重要だが、個人的に何かを訴えたいのならプレゼンソフトは本質ではない。聴衆にスライドショーで提示するのと同じ資料を配付する必要もないと言うか、しない方が良い。理由はプロジェクター画面を凝視したり手元の資料を黙読するなどして、せっかくの講師の話に耳を傾けてくれなくなるからだ。

この手法を確立したのは桃山中学校の郷土学習だった。
写真は郷土授業を行う前にノートPCをセッティングしてプロジェクターの表示状況を確認している場面である。


実際の授業では、ノートPCのメイン画面で次に表示されるファイルを確認しつつプロジェクターで投影されている情報を元にトークを行った。大まかな流れを書いたノートも持参していたが殆ど目を落とすことがなかった。郷土授業だから生徒は手元の資料がなく、体育館の床に座ってプロジェクターないしは私を見ている。そもそも話す内容は自分にとって完全に分かっていることだから、生徒たち全体を見回しながらトークを続けるべきなのである。しゃべる内容を書いたノートを追って延々と話し続ける子ども向けの郷土授業の一体どこが刺激的だろうか。

このことは少なくとも私の場合では一般向けのトークでも当てはまる。スライドショーで投影するのと同じデータを資料配付するのはまったくのムダだ。余計な時間と手間とコストがかかる割に、トークが終わって参加者が自宅に帰ったところでまず資料を見ない。扱いづらいし半数以上の聴衆は棄てるだろう。私自身、これまで参加した説明会で受け取った資料は、カメラ接写して画像化し重要なもののみ残して捨てている。現物を保管しておいても必要なときすぐ取り出せなければ、場所をゴミである。
【 一般的な提言 】
先述のように、プレゼンソフトの使用やスライドショーを否定するものではない。自宅に持ち帰って閲覧可能な資料を配付するのも一般的である。しかしどう考えてもいただけないのはスライドショーに提示される小さな文字。これだけは是非とも止めていただきたい。何かのグラフを提示するとき文字が小さくなるのは致し方なく「詳しくはお手持ちの資料をご覧頂いて…」もアリだが、大きく表示できる文字が小さいままだと後ろの席の参加者は見えない。読み取れない文字を平気でスライドショー提示するなら、訴求の本気度を割り引かれても致し方ない。

それから凝ったエフェクトや演出も必要とは思わない。写真を次々とスライドショーで見せるなら分かるが、ワイプや吹き出し挿入の追加などはあまりに多いと鬱陶しく映るし、真面目な説明会では軽々しい印象を与える。
《 文化人 》
項目記述日:2021/1/13
宇部マニさんのかつて報道されたことのある一呼称。山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」の2020年総集編にてそのように紹介されたことがある。
画像はそのときの放映画面。


自身では特に文化人[1]であることは意識していない。文化の示すものは多種多様で、誰でも文化人であり得る。

当サイトおよび画像の分類範疇に限定すれば、有形物主体である物件ではなく、物件以外の素材でもない無形物は文化カテゴリとして収録している。原典画像は特定の会合とイベント、郷土資料、一部の個人的記録と2010年以前の古い画像を除いて映像化記録というフォルダにすべて収録している。これらのフォルダに属する画像は、物件の画像とは別枠で管理されている。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - 文化人|概略
《 別の価値観 》
項目記述日:2019/2/23
最終編集日:2019/9/6
当サイトの管理人の挙動には、些か奇異で一般には理解困難な部分が目立つ。そのことを自覚している。特異な挙動のうちいくつかは誰でも完全に賛同可能であり、別のいくつかは殆ど受けいれられなかったり俗に「ついて行けない」部分がある。それらをひっくるめて世間一般に観測される所作や考えと比較し「普通ではない」部分について「何故そうするのか?」「どうしてそう考えるのか?」の統一的な回答として説明される語である。

あまりに抽象的かつ一般論に過ぎるので例示すると、当サイトの管理人は身に着けるカネについて一般的な現代人ほどに執着していない。普通カネは沢山あればあるほど嬉しいものであり、完全に割り切った思考形式や行動様式を表明して憚らない人も多い。だから「宝くじで一億円当たったら…」といった想像を好み、そのことに関して夢があると考える。当サイトの管理者は、宝くじで当たったらという想像を行う以前に、宝くじそのものを強く否定するし現状の宝くじを害悪と考えている。金銭やモノは生活に必要なほど持てば足り、それ以上を執拗に追い求めるとロクなことがないと考える。

この項目を作成している現時点で当サイトの管理者の経済水準レベルは極めて低い。もう少し経済的にゆとりある生活を送りたければ、何処でも良いからパートの仕事に出かけるべきなのだがそれをしない。時間を拘束されることで金銭を得られる仕事はいくらでも存在するものの、逆に金銭を用いて時間を取得することが甚だ困難だからである。一方的に流れていく時間は蓄えることができない崇高な存在であり、状況によっては金銭を得て余剰に働くよりは何もしない時間を手元に置くことを選好する。

そこには「可能ならなるべく多くの金銭を手にして好きなことに使える方が幸せ」という多数派的意見に反した論理であるが、それを「新しい価値観」とは呼ばない。何故なら「モノより想い出」という語があるように、金銭で買えないものの価値を尊ぶことは随分と昔から唱えられていたことで、何ら「新しくはない」考え方だからである。それ故に既にある多数派とは「別の価値観」と婉曲に表現するのである。

外観的にみてかなり顕著な特徴として、当サイトの管理人は好き放題に髪を伸ばし外出時はポニーテールを結っている。単なる無精という見方がされるかも知れないが、長髪好きは子どもの頃からそうである。伸ばす代わりに不潔なのは嫌悪し、日々のヘアケアを怠らず良い状態を保つ努力をしている。

一般に長髪と女性は結びつけられがちであり、女の子のようだとしばしば言われる。そして固定観念的なその評価をあながち否定もせず、むしろ加速させる方向に進めようとする。ピンク色や♥型のような可愛いアクセサリーを好んだり、可愛いシュシュをもらうだけでなく自分で買い求めて装着するし、爪もピンク色やすたカラーで塗ってトップコートで保護したりもする。小物入れには数十種類のシュシュがあるし、ネイルカラーも数種類持っていて実際に濃いピンク色を塗って外出することもある。

最初期は髪を結って買い物へ行くのでさえかなりの勇気が要った。初めて外出したのはアルク琴芝店での買い物であり、自分の中で「ポニテデビュー」と表現している。初期には子どもから「女の人?」と言われることもあったが、最近では大人も子どももまるで頓着しなくなっている。人間は誰しも同じ刺激を与えられ続けるとどんな種のものでも「普通の刺激」にまで低下してしまう。そのことは身なりならずとも宇部マニアックスの活動の特異性ですら同様であることを理解している。初めてこのサイトや私という人物を知ったとき、崇高な取り組みだと最高レベルの敬意を持って扱われ、是非サポートさせて欲しいなどと言われる。しかし初期にそれを表明しながら何年経っても同じ気持ちで居続ける支援者は数えるほどしか居ない。それ以外の殆どの人にとっては刺激も慣れてしまい「別に大したことない」という存在になる。最初だけである。

それらを理解しているので、傍目にも男性らしくもない格好をしている自分を指して「これが21世紀の新しい生き方だ!」などとテンション高く宣言する積もりもない。別に新しいものでも何でもないからである。およそ自分(実は誰であっても)が思い付くようなことは、そのすべてがかならず既に他の誰かが先に提唱している。だから「新しい価値観」とは決して言わずに、今まである多数派の考えを認識した上で、それとは「別の価値観」と表現しているのである。

別の価値観と呼ばれるものは実に多様性を帯びており、最近、現代社会は、年齢や立場や国別性別による「別の価値観集合体」の多層レイヤー構造で出来ているという見方をするようになった。現代人の社交とは、それらのうち重なり合ったり類似したりするジャンルの情報をすり合わせる行為と定義付けられる。重ね合わせ可能な手持ちの情報は、状況に応じて提示できるレイヤーである。いろいろな場所で相手の興味を惹く手持ちのレイヤー構造を重ねることができれば人との交流に恵まれるが、他にいつくか持っていて高い価値を感じているレイヤー重ね合わせの時間を取られ多忙になり過ぎてしまう嫌いも有る。多数のレイヤーを持つことはできても、およそ生活時間は誰も有限だからである。

ごく少数あるいは単一の提示可能なレイヤーしか持たないならば、専門性が極めて高まるが交流に恵まれづらくなる。また唯一持つレイヤーが当人の強みであったとき、もしそれが破綻した場合に忽ち人生で追い込まれるリスクを背負う。仕事一本槍で生きてきた昭和のサラリーマンが定年退職した後で燃え尽きる状況に似ている。誰もが普遍的に持っていそうなレイヤー構造を保有して重ね合わせれば、ごく無難な人生になるだろう。しかし当サイトの管理人は「20代で大学卒業し30代で仕事の脂が乗り40代前で持ち家を構えて50代で管理職になり60代でそろそろ老後を考える…そんな定式化された人生の一体何が面白いものだろうか?」と考えるので、敢えて道を外れて誰もがそんなには持ってなさそうなレイヤーをいくつも造り上げ、重ね合わされそうな人やコミュニティーを探そうとする。これがありきたりと思われている人とアクションを違えるモチベーションであり、即ち「別の価値観」なのである。

別の価値観を表現するもう一つの理由は、生き方や余暇の過ごし方の指針として提唱はすれど「今までのAなんて考えはもう古い!これからはBだ!」のような排他性を持たないことを明確に主張するためである。先の宝くじの例で言えば、1億円当たるのを夢見ることが怠惰な考えのわけがないし(確率論的には甚だ無意味ではあるが)夢がある。人間はなるべく労苦を遠ざけて快楽を増やしたい生物だから、好きなだけ湯水のように使える多額の金銭を持つことが憧れの対象であって悪いわけではない。「Aは正しいけどBも正しい」のスタンスである。そこには近年特に意識すべき「多様な価値観を受けいれる」という現代人に必須の考え方がある。

まとめれば、現代社会は法律や道徳といった広く認知されたり同意されたりしている基本ルールに背かない限り、どんな思考形式や価値観も受けいれられるステージである。誰もがこのステージの上で好きなように振る舞って構わない。初めて見聞きした文化や習慣は奇異に映るかも知れないが、個人的に理解できないと感じたり同意しかねると思うのは自由であっても、決して否定してはならないのである。歴史的には、この「別の価値観」と言える存在が充分に認知される土壌になく、全面否定し積極的に潰そうとしたり、オーソドックスと目される思考形式へ統一しようとしたからこそ、人種差別や戦争といった数多くの不幸を産み出してきた。現代人はそれよりも聡明に振る舞わなければならない。
《 ほいと 》
ほいととは市内を含めて恐らく中国地方西部で目立つ方言の一つで、草丈のある山道や野原を歩いたときズボンや衣服に付着する雑草の種を指す。

写真はコセンダングサの種子が衣服に付着する様子。


一般的呼称は「ひっつき虫」のようだが[1]、少なくとも地元ではほいとが標準語化しておりひっつき虫などと呼ばれるのを聞いたことはまったくない。県西部で概ね通じるようだが、人によっては「くっつきぼんぼん」などと別の呼称を使っていることもある。
【 言葉の由来 】
ほいとは漢字では「陪堂」と表記され、これは食事のもてなし(陪食)を受けることとされる。[2]植物のほいとは人や動物にくっついて自己増殖の力を借りていることから、他人をあてにして利益を求める態度を擬えている。実際、地元の方言としては至るところに顔を出し機会あらば利益を求めようとする人を指してやや侮蔑的に用いられる。

イバラなどの棘性植物ほど痛みは与えないが、ほいとは山歩きや藪漕ぎにおいて小さな脅威である。写真のようなコセンダングサはチクチクするものの除去は比較的容易であるし、ヌスビトハギは痛みはなく払い落とすのも簡単である。しかしササクサの種子は非常にタチが悪い。払い落とそうとすると鉤の部分から種だけ外れ落ちて鉤がそのまま布地に残る。こうなると爪先で一つずつつまんで除去しなければならず非常に手間がかかる上に生地も傷む。当然ながらほいとだらけの格好で人目につく場所に出ることもできず、目立たないようあらかた除去するまで次の行動がお預けになる。

宇部マニ管理人は植物に関する知見に薄く、草木の名前や種別特定が殆どできない。しかしこういった脅威があるため、特に藪漕ぎや草丈の深い場所へ進攻する前には少なくともササクサが生えていないかは注意している。例えば白岩公園の西側でかつて特別高圧線の鉄塔が建っていた付近に群生があり、メンバーを引率するとき被弾させてしまってからは「ほいと道」の勝手呼称を与えている。事前に特性を調べることにより、一連のほいとの名称も分かるようになった。
【 ほいとプルーフ 】
最近、ある店で防寒目的で買ったトップス+ボトムスのセットがほいとの害を受けづらい性質を持つことが判明し、藪漕ぎを要する物件の踏査において大いに役立っている。別に野山を歩くのに好適を謳った製品ではないのだが、表面が滑りやすいのと繊維の目が細かくほいとの鉤が食い込みづらいためのようである。このような性質のウェアをほいと耐性を持つという意味でホイトプルーフ(hoitproof)と呼んでいる。[3]
従来のスポーツウェアは通気性を保持しているため目が粗くほいとに対して脆弱である。宇部マニ管理人は草の多い野山へ入るときはホイトプルーフなウェアを身に着けることを推奨している。
出典および編集追記:

1. Wikipedia では「ひっつき虫」として収録されている。

2.「コトバンク - 陪堂/乞食/乞児

3.「FB|ホイトプルーフという概念
真面目に受け取られては困るので一応断っておくが、一見英単語のように見える hoitproof などという形容詞は存在しない。完全なネタであるが、宇部マニ管理人はこういった一見ありそうに見える英単語を作出するのが好きで他には KMC's とか jiraful などが知られる。
今のところ上記の単語は当サイトには現れていない
《 帽子 》
項目記述日:2022/6/9
最終編集日:2022/6/10
頭に被る装身具の一つ。男女とも常用する人とまったく被らない人で概ね半々くらいである。
写真は当サイトの管理人が現在使っている帽子。


当サイトの管理人は帽子を常用している。一人でアジトに居るときは当然被っていないが、屋外に出るとき欠かしたことがない。室内へ入ってもそのままだし、甚だ失礼と自覚はしていながらもどんな人と顔を合わせるときも脱帽しない。最終編集日時点より十数年も前から AGA を患い始め、脱帽状態の自分を人前にさらけ出すのがとても耐え難いからである。
【 色彩へのこだわり 】
写真でも分かるように、帽子はレディースのものを着用している。ピンクとすたカラーが好みで持ち色にもなっているのだが、その色の紳士物帽子は売られていないからである。調達先はしまむらが殆どである。ただしオフィシャルな会合などへ出席するときのために、メンズ向けの黒いものも持っている。

長く着用すると汗を吸って汚れるので、定期的にネットへ入れて洗濯している。それでもやがて色褪せたり黒ずんだりするため定期的に新しい物を購入している。普段使いならともかくこの2色以外の帽子を被る気がしないので、気に入った色を探すのにいつも苦労している。価格は安いに越したことはないが、着用するものに関してはデザインよりも色彩最優先である。

気に入った色の帽子がないと嘆いているのを聞いて、埴生バドに通っていた時期にメンバーの女の子が手編みの帽子をプレゼントしてくれている。
色が良いし冬は暖かくてかなり気に入って暫くずっと被っていた。


ただし頭のサイズを測らずに編んでくれたのでちょっと大きめで、自転車を漕いでいるとき逃げてしまうのが怖くて後にお蔵入りとなった。小物に限らず紳士物のシャツやパンツにこの種の色のものがまったく見当たらないのは、関連商品を製造販売する業者のリサーチ不足と考えている。
【 帽子以外の被り物 】
現在は使っていないがバンダナも持っている。要は頭を隠すことができれば足りるので、風で飛ばされにくく手軽で安いために一時期活用していた。ピンク色志向が明確になってからバドの女の子がピンクのバンダナをプレゼントしてくれている。しかし使うのが勿体ないと飾っていたままで結局そのままになっている。


外れないようにしっかり結んで留めるのに手間がかかること、結び目が解けたら頭部が丸見えになるリスクを感じていたのも理由にあった。

額の上で留めるカチューシャと一体化したバンダナが売られていて、これも数回使ったことがある。しかし自分が装着するには小さすぎるせいかカチューシャ部分が割れることが数回あってからは使わなくなった。
【 番組での着用 】
山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」出演時には、大抵ピンクかすたカラーどちらかの帽子を被っている。男性メンバーだけが登場する隧道あるはずでしょうでは、レディース色を抑えるために意図的に黒を被っている。

当然ながら番組中でも決して帽子を脱がない。大人の社会見学や隧道どうでしょうでヘルメットの装着が必要なときは、帽子を被った上からヘルメットを装着している。これをダブルヘルメットという。
画像は隧道あるはずでしょうの一場面。帽子の上にヘルメットを装着しているのが分かる。


見るからに奇妙だが、番組の中で宇部マニさんは堅苦しい説明を加えているシーンが多いので、少しでも滑稽さを醸し出すことに一役買っている。初めてヘルメットを装着したのは、おそらく大人の社会見学平瀬ダム工事現場を訪れたときと思う。工事現場への入場はヘルメット装着は必須だが、帽子を脱いたどころを誰にも見られたくなかったのでそのままヘルメットを被った。松田ディレクターもその方が面白いということで今ではダブルヘルメットが定着している。
《 歩数計 》
項目記述日:2021/3/26
最終編集日:2022/2/1
歩数を計測する小物アイテム。かつては万歩計と呼ばれることもあったが、商標名であることにより現在ではあまり耳にしない。
写真は最終編集日時点において以前に使っていた歩数計。購入時の撮影である。


外出時には常にポケットへ入れて持ち歩くことで歩数が計測されることから、日常生活を含めて歩行を主体とした物件調査の頻度や活動量をはかるおおまかな目安となっている。
【 初期の歩数計 】
一般に中長期で使う家電製品や衣類などを購入したときと廃棄時にカメラで撮影する習慣があるので、それぞれの時期が正確に分かる。現行の歩数計は2016年3月21日の購入で、それ以前はNTTのポイントで交換して入手したこの歩数計を使っていた。[1]
写真は動作しなくなった歩数計を廃棄する際に撮影したもの。


NTTのポイントとは野山生活時代にNTTと契約しダイヤルアップ接続していた時代に得られたもので、アパート生活に移行した後に提供されるようになった回線によりNTTを解約したとき消費している。このときのポイント消費で無線キーボードと一緒に入手したものだった。歩数計測が甘く、機器を手に持って揺するだけでもカウントしてしまっていた。また、NTTの準備したサイトと連動して日々の歩数をクラウド上に保存できるシステムになっていたが、後年そのサービスが停止され活用することはなかった。
【 現在の歩数計 】
現在の歩数計はおそらくデオデオ恩田店(現在はエディオン)で購入している。価格がいくらだったか覚えていない。クラウド機能はないが、2週間分の歩行数を保持できて身長体重を入力しておくことで消費カロリーやEX換算値を求められる。

歩数計は以前と同じく家とクルマの鍵を保持するリングにまとめて通しているので、外出するときはかならず携行することとなる。前代の歩数計に比べてカウントは非常にシビアで、きちんと身に着けて数歩以上移動しなければカウントしない。ポケットへ入れて部屋の中を断続的に動いてもゼロのままであることが多い。自転車に乗ってペダルを連続的に踏む運動もカウントせず、純粋に歩行のみを採取する。以前の歩数計はこれらをすべてカウントしていた。

この歩数計は何度も災難に遭っている。最大の災難は(ありがちなことだが)ポケットへ入れたままの洗濯であった。電子部品を内蔵しているため、洗剤による洗濯とすすぎに脱水まで経て発見されたときには当然ながら停止していた。


このとき諦めて次の歩数計を買いに行っている。しかし2週間連続で記録できる歩数計が何処にも売られていなかった。それより価格が高い上に記録日数が数日しかないものが殆どであった。新しい歩数計を日時セットした後になって諦めていた歩数計が正常動作することに気付いた。電池交換の要領で蓋を開けて乾かし放置していただけであった。このため新しく買った歩数計はまったく使われなくなり引き出しに仕舞い込まれている。

2週間を超えない頻度で歩数計のカウンターをテキストファイルに移している。この歩数記録自体は前代の歩数計から続けられている。2週間以上記録を移すことに気付かず流れてしまった事例を除き、日々の歩数がカウントされている。現在のところ一番歩数の多かったのは2020年10月27日の16,430歩であった。これは市道平原権田畑線の山道区間を歩いて平石まで視察したときの達成である。
【 二度目の”洗濯” 】
2021年10月にまたしても歩数計を洗濯してしまう失敗をやらかした。前回と同じで、ポケットに入れたままのパンツを洗濯し洗浄とゆすぎに脱水まで通してしまったものである。
当然ながら表示が死んで機能しなくなった。写真はファンヒーターの前で乾かしている様子。


完全に乾かした後でバッテリーを装填したところ初期表示が出たので元に戻ったかと思われた。しかし体重設定の画面が出るだけでボタン操作をまったく受け付けなかった。さすがに今度は助からないと思って前回も使おうとしていた予備の歩数計にバッテリーを移し替えた。その翌朝、再度バッテリーを乗せてもし動かなかったら廃棄する積もりでいたところ、正常な初期画面が現れた。ただしバッテリー自体が弱っていたらしくバッテリー残表示が出ていた。

このため新しいバッテリーを購入して入れ替えたところ、正常に動作するようになった。歩数は前日の記録のみ消えていた。ただし完全に元通りになったかどうかは分からない。新しいバッテリーを入れたにもかかわらず一週間も経たないうちに再度バッテリー残表示が現れている。安物だったので電池に問題があるのか、電圧認識部分がおかしくなったか不明である。再度バッテリーを純正のものに変える予定だが、それでも不具合が起きるようならお蔵入りになるだろう。

最初の洗濯によって使えなくことが予想されていたので、新しい歩数計を購入していた。最終編集日までに歩数計の入れ替えを行い、洗濯した歩数計はバッテリーを外して長い間放置していた。このほど試験的にバッテリーを装填したところ、日付や体重などの初期設定画面と入力は正しく受け付けるが、携行して歩数をカウントさせようとすると再度初期画面に戻ってしまう現象が確認された。歩数計測機能が洗濯によって喪われたことが判明したので、遺憾ながら廃棄されることとなった。

以前から買っていた歩数計は7日間の歩数しか保持しない。洗濯した歩数計は2週間分の歩数を記録できる上にカレンダーや時計機能もついて買い置きしていた歩数計よりも安かった。どういう訳か同程度の機能を持つ歩数計が見つからないのが残念である。
出典および編集追記:

1.「FB|ほすうダメージ?
《 ポタリング 》
項目記述日:2019/12/22
最終編集日:2020/6/29
自転車を用いた近場の散歩を指す言葉。 サイクリングと言えばある程度の距離や目的地を伴うことが多いのに対し、ポタリングは自転車での遠乗りに馴染まないし特段の目的地もないことが多い。[1]

写真は初期のポタリング風景。山口宇部空港の公園で撮影している。
撮影ポリシーの変更により最近は自転車を含めた写真を撮ることは殆どなくなっている


初代のいわゆる「じでんしゃ」を購入した当初は、外部ブログなどにしばしばポタリングという表記がみられる。元から知っていた語ではなく、大元は埴生バドメンバーに居る自転車乗り活動者のブログによる表記である。当初は英語らしくないその語感から俗語と思っていた。実際には正規の英語であるものの、用いられている対象が異なることもあって和製英語と位置づける向きもある。

出所の明らかでない語でもあるからか、行政や関連団体でポタリングの語が用いられることはまずない。表記ばかりでなく会話でもまず耳にすることがない。個人的にも自転車による題材発掘活動の初期にはしばしばポタリングと書いているが、現在ではまったくこの語を用いることなく街乗りのような別の表現を使っている。
【 初期の事例 】
通学や買い物などの目的ではなく、純粋に自転車散歩となるポタリングの最初期の事例は2008年9月である。同月の上旬に永年運営してきたバドミントンクラブ「常盤屋」を終了させ、空いた毎週日曜日に体力作りを兼ねてネットで自転車を購入している。購入後すぐに野山から近い厚東川ダムや厚東川水路橋を視察に行っている。これは市内の名所や史跡ではない純粋に興味を持った場所を訪ねる現在のような活動の原形と考えられている。

この当時は情報発信手段と言えばホームページかYahoo!ブログのみだった。ホームページは常盤屋運営に特化していたこともあり更新されなくなり、自転車で訪れた場所の写真は専らYahoo!ブログで公開していた。このためポタリングの語が頻出するブログ記事が多い。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - ポタリング

2.「ポタリングとは|Amebaブログ(2008/10/17)
《 ポニーテール 》
項目記述日:2019/5/27
最終編集日:2022/1/16
長い髪を頭の後ろで束ねた髪型の呼称。一般には長髪の女性が日常の活動で髪が乱れたり顔に垂れたりするのを防ぐための髪型であるが、近年では男性でも珍しくはなくなった。ポニテとも俗称される。
写真は2018年時における自撮り。


この自撮り画像で分かるように、当サイトの管理者は長髪であるため外出するときはポニテにしている。初期では髪ゴムで束ねていたが、きつく束ねると髪を傷めることから最近では当たりのソフトなシュシュ(スクランチー)を用いるようになった。ポニテにすると正面から見たとき長髪であることが分からず何らの違和感もない。しかし後ろ姿を目撃されたときは他の人に見紛うこともあり得ない程度に特異な人物に映る。単純にこの出で立ちというだけで、街中でも容易に私を見つけ出すことができるようである。

髪を伸ばし始めたのは2012年であった。初期にはポニテを結える程度の長さがなく、2013年3月の時点でも髪を後ろでまとめたとき約10cm程度の長さだった。この頃はまだ自分で髪留めを買う勇気がなく、バドの女の子に買ってきてもらったものを装着している。伸び始めは髪を束ねる方が違和感があったのでそのままで行動していた。
【 初期の周囲の反応 】
初めてポニーテールで外出したのが正確にいつだったかは調査中であるが、アルク琴芝店へ周囲の人の視線や反応を見るために出かけたことだけは記憶している。このイベントをポニテデビューと勝手呼称していた。団地妻デビューのようなものである。特に何の反応もなく、昭和期と違って周囲の人々は少々奇特な格好をしている人物を見ても頓着しなくなったことを確信した。髪を伸ばし始めた初期はバドの仲間からかなり弄られて、中途半端なポニーテール姿に女の子から「可愛いよ」と言われることもあった。

知らない人からポニテについて言及されたのは、やはりアルク琴芝店での買い物中のことだった。買い物している親子連れのうち子どもが私を見てコソッと「女の人?」と話しかけ、直後に親がそんなことはないんだよと言い含めるのを聞いている。実際の踏査中でも初めて長生炭鉱の火薬庫遺構を訪ねたとき、近くで遊んでいた子どもたちが私の後ろ姿を見て「もしかして…女の人?」と言う場面がある。子どもは観察経験も判断基準も大人ほど熟成していないから自然なことであろう。大人の場合でも初回は話題に上せることがあっても二度以上言及する人は殆どない。このことより長髪やポニーテールがそのまま女の子とか女々しいという考えの現代人が殆ど居なくなったことが分かる。
【 現在の状況 】
2014年に入るまでには一番長い髪が20cm程度まで伸び、明確にポニーテールを結えるようになった。一般にはあまりに長く伸び過ぎれば毛先カットすることが多いが、根元をシュシュで束ねる以外は何もしていない。これは長髪で居ることが本質であって、審美性重視でいじるのは避けたい考えに依る。シュシュで束ねず外出すると風の強い日に髪が乱れること、正面から見る人に違和感を与えるからポニーテールにしているだけで、自宅に居るときは結わえていない。入浴時に洗髪しその後に買い物などで短時間外出するときも結わえないことが多い。

この項目を記述する現時点でポニテを作る元となっている髪は、周辺の同年代のどの女性よりも長い。ただし早くから認識されていた AGA により髪のボリュームに欠けるため女性のポニテに比べてかなり貧相に見える。加齢が進み更にボリュームが減った場合はエクステンション(ヘアエクステ)で補う積もりであり、他人の目が気にならない自宅では装着したままデスクに向かうことが多い。
【 今後の予想 】
まったく個人的な予想であるが、今後ポニテを始めとした男性の長髪が増えてくるのは確実とみている。理由は別の価値観という概念が今よりもう少し理解されてくることと共に、男性だから・女性だから云々…の如き行動様式が今よりも緩和されてくると考えるからである。実際、以前よりも自分より若い年齢層の男性のポニテをよく見かけるようになった。ただしこれは注意がその方へ向くことで目に付くだけで増減自体は以前と変わっていない可能性もある。

逆に女性はベリーショートがもっと一般的になるかも知れない。男性女性がそれぞれ今までタブーとされてきたり慣習的に行われてこなかった分野や嗜好に進出してくることは、ファッションだけでなくその他のジャンルでも観察される。

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