坂道について

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記事作成日:2020/1/20
最終編集日:2020/1/26
ここでは、坂道についての一般的事項を記述している。
写真は市内でも比較的知名度の高い西岐波岡ノ辻と萩原を結ぶ市道途中にある子落とし坂


坂道と言っても上記の例のように四輪が頻繁に往来する道路の坂から舗装されず人が歩くことでしか通過できない踏み付け道の坂まで多種多様である。中には車輪をもった移動体が通過困難な段差(階段)を持つ坂もある。高低差のある2地点を容易に往来するように造られた近年の設備はスロープとして認識される。

なお、当サイトの扱う範囲上、特段の断りがない限り宇部市内にある坂道に限定している。
《 特定の名称をもつ坂 》
広大な開作地を除いて、およそ起伏のまったくない地域など考えられない。この意味では坂道は何処にでも存在する。しかし市内において確定した名称が与えられている坂はきわめて少ない。名称をもつ坂も古典的なものが殆どで、現在も公称され地域住民もよく知っているレベルの坂は皆無である。峠では国道2号において吉見峠西見峠が表示板で示されているのとは対照的である。

この理由は峠が登りと下りの入れ替わる地点であり、ランドマークとして認識されるのに対して、坂道は峠として認識されない道でもごく一般的であり、特別な要素がなければ単独の坂として認識しづらいためと思われる。明確な名前をもつ坂の殆どは昔からの言い伝えがある坂道に限定される。

このことは、市内に特定の名称が与えられた峠自体が少ないことにも起因している。本州の西端で起伏が緩やかになる山口県において更に県西部の瀬戸内に面した宇部市の地勢からして、極めて長くきつい坂道や標高の高い峠が発生する余地がない。人馬が往来するために掘られた古い時代の隧道(トンネル)が極めて少ないのも同様の理由である。
【 段差を持つ坂 】
高低差のある場所を往来するための通路の形態は、人馬が跨ぎ越せる程度の段差に分割して踏み面を多数設置するもの(階段)と、踏み面を限定せず高低差の全体を連続的な斜面で整形するもの(スロープ)に分かれる。

階段は登山道の特に高低差がきつい場所や寺社の参道に設けられ、恒久的な通路には耐久性のある花崗岩を整形したものが敷かれる。全国的にみた場合、そのような階段形式で特定の名が与えられている坂道が存在する。しかし市内では現在のところ階段形式で名前がついている坂道は観測されていない。地元在住民限定で呼び慣わされている階段坂道が存在する可能性はある。
《 呼称の形態 》
明確な名前が与えられた坂道の絶対数自体が少ないので、呼称による分類もおのずから限られる。
【 地域名で呼ばれる坂 】
当該坂道が属する小字名をそのまま名称とした例。迫田坂崩の坂が該当する。特段の名前が与えられていない場合のもっとも順当な呼称となり得る。
【 エピソードが由来となる坂 】
その坂道で起きた出来事や伝承などが呼称に反映された例。子を抱かしょうの坂鑵子転げの坂のように助詞を伴い呼称も長くなる。牛転び坂や子落とし坂もそうであるが、一部にはこのエピソードから周辺の小字名に採用されたと思われる事例もある。[1]

暫定的に与えられるものとして、マラソン大会のコース途中に現れるきつい坂道はしばしば心臓破りの坂と呼ばれる。
写真は常盤中学校の生徒によって心臓破りの坂と呼ばれていた工学部通りの長い登り坂。


それほど勾配のきつい坂道ではないが、ゴールとなる常盤中学校まで一定勾配の長い登りが続く。順位が大きく変動するポイントでもあった。交通量の多くなった現在では工学部通りをマラソンコースに使うことはないので、この呼称も時代と共に忘れ去られるであろう。同様の命名は、高台にある学校でいくつかが知られている。
【 ランドマークを基準に呼ばれる坂 】
所在地の小字名が一般にあまり認知されていなかったり、坂の周辺にあるランドマークが名称に反映される例。市道小松原通り線にある六角堂に向かう手前の坂道はそのまま六角堂の坂とか桃山の坂と呼ばれている。正式名称とはなりづらいが、坂道自体や周辺の場所を説明するときによく使われる。
【 勝手呼称された坂 】
特徴的な坂道だが名前が与えられていないものは、しばしば当サイトの管理人によって勝手呼称されている。
写真は島地区にあるいつから存在するかも分からないほど古い石畳の坂道で、庶民の石畳坂などという暫定呼称を与えている。これは市内で最も秀麗な坂道である。


暫定呼称を与えているのは、鑑賞に値する特徴を持ちながらも固定した名称がないために充分理解されていないならば名前を与えることが必要という考えに依る。
《 道路交通としての坂道 》
現在観測される極端に勾配のきつい坂やつづら折れの多い坂道の殆どは、かつては道自体がなかったか往来も困難な高さや段差を改良した結果である。馬での往来では若干の段差があってもさほど困難はなかったが、牛馬に車輪をもつ移動体を牽かせるには連続的な坂道が必須で、主要な街道に階段坂がない理由ともなった。

峠の前後に発生する長く急な坂道も往来の負担となるため、峠を中心に前後を切り下げて坂を低く改変してきた。踏み付け道から人力車も通れるように幅を拡げてきたが、坂道でなくとも幅を拡げるのが困難で危険な場所は敢えて高い場所を通るような逆の改変がなされることもあった。辻堂にある玉木坂は、危険な厚東川沿いを避けて旧来の山陽街道よりも高い位置を通るように経路が改変された稀な事例である。

もっともその後往来需要が四輪主体に移り、大規模な地形改変を行える技術と機械を手に入れてからは、旧山陽街道だったゆるきとうの崖を切り崩し拡げることで国道2号の経路として復活している。最初期に自然発生した経路は現代においても概ね妥当であり、後年もそのまま道幅を拡げるなどして援用されることが多い。

例えば床波方面と上宇部を結ぶ古道では、常盤池の北側にいくつかある沢を直角方向に横切っている。現在の道路は古道を拡げる形でなぞっているため、短い距離でアップダウンを繰り返す区間が目立つ。
写真は市道丸山黒岩小串線の開バス停付近。


古道を拡げただけの現代の道は四輪の通行が可能でも移動速度は落ちる。この過程で後年別の場所に起伏の少ない道を造ったり、大規模な工事が行えるようになってからは坂道を生む原因となる起伏を削り谷間を埋めて均すことも行われるようになった。

自動車による移動手段が普遍的になってからは、居住地を確保するために山野を切り拓き付随して新しい道路を造るようになった。この過程で多くの坂道が発生し、中には新たな問題を抱えることとなった坂道も現れた。
【 坂道に起因する問題点 】
きつい勾配の坂道は登るのにエネルギーを要し航行速度が落ちるため、それだけで交通のボトルネックとなる。殊に重量物を積んだ大型トラックで顕著であり、あるいは排気量の小さい軽四では加速が弱いため普通車のあおり運転を受けるなどの弊害が起きている。

下りでは惰性でも転がるために速度超過に陥り易く、途中に横断歩道があっても気付くのが遅れれば停まるまでの制動距離が明白に伸びる。降雨時には更に停止しづらくなり、冬期にはスリップ事故を誘発する。それでも昭和50年代頃は殆ど車至上主義に近い設計思想が根底にあり、腕尽くで通したような強引な道造りが目立つ。

人の流れを生む建物や設備の配置からも坂道が明白な危険を助長しているケースがある。
例えば小羽山小学校は東小羽山地区に向かう長い登り坂の途中にあり、学童の横断要注意箇所となっている。


市道小羽山中央線は、蛇瀬橋を渡った後すぐに途中単一のカーブを一つ置くだけで20m以上の高低差を駆け上がっている。この中ほどに横断歩道を置いたため、下ってくる車の殆どがスピード超過状態で停まりづらく、逆に登りでは市営バスなど押しボタン式信号で停まると信号が青になっても加速が効かないためしばしば後続車両が数珠つなぎとなる。既に道路の両側に民家が建ち並んでいるため、この道路区間の改良は絶望的である。

中山から県道琴芝際波線を東に分岐し、東小羽山入口や白石交差点を経由する市道高嶺中山線(テクノロード)も中山観音廣福寺からの登り勾配がきつく、直線坂が長く続く。近年の排気量が大きい普通車は難なく登っていくが、軽四や自転車通学の学生にとっては通行に時間と労力を要する坂となっている。テクノロードは昭和50年代の建設であるが、同様の強引な道造りは平成期に入ってもなお続いた。

平成5年頃に完成した市道請川王子線は白石を経て丸尾方面へ抜ける幹線並みの交通量を持つ重要な道なのだが、瀬戸原企業団地を前に右折して県道西岐波吉見線の坂道を途中まで一旦下り、牛明地区付近の三差路を左折して急な坂道を登り直すという無駄な設計となっている。


瀬戸原企業団地の奥は急な坂を越えた先の市道請川王子線に近く、200m程度を新規に整備することで主要路線の無駄なアップダウンが緩和されるだけでなく交通工学的に非効率な三差路を一つ回避することができる。交通渋滞や安全面、そして二酸化炭素排出量にも貢献できるのは明白なのだが、今のところそのような計画はあがっていない。瀬戸原企業団地は前述のテクノロードと連携して建設された背景があり、市道請川王子線を団地内へ通すと貨物トラックの出入りに支障するということから反対があった可能性もある。

地球温暖化対策よりエネルギー消費の削減と、更なる高齢化社会に向かうことよりバリアフリー化が求められている。上述のような新規に道路を通すことにより生まれた強引な坂道は、当時はまず四輪での往来が可能になることが至上命題だった。モータリゼーション隆盛期を経て今や車社会は熟成のときに向かっている。現代社会に必要な道造りが概ね一巡し、今後は既にある道の維持管理と過去に造ってきた道に付随する問題を解消することが課題となるだろう。
出典および編集追記:

1. 山口県地名大辞典には子落という小字名が収録されている。最初に子落とし坂の伝承が発生しそれを元に後年その場所に小字名として派生した可能性がある。

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