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《 街並みの幼稚化 》
項目記述日:2021/5/9
最終編集日:2022/4/8
一般には不法行為を抑制する目的の立て札や看板を無秩序に設置した結果、啓発効果のメリットよりも景観破壊のデメリットが加速していく現象を揶揄した語。
写真は馬の背上池に向かう入口に最近設置された環境省による動物虐待・遺棄防止の立て札。


上記の写真を撮ったとき状況レポートする中で用いられた。[1]勝手呼称であるが初出ではない。

この場所は以前から看板や立て札が多く、それらは行き先や送電鉄塔の索道を案内する上で必須なものだった。そして最近、既に設置されているものよりも派手で極めて目立つ”無用な”立て札が追加設置された。環境を護る筈である環境省の旗振りでこの醜悪な立て札が設置されたことを問題視し、告発の意味を兼ねてこの項目を作成した。

この立て札を害悪と断定する理由は、それが存在することのデメリットが存在しないことのデメリットを上回るからである。自明なことにどの場所でも動物を遺棄して良いようにはなっていない。精々、この立て札を見て「動物を虐待したり棄てたりするのは大変な犯罪なんだ」と啓発する効果しかない。

この場所は霜降山登山道の馬の背ルート入口であり、開花と紅葉時のドウダンツツジを観に来る人も多い。即ち殆ど誰もが自然の景観を愛でに訪れている。その中でこんな写真付きで文字もド派手な立て札などまったく目障りに他ならない。それもここだけではなく管理道の路傍へ同じものを一定間隔で何ヶ所も設置しているのである。最初に目撃したとき、有り体に言って「国は何の権利あって我々郷土の環境を破壊しに来たのか?」とばかりに、立て札を片っ端から引っこ抜いて歩きたい位だった。
【 何故増殖するのか? 】
過剰な文言を並び立てた立入禁止の掲示も同様な要素があるが、それは真に立ち入ると危険だったり私有地と知らずに入ってしまう外来者向けの告知として存在意義がある。立て札で告知されるより以前にどの場所でもゴミを捨てたり飼い犬に糞をさせたまま放置してはいけないのである。そんな子どもでも分かることをわざわざ目立つように書いた立て札が何処の街でも至る所で自己増殖しており、これが街中の幼稚化現象の骨子である。

このような立て札が増殖してしまう理由は、一個人ではなく行政が組織として対応しているからである。言うなれば組織の病理の一形態とも言える。

ある場所でペットの糞の始末ができていないとか、ゴミを捨てる人が後を絶たないとしよう。たまりかねて近隣在住者が苦情を申し出る。窓口は家の前の市道なら市道路課であり、溜め池なら市農林課となる。行政に限らず苦情の申し立て者自身も禁止の立て札一つでこの問題が解決できるとは思っていない。しかし申し出を聞いていながら何もしないと「苦情を言ったのに放置された」「行政の対応は怠慢だ」となる。これを避けるために行政側としても「確かに受理して対応した」証拠を残す必要がある。これには苦情の元となっている行為を止めさせる立て札を設置するのが一番手っ取り早い。行政が苦情に「ちゃんと対処した」証拠が残るし、苦情を申し出た人にとっても同様である。前述のように、これで問題が解決することはない。しかし「一向に改善されない」と再度同じ苦情が寄せられても、行政は「うちも立て札を設置して対処はしたんですけどね」と言って軽く受け流すことができる。

こうして立て札ばかりが増殖して景観が壊され、無関係な通行人や来訪者に不快感を与える割に、肝心の抑止効果がまったくないという最悪の結果となる。市街地はもちろんのこと、今や道路から公園から山野まで至る所に増殖し、訪れる人をげんなりさせている。それも合板にポスターを貼った立て札は材料費が、それを設置して歩くには人件費がかかる。言うまでもなくそれは税金で賄われている。この無益な行為に何か良い効果があるとすれば、立て札を設置して回る単純作業によってささやかな雇用機会が創出される位だろう。
【 どうすれば良いのか? 】
景観を護るには、人工物の一つである立て札類の設置にもっと慎重になる必要がある。可能な限り少ない方が良い。周囲の景観を壊さないような設置場所、設置数、内容、デザインやサイズが検討されるべきである。これは不法投棄やペットの糞など禁止事項を注意喚起する内容に限らず、行き先表示や史跡類の説明を与えるといったものも含まれる。

更に身の回りにある立て札を一度点検し、過去に設置されたまま内容が古くなったり設置団体が既に消滅している立て札は一斉に撤去すべきである。破損したり経年変化で褪色し立て札としての機能を失い、ゴミの不法投棄禁止を訴える立て札それ自体がゴミとなっている事例があまりにも多い。判断基準としては無効と考えられる立入禁止掲示の場合に準拠すれば良い。

公園のような公地に一個人や団体が恣意的な立て札を設置している事例がみられるが、管理者の承認を得ない設置物はなべて無効であり除去されても致し方ない。ペットを見失った場所近くに一個人が連絡先を書いた掲示物を出すのは、故人の葬儀会場への経路案内と同様に許容範囲だろう。

無用な立て札の問題は全国的なものであり、一斉に着手するのが効果的としても実施は市内限定でも困難である。行政としては一斉に立て札を除去することで不法投棄やペットの糞問題が悪化することを懸念するだろう。環境美化モデル地区を設定し、そのエリア内において試験的に着手してみてはどうだろうか。例えば郷土学習において先進的な取り組みを行っている小羽山地区を設定し、学童の登下校路の危険箇所チェックに付随して実態調査を行う。そしてあった方が良いものと存在自体が無効で除去した方が良いものを仕分ける。誰が着手するか、費用負担をどうするかの問題があるが、里道の草刈りなどの維持管理に比べれば軽微である。

個人的には街中の幼稚化が過去最悪状態であることを認識しているのに、現状は殆ど問題視されていない。取り組むべき優先順位が低いことも理由だろうが、端的に言って、行政も個人も「自分のことしか考えていない」からである。もっと地域全体に目を向けて快適な環境作りに目を向けていく必要がある。
出典および編集追記:

1.「FBタイムライン|景観を損ねる無意味な立て札を設置するのを止めてくれ
《 マニキュア 》
項目記述日:2019/5/14
最終編集日:2022/7/28
一般にはお洒落目的で手先の爪に彩色すること。現在では彩色に加えてデコレーションを施すことも含めてネイルと呼ばれることが多い。以下では当サイトの管理者に限定して記述する。
【 初期の事例 】
爪を塗り始めたのがいつのことか今となってはよく分かっていない。ただしネイルを買って初めて塗ってみたのはかなり昔のことで、2008年に彩色された左手を撮影した画像が見つかっている。この写真はYahoo!ブログに投稿されている。


当時、肌に押しつけて剥がすことで擬似タトゥーを施すことができるアイテムが流行っていて自分も何度か試していることから、この発想でマニキュアを買って自分で塗ってみたようである。ただし習慣化することはなかった。
【 遊びによる慣習化 】
再びマニキュアを頻繁に塗るようになったのは埴生バド時代と思われる。この頃は髪を長く伸ばし始めた頃と一致する。元から女性参加者の多かった埴生バドでは、女子トーク好きだったこともありメンバーからは女の子として扱われていた。

実際にメンバーからエキゾチックな色のネイルを譲ってもらったり、ラメ入りのものをプレゼントされたこともある。写真は薄色にラメの入ったネイルの例。


プレゼントされたものはネイルカラーの他にTシャツやシュシュもあった。それは頂き物であることに敬意を表し、次回訪れるときにはかならず装着していた。後にはすたカラーやピンクのネイルカラーを買うことも普通になったが、さすがにデコレーションを施したりネイルサロンへ通うほどの本気度はなかった。
【 別の用途としての理由付け 】
2015年頃から指湿疹を発症し、毎年春先から秋口にかけて悩まされる持病となってしまった。対症療法として抗アレルギー薬(エピナスチン)と副腎皮質ホルモン合剤(エンペラシン)を服用し続ける必要があり、特に後者の薬は服用によって皮膚が破れやすくなる副作用が知られている。実際に酷い形で現れたのは、皮膚の一形態である爪に生じた。殊にバドミントンで酷使される足先の爪は悲惨で、親指の爪が根元から剥がれる現象を2度も体験した。

この時までにマニキュアやネイルの項目を熟読し、正しいマニキュアは爪の保護となる効用を見出した。純粋な保護目的のみならベースコートやトップコートのような無色透明の皮膜で足りるのだが、塗ったネイルカラーの持ちを良くするために好みの彩色を施した後にトップコートで保護することを思い付いた。

手よりもむしろ足の爪の保護が必要なことから、足にも何度か塗ったことがあった。


しかしバドミントンでは足にかかる衝撃があまりにも強く、ネイルを塗った上から爪が剥げて全く効果がなかった。(剥げた映像はこちら…閲覧注意)近年はバドミントンの習慣から遠ざかっており、足の爪に負担がかかるような動作が殆どないことから全く塗らなくなった。

両手の爪に関しては剥げることは一度も起きていない。ただし端から欠ける現象は何度も起きており、ネイルを塗ったからと言ってそれほど丈夫になるわけでもない。ただしネイルを施している理由を説明するのが容易になった。もっとも保護目的以上にネイルを塗った綺麗な指先が好きで、そういう意味も含めて「宇部マニさん」と説明されることもある。
【 マニキュアに対する認識 】
今やマニキュアという語そのものがあまり聞かれずネイルと呼ばれる。単色で塗るだけでなくデコレーションを施したり好みのデザインを提供するネイルサロンも一般的であり、多くの女性が時間とコストをかけてお洒落として嗜んでいる。

黒や濃い赤といったエキゾチックな色彩やデコレーションを伴ったものは大変に派手で目に付くので、そのような女性と話す機会があったときにはかならず言及して差し上げている。爪に施すお洒落であり、目立つ色を塗っているということは注意を惹いて欲しい現れなので率直に素敵ですとコメントするのが良いという考えからである。女性のお洒落は年代を問わず手放しで肯定的に評価している。

女性のネイルはまったく一般的であるのに対し、男性のネイルは殆ど皆無である。恐らく芸能界やセレブと呼ばれる露出度の高い人々に限定されるだろう。男性の手などそう注意して観察しないから認識されてないだけかも知れないが、少なくとも私が観察した限り身の回りで施している男性を知らない。未だ女性のおしゃれという認識があり、男性では未だ一般的ではない。

自分からネイルサロンに行って施術してもらおうとは(費用と度胸がないという点で)思わないが、費用は負担するからウケ狙いで塗ってくれと依頼されれば喜んで受ける。美しいのは良いことだからだ。多くのお堅い人々と接す会社勤め人とか、あるいは窓口応対など頻繁に多くの人に指先を晒す環境に自分が居たならさすがに自重するが、好き勝手が利く自営業者の特権と思っている。
【 最近の状況 】
毎年、春先から秋口にかけて指湿疹が酷い季節は塗らないことが多い。いくら爪を綺麗に塗っても指先は見るに堪えない状況になるからである。以前塗った分が剥げかけているのは何もしないよりもみすぼらしいので綺麗に剥がす。

両手の爪に自力で綺麗にネイルを塗るのは思ったよりも面倒で時間がかかる。殊に右手の爪は利き腕でない左手で塗ることになるため、ネイルサロンなどとは雲泥の差とも言える稚拙な仕上がりとなる。また、トップコートが爪の保護になるとは言っても含まれている有機溶剤が脂分を溶かし出すため、爪に負担をかけている。百均の安いネイルカラーでは特に目立つかも知れない。

2021年の誕生日に保険会社のおんにゃの子が私の好みの色であるすたカラーとピンクのラメ入りネイルをプレゼントしてくれた。百均のネイルとは全然違って発色が良くしかも塗ってから長持ちする。


これを塗るときは2色が均等に減っていくように、両手の爪へ一つおきに交互に塗るのがお約束となっている。指湿疹があると指先は汚いが爪が美しくなるので気分が高揚する。プレゼントされたものなので、何処のお店で値段がどれ位するかは分からない。何処で買ったか尋ねるついでにまた買って来てーっておネダリしてみようと思う。
《 ミーム 》
項目記述日:2019/7/21
最終編集日:2019/8/30
人々が共通して受けいれ、他者に伝わっていく文化やしきたりを構成する最小単位としての概念。この定義はまったく恣意的に与えられたものであり、多くの人によって多様な定義がなされている。クオリアと同様に学校教育や書籍などで目にしたことは一度もなく、個人的には割と最近になって知ることとなった概念である。

全く聞き慣れない言葉であるが、多くの人々が納得して受けいれ自然と伝播されていく慣習のようなものに限定すれば実例は比較的容易に挙げられる。気の利いた言葉や逆に激しい反感を買う捨て台詞は、受け取られ方は正反対であっても同様に広く速く伝播される。ミームとは「人の所作により伝わるものすべて」とも言えよう。
【 当サイトとの関わり 】
何かの活動を継続して行っていて、そのことを多くの人々に広く知って欲しいと願うときに”受けいれられ易いミーム”を意識して構成し発信することは一つの情報戦略にもなる。ただし戦略と言っても宣伝臭が強いとか押しつけがましいものを感じさせるものではない。当サイトに限定した場合、以前から直接的な宣伝行為はできるだけ避けているので、宣伝臭を感じさせず、興味の向く人々が納得し他の人へ伝えたくなるような情報発信を有効なものと考えている。

一般的にも何かの企画を興そうと思っているが賛同してくれる人が多数必要といった場合、多くの人の心に染み入りやすい典型例を意識して訴えることが重要な手段である。具体的には古き善き懐かしいもの、そして多くの人々が過去に見聞して脳内に情報を持ち合わせるもの、更にそれを誰かが記録して伝えなければ記憶から消えて闇に葬られてしまいかねないものは、共感を呼びより広く強く伝わりやすい。
《 右と左 》
項目記述日:2023/5/21
特に説明するまでもなく一般的に用いられている左右の概念である。熟語としては「左右(さゆう)」と呼ばれ、個別に指し示すときは「右と左」のように呼ばれる。しかし地球上の二次的平面に限定して慣習的に用いられている概念であり、まったく一般的に右と左を厳密に定義するのは難しい。
【 個人的な傾向について 】
最近判明したこととして、野ウサギは比較的よく右と左を間違えてしまう。頻繁に起きるのは、車の助手席に乗っていてナビ役を務める場面で先の交差点をどちら側に曲がるか運転手に伝える場合である。

松田ディレクターの車でロケ地へ向かうとき、市内であれば私がナビ役を務める。まるっきり逆を伝えてしまい慌てさせてしまう場面が複数回起きている。直近の例では、船木の市道栄町宗方線で県道宇部美祢線へ出るこの三差路でやらかしていた。


これはウベミアンラプソディーのロケを行ったときのことで、楠こもれびの郷で昼食し、次のロケ地今富ダムへ戻るときだった。ここで右折して県道小野田美東線へ出なければいけないのを、美祢方面へ行ってしまう左と伝えてしまっていた。

ナビ役だけでなく実際のアクションでも起きている。28分の1テレビ最後の大ツイスター大会で右足を動かして別の場所へ移動しなければならないのを、左足を動かしてしまうことで失格になっている。しかも咄嗟の動作で間違ったのではなく、数秒考えた上で逆の足を動かしている。

何故この現象が起きてしまうのか分からない。もしかして脳内の接続コードが途中で交差しているのではなどと考えたくなる。今のところ日常では右と左の区別は問題なく認識できているが、言葉で右や左と表現する機会が殆どなく、また右と左を指定されて所定の動作をとるような機会も殆どないことに起因するのではないかと推測されている。
《 緑の暴力 》
項目記述日:2019/8/19
最終編集日:2022/9/10
藪が無秩序に蔓延り、人の手の入らない地でもはや手のつけようがない程に植物の繁茂が優勢になっている状態を指す言葉。私の造語ではなくFBメンバーより発せられている。
写真は緑の暴力の典型例。


緑の暴力と表現されるには、単に植物が繁茂しているだけではなく無秩序かつ人や動物を容易に寄せ付けない広大さを要する。セイタカアワダチソウのような植物が一面に生えていたり、人の手が入らない山林が何処までも続いている景観をこのようには表現しない。暴力的に見えることが必要であり、その意味でつるを伸ばすツタやクズ系の植物が介在することが多い。

暴力的に見えるように繁茂するだけでなく、これらの植物は実際に暴力的に振る舞う。数で圧倒し他の植物より上部で光合成の恩恵に浴する裏で、自分より低い植物から日照を奪うことで枯死へ追いやる。背の高い樹木には絡みつくことでより高い位置で日照を横取りする。更に樹木を利用して高い位置へ登るだけでなく、締め上げることで母体となる樹木を弱らせる。この結果、現在おかれている環境へ最も適合できた種が勢力拡大していく。緑の暴力は、植物たちの生存競争の現時点での結果をそのまま示している。

ツルを伸ばす種の植物は、廃屋がある場合に僅かばかりの隙間からでも侵入して部屋の中で旺盛に育つ。
写真は萩原住宅の廃屋で越冬を試みるツル系の植物。


これは成育に必要な水分をツルによって送りつつ外気温が高く日照を得られる空間に適応した結果である。
【 どう対応すべきか? 】
緑の暴力は人の手の入らない休耕田や昔の畑、道路の外側の斜面、放棄された建物など何処にでも存在する。無秩序に生えると他の植物や樹木が圧迫されるから対処が必要なように思われるが、必ずしもそうではない。無秩序に繁茂するこの状況はマント群落と呼ばれ、その内側にある植生への風当たりを弱めたり温度変化の緩和に貢献している。

道路際で著しく繁茂するクズはガードレールやカーブミラーを隠して視認性を悪くすることがあるため、しばしば定期的に刈り取られる。そのことでマント群落の内側にある植物相が影響を受けることがある。しかし往来の安全や人が造った建物を緑の暴力で恣に破壊されるのを放任はできないため、必要に応じて除去される。特に人の往来がある付近はクズ系の繁茂で地面が隠されると、見えづらくなるためゴミの投げ棄てが増える。
《 名刺 》
項目記述日:2021/1/6
最終編集日:2023/12/30
ここでは、最終編集日時点で使用している私(宇部マニアックス)の名刺について記述する。なお、宇部マニアックス以前の個人的な名刺の履歴や他の郷土人の名刺については別項目で作成する。
【 名刺のコンセプト 】
ビジネスマンにとって名刺は未だに重要なアイテムの一つである。仕事の場では、初対面の人とは大抵名刺交換が行われる。会合で着席しているなら頂いた名刺に視線を遣ってテーブルの上に置く、立ち話のときは有り難く押し頂いて自分の名刺入れに収納するだろう。どんな会社で仕事をし、あるいはどういった資格や特技を持っているかを知ってその人を理解する。

私は名刺にビジネスとしての意義をまったく感じていない。サラリーマンや商魂に長けた自営業者でもないので、端からお遊びである。ただし名刺が本人の分身として機能することを否定しないので、自分のイメージに合った名刺を作って使用している。元から宣伝することが嫌いだから、名刺には現在では必要最小限の情報しか載せていない。順当にやろうとするなら、コラム執筆家とか郷土ツーリズムのアドバイザーとか、はたまた小中学生の巡回家庭教師業なんて書くだろう。そんなのは名刺に書かなくても会った人とそういう話題になったとき話せば良い。資格や特技を載せまくった挙げ句「じゃあ宇部マニさんって結局何をしてる人なの?」ってなったら、そっちのデメリットの方が大きい。

ありがちな名刺として、本人の役職や地位を肩書きとして掲載し、裏面には保有している資格やどこそこの役員や会長をやっているという情報をズラズラと載せるものである。極端な話、名刺の裏に「私はこれだけの資格を持っています」をアピールするために高い費用と労力をかけて資格を取ろうとする人は未だ多い。これは日本の行政や一部の仕事が資格主義だからであり、特定の資格が必須となる業務があるのも確かである。しかしそうでない情報を列挙する意義をまったく感じない。

過去から取り組んでいる郷土関連の執筆やトークに資格などない。郷土関連の知識を問う検定試験もあるが、受けて実力を試すよりも出題側として問題を考えてみたい方である。客観的に人を判断できる資格の存在意義を認めるとしても「どんな資格を持っているかではなく、今何ができるのかが重要」は、私のみならず渡邊塾でもメンバーの同意するところである。

それ故に名刺の裏面には今のところ思い付いた4項目を書いているのみである。初期の名刺では裏面印刷を行わず白紙のままだった。このバージョンは恐らく2年くらい前に編集してからそのまま使っている。
【 製作方法 】
大量に刷るなら印刷会社へ発注した方が安価だが、状況に応じてしばしば手直しすることとそれほど多くの人と顔を合わせる機会もないため、自分で作成している。最初期はインクジェットプリンタを使い自宅で印刷していたが、インクが高く割に合わないため数年前から名刺ラベルを購入し「ラベル屋さん」なるサイトで作成している。

印刷イメージはラベル屋さん限定形式か PDF ファイルにダウンロードできるので、そのファイルをメモリスティックにコピーして印刷自体はうべネットワーク青空で行っている。
写真はPC操作中の映像。


この方法だとA4ラベル用紙に名刺10枚相当を印刷できる。一度に30枚程度印刷しておけば当分もつ。
【 以前使用していた名刺 】
表側の面。


バックのピンク色に♥マークは、ラベル屋さんサイトに備わっているアイテムである。宇部マニアックスの持ち色はピンクとすたカラーであり、♥は好きなオブジェなのでイメージにぴったりと考えて即座に採用した。

「過去と今を記録し未来に伝える…」の冒頭コンセプトは、特に考え思い悩んで決めたフレーズではない。シンプルに現在取り組んでいることそのままである。検索ボタンは当初は存在せず、後からフリー素材の中から選んで付け加えた。一応ホームページのURLも記載しているが、スマホでのアクセスが主流な現状があり、PCからURLを直打ちする人など皆無である。むしろ検索で間違いなく辿り着けることが重要である。宇部もマニアックスで検索してこのホームページや私が管理している以外のドキュメントに飛ばされることはあり得ない。

携帯の番号を掲載する代わりにメールアドレスは外した。メールを送りたいならホームページのトップからお問い合わせを参照すればすぐ出てくるが、本人に今すぐ問い合わせたいというときには携帯番号が分からなければ連絡しようがない。十数年前なら実名と同じで個人情報を露呈させるのを躊躇う人が多数派だったが、現在はFBと同様、実名や携帯の番号は(他の多くの人も同様に明示しているだけに)公表することで被るデメリットよりもコンタクトを取れる手段を提供するメリットの方が大きい。

裏面。
現在こんなことをやっていますというのを伝える内容のみだった。


前述の理由により、現在では裏面のこの文言はすべて削除されている。
【 現在使っている暫定名刺 】
ラベル屋さんを使って作成していた名刺が払底した後、新しい名刺が必要になった。うべネットワーク青空まで行って印刷するのは面倒だし、印刷設定に手間がかかる上に後のバージョン変更の影響で印刷後切り離したとき印刷ズレが生じるようになった。そこである方にお願いして作成して頂いた暫定名刺を使っている。

名刺の表面。
デザインはいくつかあるストックから希望するイメージに近いイラストを選定している。色調をピンクにすることとハートのイラストが含まれることは必須条件である。


今どきホームページのURLを載せたところでそんなのを手打ちする人など居ないので、スマホでも容易に辿り着けるようにQRコードに変更した。QRコード対応していないガラケーでも現在では検索する人が多いから、ホームページ以外のFBページなどにも辿り着ける筈である。

従来表面の右上に配置していた山口ケーブルビジョン編成部柴崎さん作成によるウベマニアのイラストを裏面に全面配置した。従来の裏面にあった文言を削除したのは、お堅い感じがしたことと、実際に会って話しながら名刺を渡す場面しかないので不要と考えたからだった。

近年、名刺の消費が以前よりもかなり早くなってこの暫定名刺も既に数枚しか残っていない。データは残っているので同じものを追加印刷して頂くようお願いしようと思うが、なくなる都度作成するのも面倒なので、小冊子を発刊したときと同じ印刷会社に発注しようかとも考えている。
《 眼鏡 》
項目記述日:2022/10/7
最終編集日:2023/12/30
ここでは、眼鏡を使うようになってから現在に至るまでをまとめている。
写真は最終編集日時点で使っている眼鏡。買ってあまり日数が経っていない撮影である。


現在使っている眼鏡は2016年1月に市役所の北側にあったクリアコンタクト(現在はセブンイレブンになっている)の閉店セールのとき安売りで出ていたものを予備として買ったものである。その後メインで使っていた眼鏡が破損し、現在常用しているがこの眼鏡もかなりくたびれてきている。安いから買っただけで自分のイメージにあまり合っておらず、新しい眼鏡を買いたいと思っている。

車の運転では以前は要眼鏡が条件となっていた。この制限は2023年の免許更新時に外されている。加齢によって近くの作業は眼鏡が要らなくなるどころか、むしろ見づらくなった。スーパーの買い物で陳列棚から商品を取って眺めるとき眼鏡を外している。
【 眼鏡をするようになったきっかけ 】
眼鏡をかけるようになった時期は学生時代である。高校生の頃まで視力は正常だった。家系に近視の者は誰もおらず完全に後天的である。近視になった原因は明確に分かっていて、マイコンのディスプレーを暗い部屋で見続けたせいである。

大学生のある時期は下宿していて、当時パーソナルコンピュータなるものが流行り始めていた。プログラミングの有用性を理解して更に高速で計算させようとして機械語(アセンブリ言語)の学習に明け暮れていた。長時間近くでディスプレーを凝視していて、しかも電気代を節約したくて部屋の電気を消して机の上のスタンドのみ点けていた。近くのものを見続ける生活の連続で、忽ち近視になってしまった。
【 写真撮影のとき外す理由 】
自分で眼鏡が要るような原因を作っておきながら、眼鏡をした自分の顔が好きでは無いことに依る。それまでの人生で眼鏡なしで過ごしてきた期間が長かったので、眼鏡は異物という観念があった。できればコンタクトレンズにしたかったが、高価なのと着脱することに恐怖を感じて一度も導入していない。

番組では眼鏡を着用して出演しているが、近年のスタジオ収録では一貫して外している。写真を撮られるとき撮影までの時間があれば、かならず眼鏡を外す。FBのプロフィール写真などを自撮りするときは殆ど外して撮っている。
《 メンバー 》
項目記述日:2019/6/8
最終編集日:2019/6/16
一般には仲間内くらいの意味合いしかないのだが、当サイトの管理人が表現している文脈によってはFacebook においてタイムラインへの投稿が有効に到達する範囲の利用者を意味する。投稿が到達する範囲は公開設定によって異なる。最広義には友達の友達までで繋がっている利用者であり、最狭義には友達のうちフィルタリング設定によって閲覧可能となる利用者となる。

「メンバー」という表記のすべてが上記の定義に当てはまるとは限らない。一般名詞としてのメンバーを意図していることもある。例えば「(渡邊)塾のメンバー」と書いていれば、当然ながら渡邊塾の構成員に限定される。郷土関連の題材で他者からの意見を求めたいときなど、何の前提もなく会話や記述で「うちのメンバーに訊いてみる」などと表現しているときが概ね上の定義に該当する。

FBの友達や公開範囲は変動しているので、メンバーは常に同じ利用者とは限らない。当サイトにおけるFBの運営方針にしたがって決定されている。
もう、終わりだね…
項目記述日:2019/7/21
最終編集日:2020/3/7
「もう、終わりだね…」は、地域SNSにおいて発表された当サイトの管理人による初めてのショートストーリーである。公開されたのは2010年09月15日で最終閲覧数は699回、8人のSNSメンバーによりコメントが寄せられている。記事が外部公開(SNS登録メンバー以外の閲覧も可能)であったことを差し引いても閲覧数は多い方に入る。

あるフォークソングのさわりの部分でよく知られているように、このショートストーリーも終末を迎えた恋人たちを題材にしている。ストーリーの舞台も具体的な場所が設定されている。むしろその場所にある特異な読み方をする構造物を題材にして、別れを告げる女性がそれに引っ掛けた発言を行うことで心意を伝えるとともに些かコミカルな演出としている。

このショートストーリーに限らず地域SNSが廃止される前にすべての投稿をローカル環境に回収している。当サイトではテキストや装飾を整形した上で早くからアップロードしていたが、関係者のみの限定公開に供していた。現在は項目のリンクから作品を閲覧可能。
《 持ち色 》
項目記述日:2019/5/26
自分らしさを表現するとか、格別好きで日常生活にも意識して取り入れている色彩のこと。個人が意識しているテーマカラーのようなものである。人によりどちらかと言えば好きな色という程度から、その色彩一辺倒で部屋のインテリアから持ち物から持ち色に統一しようとする人までさまざまである。

当サイトの管理者である私の持ち色は、いわゆるすたカラーとピンク系統である。これは当サイトの宇部マニアックスが公表するテーマカラーというわけではない。単純に個人的嗜好による。このうちすたカラーは歴史が古く、少なくとも十数年前には精確に定義されていた。ピンク系統の持ち色志向は少なくともここ数年程度前のことである。

薄紫系であるすたカラーは比較的安泰な嗜好と思われているが、ピンク系の色彩志向はしばしば女性寄りといった見方がなされる。これはヘアスタイルの総髪化、それに伴うシュシュの着用、ネイル志向、愛玩としてのマイメロなどを含めて「別の価値観」によるものと説明される。
【 実生活への導入 】
すたカラーは昔から馴染んだ持ち色なので身の回りの物もその色で統一したいのだが、見つけるのは困難である。今のところバドミントンのとき着る速乾性半袖シャツと吸水性の良いタオル類、マイバッグ程度しかない。他方、ピンク系のものは女性向け商品に多くみられる。

2018年に西梶返アパートから引っ越してからは、部屋のインテリアを一から選定できる機会があった。そこで最初からあれやこれや雑多な色彩を導入せず極力持ち色の中から選ぶようにした。西梶返時代から床に敷くクッションフロアーは♥印のついた白とピンクのものを選んでいたが、引っ越し先の居間はそれより広いため新規にピンク系のクッションフロアーを買った。カーテンは既にピンク系のものが一つ掛かっていたため、あまり苦労することなく部屋を持ち色主体に構成できている。


ついでながらベッドの周囲はピンク色主体のキャラクター商品を導入している。このため部屋に入った人は誰でも「幼稚園児の部屋のようだ」と表現する。その話題が出たとき常に私の方から解説している:”この幼稚園児のようなファンタジーな部屋からあのしかつめらしいコラムや記事が世に送り出されているのです”
もりみず
都道府県レベルで毎年夏休み中に開催されている見学イベント「森と湖に親しむ旬間」の略呼称である。もりみずは明らかに略称であるが、当サイトの勝手呼称ではなくイベント担当者もそのように呼んでいる。ただし口頭のみであり公共機関による文書でそのように記述されることはない。毎年7月20日から月末までと設定されていて、この期間は全国各地に存在するダムや水力発電所で、普段は入れない場所が特別公開される見学会が開催される。山口県においての実施例はリンク先を参照。

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