お知らせの履歴・2017年

(「お知らせの履歴・2018年」の続き)
2017年はどんな年だったのか?
今日はクリスマスです。調べてみたら「2016年はどんな年だったのか?」は27日に書いていました。12月がやって来たなーと思っていたら既にクリスマス、そして今年もあと一週間です。そう言ってしまうと「もう一年が経つのか」と短く感じられそうですが、個人的には決してそうでもありませんでした。

細々としたことまで思い出せないだけであって、実際この一年は本当に多くの有用な出来事が詰まっていました。暖かくなり始めた3月中旬にうべ探の島地区歩きイベントを企画し、そのすぐ後に塾メンバーによる鹿児島行き(塾旅)という忘れ難い出来事がありました。一般公開する予定は今のところありませんが、全行程は写真付きドキュメントに仕立て上げられ、25巻を超える超大作となっています。

毎月執筆しているコラムは、その記述内容以上に掲載する写真の品位を重視し始めました。実際、今までかなりアバウトなやり方でした。現在は新しい管理基準に基づいてせっかく撮影した画像が失われることのないようバックアップ体制を整え、より分かりやすい画像にするための再撮影も進めています。並行して今年はビエンナーレの年でしたので、未だコラム紹介がなかった吉部地区を紹介する記事を制作して会期内にリリースしました。記事を見て現地へ行ってみた方が相当いらっしゃるようでした。

もう一つの新しい潮流は、記事制作や物件の発掘だけではなく街造り関連の会合へ積極的に参加するようになった点が挙げられます。市役所新庁舎建設ワークショップへ参加し、市制施行100周年市民委員会で委員となって提言を行いました。これは常盤公園の憩いの家ワークショップからの流れを受け継いだもので、経常的に街中をウォッチしてきた経験を活かして現状の問題点や改善案を提出できました。ややもすればコアネタ路線に流れがちな中で、当サイトとしても一般に役立ててもらえそうな情報提供を行う土台となりました。

元から「目立つことと宣伝するのは嫌い」を自称していたのですが、今年は殆ど忘れた素振りを見せてあちこちに露出しています。出しゃばりとも言えたかも知れない位に。別に意図しなくとも自分が気付いていないだけで、今や充分に”目立ってしまっている”ことが実感されたからです。ある人はやや極論的にこう言います:『宇部市民で宇部マニさんを知らない人はモグリだ』とか…確かにそれは極端ですが、自分自身市内のいろいろな場所で人と会い話をしたとき、うちのサイトの極めてコアな記事ネタをご存じで驚かされる場面が何度もありました。「まさかホンモノに出会えるとは思えなかった」と妙に感激なさる方もありまして、私の方が嬉しくなりました。

さて、自明なことですが今年はまだ終わっていません。そして私にとって実は年内に大きな決断を迫られることとなる出来事が控えています。今の仕事に直接的な関係はないにしろ、全く無関係とも言えません。まだ具体的なことは話せません。アクションを起こさず静かに見送るという選択肢もあります。決断する(その確率は50%より若干上)こととなっても私の身の上に変化が起きるだけであって、当サイト自体の大きな変化はないでしょう。むしろ中長期的に見れば、今やっている活動へ大きなプラスとして寄与するのは確実とみています。もしアクションを起こしたなら当サイトでも詳細を報告します。

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琴芝小学校の総合学習に出席しました。
「えっ?宇部マニって遂に学校教育も着手したの?」って言われそうですけど、講師ではなく参観者です。

先日、渡辺翁記念会館でギャラリートークが開催され、一連の対談に接して「一般の人々だけではなく小中学校の子どもたちにも聞かせられれば良いのに」といった意見がありました。その声を受けてではなく恐らく全くの偶然なのでしょうが、塾長の渡邊裕志氏に渡邊祐策翁の心を語って欲しいという要請があり、14日の午前に開催される琴芝小学校の4年生の総合学習で授業を行う話がありました。塾長直々、時間の取れるゼミメンバーは参加して欲しいと言われ、殆どいつでも暇な私は迷わず参観表明しました。すぐに局長真部氏も加わり、こうしてギャラリートークさながらにゼミメンバーの3人が琴芝小学校を訪れることとなりました。

授業では塾長が講師役として話し、局長は渡邊祐策翁の生涯を数分にまとめ上げたビデオデータを学校の用意したノートパソコンで上映し、私は…何もしませんでした。記録することを旨と為しているので、教室での総合学習授業の風景を撮影しています。撮影には先生方の許可を頂いています。


帰宅後、私は一連の経緯をFBへ全体公開で記述しました。FBに投稿している殆どの情報はログインを要しますが、内容の重要性から例外的に全体公開としています。したがってFBを利用なさっていない方でも[1]のリンクからご覧になれます。なお、局長も全体公開でレポートを書いているので同様に[2]のリンクから読めます。一連の記事公開で私イコール隊長イコール本名が露呈してしまいますが…まあ今となってはそんなの全く些末なことです。

渡邊祐策翁の曾孫である塾長を司令塔に、局長と私がそれぞれ強みを持つ分野において情報発信し共有するという流れができています。渡邊ゼミメンバーは他にも若干名いらっしゃいますが、塾長・局長・隊長の3者は一昨年に山口宇部空港で公開トークを開催して以来もっとも露出頻度の高い活動を行っているメンバーです。学校教育への関与は初めてのことであり、将来を担う子どもたちへの教育部門に協力する重要性が理解され、今後それぞれの強みを元に注力できることが沢山ありそうだというのが私たち3者の共通認識でした。
出典および編集追記:

1.「FBタイムライン|琴芝小学校総合学習『宇部の精神(こころ)を知る』レポート

2.「FB局長のタイムライン|2017/12/14の投稿
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渡辺翁記念会館 開館80周年イベントに出席しました。
12月8日に前夜祭として渡邊祐策の志を語るギャラリートークと伝説のピアノのロビーコンサートが開催されました。このイベントは本来9月17日に行われる予定でしたが、台風襲来の影響で記念館の使用が停止され順延されたものです。
余談ですがあの台風は個人的に精神的ダメージの方が遙かに大きく後々まで尾を引きました

ロビーでは午後5時半より講師(塾長)渡邊裕志氏、聞き手(局長)真部尚志氏の対談形式で渡邊祐策翁の幼少期から壮年期までの多くが語られました。写真はギャラリートークの様子です。


ギャラリートークの最後には参加者からの質問タイムがありました。このとき私は局長真部氏から予定外に指名され、大慌てしつつ頭の中にあった質問を投げ掛けるという一幕もありました。この質問は予定調和的ではなくホントにまったくの予想外なのでした。
渡邊祐策翁に関しては既に多くの書籍や資料が充実しており、当サイトから翁に関して補完する情報を書く余地など殆どないのですが、下地となった思想や先人たちの取り組みについてまとめておく価値があると考えています。いずれ私見も交えた記述を公開しようと思います。

もう一つの特筆すべきは、この前夜祭で2階ロビーに置かれているスタインウェイのピアノが初めて明瞭な作品を奏でたという点です。戦禍をくぐって生き延びたスタインウェイのピアノは、渡邊祐策翁を始めとする当時の有志たちにより寄贈されたものです。一部の鍵盤は剥がれ欠けた音も生じるという不完全な状態だったのですが、適正な調律に加えて欠けた音を補完する演奏法および作品の選定により実現されたものです。奇跡のピアノが作品を奏でたのは数十年振りのことであり、この意味で伝説のスタインウェイのピアノは「復刻」から「復活」への道のりを歩み始めたと言って良いでしょう。

本日9日は午後2時よりホールコンサートが開催されます。最近、コラム執筆をはじめとする外部活動なども多く当サイトの更新が滞りがちになっているのは認識しています。書きかけドキュメントが山ほど溜まっています。もう暫くお待ち下さいませ。

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当サイトのアクセスが出来なくなった件について。
11月27日頃から当サイトへアクセスなさった方は、次のようなエラーで表示されず当惑なさったことと思います。

403 Error
現在、このページへのアクセスは禁止されています。
サイト管理者の方はページの権限設定等が適切かご確認ください。

これは、当サイトが利用しているホームページスペース運営会社への利用料支払いがなかったため、退会とみなされアカウント停止されたことによるものです。昨日のこと「入金がないためアカウントを停止しました」のメールを受信することで初めて気付き大慌てしました。

当サイトは運営会社と年単位で契約しており、契約更新期が近づくと案内メールでお知らせが届きます。去年まではその案内で契約期限切れ前に2度ほど更新手続きを行っています。しかし今年は何故か案内メールがなくいきなりアカウントを停止されました。どうして今年は更新期が近い旨を案内するメールがないのかと運営会社に抗議しています。

その後調査したところ、運営会社側は期限切れの前日までキチンと案内メールを配信していたものの、メールソフトの不具合でそのすべてを勝手に迷惑メールフォルダへ突っ込まれたために気付くことが出来なかったのが原因と判明しました。


アカウントを停止されてからも10日以内に入金すればアク禁は解除されます。当サイトを終了する意図など毛頭ないので、案内にしたがってただちに契約更新手続きを行い入金しました。それでも運営会社側で入金確認できるまでは(郵便の電信手続き上)数日かかるため、暫く閲覧できない状態が続きます。この告知を書いている30日の時点でもなおアクセス禁止状態になっているので、告知のアップロードすら出来ない状態です。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。

同一会社からの配信なのに契約期限満了が近いという案内メールがスパム扱いされ、契約解除通知のみが正常受信できたというのもおかしな話であり、現在運営会社側に調査依頼しています。この件についてはアカウント停止に気付いた27日の時点でただちに Facebook のメッセージ機能で問い合わせを行っていますが、30日現在も返事はありません。

契約解除のメールを受信できたからまだマシなものの、それさえもスパム扱いされていたらコンテンツもアカウントも一切合財削除され、また一からアカウントの取得と再アップロードを行わなければならない事態になっていました。全く酷い話であり、犯人は以前から不具合が多く信頼性がないと感じていた Microsoft Outlook なるメールソフトです。

そもそも、これまで2度の更新ではちゃんと案内メールが届いており、今年だけ何故か迷惑メール扱いされています。その間にメーラ側での設定変更は行っておらず、Outlook側で勝手にスパム判定基準を変えたようです。同様に今まで受信できていたメールを突然スパム判定されたという声もある[1]ため、Outlook で重要なメールの送受信を行うときは注意が必要です。
出典および編集追記:

1.「FB|2017/11/27のタイムライン(要ログイン)
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画像の差し替えを進めています。
初期の当サイトの取り組みは、まったくの個人的な道楽でした。納期もノルマもない代わりに当然ながら無報酬で、書かれている内容も現地で観察したとおりをそのまま描写し写真も適当でした。何を題材に写しているかが分かれば足りるというスタンスでした。ただし気まぐれで始めたのではなく、いずれはネット上に市内全般のことが分かる博物館的なものが構築できればといった大それた考えは確かにありました。

個人的見解ですが、仕事でも娯楽でも何年もの間ずっと手掛けていながら素人であり続けることは許されないと考えています。飽きるなり挫折するなりして何処かのタイミングで手を引くか、さもなければその分野に関して進歩し続けなければなりません。もうこれ以上覚えられないとか新しい知識が身につかないなんて弱音を吐くような年齢でもなければ、出来ていない部分は時間を掛けてでも修復することが必要です。

当サイトは主に写真とそれを解説する文章から構成されます。文章の書き方については最適化が難しく、一般化された指針についてのみ「文章作成技巧」や運用ポリシー規定でまとめています。もう一つの題材である画像については最近まで頓着されていませんでした。逆光を強引に撮ったり自分の影が入ったりした写真が目に付くし、通行人があってもお構いなしにシャッターを切っている画像もあります。これらは当該記事に限定すれば大したことではなくとも、他の場所でも使える汎用化された記録としては些か低品質なものとなります。

市内近場の物件は殆どデータ採取できているので、最近は2周目とも言える再撮影を行っています。過去の写真と同内容で鮮明な画像が得られたなら、古い画像を削除しています。ただし工事中の写真など現地が変わっていたり喪われてしまった建物などが入っている画像は、たとえ撮影品位が悪くとも残します。常々唱えているように「街の景観はかならず変わり」ますが、山野のみを対象とした風景などは5年以上経っても写っているものが何も変わっていない場合もあります。このような撮影対象は、もし過去の写真の撮影品位が劣っているなら古い写真でも置き換えます。

この作業に着手したのは、際限なく増え続ける画像に対処が必要であることを考えてもいたからです。この項目を書く現時点で自分が撮影し管理対象としている画像(動画も含む)は20万枚を超えています。多すぎる画像はバックアップ領域を圧迫するだけでなく、欲しい画像を素早く取り出すときの障害にもなります。

先月中旬より画像枚数の推移を監視し始め、画像整理の折に各フォルダを閲覧して品位の劣る重複画像の削除を開始しました。2%程度の画像を削除したため、この1ヶ月での変化はトータルで千枚以下になっています。撮影時の設定や画像保存に関しては「画像規定」(まだ作成中)での策定を考えています。これは同等の画像を現地で得ようとしたときの再現性を容易にするためです。

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「宇部市制施行100周年市民委員会」完結しました。
10月28日に開催された第8回会議で各グループの最終案がまとめられ、閉幕しました。会議の意義および進行状況は市のホームページで公開されているのでご覧ください。[1]

100周年という節目に向かって何かをやりたい、次へのステップに繋げたいなど志の高い市民が沢山集まりました。参加者があまりにも多かったため、第3回からは取り組みたいジャンルをいくつか設定してグループ分けすることになりました。私の所属していた2グループでは新しい人の流れを呼び込むという題材で具体案を模索しました。この中では郷土ツーリズムという言葉こそ現れませんが、今あるリソースを最大限に活かす「小さな観光」も含まれています。細かな点についてまだブラッシュアップする余地はあるものの、提言の形では完成形に漕ぎ着けました。

グループの中には途中リタイヤされたり他のグループへ移動された委員もありますが、大半は当初のグループで活動しました。元から Facebook で繋がりを持っているメンバーの他に、同じグループや異なるグループでも共通項の見いだせた方とはコンタクトを取っています。当サイトやコラムをご覧になっていらっしゃる方が結構あり、大変共感して頂けています。まあ、こういうのを書くのが好きだから出来る作業ではありますが…

最終回の会議が終わった後、みんな帰って仕舞われる前に記念撮影を思い付き提案しました。その場へまだ居合わせたグループメンバーで撮影した一枚です。充分に画像が小さく人物の特定は困難でしょうからそのまま載せています。


会議を終えて各委員の所感を100文字程度以内でまとめたものが提言書へ掲載されることになっています。永く遺るものなので、この100文字メッセージをどのようにするか30分以上考えまくって決めています。[2]この提言書は11月下旬に市長への要望として手渡され、その後市のホームページ等誰でも閲覧可能な場所へ提示されることになっています。

100周年を迎えるのは4年先という近未来です。当サイトでもこの件に関して独自の提言などをまとめて記事化しておきたいと思っています。
出典および編集追記:

1.「宇部市|宇部市制施行100周年市民委員会

2.「FB|市制施行100周年市民委員会の一言メッセージ
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「日々のつぶやき」をお楽しみ下さい!
市外など遠方からご覧になっていらっしゃる方には現地まで観に行くのは困難かも知れませんが、常盤通りの街路灯に「思わず笑ってしまう日々のつぶやき」の書かれたフラッグが取り付けられました。

これは2年に一度開催されるビエンナーレに合わせて行われているアートフェスタの一環で、敷居が高いと思われている芸術を広いアートと捉えるための一般参加型イベントです。[1]フラッグ掲示自体は一昨年も行われ、今回は「笑いの種」をテーマに14文字以内の言葉が募集されていました。

常盤通りの街路灯は62箇所あり、笑いの種の応募締め切りまでに県内外から105作品が寄せられています。当サイトでは市内のイベントにはしばしば顔出しするし、笑いの多い暮らしを推進したいスタンスなのでかなり知恵を絞った作品を応募していました。提出した2作品とも予選に残り、既にフラッグへ印刷され街路灯に掲示されています。

常盤通りに面した市役所や金融機関に投票所が設けられていて、お気に入りのフラッグを一人2作品まで投票できます。写真は宇部市役所の東側出入口に置かれた投票用紙と箱です。


常盤通りに掲示された62枚のフラッグすべてを実地に眺めて投票するのは大変なので、投票所には62のつぶやきが印刷された投票用紙が置かれています。市役所などお越しの際はぜひとも投票して下さいね。62種ある中でどれが私の作品かはもちろん明かしませんが、私の思考回路と性癖から推察可能かも。投票数により最優秀賞1種、優秀賞5種が選ばれ賞品が贈られるそうです。私の笑いのレベルが一般向けかどうか知る機会にもなるので結果がかなり楽しみです。
出典および編集追記:

1.「山口宇部経済新聞|宇部・常盤通りの街路灯に”日々のつぶやき”14文字の自虐ネタ、ご当地あるあるも
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記事ターゲットとスタイルの変化について
今更ですが、最近は個別の題材を写真付き解説した記事が減っています。代わりにワークショップでの報告や行政に向けての提言などテキスト主体の記事が増えています。市内の新しい物件をいろいろ知りたいと思っていらっしゃる方には残念な傾向と映るかも知れません。

記事を作成していると、興味の対象は至る所に飛んでいきます。あまり脈絡無くあれこれ目が移るさまは幼児の振る舞いに似ています。もっとも全体として何かを発信し続けていることに変わりはありません。記事化の対象が移ろうのは、その時点で記事にしたいと思った対象に取りかかっているからです。ドキュメントを起こすのは今のところ人間の手作業であり、今後も暫く変わらないでしょう。人間は機械ではないので、同じことを継続して続けられるように出来てはいません。飽きるとそこで作業が停まってしまうので、飽きて休んでいるよりは別の記事化したいターゲットへシフトした方が効率的と考えてのことです。

補助ドキュメントなる新カテゴリを作成しているのもそこにあります。以前からこのサイトが何であるか、管理人は何者かなどを記述したドキュメントの必要性を感じ、いくつか散発的に作成していました。それらを取り出しやすいように一つの引き出しを作成しただけです。こういった「情報の引き出し」は沢山あっても邪魔にならないので、むしろ未だ何の記事も作成されていないのに引き出しだけ準備されているカテゴリもあります。

現在は、各種ワークショップや市民委員会などの活動を記録したドキュメントの引き出しの必要性を感じています。行政への提言をまとめたドキュメントを引き出しに入れておけば、出先で情報参照の必要があったときすぐに詳細を閲覧できます。私は持っていないにしても他の多くの方はスマホなどのモバイル機器を持っているので、当サイトのトップへ行くだけで情報提示可能です。

こういった引き出しやドキュメントの整備は、最初にガチッとしたものを作成するのではなく必要となったその時点で整備するのが効果的と感じました。基本何でも計画的にやりたいんですけど、この辺りは「走りながら考える」運営です。

写真の掲載の仕方も柔軟化しています。物件の紹介では大きな写真が見やすいですが、ワークショップ類では精密な画像を要しません。そこで小さめのサイズにしたり、画像をクリックすることで規定サイズの画像が別ウィンドウで開いたりなどの変更を行っています。これは当該ドキュメントを紙媒体に印刷するときのことを考慮しています。

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お陰でローカルでの作業が捗りました。
3度目の集合機器取り替え工事を経て、どうにか終息しようとしています。3度目の工事ではハブ(hub)を交換し、工事後2日目となる今日まで一度もコケていないので、多分そこあたりが原因だったのだろうという塩梅です。したがって今なお完全解決には至りませんが、ネット接続業者も「工事は3度目でありこれ以上入居者にご不便をお掛けするわけにはいかない」との宣言により施工されたが故に、当面はその言を信じたいと思います。

24時間殆ど繋がらなくなった9日の午後以降、そろそろこんな問題に煩わされる日常生活に嫌気が差してきたので、前述のような更新停止宣言を行いました。回線が一時復旧した折りにFTPツールを作動させて一連の更新ファイルをアップロードしました。その後殆ど期待を裏切ることなく再び接続不能になってからは回線を強制切断してローカルでの作業に絞りました。なまじ少しでも繋がれば当てにしてしまうので。

ネットから切り離したお陰で、以前から気になっていたある案件に関する概要とレジュメ(申し訳ありませんが当サイトではまだ公開できません)を仕上げ、概要をプリンタで印刷しました。週の前半は気温が低めで快適だったので、PCの電源も落として3日連続で題材採取してきました。まだ何処にも投稿していませんが新たな発見もいくつかありました。

その間、どうしてもネット接続環境が欲しければ以前にもお世話になったうべネットワーク青空を利用可能でした。しかしUSBスティックにデータを移す作業が要るし、何よりもそこまで出向くのが面倒極まりなく一度も行きませんでした。そして週の半ばに行われた3度目の工事後にネットへ繋がるようにはなりましたが、その頃になるとローカル環境での作業がかなり確立できていたので、記事のアップロードは元よりFBページの投稿も面倒で放置していました。代わりに新しい情報を取り込みたくて仕方なかったので、記事制作とはまったく無関係な天体関連の記事をずっと読み漁っていました。

当サイトの更新は以前から緩慢になっていたので、更新履歴の案内がなく肩透かしを食らわされた読者は殆どないと思われますが、FBページの読者は当惑しているかも知れません。接続不良期間を含めて一週間以上放置しており、これはFBページ開設以来最長です。まあ当サイトでもFBページでも既に充分な量の記事を投稿していると思います。1ヶ月やそこら放置しても投稿済みながら読者が未読の記事が沢山ある筈ですから、それらを読み漁ってお楽しみ下さい。たまさか再びネットの接続障害が起きたら、今度は躊躇無く放置しますので。

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回線の問題が完全解決するまで更新を停止します。
まったくいい加減にしろよangerと言いたい気分なのですが…再び長期のネット接続障害に見舞われています。私を含めて集合住宅の居住者全員もれなくネットへ接続できない状況を強いられています。以前とまったく同じ状況です。

前回に行った復旧宣言を撤回します。正常に戻ったように見えただけで、実は何一つ解決できていなかったと断言します。それと言うのも何が原因で接続障害が起きているのか未だに誰も把握できていないからです。二度目の長期接続障害の後、B-Cubic(以下BCと略記)は広範囲にわたって新しい機器に交換すると表明し実行しました。それを行ったところで原因が判明していなければ再び同じことが起きるのではと懸念していました。そして半月も経たないうちに全く期待を裏切ることなく再発してくれた格好です。

ただし、接続業者の BC だけを責められないかも知れない事情があります。それと言うのもNTT側もしくは中電側に問題がある可能性が出てきたからです。8日夜は繋がらなくなった時点ですぐBCへ連絡し担当者が解析した結果、大規模交換を行ったまさにその集合機器が反応しなくなっていることを指摘しました。同じ日の午後、19日に中国電力による2時間半にわたる作業停電を行うとの案内チラシが配布されていました。担当者はその工事との関連性について明言は避けましたが、給電の不安定さはルータの挙動不具合の原因となり得ると話していました。

集合住宅前の市道に沿う電柱の工事は先月から進められています。この工事のせいで一時的に給電かNTT回線のいずれか、あるいはその両方を不安定にしているのではという疑いがあります。真にそうなのか照会したいところですが、チラシが配布されたのは折悪しく金曜日の午後でした。NTTカスタマーセンターは土日祝日が休みなので、状況確認は週明け11日からになりそうです。もしこれが接続不安定の原因で、それが分かっていながらも必要に迫られ現在工事を進めているなら、障害が根本的に取り除かれるのは早くても19日の工事完了以降になります。

ごく短時間でも接続できればアップロードは可能ですが、そんな接続が保証されない環境では落ち着いた作業になりません。ローカルの記事制作でも地図の参照などどうしてもオンライン環境を必要とする場面があります。オンライン環境だけなら既にネット接続可能な場所をいくつか確保していますが、まさかデータの一杯詰まったこのPCごと持って出られはしません。必要なデータを毎回USBスティックへコピーしなければならず面倒この上ない。

そもそも日常生活とて天気予報が分からない業務日報を送れない特売のチラシも見られないメンバーとコンタクトを取ることも出来ないではデスクに向かう意味がないので、アッサリ回線を切断し、ネット環境の完全復旧が保証されるまでホームページの更新を含めたネット作業すべてを停止いたします。

そろそろ、こんなしょうもない接続障害如きに振り回される自分に嫌気が差しています。確かに便利だけどひとたびトラブれば面倒で煩わしくて鬱陶しくて仕方ない…インターネットなど無くても幸せに過ごせていた時代に戻って他のことをしようと思います。この告知ドキュメントも一体いつアップロード可能になるか分かりませんが…

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復旧しました。
25日に光回線接続業者による大規模機器交換を行うことで、接続環境が正常化されました。今月の8日に始まり、一時的な復旧と接続不良を繰り返しつつお盆より以降は殆どまったく繋がらない状態でした。不具合の原因は特定されないままですが、個人的には予想外の利用増に伴う機器許容量の超過ではないかとも思っています。技術者はルータの不具合であると回答しています。一連の詳細な経緯は以下を参照ください。
時系列記事: 光回線に関するネット接続障害について
インターネット環境はライフラインの一つであり、利用頻度によっては回線障害が起きると忽ちネット孤島状態に置かれます。ヘビーユーザーは代替接続経路を確保しておいた方が良いという教訓になりました。奇しくもうちの機器が復旧した25日には広域の接続障害が発生しています。(もちろんうちの不具合とはまったく無関係)

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過去最悪のネット環境障害
タイトルの通りで、未だかつて経験したことのないネットワーク障害に見舞われています。インターネットへの接続が極めて不安定で、まともに繋がらない状態が一週間以上続いています。特に回線への負担が重いサイトへの接続(WikipediaやFacebookなど)がダメで、たとえ表示されてもリンクが機能しなかったり中途に表示されたりです。殆どの場合はサイトへ到達することすら出来ずブラウザ固有のエラー表示が出てそれっきりです。

こんな状況なので、記事や画像ファイルを更新する作業は全く不可能です。アップロード以前の問題で、更新先にあるサーバのディレクトリを表示させることが出来ません。ローカルでの作業が可能なだけで、クラウドのファイル参照やFacebookページの更新に影響がでています。今朝など業務で送信すべきメールも動作せず、そろそろ実生活に支障が生じています。

ネット管理会社に問い合わせても未だ原因がはっきり掴めていない状況です。初期は集合機器の不具合と思われて機器を更新したようですが、その後もまったく同じ不具合が続いています。更にまずいことに障害がお盆入り前に発生したため、詳細な調査を行おうにも盆休みで対処可能な人員が確保できず復旧の時期をお約束できないなどと言い訳じみた説明を受けています。こんな利用者に不便を強いる盆休みなんて無くなってくれれば良いと呪いたい次第。

今朝方受けた連絡では、説明がふたたび一転して集合機器の不具合ではなくこれを共用するクライアント側にあるようだと言われました。クライアントの発信情報を取りまとめる集合機器に不正な信号が寄せられていて、それが円滑な通信を妨害しているような現象が観察されるとのこと。ただしそれが何に起因するのか、どのクライアントからかまでは特定できていないようです。特定のPCがウィルスに感染していて帯域を占有する異常なデータを発信されている可能性も否定できないという話でした。ともあれ不具合の原因がクライアントから集合機器の間まで絞り込めたので、これから該当箇所の精密調査が開始されるようです。これに先立ち集合機器を利用するクライアントすべてに接続状況や利用実態を把握するための調査依頼文書が配布されるという、そろそろ事件と言ってもいい状況になっています。

一昨日までの説明では、共用部分の機器に障害があってクライアントが原因ではないと言われました。それを早く言ってくれなかったために余計なシステムの復元作業を行いました。ある担当者はLANケーブルの劣化の可能性があるので新しいものに更新するよう指摘しています。お陰で買い換える必要もないケーブルを新調してなおも接続できない状況に見舞われました。

ここへ来て再びクライアント側に原因がありそうだと言われ、先ほど身の潔白を証明するためにオンラインのウィルスチェックを行っています。何の脅威も検出されませんでした。それでも昨日などは意味不明にFacebookからログアウトされ、ログインしようとすると不正ログインとみなす表示が出て一時的にアカウントを凍結されるわけの分からない事態が起きています。関連性があるかは分かりません。ネットの何処かに不具合が起きているんだけど、その正体が掴めない…まだに21世紀版の幽霊です。

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2017年度「もりみず」の総評
今年度は市内に限定して今富ダム厚東川ダム宇部丸山発電所の3ヶ所に行ってきました。

最近加速し始めたダム見学ブームと郷土ツーリズムの流れと相俟って、かなりの参加者があったようです。私は3ヶ所とも既に何度も訪れていましたが、当該物件について生じていた疑問を解消するのと写真の再撮影目的で参加しました。このうち今富ダムと厚東川ダムに関していくつかの疑問点が判明し、その一部は既に編集追記で正しい情報に書き換えています。

更に厚東川ダムの見学会では、前年までとは異なる変更がいくつかみられました。監査廊見学は危険という理由で非公開ですが、代わりに内部を撮影した画像がダム堰堤入口付近に掲示されるようになりました。これは「もりみず」の始まる以前から掲示されていて見学会でなくても随時見ることができます。また、ゲート建屋の外側にあるキャットウォークの通行が本年度見学会より認められました。かなり怖い通路なんですが、今まで得られなかった視座からダム直下や発電所関連の映像を得ることができました。

もう一つ、見学会における写真撮影の内規が提示されました。見学会の最初で渡される資料の最終ページに書かれています。


指針では機器の指し示しているデジタルやアナログ数字表示や精密部分の撮影を行わないように勧告しています。全体像を撮影するのは問題ありません。特に制御室に置かれている種々の機器について該当します。これらは元々見学会のような部外者の立ち入りを想定した造りになっておらず、外部へ漏洩すると問題になる場合が起こり得るからです。この他に発電機などの精密機器の仕様書が掲示されているとき、その構造や細部を撮影することも含みます。

本件については、以前から問題になっていました。見学会となれば目で見るだけでなく記録したいという要望が出るのは自然だし、興味があれば私のように細かく撮影する見学者もあるでしょう。撮影について双方が気まずい思いをしなくて済むように何かの指針が必要なことは当サイトでも書いているし他の見学地でも事ある毎に尋ねていました。厚東川ダムの内規が他の見学地にも適用されるかは分かりませんが、一定のルール作りの基礎となることを歓迎します。

始めに上の説明がなされたとき、ウェブ上の写真掲示についても尋ねました。今はソフトではSNS、ハードはスマホの時代です。見学会で初めて管理区域内に入り、目にしたものを撮影した後で仲間にも見せたいという思いからFacebookなどのSNSでシェアする状況が考えられます。そのときもし撮影されると非常に拙いものがあったとき、内容によっては一気に拡散され情報漏洩を止められなくなるリスクがあります。まあ、一般には撮影されると拙い場所には見学者を引率しないものですが、第三者の目はしばしば思いがけないものを見つけます。だからと言って「見学会関連の映像は一切ウェブ上に載せるな」では行き過ぎです。この件については引き続き検討するという話でした。

映像ではなく担当者から直接得られた情報を載せるのも問題かも知れませんが、峻別しようとなれば担当者は事あるごとに「これはオフレコで…」と言わなければならないし、当サイトの掲載情報も穏当なものばかりとなってしまいます。当面は主観的判断でよほど機密性のある情報を除いて、担当者の談話から得られた情報はすべて掲載しています。

見学会で撮影された画像を元にした時系列記事は去年のこと原則として非公開にすると決めているので、当面はこの制限を維持します。この方針は各地の見学会でも当サイトの自主規制として運用していると話しています。ただし、Facebookのような公開範囲に制限を掛けられる環境下では写真の一部を公開していますし、今後見学会関連の記事を公開しても問題ない外部環境になれば一般記事化することもあり得ます。

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今年も出てきました。
春先から夏場にかけて急に気温が暖かくなると出てくるあの嫌な症状です。少し軽快したかもと思いつつ去年は結局克服できなかったし今年も同じでした。涼しい時期は薬も要らず、半年くらい病院から足が遠のいていました。酷くなってきた先月の初めに皮膚科を訪問して薬をもらっています。どうやら今後は一生この症状と付き合って行かなければならないようです。

そうは言うものの、ある程度症状の傾向が見えてきたのでやり過ごし方を覚えてきています。経験的に分かったのは痒いからと言って掻くのはどんな場合でも皮膚にはまったく良くないという点です。痒いと感じてしまう信号系統の不具合なので、恐らく皮膚の該当箇所には何の障害も起きていないでしょう。したがって健全な皮膚を爪先で傷つけられることになります。掻くことで血液が集まって余計に痒くなる悪循環に陥ります。症状の解決にならないばかりか、破れた皮膚は治るのに時間がかかるし感染しやすくなります。

どうも掻き毟りそうだという前に別の刺激を与えます。一番手軽なのは虫刺され系ロールタイプの薬を塗る方法です。痒さが冷涼感に置き換わるので、それ以上掻かずに済みます。足など広範囲に及ぶ場合は、シャワーで冷水を浴びるのも楽になります。初めてこの症状が出たときは水疱が次々と出来て掻き毟ったため、両手の指が見る目もない程酷い状態でした。近年は不思議なことに指先はあまり痒くならない代わりに痒い場所が全身へ散っています。両手の肘、肩の近く、すね、脇腹に発生します。水疱は発生しないのでただの湿疹のようです。

気温や湿度の上昇は発生要因になります。元々、指湿疹は汗かきに多く蒸し暑くてたまらないって感じる場所へ長時間居続けると痒みが誘発されます。実際の暑さよりも感覚的な要素が大きいようです。食べ物の種類は殆ど相関関係がないものの、脂っこく消化の悪いものを沢山食べると起きやすくなります。残念ながらアルコール飲料は症状発生のかなり強い因子です。血行が良くなるのに加えて恐らく代謝物の影響で皮膚がピリピリする感覚があります。運動して血行が良くなっただけでは起きません。今後は飲酒を伴う会合のとき以外はアルコール飲料は禁忌扱いです。

薬を使えば効くように思えて、正直どうもプラセボと大きな差違はないようにも思います。特に塗り薬はまったく効いた感じがなく、指先に塗るとキーボードを扱えなくなる弊害の方が大です。飲み薬は効いているのかも知れないけど、副作用の方が気になります。信号系統の感応度を落とすように作用するせいか、どよーんとした感じがあって作業効率が落ちます。だから毎日服用するのではなくどうも暴れ出しそうな感じがした日の朝に飲んでいます。これも「今薬を飲んだから」という自覚効果の方が大きいのかも知れません。

昔から夏を過ごしやすい季節と思ったことは一度も無いけど、近年頓に辛くなっています。もう5月中旬あたりから暑くなってエアコンを掛けていたし、9月下旬あたりまで必要でしょう。一年の殆ど半分近くを除湿冷房が必要な環境になってしまった現在の西日本は既に温帯ではなく亜熱帯に分類される地域なのかも。

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やはりサイト内検索が一番手っ取り早い
インターネット黎明期のこと…FBを始めとするSNSはもちろんブログという言葉すら存在せず、ホームページとメール主流だった時期も今や遠い昔です。当時は単一の用件を個別に送るメールはともかく、ホームページがとても有り難い存在でした。一個人がホームページを開設しているってだけで一目置かれていた時代です。名刺交換などの場面でURLなる呪文のようなアルファベットの羅列がありました。「えっ?ホームページを持っていらっしゃるんですか?」「まあ…遊びですけどね」って会話が飛び交いました。

時代は下り、ホームページが隆盛を極めた後には掲示板やチャットと共に次第に下火となり、ブログが後押しし、SNSの登場がトドメを刺した感じです。今や繋がりたい人限定、欲しい情報限定な時代なので何でもかんでも扱うサイトが見当たらないのは、いわゆる昭和時代の百貨店が衰退したのと同様です。ただしホームページの需要はなくなったわけではなく、近年では広告の入らないホームページスペースを安価に提供するサービスの影響もあって体感的には微増し始めているようです。

いくらホームページが盛り返そうが、モバイルの流れは押しとどめられません。今やPCからネットに繋ぐのは会社関係くらいのもので、自宅にPCを持って日々利用しているのは情報発信したりネットで物品購入する人くらいのものです。スマホやタブレットだけを携行し、利用するのはFBやInstagram、LINEだけという利用者が圧倒的多数でしょう。

PC向けを固持する当サイトも閲覧に不便だというのでは困るでしょう。特に今やスマホからの閲覧が8割方と思われる現状なら、うちのサイトやページを見つけるのは間違いなく検索経由です。検索ではまず日本語入力を行うので、既定では全角入力です。わざわざ半角モードに切り替えてURL直打ちなんてする人など皆無です。
自治体のホームページでもメニュー形式をやめてトップページに検索窓一つデンと据えただけのサイトがあると聞いています。最初、それは極端だと思ったんだけど実のところその方が速いでしょう。うちのサイトにしてもトップへ来れたとして、そこから閲覧したい案件のカテゴリを調べるなど大変に面倒だし、常盤用水路のように独立した記事が作成されていないものもあります。

そこでこのたび試験的にサイト内検索ウィンドウを造ってみました。Googleのサービスを用いて作成しましたが、どういう訳か検索窓が表示されるまでとても時間がかかります。このままトップに置くと今度はトップページが表示された後に数十秒くらいどのリンクもクリックできずフリーズした状態になるので、別ページに置きました。今のところ原因が分かっていません。ローカルでの動作確認なので、ネット上に存置してスマホなどからアクセスすればまた違う結果になるかも知れません。巧く使えそうなら検索窓のサイズやデザインもカスタマイズしてトップへ移動する予定です。

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補助ドキュメントを整備しています。
当サイトの殆どの記事は、写真を元にした物件の解説です。簡単な調べ物などに対応するため全体をざっと書き上げた総括記事、現地を訪れたときのレポートを詳細に追う時系列記事、現地調査の過程で副次的に得られた成果や案件を複数収録する派生記事が該当します。少数ですがそれ以外のドキュメントが存在します。このサイトの概要、制作者のプロフィール、記事制作の上での取り決めなどをまとめた記事です。

現時点でそれらの記事は補助的なものとみなされ、物件のようにカテゴライズされていません。サイトのトップ一番下にリンクを貼ったテキストを配置しているだけです。当面はそれで足りていたものの、初期に書かれたものなのでフォーマットが統一されておらず内容もかなり古くなっています。更に情報伝播ツールとして無視できない影響力をもつFacebook(以下FBと略記)に関する取り決めやアカウント、ページの扱いなど明言しておく必要がある項目が増えてきました。4月より導入した自主緩和ルールにより、一部のFB記事リンクが可読となり私のアカウントも判明する状況になっていますが、少なくとも当サイト上ではまだFBの私のアカウントを明記していません。

現在、プロフィールを含めて一連の必要なドキュメントを整備しています。これらはすべて物件関連の記事には属さない補助ドキュメントとして同一ディレクトリへ置いていずれインデックスで容易に閲覧できるようにします。あれもこれもかじりかけ状態になりますが、思いついたところからでも情報を整備するのは、何も無いよりもマシですので。

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不適切なデータの差し替えに着手します。
当サイトの開設は2011年11月1日ということになっています。一応、ちゃんと「品質管理|総則・定義」の項目でそのように記載しています。この記述がどういう意味を持つかは措いて、曲がりなりにも5年以上固定したサイトを構築してドキュメントを供給し続けていることになります。最初は趣味と道楽から始めてはいるものの、一連の周辺ドキュメント整備も行っていることから分かるように、単に面白いとか役に立つで終わるだけではなく責任ある情報提供を意識していました。

初期に作成した記事と最近の記事では多くの点で相違があります。記事の書き方が違うし、余談的内容をまとめるときの仕様も異なります。写真の撮り方や品位に違いがあるし随所で埋め込んだ地図などにも設定の差があります。記事内容の情報量が違うのは経験のなせる業なので致し方ないとして、初期は面倒だからとかなりいい加減なことをしている部分がみられます。そのうちのもっとも重要なものが著作権の問題です。

どんな物件もそれが何処にあるかは重要な情報なので、地図を伴います。地図の埋め込みは国土地理院やYahoo!などがウェブサイト埋め込み用途での使用法を規定しています。単純な場所情報では概ね規定通りに行っていますが、提供されている地図にテキストや記号を追加で埋め込みたい場面がでてきたとき、既存の地図をコピーした上に描画ソフトで記号を書き入れているものがあります。

地図への上乗せ機能は国土地理院の地図でもかつて提供されていて、スクリプト実行時のデータとして同一ファイルに埋め込まれていました。このため閲覧者に特殊なアドイン追加を求めたりデータをダウンロードさせることなく表示できていました。現在は上乗せデータはXMLファイルなどに分離する形式になったので汎用性がある半面、データの作成も閲覧も大変面倒になってしまいました。地図をコピーして手書きソフトで追加描画し画像ファイルとして掲載する方が早いわけで、ネット上には国土地理院の山岳地図をコピーしてルートを手書きした画像を載せたサイトが沢山みられます。大勢がやっているから追認されるというものでもなく、これらの行為は著作権侵害になります。かと言って上乗せ情報が必要な地図提示を行いたいとき、毎回毎回土台となる地図を手書き作成するのは非現実的です。

場所データを頻繁に提供することとなる新聞社ではネット上で閲覧できる地図データの流用をどう考えているのか尋ねたところ、やはり同じ問題を認識しているとのことでした。掲載頻度が高い場合はゼンリンなどの地図提供会社にライセンス契約して許諾をもらうものの、それほどでもない場合はまさかコピーはできず、結局既存の地図を参照しつつ手書きした地図を載せているとのことでした。

多くの上乗せデータを必要とする場合に土台の地図を一から手書きするのは大変面倒な作業ですが、かと言って5年以上も運営し実績も積み上げている当サイトが著作権侵害を放任していい筈もないので、今後時間をかけて対処します。具体的には島地区恩田町5丁目の地区道関連記事で用いられた地図が該当します。元々の地図と航空映像、現地で調べて得た情報を元に描いたものに差し替えています。この他にも著作権フリーでない画像を流用しているものがあり、今後問題ないものに取り替える予定です。

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さて、宇部ネタに復帰しますかな…
昨日(26日)のこと、旅行記を取りあえず時系列レベルで最後まで書き上げました。完成と言えば完成ですが、一度最初から最後まで通して読み、時系列の繋がりに矛盾がないか、重要な漏れや勘違いがないかの推敲作業があります。自分の頭の中にある情報は全部アウトプットしたので、一両日程度おいて推敲にかかります。

若干の時間をおくのは少し落ち着いた状況という別の視点から眺めることでの気づきに期待する他に、いい加減放置状態になっていたタスクを片付ける必要があるからです。何しろ旅行記の時系列記述の完結を最優先課題におき、月末までに書き上げると宣言して進めていました。当面の目標を達成できたので、後回しになっていたコラム執筆と記事作成に配分しました。

今日は昼からまずコラム向けの執筆に注力し、来月向けの掲載案を完成しました。既にメール経由で提出済みです。次にある方から調査依頼を受けていた案件(3件)のうち最も記事化が容易な1件についてサクッと書き上げました。現地調査自体は既に終えていました。記述量はそこそこあるんですが、旅行記のヘビーな記述を思えば「チョロいもの」です。換言すれば旅行記の時系列記述は自分にとって今まで経験した中で最大級の労力を要する持久戦でした。

この調子で進められれば良いんですが、残念ながらその保証はできません。月末月初めに結構いろんなスケジュールが詰まっているからです。その中には新たな記述を要するイベントもあります。なかなかにハードですけど心理的な負担はありません。むしろ多忙を楽しんでいます。今やっておいたことは先々でかならず効いてきます。諺で「味噌へ入れた塩は他所には行かない」といいます。同様に「書き上げたドキュメントは余所には行かない」。

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旅行記を執筆しています
最近地元ネタの記事が上がらない代わりに、何故か県外の名所や史跡が記事化されています。おおよそ推察されるように、先月の下旬に記事化されているような観光地へ行ってきました。自転車や徒歩など安価な手段で市内にある題材を細々と採取する我が身を、別の場所ではやや自虐的に「貧乏な暇人の旅行」と表現しています。先月のは自分にとって何年ぶりかの本格的な旅行でした。

このたびの旅行は記事化されているような観光名所が主ですが、遠くに出かけて羽根を伸ばして「楽しかった」で終わる旅ではありません。違う環境に身を置くことで我が身や我が郷土が見えてくるものであり、それを自身にインストールすると共に情報をアウトプットすることも目的と考えています。それ故に、旅行から帰って来るや否やすぐに執筆を開始しています。

時が経てば、どんな感動も次第に鮮明度を失っていきます。そうならないうちにまず全データを記述しています。申し訳ありませんが個人的に立ち入った記述も含まれるので、今のところ全データを当サイトで公開する予定はありません。あるとしても査読を通して問題ない部分だけの提供となるでしょう。それでは最悪何のデータも公開できなくなる恐れがあるので、公開に問題がなく一般の読者にも提供できそうな題材を個別記事に仕立てて先行公開しています。市内題材ではありませんが、何処を見てどのように表現しているかの宇部マニズムはそのまま生きています。

現在、全体のおよそ3分の2を書き上げています。当サイトの時系列記事は1つのファイルに20枚の写真を収録する暗黙的規定があり、その仕様に則って全データを記述しています。現在既に第17編を記述中であり、写真を70%縮小で印刷したとしてもA4用紙で140ページに及ぶことが分かっています。全データを完全に書き上げれば第25編くらいまで行きそうなので、すべてを印刷することは困難でしょう。写真と本文のレイアウトを考慮し、印刷したとき少ないページ数で多くを詰め込める工夫も考えています。

月末までに書き上げようと目標を立てているため、作業にもう少し時間を割きます。暫く地元ネタの記事化が進みませんがご了承ください。

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プリンタを購入しました
郷土に関するドキュメントをどんどん増殖させている身ながら、信じがたいことにアジトにはプリンタがありませんでした。記事を印刷して持ち出す必要が殆どなかったからです。毎月のコラム執筆分も含めて校正は常に画面で行っていました。

あれでも野山時代の初期はプリンタを使っていました。しかしWindowsXPがリリースされたときドライバが対応しなくなったので、スキャナと共に廃棄して以降買い換えないままでした。

最近、紙媒体で印刷したい場面が増えてきました。先日実施した「島の小路を歩く」プログラムではマップが必要でしたし、野山に暮らす両親に記事を読ませたいと思うようになりました。親はネットとは無縁な生活をしているので紙媒体は今なお重要です。それからページ数が膨れあがっているドキュメントは、一度印刷して全体をチェックしたくなりました。画面上でのスクロールやページ繰りは意外に面倒です。紙媒体なら数ページパラパラッとめくれば一瞬です。

プリンタ自体は安く売っているのを知っていたので、あまり深く考えずまずは使えるプリンタを新調しました。


詳細な経緯は自分のタイムライン[1]に書いたので当サイト向けのことを書きますと…印刷対応を考えて記事に埋め込んでいる画像の掲載形式の変更を考えています。今は重要度の低い画像は480×360サイズを使っています。大きい画像を含む記事は、印刷したとき時間がかかるしインクも消費するからです。しかし遠景や詳細を知りたい遺構の写真は今まで通りのものを載せたいので、画面上では縮小表示して詳細を見たい場合にはリンクをクリックするサムネイル形式に変更するかも知れません。
出典および編集追記:

1.「FB|プリンタを購入しました(2017/3/27)(要ログイン)
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うべ探検博覧会プログラム「島の小路を歩く」を実施しました
18日の午後1時より2時間かけて島地区の小路や古井戸などを観て歩くのんびりプログラムを実施しました。宇部マニアックスとしてはプログラム第2弾になり、一昨年実行した第1弾の自転車プログラムよりは一般向けする内容でした。島地区在住民を特別ゲストに迎えて歴史面からの解説を頂き、歩いて観るだけの地味な内容を盛り立てて頂けました。
写真はプログラム実施中の風景です


数日前から天気予報は晴れでこの日も雨の心配がない天候だったものの、思ったよりも寒くて春物のズボンでは寒すぎました。スタート前に「道中はトイレがないので各自済ませて下さい」と参加者に呼びかけた本人が行き先で催してしまい、コッソリ中座してお手洗いに行ってしまうハプニングも。

最初に力車を引き揚げていたとされる石畳道、中ほどに庶民の石畳道と屋敷の古井戸を訪れ、松厳園の池や井戸を見学する行程も追加されました。それでも予定より早く進行したので、プログラムからは離れますが郷土資料館を訪れて去年のこと成し遂げた宇部マニの大仕事を参加者の皆様に披露し今後のことを熱く語りました。本プログラムのクライマックスになったようです。これは当サイトでもまだ詳細な経緯は記述していない項目です。時至れば何処かのタイミングで詳細を公表し、この「里帰りプロジェクト」の協力者を募りたいと思っています。

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うべ探検博覧会2017年春版始まりました
3月2日にプログラム一覧が公開され、3日午前10時より受付が始まっています。
うべ探検博覧会2017SPRING|体験プログラム一覧
プログラム企画は一昨年に実行した「水の大動脈の今と昔を辿る自転車ツアー」以来2回目です。前回は自転車参加が前提で集合場所が市街地から数キロ先で、更に往復10km程度自力で自転車を漕ぐというハードル高めの超コアな題材でしたが、今回は低価格でのんびりとした企画となっています。参加人数を少なめに設定していますので、ご覧になった時点で定員に達していましたらご容赦下さい。早々に定員一杯となり更に参加希望が多いようでしたら、翌日再度の開催するかも知れません。

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市制施行100周年市民委員会で提言しています
2月25日、第4回目の委員会に出席してきました。


宇部市制施行100周年市民委員会とは、5年後に迎える市制100周年という節目に何を実現したいかを多角的に検討する一般参加型の会合です。[1]委員の募集は随時行っていて、私は第1回会合は情報をキャッチすることができず第2回から参加しています。第1回目会合では委員会の進め方について議論されたようで、第2回目からは具体的に何をしたいか、何をすべきかについての各論的意見が提出されました。第3回目までにはむしろ意見が集まり過ぎたので、それらを分野毎に整理して各委員もまちづくりや雇用面、観光面など志向を一にするグループ分けが行われました。そして今回の第4回では分野ごとのグループからリーダーを選出し、既に集まった意見の中から類似するものを統合し、数を絞り込む作業が進められました。

各会合での個人的な提言内容はまとめており、記録に残しておくという意味で憩いの家ワークショップの時のように記事化を考えています。ただし憩いの家では議論の対象が単一物件だったのに対し、100周年委員会では夥しい提案が出ているので、参加各委員すべての提言を逐一まとめることは考えていません。しかし総論的な考えについてはここでも書いておこうと思います。

土曜日の午後からという時間を割いて委員会に出席する行動モチベーションは、憩いの家のときと同じです。意見を言えるオープンな場が設けられていながらそこには顔を出さず、後から決定事項について異を唱えるのはフェアではないからです。私は委員としては一個人名で出席しているものの、記事化やFBでの展開、コラムによる記事配信で宇部マニ色を前面に押し出しているからには当然市民も市外県外の人たちにも郷土へ目を向けてもらう仕掛けを考え、いくつかの事項を提言しています。その殆どは今まで議論されたことが恐らくない内容です。誰もがすぐ考えつくような提言は大抵既に唱えられているので。

投資コストはできる限り小さく、効果はなるべく大きく、しかも100周年事業というその場限りのものではなく市民も外部からの来訪者も利便性や快適性を感じてもらえる提言をいくつか考えています。当サイトでも宇部市役所が属する建物カテゴリか、あるいは地名のような無形物を収録する文化カテゴリで作成する予定です。自明なことですが、口で話すのとは異なり記録されたテキストは残ります。これは「そんな提言など聞いていない」とならないためのテキスト化でもあります。市民数十人を引っ張り出して意見を出させた以上、客観的にみて実行可能で有用と判断された提言は、かならず市の方で着手して頂きます。

提言の記録を残しておくにあたって、まずは大項目をリストアップした個人的見解と断った総括記事を作成します。次にそれらの詳細を第4回目の会合のときと同様に「提案の概要・期待される効果・問題点」の詳細を記述する予定です。
出典および編集追記:

1.「宇部市|宇部市制施行100周年市民委員会」を参照。
なお、この記事に掲載されている第2回会合からの写真にはどれも私が写っています^^;
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国土地理院の旧ドメイン運用停止について
少々の事実を曲げて煽るのが大好きな昨今のマスコミなら「国土地理院の地図が一斉にネット界から消える日」なんて感じで伝えるのでしょうか。それは些か誇張に過ぎるとしても、最終的に行き着くところが”表示されなくなる”であることに変わりはないと言えます。国土地理院がネット上で地図提供を行い始めた初期のドメインについて、将来において恒久的な使用停止を宣言したからです。
旧地理院地図・電子国土Webドメイン cyberjapan.jp 運用停止のお知らせ
記憶するところによれば、このサービスは最初期において「電子国土Web」と称して提供開始されました。国土地理院の地図は学童期に誰もが一度は見たこともある馴染みのものです。等高線が茶色、河川や水路が水色で描かれた図は社会の学習素材として紙に印刷された形で提供されました。それと同じものがネットで閲覧できるとあって、当サイトでも発足直後から飛びつき記事への埋め込み表示を活用してきました。その後電子国土は地理院地図というもう少し馴染みのある名称に変更し、機能追加も行いつつ提供されてきました。

地図はどの分野を手掛けるにあたっても基礎的な共有情報です。それだけに当初から専門性の高い窓口を造って設計や問い合わせに対処してきたようです。利用マニュアルやヘルプファイルを見ても技術力の高さが窺えます。今まで地図上の誤記の指摘[1]や不具合、どうしても解決しない問題などを何度か問い合わせましたが、その殆どについて解決に繋がる回答を頂けています。

しかし…遺憾なのは知らないうちに何度か仕様変更が行われ、その案内がまったくされない点です。例えば昭和49年度撮影の航空映像埋め込み表示がまったく出来なくなり、不審に思って問い合わせたところ「地図タイルのファイル名変更を行いましたので yk79 → gazo2 のように変更して下さい」なんてのもありました。このときは検索機能を用いて置換できたのでそれほどの騒動ではありませんでしたが…もし利用者登録できて「重要な仕様変更をメールで受け取る」の項目があったなら迷わずオプトインしていたでしょう。

その後、埋め込み情報を取得する操作を行うと常に同じ場所の誤ったURLを提示するダイアログが表示され、しかも×印をクリックしてもダイアログを閉じることができずブラウザを再起動する以外なくなる不具合が確認されてからは、新規の埋め込み地図作成を諦めていました。


先ほど上記の操作を行ったもののやはり直っていませんでした。[2]そろそろきちんと解決させようと思って久し振りに国土地理院のトップページへ移動したことで旧ドメイン停止という案内を知った次第です。頻繁に利用している方なら恐らく普通と思いますが、記事ファイルに地図の埋め込み表示を行うのにわざわざトップページを訪れません。我が町宇部市役所を中心とした位置情報をブックマークしてそこから表示させたい場所へ移動しています。ドメイン使用停止の案内は去年の12月だったようです。

さて、当サイトでも初期の埋め込み地図では旧ドメインのものを使っています。cyberjapan.jp というドメインを恒久的に利用停止するということですが、単にドメインを gsi.go.jp へ置換するだけで片付くわけではありません。昔作成した上載せ地図は(移行措置で現在も正しく表示されるようですが)現在提供されるのとは仕様も作成方法も異なります。例えば当時は HTML ファイルへ直接上載せ情報を埋め込んで実現していましたが、現在はその方法は提供されておらず元地図と上載せ情報を別々に保持する方式に変更されています。一から作り直す必要はないにしても、過去に作成した上載せ情報を一旦 geojson 形式で書き出して別ファイルに保存し、記事ファイル側から上載せ情報を呼び出す形式になります。具体的な作業手順はまだヘルプの参照が必要な段階で、置換一発というわけにはいかないのは確かです。

cyberjapan.jp の停止は来年度(平成30年度)が予定されています。ただしそこで一斉に表示停止させるのではなく、アクセス量を勘案してある程度の猶予期間が設けられるようです。それでも一連の変更情報がサイト作成者すべてに熟知されるとは考え難く、ドメインを温存しリダイレクト処理を用いてでも表示できるようにしなければ大混乱が起きるでしょう。個人レベルのみならず自治体でも何年も前に作成した埋め込み地図情報があり、それらすべてが対処済みとは思えないからです。

このようなドメイン変更・廃止は、インターネット利用上の大きな脅威であり阻害要因です。作成されたデータが数十年しないうちに「読めない存在」に帰されてしまうリスクがあるからです。政府ドメインですらこの状況なのですから、民間レベルでは信頼性は更に下がります。当サイトとて今データを保存している lolipop もこの先どの程度長期にドメインを変えず運営してくれるか未知数だし、他のすべてのドメインが同じリスクを抱えています。些か退廃的に言ってしまえば、この先何十年、何百年先にも間違いなく伝えることが出来る手段以外受け入れられないなら、すべき方法はただ一つ:「石に刻む以外ない。」
出典および編集追記:

1. 宇部線の居能駅の表示がある縮尺表示の場合に限って「伊納駅」と表示されてしまう点。数年前に指摘し現在は修正されています。

2. Firefox 50.1.0 で必ず発生します。Internet Explorer 11.0.27 では正常に動作することを確認しています。
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2017年の目標
去年の年明けの目標は2016年のファイルへ移動しています。その中で外部情報との連携と事業化を意識して進めると宣言し、地方紙の折り込みレベルですが毎月のコラム配信に至りました。それでもコラム執筆で収益が発生する点で、Facebookやホームページでの記事公開とはレベルの異なる進歩です。娯楽や道楽で進めていたことが初めて仕事となる第一歩でした。

今年の目標は、事業化に向けてのステップアップです。今のコラムとは別に業務として成り立ちそうなものを世に送り出すことを考えています。セミナーの開催や小冊子などの出版が該当します。これは郷土関連の流れで「ひとやま当てる」という野望ではなく、純粋に生活を成り立たせる上での必須項目です。それと言うのも現在メインの収入源となっている仕事は今後の先細りが確実で、あと数年経たないうちになくなってしまうと予想しているからです。具体的な業務内容については言及しませんが、誰がやっても同じ結果となる業務とだけ言っておきます。そのような業務は種類に限らず経費削減を前提として機械化や効率化で無くなってしまうのは当然とも考えています。人は誰しも人手でなければ出来ない生産的な仕事に携わるべきなので。

業務としてではない無償の啓蒙活動や記事制作は今まで通り並行します。しかしたとえ人並み以下でも生計を成り立たせるためにはコラム配信以上の収益が必要です。絶対数こそ少なくても一部の方が対価を支払ってでも欲しがるような情報を提供しようと思います。したがって従来のような重厚な時系列記事の連載は割を食って少なくなるかも知れません。

思えば、大学時代に手掛けていた巡回家庭教師と質的に類似する業務へ回帰するようです。それは対価を払って入手する仕入れが存在せず、原価ゼロで成り立ち「知識やノウハウを元にそれを求める人へ有償で伝授する」点で共通します。対価ゼロと言っても実際にはまったくのゼロではなく、その業務を手掛けるまでに蓄積されたノウハウの時間的価値です。とりたてて今何もすることがない、明白な仕事がないときにこの作業を行っておくことで商品の元に相当する部分を蓄積できます。それは今までにも相当な時間をかけてやってきたことなので、後は興味を持つ方々が情報を買ってくれるように私が持つ経験やノウハウと統合して魅力的な商品を世に送り出すことです。

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