琴芝駅【旧総括記事】

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記事作成日:2020/2/6
最終編集日:2020/3/28
情報この総括記事は現在の駅舎が取り壊されたため旧版に降格される予定です。新しい総括記事は こちら をご覧下さい。旧版はアーカイブとして遺し編集追記はされません。

琴芝(ことしば)駅はJR宇部線の駅の一つで、琴芝町2丁目にある。
写真は正面から撮影した駅舎。


地図を示す。


駅舎はもっとも西寄りに待合室へ繋がる正面入口があり、東側へ既に使われていない駅長室や関係者の詰め所などが接続した木造平屋構造である。
後述するようにこの駅舎は改修工事で取り壊されることが決まっている。
一般的事項は脚注[1]を参照されたい。ここでは琴芝駅の個別情報および個人的関わりを記述する。
《 概要 》
隣接する東新川駅宇部新川駅と異なり、琴芝駅は北側に出入口がある。このため通常撮影時に訪れる午後では逆光となって駅舎の撮影が難しい。更に駅前広場が狭く一部をタクシー会社が待機所として使っていること、駅舎の前に看板が乱立している現状からも駅前の顔としての景観が優れているとは言い難い。それらを被写界から除外して駅舎全体を撮影することは不可能である。

正面入口より左側から撮影。


同じ位置から東新川駅方面側を撮影。
横に長い平屋部分が駅長室で、既に相当以前から使われていない。


駅長室や詰め所の出入口にみられる古い構造。
建屋のサッシ窓などは後年の改変にしても、駅舎の基礎構造は建設当時のものと考えられる。
基礎コンクリートに丸い石が含まれているので川砂を採取していた時代のものと言える


駅舎内部。
床のタイル張りや券売機の設置など標準的な無人駅の仕様だが、駅舎の建物自体は当初のままである。


駅舎内部から出入口方向を撮影。
腰壁の板や天井の梁などの構造が古めかしい。


後述する改修計画に先立ち、変化が予想される場所について既に充分な量の画像が採取されている。願わくば駅長室など内部の撮影を行いたいものだがまず実現不可能だろう。
駅舎の解体が始まった直後なら工事エリア外から内部を観察できるかも知れない
【 歴史 】
歴史的にみてここに最初の鉄道が通されることとなった宇部鐵道時代の大正期には、まだ琴芝駅は存在していなかった。そのことは昭和初期のスタンフォード地図からも確認される。

現在の琴芝駅がある場所をで示している。まだ駅の表示がない。


[1]にもあるように琴芝駅の開設は昭和4年のことである。神原炭鉱後の耕地整理で周辺の地盤整備と塩田川の流路が定められ、周辺の区画や路地は元より鉄道もその線形に従うこととなった。
後から追加設置されたせいか、琴芝駅は列車行き違いの線路や待避線がない。両隣の駅が近いこと、南側はすぐ塩田川で土地確保が困難だったことも理由だろう。

駅のすぐ西側を琴芝通りが南北に通っている。
踏切名も琴芝通踏切である。


琴芝通りは神原の耕地整理後の大正5年に地元琴芝住民がお金を出し合い常盤通りから外原(現在の宮地町)までを整備した道[a2]で、当時は参宮道路に次ぐ南北の軸となる道であった。琴芝駅ができたのはその後のことなので、琴芝通りを南北の軸として商店街が発展し、人の流れができて新駅設置の需要が高まったのであろう。
【 利用者層 】
改札を出た先のホーム。
東新川駅方面を向いて撮影している。


乗降客の多かった時代の4両編成車両にも対応できるように、ホームは改札を出て東側へ長く伸びている。西側はトイレが隣接しているが、他の駅とは異なり駅舎の外側の出入口が塞がれており一旦ホームに入らなければ利用できない。このトイレも(現在は列車内にトイレが設置されていることから)改修工事で撤去されることとなっている。

琴芝通りを北へ進み県道琴芝際波線を横断した先に慶進高があるため、恐らく琴芝駅の乗降客の殆どを当校の生徒が占めている。したがって登下校の時間帯に大変多くの乗降客がありながら、それ以外の時間帯と土日祝日は閑散とした状態となる。これは鉄道を利用して通勤通学する利用者の多い駅の特徴で、単純に一日の乗降客データのみを見て利用実態を判断し駅舎やホームなどの改修を行うと、後で利用者が支障を来す元となる。(→改修案の問題点

小郡方面 小郡駅方面へ移動 宇部駅方面へ移動 宇部方面
東新川駅宇部新川駅

出典および編集追記:

a1.「Wikipedia - 琴芝駅

a2.「琴芝小学校三十周年記念誌」p.31
《 近年の変化 》
・2015年の夏頃まで琴芝駅前の駐車スペース東側には中央交通(株)琴芝営業所の詰め所があった。時期は不定だが詰め所は撤去され同社タクシーの待機スペースに転用されている。後に琴芝駅改修工事に伴いこの待機スペースも塞がれた。

・2015年9月から2016年3月の間にかけて駅舎前の道路(市道琴芝町線)に沿って東側にあった琴芝郵便局の局舎が解体撤去された。新しい局舎は産業道路沿いに造られ2015年7月6日に開局している。旧琴芝郵便局の立地は払い下げられ現在はみやもと鍼灸院となっている。

・2019年11月下旬に駅舎の左側にあったNTTの電話ボックスが撤去されている。正確な撤去時期は分からないが、利用頻度の低い公衆電話から順次撤去しているようである。[b1]撤去された跡はアスファルトで補修されている。

・2020年2月上旬に老朽化が進み利用実態も低下していた琴芝駅の駅舎改修工事が公表された。[b2]その前日頃に駅ホーム側の掲示板に改修工事に伴う通路変更などの案内が掲示されている。


計画によれば駅舎面積が現況の165.2m2から10m2程度まで大幅縮小しトイレも撤去されるため、券売機とベンチのみで構成された待合室へ改修されるものと思われる。

・同月8日に山口ケーブルビジョンのロケハンで下関方面へ同行し、帰りに私を送り届けるために宇部へ戻ったとき琴芝駅へ立ち寄って工事開始前の最後の駅舎を見届けている。翌日9日に当サイトのトップに掲示するお知らせで琴芝駅改修工事について案内し、思い入れのある利用者に対して撮影に行くことを勧めている。

・同月17日より駅舎改修工事が始まった。ステップ1として示されていたようにまず駅長室相当の建屋周りが養生カバーで覆われ撤去作業が始まっている。一連の変化を記録するために琴芝駅を継続監視対象として継続記事を作成した。詳細は以下を参照。
継続記事: 琴芝駅改修工事
この総括記事は、琴芝駅の改修工事情報を機に作成されたものであるので、工事中および一連の改修工事が完了した時点で画像採取し編集追記する。
【 改修案の問題点 】
現地に掲示されている改修計画映像を見ての意見なので、施行状況や今後の変更により変化するかも知れない。

ホームと待合室には2020年2月17日より開始される改修工事計画と、工事に伴う通路変更の案内などが掲示されている。




既に使われていない駅長室や切符販売窓口、詰め所などが撤去されることに異論はないが、現在の待合室が撤去された後に小振りなユニットハウス様の待合室のみ置き換えると、駅の主な利用者である慶進校生徒の下校時に支障を来すことが予想される。

2015年に市が実施した調査によると慶進高等学校に773人、慶進中学校に210人の生徒が在席し、高等学校の生徒の44.4%、中学校の生徒の35.2%が鉄道を利用した通学生という。[b3]琴芝駅は慶進校の最寄り駅であり、他の駅から乗り降りすることはおよそ考えられないので、少子化が進んでいるとは言っても現在でも同程度の生徒が駅改修の影響を受ける。

現在の古い駅舎には椅子が殆どないが、雨の降る日には中に入って待機することができる。改修案では駅舎の規模そのものが著しく縮小されるため、早い時間に駅へ到着した利用者を除いて列車が到着するまで駅前やホームで傘を差して待たなければならなくなる。真夏の暑い日には日差しを避ける場所を探すのに苦労するだろう。駅舎が小規模なものに変わることで駅前のスペースが拡がるので、その一部に雨風や直射日光を避けられる簡素な差し掛けを造って欲しいという要望が出てくるかも知れない。

駅舎の縮小化は「利用実態に即した駅舎への改修」が表だってアナウンスされているものの、今後どこかでかならず議論されることとなるJR宇部線のBRT化への布石とも解釈できる。現在と同じような列車が軌道敷上を走る形態での乗客輸送がこの先5年も続くとは(少なくとも個人的には)とても思えないので、いたずらにコストを掛けた構造物を造らずにスペースを空けておき、今後の変化に柔軟に対応できる余地を残したものとも考えられる。
総括記事作成前にトップで案内した琴芝駅改修工事の案内。
お知らせ履歴: 琴芝駅の駅舎が大幅改修されます
出典および編集追記:

b1.「公衆電話 設置場所検索|NTT西日本

b2.「17日から老朽化の琴芝駅舎を改修…|宇部日報

b3.「Wikipedia - 慶進中学校・高等学校|交通
《 個人的関わり 》
現在まで琴芝駅で乗降したことは一度もない。東へ向かうときは宇部新川駅か宇部岬駅から、西へ行くときは草江駅のみを利用していたため、東新川駅と同様、列車に乗った状態で通過した頻度も少ない駅である。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

《 地名としての琴芝 》
琴芝(ことしば)は、現在においては宇部市街部の町名の一つである。また小学校では琴芝校区としても知られる。他にこの総括記事のようなJR宇部線の駅名、認定市道の路線名と幅広く使われている。

町名としての琴芝については、JR琴芝駅の面する塩田川と真締川に挟まれた領域が琴芝町1〜丁目である。この他に方角を接頭辞として東琴芝1〜2丁目、西琴芝1〜2丁目、北琴芝1〜2丁目が存在するため些か場所が分かりづらいものとなっている。この状況は参宮通りを挟んで東側の西梶返などと同様である。

この他については既に記述していた琴芝についての以下の派生記事を参照。
派生記事: 市道琴芝町4号線|琴芝について

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