蛇瀬川・ダム建設シミュレーション

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記事作成日:2016/7/22
最終編集日:2020/7/28
歴史的事実は変えられない。しかし人間は「もしも…だったら?」を考えることができる生物である。そして想像(妄想とも言う)の世界はまったく自由であり何をやっても構わない。犯罪さえシミュレート可能でありむしろ受け入れられている事実は、戦争ゲームなどの存在から説明可能だ。

そこで目先ちょっと変わったシミュレーションを思い付いた。実現可能性は元より実行するなど狂気の沙汰であり、もしかして犯罪以上である。その代わりに現在おかれている状況や歴史的事実は所与のものと受け止め、かつ物理法則など既知の道理からも矛盾を生じないような手順でシミュレートする。

さて、その犯罪以上かも知れないというシミュレート項目は
蛇瀬川をもっと下流で堰き止めたらどうなっていたか?
である。


どうしてまたそんな奇妙なことを思い付いたか説明が要るだろう。以下に所与の歴史的事実と共に記述する。
《 シミュレーションの背景 》
蛇瀬(じゃぜ)池は小羽山校区にあり、福原時代に鵜ノ島開作の水源確保を目的に造られた人工の溜め池である。蛇瀬池の詳細は総括記事を見て頂くとして、現在の北小羽山町と東小羽山町の異なる尾根筋が近接する地に堰堤を築くことにより造られた。近接する尾根は橋を架けるにも好適で、後年小羽山ニュータウンの造成時に蛇瀬池堰堤のほぼ真上に蛇瀬橋が架けられている。

谷筋を堰いて灌漑用溜め池を造るとき、しばしばこのような谷地の狭まった場所が選定される。堰堤の長さが短くて済むし、谷地が狭まっているということは両岸に往年の流水でも削られなかった硬い岩があるからだ。これは更に時代が下ってダムサイトを見つける手法にも援用された。福原家の命を受けて蛇瀬池を造った椋梨権左衛門俊平公は、苅川(蛇瀬川の旧呼称)を下流から恐らく馬の背までたどり、この場所に堰堤を築くのが最適と考えて現在の蛇瀬池の原形を造った。

蛇瀬池に貯えられた水は、調節しつつ間占川(宇部本川)に放流し、鎌田井堰尾崎用水路として取り込むことで鵜の島一帯を潤した。昭和初期に蛇瀬池の堰堤補強と嵩上げが行われ湛水量が増えたが、その時期まで改修されなかったことから作付面積が増えても灌漑用水の極端な不足はなかったようである。その理由として二反田池のような補助池の存在もあっただろう。鵜ノ島より更に西側まで田が拡がった折りも尾崎用水路を延伸し、蟻ヶ迫池が補助池として機能したと思われる。

さて、ここまでは(若干の推察は含まれるが)歴史的事実である。現在は鵜ノ島一帯は殆ど住宅地や商用地で占められ、蛇瀬池の水を必要とする田は殆どない。そして今後も大転換が起きない限り再びコメを育てる溜め池の水が「命の次に貴重な存在」となることは起こり得ない。他方、冒頭の「現在より下流側で蛇瀬川を堰き止める」は、今後の灌漑用水需要とは関係なく物理的に可能である。それは現在の蛇瀬池よりも下流を堰いて更に湛水領域の広い池を造る試みを意味する。
【 思い付いた理由 】
このシミュレーションを思い付いたのは、現在の位置よりも下流で蛇瀬池の堰堤として成り立っていたのではないかと思われる場所を見つけていたからである。
地図ではで示した場所だ。


ここは蛇瀬川がまこも池から流れる支流と合流した後、顕著な屈曲が始める場所である。地図を見ても両岸の等高線が詰まってる狭い幅に絞られており、永年の水流でも削りきれなかった堅い岩盤の存在が示唆される。この近辺の小字名である鳴水(なりみず)は、まこも池からの支流と合流するときの水の音か、岩を噛んで流れていく蛇瀬川の音に由来すると推察されている。

現地の写真。市道真締川南小羽山線より南小羽山方面を向いて撮影している。
中山や末信方面へ歩いていたと思われる昔からの道(市道維新山西山線)が小さな峠を越して再び蛇瀬川に出会う場所であり、道路と蛇瀬川が狭い幅に押し込められている。


両岸の狭さは以前から気付いていたが、あるとき自転車でここを通って両側の狭さと鬱蒼とした樹木による薄暗さに、ここを堰いて溜め池を造っていたら蛇瀬池はどうなっていただろうか…という途方も無い妄想が頭に浮かんだのだった。
最初の記事作成が異様に早いことから分かるように思い付いたときすぐこの総括を作成していた

椋梨権左衛門俊平公は蛇瀬池の堰堤の位置を決めるために蛇瀬川を下流から辿ったろうから、この場所も間違いなく通った筈だ。しかし彼はここではなく上の図の茶色で示した場所に堰堤を築いた。そこではなくもし下流の●の場所に堰堤を築いていたら蛇瀬池はどんな姿になっていただろうかというのがシミュレーションの骨子である。
【 シミュレーションにあたっての条件 】
俊平公の時代まで遡れば小羽山ニュータウンどころか四輪が往来する道も皆無だったから、地形から道筋から現在とは大幅に異なる。当時とできるだけ近い条件でシミュレートするなら、まだ地形改変が進んでおらず等高線が正確に描かれている昭和初期製作のスタンフォード地図を使うのが適正である。
実際にやってみたい読者のために該当エリアのスタンフォード地図を掲載した


この時代まで遡れば既存の道路や集落についてあまり考慮する必要がないからシミュレーションは容易になる。しかし地図よりも現在ある小羽山周辺の写真を元にどう変わるかを観察する方が面白いから、小羽山ニュータウン造成後の現在の地形を前提に上記の位置に相応な高さの堰を築くことにする。早い話、この場所に新規にダムを建設すると考えれば良い。

誤解を招かないように少しだけ現実に立ち返ると、ダムサイトを仮定している場所より上流には田畑があり、人々が暮らす民家もある。ダムを造ればすべて水没してしまう。あくまでもお遊びの部類であり、真面目なダム計画が議論されたことは一度もないしここへダムを造るべきと推奨する意図もまったくない。水没エリア在住者には些か不謹慎シミュレーションに映るかも知れないがご容赦頂きたい。
《 蛇瀬ダム建設後の予想図 》
堰堤高は周辺の地形に依存するが、等高線から判断して堤頂のエレベーションが28m程度、最大湛水時は22m程度であると仮定すると、地図の等高線を利用して満水位の湖の外周が描ける。
極めて大雑把に水際ラインを描いたのが以下の図である。


上の図は細部の入江の出入りを考慮していない。例えば小羽山小学校の南にある沢地はもう少し奥まで伸びているから常盤用水路のNo.2架樋の下まで水が押し寄せるだろうし、南小羽山町の西の端はまこも池から流下する水路があって現在も閉塞したボックスカルバートがあるから、その途中まで湖の水が遡行する。もっともこれらの入江に水が遡行しないように擁壁を造ることが可能だ。[1]

地図で見る限り、このダム工事によって蛇瀬池の3〜4倍くらいの湛水域を持つダム湖ができる。新しく出来たこのダム湖を蛇瀬湖、ダムを蛇瀬川ダムと呼ぶことにしよう。
行政なら真締川ダムの未来湖に倣って「ときめき湖」なんてフィーリングの命名をするかも知れない

多くのダム湖や溜め池がそうであるように、蛇瀬湖の最大水深地は堰堤直下でおよそ15m程度と予想される。既存の蛇瀬池との接続状況は明確に描いていないが、現況の荒手や余水吐が比較的高い位置にあるので一体化することは多分ない。蛇瀬川ダムの高さは(左岸側がそれほど高くないので)制約があるため、湛水面を上げて蛇瀬池と一続きにすることはできないかも知れない。
【 シミュレーション後の景観予想図 】
厳密にやるなら既存の現地写真に湖水面を重ね合わせると分かりやすいのだが、さすがにそこまでする本気度もないので、蛇瀬湖を満水にしたとき予想される大雑把な喫水線のみ水色で記入した。

蛇瀬橋から俯瞰した眺め。
こうなるであろうことはかなり容易に想像がつく。


南小羽山下の広い沢地を北に向かって撮影。現在地の予想水深は10m以下だろう。
南小羽山側は小羽山ニュータウン造成時に山を削って出た土砂を沢地側へ押し出してコンクリート擁壁を築いているので、汀は直線的になる。
盛土部なので実際に湛水するなら擁壁を補強しなければ湖水の浸透圧でもたなくなる


蛇瀬橋の真下辺りは何処まで湖水が押し寄せるかは設計の堰堤の高さに依る。
元々の蛇瀬池の堰堤が高いので蛇瀬湖とは繋がらないか、細い荒手を介して繋がる形になるだろう。


市道真締川南小羽山線の終点より下り坂方向。
坂の中腹より上から水没するので、交差点より堰堤までの区間は廃道となる。言うまでもなく写真に見えている民家などはすべて水没することとなる。


また、この市道の終点十字路は三差路に変化する。蛇瀬湖へ下る側は車止めかフェンス門扉を設置する必要があるだろう。既存の道路は撤去せず蛇瀬湖の浮遊物を除去する作業用ボートを卸すスロープに転用するか、後述する観光向けのボート乗り場に改造なんてのも面白そうだ。[2]
【 予想されるダム本体工事 】
現在の土木技術なら、上の図の位置に貯水能力を持つ堅牢なダム堰堤を建設することは可能である。両岸の強度が弱くて湛水したとき危険なら、強度を上げるためにグラウト注入を施す。更に法枠とロックボルトで地山自体を改造することができる。ただし地質調査などまるで行っていないから「安全なダム」であることは保証されない。物理的に「施工可能」というだけである。

この位置で堰いてダム湖がどこまで及ぶかが興味の対象なので、ダムの形式も特に考えない。しかし真締川ダムのように周辺にフィルダム素材を容易に調達できる立地ではないので、順当に重力式ダムということにしよう。溜める水の用途も考えていないので、ダムはゲートを持たない穴あきダム形式とする。適当に溜めて適当に放流するわけだが、蛇瀬川の真締川合流点から尾崎にかけて灌漑用水を必要とする田がまだかなりあるので、放流する水温を考慮してダムには選択取水塔を設ける。

湛水量と放流の落差がいくらかでも稼げれば、ダム直下にマイクロ発電所を建設する。6.6kVまで昇圧する機器と売電量の計測設備も必要である。対費用効果などそういうことは考えなくて良い。売電による収益で初期投資額を回収するのに数百年かかるかも知れない。しかし充分な貯水量が確保できるなら工業用水道を設置して宇部丸山発電所のようにマイクロタービンを設置する方法もある。
実は最初期にシミュレーションを行ったときは工業用水の取水塔建設まで考えていた

ダム管理事務所は…さすがに不要だろう。もっとも建設してくれるならもちろん歓迎する。上流からの流入と流出量、蛇瀬湖の湛水量、工業用水の送出量と発電量をリアルタイムで計測し記録する機器を格納した管理室を兼ねた宿直室が整備されるなら、管理人としての常駐を請けても良い。何故ならそういった機器が収められた管理室は継続して安定動作するように一年365日、24時間空調が入り温度湿度が管理されている極めて過ごしやすい環境だからだ。停電時には別棟にある発電モーターが作動して電力を供給し、モーター動作のための燃油倉庫も備わっている…

何だか後半部は妄想もいい加減にしろという状況になってきたが、ある程度真面目に考えるならダム建設に伴い周辺環境が変わる。それに対する付帯工事も必要である。
【 必要となる付帯工事 】
湛水域にあるものは悉く水没してしまう。小羽山小より谷地を一つ隔てて南にある広田様は高台だから救われるが、南小羽山下にある沈砂池(勝手呼称ロボット堰堤)は水底に沈むし、その手前にある鳴水の道標も同様だ。しかしそれよりももっと困る現実的な問題は、南小羽山へ上がる道がこの横暴極まりないダム建設により分断されてしまうことだ。

現在は車が通行できない里道の地位は歴史的に見て最低水準にあるから、蛇瀬湖により水没したり分断されたりした里道は顧みられないだろう。通る人が殆ど居ないから代替ルートは設置されない。しかし車が通る主要な道路はキチンと付け替えてあげなければ近隣住民は忽ち不便な生活を強いられる。これまで建設された市内のダムにおいてもダム湖に水没することとなった主要な道はすべて付け替えられている。蛇瀬湖シミュレーションによって該当するのは、小羽山に上がる市道真締川南小羽山線と、屈曲部から西山方面に向かう市道維新山西山線だ。
このうち幅員は狭いが車は通る市道維新山西山線は、蛇瀬ダムの堰堤上を通して既存の市道に接続すれば代替ルートとなる。しかし市道真締川南小羽山線は一から建設しなければならない。現状では小羽山内科とファミリーマートがある十字路からすぐに蛇瀬湖へ潜り込んでしまう。この部分は廃道とせざるを得ない。上の予想図で×印を付けた部分がそうである。

ダム建設により付け替えられる道は従来の道よりも利便性が高いものでなければならない。現在の市道真締川南小羽山線は刈川の大曲がりなど悪線形で通りづらいので、直角カーブがある地点より高度を上げて蛇瀬川ダムの堰堤上まで駆け上がる道路付け替えを行う。
この付け替え道路を描いたのが下の地図である。


この道は市道維新山西山線の上書きとなる。現状は東側が急斜面であり普通車一台がやっと通れる幅しかないので、対面交通仕様の道を造ることは(いくらシミュレーションとは言っても)不可能である。そこでなるべく見透しの良い線形で刈川墓地入口前など随所に待避所を造るなどする。恐らく張り出し桟橋のような構造になるし、牛転び坂は一部が喪われるかも知れない。

蛇瀬川ダム堰堤西岸側で三差路を造り、広田および西山方面へ向かう市道維新山西山線はダム堰堤上を通るよう改良する。南小羽山へ向かう経路は、蛇瀬湖の幅の狭い場所から一気に蛇瀬大橋で対岸へ渡る。蛇瀬大橋の仕様は渡瀬橋のような上部アーチ構造を持ち、存在感を出すために朱色で彩色される。橋の袂はスペースが確保できるなら休憩所を設けて景観スポットとする。

既存の市道真締川南小羽山線は、起点から蛇瀬川ダム直下までとする。直角カーブ地点よりダム堰堤横を通って蛇瀬大橋を渡り南小羽山に到達する区間を新規に(1063)市道真締川南小羽山2号線とする。市道維新山西山線は直角カーブより堰堤横までは上記路線の重用とし、堰堤を渡って既存の路線へ接続するよう変更する…あまりにも尤もらしいので真顔で語られれば本当にそんな計画があるのかと勘違いされそうだ。

現状は東小羽山地区に降った雨水は小羽山小学校の入口横にある東小羽山沈澱池、南小羽山と北小羽山の雨水はロボット堰堤で知られる南小羽山沈澱池へ集められている。東小羽山沈澱池は既存の蛇瀬池へ返されているので変更は不要だが、南小羽山沈澱池は蛇瀬湖に水没するので雨水排水管に湖の水が逆流しないように既存のヒューム管を水圧で閉じる樋門に置き換える必要がある。

小羽山ニュータウン内の汚水は恐らく市道真締川南小羽山線の下に埋設されている汚水管で排出されている。既存の汚水管の上にダム堰堤を築くことになるし、一部の排水管は市道と共に湖底へ沈むことになる。マンホールからの点検が不可能になるが湖水の浸入防止と長寿命化を施せば大丈夫だろう。

湛水域の居住区画はなくなることが前提なので、電柱や電線などの配電設備はすべて除却される。一部の休耕田や耕作放棄地にはソーラーパネルを設置して太陽光発電が行われているが、別の場所へ移動するか湖水面に筏を浮かべて据え変える。

中国電力関連では、送電鉄塔見初線 No.3 がいか土谷地の南側斜面に旧来サイズで建っている。前後の鉄塔は高いため No.3 の前後で送電線が沈む形となっている。この場所は湛水域にかかるかも知れないため、基礎をコンクリートで補強するか移設して嵩上げする必要がある。上の地図では●印で示した鉄塔が該当する。


その他に南小羽山沈澱池にあるロボット堰堤の構造物は水没するが、蛇瀬湖の水位によっては上部が露呈するかも知れない。鳴水にある古道の道標は水没させるわけにはいかないので、蛇瀬大橋の南岸に造られた景観向けの休憩地へ移設する。
《 実現の可能性 》
苦し紛れの理由もこの際だから許容するとして、この場所に蛇瀬ダムを建設して水を溜める必要性に迫られる事態を想像してみた。
(1) 各自治体が可能な限り予備水源を自治体内に持つよう勧告された。
(2) ボートレース場や水上スキー練習用地として買収された。
(3) 親水溜め池ブームが起きて観光地指定された。
水資源については、例えば宇部市が現在推進しているコンパクトシティー施策により市街地の人口密度が過剰に上昇し、厚東川のみでの水では足りなくなった等が挙げられる。この可能性はほぼあり得ない。県企業局の給水能力は全国一であることは夙に知られており、夏の渇水対策も宇部丸山ダムへの揚水で対処されている。方や企業努力で工業用水の使用量は逓減している上に船木の神元工業団地のNECや昭和開作の協和醗酵のような大口需要家の撤退が予定されていることから、慢性的に絶対量が不足する事態が起きることは考えづらい。仮にあったとしてもより貯水量の大きい真締川ダムを(手続きはそう容易ではないが)治水目的に利水を追加することで対処できる。遙かに及ばない程度の貯水量しかないダムを新規に建設する理由がない。

ボートレース場や景観改良の目的で溜め池にされることは、上の利水目的より若干あり得そうなシナリオである。しかしただそれだけのために南小羽山へ上がる市道を廃道化してまで建設するメリットがあるとは思えない。地形的にダムサイトとなり得るかも知れないというだけで、多くを考え合わせても残念ながらここに蛇瀬川ダム建設を正当化できるような目的が見当たらない。
【 椋梨権左衛門はこの場所をどう見ていたか? 】
記録は遺っていないにしても、蛇瀬池を造った椋梨権左衛門俊平公が一度ならずともこの地を訪れ、あるいは通過したのは確からしい。俊平公は開に暮らしていたと伝わっているので、開と蛇瀬池との往来は川添で真締川を渡って西山を経由しただろう。しかし蛇瀬川の川筋を一通り観察しなければ現在の蛇瀬池の堰堤に最適性を見いだせなかった筈だ。

鳴水を通ったとき、彼の脳裏に「ここに築堤することは可能だろうか?」などという案が過ぎっただろうか。多分ないだろう。現在の蛇瀬池から鳴水までの区間は、上流からの砂が運ばれたことを勘案してもかなり幅が広く浅い谷地だった。当時の技術で築くことができる堰堤の高さは限界があるから、水深が浅く湛水面積ばかり広い溜め池しかできない。田の作付面積を増やす努力が必要なのに、その選択を棄てて広い溜め池を造る理由がない。溜め池にするなら水田にするのが不都合な場所を選ぶものである。
現在の蛇瀬を溜め池にしたのは土砂崩れが多く田として不適だったからではないかという仮説がある
【 自然発生の可能性 】
冒頭述べたように蛇瀬川ダム計画が検討されたことなど一度もないが、自然災害によってダムと類似する現象が起きてしまうリスクは考慮に値する。今回のシミュレーションで堰堤を築くと仮定した両岸の斜面が地震や風水害で大きく崩れたなら、河道閉塞(いわゆる崩落ダム)によってシミュレートしたような小規模の蛇瀬湖状態が起きるかも知れない。もっともこの場所の両岸はそれほど高くなく崩落して河道閉塞が発生するリスクは殆どないし、仮に起きてもそれを取り除く努力が払われるだろう。

この場所で蛇瀬川の流れが絞り込まれ屈曲しているという事実は、自然災害を考慮する上で重要である。仮に極端な豪雨が長時間続いて蛇瀬池の排水が追い付かず、満水位状態から破堤して上流から大水が押し寄せれば水流がこの屈曲点を直撃する。屈曲点の地質は目視で調べてはいないが、脆弱な場合すぐ上にある刈川墓地の斜面が崩れるかも知れない。
《 類似するシミュレーション 》
同様のシミュレーションを行った事例として、厚東区立熊にかつて建設が検討されたことがある大坪ダムがある。こちらは遊びごとではなく厚東川第3期利水事業として真面目に議論されたし、現在の宇部丸山ダムには先行して建設したものの使われることがないまま廃物になっている取水塔が知られる。

分野は異なるが、かつて国道2号の吉見峠前後の道路線形が悪いことを指摘したとき、この急な峠と悪線形を改良した「吉見バイパス」のルートをシミュレートしたことがある。こちらはより現実的で実際の改良が求められるものだが、未だに計画として上がってきたことすらない。
出典および編集追記:

1. 溜め池やダム湖に水を溜める場合、遠浅の入江があると水位によって浸ったり干上がったりするためその部分の土地は利用価値がなくなる。このため周囲に民家が近い場所では護岸を築き、護岸下の池底を削った土砂を護岸の裏側へ回して均すことで雛壇を造り土地利用することは昔から行われている。

2. 真締川ダムにより水没することとなった昔の市道の一部は実際にボートを卸す斜路に改造されている。

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