フォルムを愛でる・アルファベット

フォルムを愛でる・インデックスに戻る

記事作成日:2022/5/18
最終編集日:2023/8/19
ここでは、市内の物件または素材に観察されるフォルムのうち、アルファベットの形を呈しているものを収録する。
《 発案の背景 》
山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」の散歩企画”宇部マニさんぽ”の第一回で樋ノ口橋から宇部港までを歩いたとき、緑橋の横に架かっている水道橋の橋脚を岡藤氏が見て「アルファベットのAだ!」とコメントしたのが始まりである。その後、宇部マニ散歩の編成にあたってインサートを撮る過程で小羽山小学校の裏手を歩き、ここでもアルファベットの形を連想させる構造物が見つかったため、もしアルファベットすべての文字を集結させることができれば面白いコンテンツに仕上がるのではという提案があった。

その後、松田ディレクターがうちのホームページをざっと閲覧して、記事に掲載されている写真からアルファベットに見える画像サンプルをいくつか抽出している。その中にはかなり苦しまぎれな例も含まれているが、ヴィジュアルに分かりやすく視聴者に愉しんでもらうには好適な題材であり、市内で同種のものがないか探し始めた。
《 掲載のルール 》
単にアルファベットの文字に見えるものを探し出すだけなら看板などから容易に見つかるので、以下の自主ルールを設定している。
・その題材に何かの話題性があること。
・市内にある物件または素材で検証可能性を満たすこと。
看板などの文字を除外するのは当然として、当サイトに定義される物件あるいは最低でも話題性のある素材であるのが望ましい。この条件を満たした上で更に以下の優先順位に基づいて掲載している。
(1) 誰が見てもアルファベットと言えるもの。
(2) 視座を変えるなどすればアルファベットに見えるもの。
(3) 視座を上げたりズームによる圧縮効果を経てアルファベットに見えるもの。
(4) 上下逆にしたり他のもの(電線など)と重ね合わせてアルファベットに見えるもの。
(5) アルファベットに見えなくもないねと言えるレベルのもの(多少苦しくても可)
(6) 宇部マニさんが「これはアルファベットだ!」と強弁したもの。
最後の条件は、どう頑張っても容易な事例が見つかりそうにない場合の勝手救済措置である。コンプリートしないことには企画が始められないので暫定的に掲載し、更に探索を続けてより妥当なものが見つかれば差し替える。
《 採用候補 》
ファイル名はアルファベット大文字とし、候補として掲載した順に番号をつけて載せている。写真を見るだけでそれと分かるものは一枚だけだが、説明が必要なものは引きのショットを加えるなど複数枚で構成している。長文の説明になってしまうものも暫定的にここでまとめて記述しているが、将来的には記述を要する部分を独立記事に分割してリンクで誘導する。
【 A 】
緑橋に並行して架かっている水道橋の橋脚。


これは市内で最初の本格的な上水道として知られる沖ノ山上水道時代のものである。現在は使われておらずすぐ上流側に河床を通す形でバイパス管が埋設されている。この水路橋は撤去されるかも知れない。



持世寺川の中流域にある砂防堰堤。


誰が見てもAに見えるもので、その名も「鋼製スリットダムA型」と呼ばれている。県の土砂流出対策により設置された。土石流が発生したとき大きな岩石などはここで留めて水のみ流す構造となっている。持世寺川の流域は当サイトで霜降山系と勝手呼称している真砂土系の土質で占められる。



もう一つA題材を見つけた。
山口市の中央公園に設置されているブランコの支柱が綺麗なフォルムになっている。


中央公園は山口ケーブルビジョンの北側にある広い公園で、遊具や芝生エリアなどよく整備されている。その立地から、スタジオ収録やロケで山口ケーブルビジョンを訪れたとき、早く到着したら中央公園をうろうろして景色を撮るのが習慣になっている。平日の昼間でも誰かが公園を散歩したり子どもたちを遊ばせたりしている。宇部市内ではこれほどの広さを持つ一般的な公園と言えば山口宇部空港の公園くらいしか思い付かない。

そう頻繁ではないが、公園を散歩していて「宇部マニさんですね?」と声をかけられたことが数回あった。2020年の滝カード配布イベントでは、中央公園の使用許可を取った上でテントなどを持ち込んで視聴者向けにカードを配布している。
【 B 】
ときわ公園の眺橋にみられる眼鏡状の橋脚下部。


眺橋はときわ公園エリアで最初に架けられた橋である。現在の橋は昭和38年であるが、橋そのものはときわ公園となる以前の料亭があった時代から存在していたようで、名称もおそらく当時の命名を受け継いでいる。常盤池の水位が下がったとき、前代のものと思われる橋脚の下部構造が観察できていた。2018年に行われた改修工事で下部にコンクリートが充填され観察できなくなった。詳細はリンク先の記事を参照。



厚東川上流部に架かる渡瀬橋
低水位時に河床に降りて撮影している。


渡瀬橋は厚東川ダム建設に伴い川崎地区と渡瀬地区の往来が分断された補償として架けられた橋で、昭和26年3月架橋である。両岸の途中までコンクリート橋で中央部は鋼橋という珍しい構造である。Vol.34「渡瀬橋」でコラム化している。水位が下がったとき上流部に旧橋(川瀬橋)の橋脚が現れる。
【 C 】
松崎町にある謎の導水トンネルに繋がる桝。


導水トンネルは岩鼻公園に隣接する大迫池に繋がっている。溜め池の水を尾根の反対側の松崎側からも取り出せるように掘削したことは明らかだが、いつ頃掘ったのかまだ分かっていない。ここから取り出された灌漑用水はかつてすぐ下の用水路に流れ込み、松崎から岩鼻にかけての田に給水され請堤に貯えられていたことは分かっている。現在は大迫堤の樋門が下の方まで開栓されており、この隧道を水が流れることはほぼあり得ない。



桃山中学校にあるオープンステージ。
陸上競技場のスタンドを思わせる部分がCの形をしている。


桃山中学校は昭和22年の開校で、山の斜面を活用して造られたオープンステージが独特である。朝礼など生徒の集まりのときに使われてきた。同種の構造物は市内他の学校にはみられず卒業生の自慢の題材となっている。

2023年2月末に桃山中学校で開催された郷土学習では、新川歴史研究会の初期メンバーである塾長・局長・隊長(宇部マニさん)の3人で桃山中学校の歴史について講演してきた。私は桃山という地名の由来について論じ、それが昔からある小字名などではなく恐らくは裏手の高台が桃山と慣習的に呼ばれていたものが定着したのではという解説を行った。
【 D 】
厚東川新橋の上に架かる湾岸道路の橋。
門型構造の下側がDを横にした形になっている。


この橋は上側を湾岸道路(愛称スカイロード)が、下側を県道6号山口宇部線(西側は県道354号妻崎開作小野田線)の二重構造となっている。県内ではこのような道路用地を節約する二重構造の道路はよく見られるが、市内では今のところここだけである。湾岸道路は現在西本町で国道190号に接続されていて、将来的に市街部へ延伸できるよう用地買収が済んでいる。この延伸工事がいつになるかは未定である。



厚東川ダムの堰堤上部にみられる意味のないカマボコ状の空間。
この空隙を利用してケーブルを通しているようだが、施工当初は何かの役にたっていたわけではない。


ダム見学会があったとき、私はこの空間部分はダム堰堤を越流しそうなほど水位が上がったときの非常用排水口かと尋ねた。しかしその目的で造るには小さすぎるため違うだろうという説明を受けた。装飾のためと考えるのも奇妙で、恐らく強度に影響がない部分のコンクリート資材を節約するためと推測している。
【 E 】
市道岡ノ辻新浦線と国道190号床波バイパスとの立体交差にみられる断面がEのボックスカルバート。


この立体交差は四輪向けと歩行者向けが分離されている。やや広めの方を車が通り、少し狭く前後に階段もある方が歩行者・自転車向けで、内部にはイメージアップのためにイラストがペイントされている。同様のイラストは他の地下道にもみられる。
【 F 】
市道高嶺中山線沿いに見られるF字型の電柱。


実のところこのような電柱は珍しいものではなく何処でもみられる。道路沿いにある電柱は、道がカーブしている場合に電線が電柱や山側の樹木に支障しないように腕金が外向きに設置されることが多い。特にスパンが長かったり電線にテンションが架かる場所では、電柱の両側から腕金を二重に取り付け、電線で両側から引っ張る形の碍子が設置される。この場合、そのままでは碍子に遮られて電気が流れないので、2つの碍子の間を飛び越えるような線(ジャンパ線)が張られる。

同種の構造はより高圧な電気を送る送電鉄塔で顕著であり、腕金から真下に吊された碍子(懸垂碍子)に導体が結わえられたものと、腕金より両側へハの字に開くように碍子(耐張碍子)を取り付けたものがある。耐張型の鉄塔にはかならずジャンパ線がある。特に高圧の送電線ではジャンパ線自体を支える別の碍子が取り付けられるなど大掛かりになる。変電所近くの鉄塔は直下の変圧器に接続するため形状が独特なものになることが多く、送電鉄塔マニアにより注意深く観察されている。このような観察家を特に別の意味で鉄ちゃんと呼ぶこともある。
【 G 】
きわラ・ビーチの入口にある波をモチーフにしたモニュメントの横からの撮影。


きわラ・ビーチは東岐波地区若宮にある海水浴場の一つで、今や市内では公に海での遊泳が認められているのはここと白土海水浴場だけである。常盤駅の裏にある常盤海水浴場は護岸整備で遊泳できなくなったが、一部の地図には今も常盤海水浴場として案内しているものがある。

Gの区分で掲載しているが、モニュメントはCにもLにも見える。正面から眺めれば両手を拡げたYの字に見える。Gに見えるものがなかなか見つからないので、これはGということにしておく。
【 H 】
小羽山小学校裏手にある県営常盤用水路の No.2架樋。
水路橋の橋脚部分を撮影している。


橋脚を2本で支えて梁を渡したH型の構造はありふれている。常盤用水路には架樋(がひ)と呼ばれる水路橋が4ヶ所ある。そのうち里道と沢地を跨いでいるのは No.2架樋だけであり、小羽山小学校の一部の学童は水路橋の下をくぐって登下校している。この場所は宇部マニさんぽのイメージ動画作成時に採用されている。
実際には架樋の下を歩く場面が少し現れるのみ

2022年の夏頃、No.2架樋は橋脚の補強工事でH型だった部分が改修されて平板な形に変更(写真参照)されてしまった。このため新規にもう一つ題材を追加する。

小野地区の大田川を横切る下小野橋の橋脚。
水位が低いときの撮影である。


こちらは最終編集日現在でも原形を保っている。ただし小野湖の一部に相当するので、水位が高いとH型ではなくIIのような形になる。
【 I 】
沢波川排水機場にあるI型の柱が並んだスクリーン。


Iは何処にでも見かけるので、それが沢山連立しているこの物件を選んだ。どうしてこんな形をしているのかよく分からないが、機場に大きなゴミが流れ込むのを防ぐためのものらしい。如何にも上を渡れそうな感じであるが、とても危険なので試そうとしてはならない。この場所は極めて深く、写真で水上に現れている以上の長さの柱が水中に隠れている
【 J 】
著名な彫刻「輪舞曲(ロンド)」でトランペットを演奏するサンタのおじさん。


松田ディレクターによる指摘で、私もこれ以上に良い物件を思い付かない。この彫刻は松島町交差点の南側歩道の隅に設置されていて、12月に入る頃にコスチュームがクリスマスモードになる。立地が良く、人物やネコも自然体であるからか市内に設置されている彫刻の中では知名度も評価も高い。



宇部丸山ダムの取水塔にある排気管。


核心部分をズーム撮影。
傘の柄の部分を逆さにしたような形である。


先が下向きに曲げられているのは、雨水が入り込まないようにするためである。内部は換気扇が取り付けられていて常時作動している。想像つくように取水塔の最下部は水面より数十メートル低い位置にあり、酸素濃度が低くなるためである。

この取水塔の内部には工業用水を送るバルブが2基ある。そのうちの一つを発電タービンに置き換えることで平成28年よりマイクロ発電を行っている。ダムに因んで宇部丸山発電所と名付けられ、ダムカードに倣って全国初めての発電所カードも製作された。森と湖に親しむ旬間では取水塔の内部に入って見学も行われていたが、covid19 以降は見学会もカード配布も中止されている。内部を見学したときの時系列記事を以前エッセイで公開していた。



真締川ダム直下にあるバルブ室の排気管。


これも雨水を入れないようにして排気するための工夫だろう。このバルブ室で後述するVの項目で書いた真締川と戸石川の水量の分配を行っている。内部を観ることはできないがダム見学会のときは要望すれば中に入ることができる。
【 K 】
市道梶返野中線沿いにある石垣にKが発見された。
何処にあるのかは…まあ分かるだろう。


石垣は石積みとも呼ばれ、未だ全国的にみられるものの今は石工が殆ど居ないことから新規に築かれることは少ない。積みやすいように大まかに加工されたこの種の石材は間知石(けんちいし)と呼ばれる。積み方もこの例のように45度傾けて積む谷積みと、横筋が通るように積む布積みがある。後年、間知石は同型をしたコンクリート素材(間知ブロック)に置き換わった。

石積みは高低差のある斜面を補強すると共に、上下の土地を有効利用するために築かれる。なだらかな斜面では敷地にしろ道路にしろ使い手が悪い。斜面の中間に石垣を築き、下側の土砂を石垣の裏へ回すことで雛壇状の平坦な部分ができる。一見フラットに思える市街部でも家の後ろに石垣が隠れていて、高低差を視覚的に見ることができる。



検証可能性を満たすだけなら、亀浦公園に置かれたモニュメントがある。
やや崩れているもののアルファベットのKに見える。


しかしこれは明らかに亀浦のKをモチーフに造られたに過ぎない。亀浦という地名に関して題材はいくつかあるが、アルファベット素材としては面白みはない。そこでもう一つ、苦し紛れだが暫定的に地図題材を載せておこう。

平和通り(市道常盤通り宇部新川駅線)と緑橋通り(市道緑橋芝中線)、そして北へ向かう路地(市道松浜町線)がアルファベットのKの形状で交わっている。


広域地図では以下の通り。


平和通りは鉄道路線の一部を転用していてこの中では一番新しい。松浜町線は最初期の新川小学校があった場所沿い、緑橋通りは一番古い自然発生由来の道である。この道の西側は上町通りに続き、藤山地区にある西宮神社の正面参道に繋がっている。これは居能地区の砂州の上を辿る道だった。
【 L 】
宇部新川駅通り沿いにある彫刻「地球の明日が見えますか?」を車道側から撮影。


ニワトリを思わせる脚の上にプレーリードッグが遠方を眺めている。この意匠はちょっと不気味かも知れないが、プレーリードッグの仕草が可愛い。
【 M 】
厚東川に架かる第二水管橋を縦方向にズーム撮影した画像。
無理やりMに見えるように撮影している。どういう経緯で気付いたのか自分でも分からない。


詳細は調べていないが、恐らく平原分水槽からのダム水を山陽小野田市所管の高天原浄水場に送るためのものと思われる。
【 N 】
N字型になっていると言えなくもない通路。


中央町3丁目エリアで、都市計画事業で整備される前は大和タワーがあった場所である。この場所は中央町3丁目の第一次整備により道路や民家などの区画が全面的に変更され、昔のものは殆ど遺っていない。このN字型の通路も後年のものであり、初期の通路を反映していない。

小串通りに面した大和店舗の象徴的存在だったスケルトンのエレベーターを覚えている市民は多い。大和には地階があり、すぐ横に衣料品店のOS(小郡商事)があった。初期の製造工場と事務所が国道490号の瀬戸原大谷(善和産業の真向かい)に今も遺っており、後に製造工場が佐山工業団地に移った。当時はOSの衣料はそれほど高く評価されていなかったが、この会社がまさか県内どころか国内、更には世界を股に掛けて営業するファーストリテイリングになろうとは誰が想像しただろうか。

社長の柳井氏は最初期には銀天街で営業していたとも聞いている。今は寂れてしまった銀天街だが、そういったアーケードから世界を股に掛ける次なるパイオニアが出現することを柳井氏は待ち望んでいるという。
【 O 】
常盤公園の北側周遊園路沿いにみられるタブ跡。


タブとは石炭採取の最初期に浅い炭層から石炭を取り出すために掘られた竪穴で、当て字で「炭生」と書かれる。初期には田畑を耕作しない秋冬に地主へ借地料を支払い石炭を掘削し、採取後に土を埋め(仕戻し)て返していた。市内全体が炭層の上に乗っていることを理解した人々は、より深い竪穴を掘って石炭を採取することを試みた。竪穴は崩れやすく湧水を招き、初期は崩落事故も多かった。後に竪穴を土圧から守る蒸枠による補強で、より深く掘るための技術が発達し、機械を使ってより効率的に採取するようになった。そして石炭の採取は内陸部のみならず海に向かって坑道を掘る形に進化したのである。

タブは石炭採取の初期の歴史遺産であり、常盤公園の北側に多い。この辺りの小字名にも反映されている。危険なため殆どのタブ跡は調査後に埋め戻されているが、稀に周遊園路から離れた場所には野生動物が底へ横穴を掘って住み処にすることで排水され竪穴のまま残っているタブがある。転落すると脱出不能である。



広瀬浄水場の端にある浄水場の敷地下を通過しているヒューム管。
ズーム撮影している。


広瀬浄水場の拡張工事で周辺の田畑や水路が取り込まれることとなったとき、浄水場敷地の外側へ水路を付け替えたのでは勾配がとれず灌漑用水が行き渡らないことを考慮して建設されたようである。実際には外周の水路で事足りたらしく使われていない。長さは約300mあり、野獣などが入らないように鉄格子で蓋をされている。
【 P 】
厚東川河口付近にある階段の側面。
トンネルの断面のような形に抉れている部分がある。これがPである理由は想像つくだろう。


引きの画像が欲しいところだが、この辺りは河口に近く干潮でも海水が押し寄せていて河床に降りて撮影できない。
対岸からこの部分をズーム撮影。


トンネルのように奥まで続いているわけではない。ただこの形状に抉れているだけで、何の機能も果たしていないように見える。意匠を凝らすにもまず人目につく部分ではなく、この形に仕上げるのも面倒である。

このような構造はコンクリート構造物の壁面の横によく見られる。それもある程度昔のもので、近年の構造物にはみられない。
これは美祢線の石積みの前に作られたコンクリート擁壁である。


この種の構造物を施工したことがないので断定的ではないが、これは構造物の強度を保ちながら材料を節約するための工夫ではないかと思われる。冒頭の護岸階段では、階段部分の型枠を建て込んだ上で強度に影響がない下部にコンクリートが入らない空隙部分を造っておく。そうしてコンクリートを流し込めば空隙に相当する体積のコンクリートを節約できる。その後他の河川でも河床へ降りる階段にこの構造を見つけている。
【 Q 】
東岐波北原地区にある北原湧水の取り出し口。
コンクリート桝に注がれる湧水と流出する水の流れが明らかにQだ。


地区では有名な昔から知られている泉で、利用しやすいように沢地に集まる水を一ヶ所に集めてコンクリート桝に導いている。動力なしで現在も相当な量の水が滾々と湧き出ている。昭和中期頃まで風呂の水に汲んだり飲用にしたりと利用されてきた。高台に住宅が多くなってきたからか、現在では飲用とする基準を満たさない水質となっている。しかしカルキを含まない湧水が容易に得られることから、今も汲みに来る人があるようだ。

昔の人々は飲料水を井戸水に頼っていた。民家の近くに井戸を掘るとなると通常数メートルは掘らなければ地下水位に到達しない。この場所は地下水位が異常に高く、湧水の周辺はガマの生える湿地帯となっている。この理由は、北原湧水が集落の北側の沢地にあって水が集まりやすい地形だったからと推察される。同様の泉として小規模なものは川上地区請川から清水崎にかけての汲川(くみかわ)が知られる。



物件であることを度外視すれば、Qの形をしているものは上記のように「円筒形のものから何かが出ている」題材を撮影すれば即座に成立する。
排水管から水が勢いよく流れ出ているこのような部分だ。


何かのストーリーが成立する物件でも何でもない。散歩しているときアルファベット題材のことが頭になければ、まずこのような部分に目が向かない。まして接近してカメラを構えて実際に撮るとなれば更にハードルが上がる。誰かが近くを通りがかろうものなら変な人認定は避けられないし、どうかすれば「何を撮っていらっしゃるのですか?」と尋ねられかねない。そうなれば私はアルファベット題材のことを一から説明して差し上げるという罰ゲームのような状況に陥る。

上の写真は、船木の山根川沿いを歩いていたときのもので、宇部マニさんぽのコース選定と尺を測っているとき目について撮影したものだった。何処にでもある排水管から水が流れ出る写真も、いつ何処で撮ったものか分かるように整理されている。
【 R 】
お馴染みの県営厚東川ダム。駐車場からの撮影である。
これがR候補である理由は見て分かるよね?


駐車場に設置されている厚東川ダムの断面図。


写真では見えないが、ダムの流水を制御するクレストゲートがRの上半分になっている。そしてゲートから流れ出た水は流線形になった部分を流れ落ちる。この流水路部分はそのまんまRの下半分の形状だ。活字体のRよりも筆記体のRのような曲がりになっている。

クレストゲートは実のところRとは逆方向に丸くなっている。
貯水量が下がったときのダム裏側。


厚東川ダムにはゲートが8門あり、豪雨時に下流への影響を最小限にするためにゲート操作される。宇部丸山ダム真締川ダムではゲートがなく、満水位になったら余水吐から自然に流れ出る。このタイプのダムは穴あきダムと呼ばれる。厚東川ダムは利水(工業用水などの利用)だけでなく治水(渇水時と豪雨時の変動緩和)機能も持たされており、ゲート操作のためにダム管理事務所には基本的に職員が常駐する。ゲート操作はダム管理事務所の他に遠隔でも可能で、停電などの電源断に備えてゲート操作を必要とするダムではかならず発電機器と燃料庫が備わっている。

厚東川ダムは県内でも歴史の古いダムであり、初期のダムでは流水路が流線形になっている。昭和中期以降建設のダムでは流水路を直線にする代わりにダム下に流水の勢いを弱める緩衝池(エプロン)が設けられたものが多い。



ときわ公園の野外彫刻展示場にある常設彫刻”蟻の城”はRと言えるのでは…


蟻の城は1962年制作の彫刻で、作者は向井良吉である。半世紀が経過して傷みがみられ、初期の作品から幾分手直しされたり塗装されたりしているが、今や市内でもっとも知名度が高い彫刻と言えそうである。個人的には橙色の蟻の城、新緑が映える芝生、そして青空という色のフォルムが織りなすこのアングルの写真がお気に入りである。

蟻の城を含めた周辺の野外彫刻は、平成3年に野外彫刻展示場整備工事によって現在の形に整えられた。道路に近い碁盤目状に整備されたエリア、蟻の城を含めた斜面、ときわ池に突き出た半島部分までが範囲で、この工事における丘陵部のうねりや園路の線形を定める測量は若かりし頃の宇部マニさんによるものである。
【 S 】
市道岩鼻浜田線にみられるぐにゃぐにゃしたS字カーブ。
勝手呼称”蛇の道”。


極端なS字カーブに見えるように、やや離れた位置からズーム撮影することによる圧縮効果が出ている。実際はこれほど極端ではないが蛇行は肉眼でもはっきりと分かる。

この場所は浜田開作の端にあたり、蛇行は昔の波打ち際だった地形を反映している。



河川でも同様のぐにゃぐにゃ箇所が知られている。
写真は小羽山地区を流れる蛇瀬川の水路をズーム撮影している。


このぐにゃぐにゃは、昭和40年代後半に小羽山ニュータウン造成を行ったとき蛇瀬川の端まで盛土し、河川の護岸は実直に元からあったままにブロックを築いたためと思われる。現在では流下効率を良くするために微細な屈曲は直線的に直して護岸整備される。国道490号の瀬戸原地区における道路改良工事では、道路建設と河川整備を一体化して行うので昔の河川の線形は殆ど遺らない。このため工事前の元の河川線形を画像で記録しておくことは一定の意義がある。
【 T 】
八王子の海岸にみられる山口宇部空港の誘導灯。


アルファベットTを表す物件としてこれ以上の題材を思い付かない。沢山並ぶ眺めは海に連立するひげ剃りのようだ。



宇部市野球場(ユーピーアールスタジアム)の照明灯。


特徴的な形の照明灯が数基建っていて、遠くからでもよく見える。
【 U 】
厚南中原地区の西端にあるU字型の交差点。
センターラインのある規格の道路が鋭角に交わっている。しかし先端部分がカーブしているのでVではなくUにした。


市道中原線市道長沢丸河内線の交点に相当する。写真では見切れているがVの接続部にこれより細い道が繋がっている。左側の道を進んだ先に宇部市と山陽小野田市の市境標識がある。この辺りは起伏が緩やかで、市境は住宅地の中を分断するように通っている。隣接した民家の間を市境が通過している数少ない場所である。
【 V 】
真締川ダム下にある二つの河川のV字型分岐。


引きのショット。真締川ダムの堰堤から撮影している。


余水吐を出た未来湖の水は、ダム下で大小2つの河川に分岐しているように見える。実際その通りで、写真の右側が戸石川、左側のやや太い方が真締川である。この通常あり得ない河川の分岐は、真締川ダムの成り立ちに由来する。

ダム建設以前は、かつて戸石川と真締川の2つの河川があった。真締川ダムは河川の水量変動の平滑化と灌漑用水確保などを目的に建設された。2つの沢を取り込むように建設されているため、堰堤は中央で折れ曲がっている。ダム湖は未来湖と命名され、戸石川と真締川の水を併せて貯留している。

しかしダム建設以前からの灌漑用水利用に対応して、ダムの水は以前の戸石川と真締川の河川維持水量を考慮して正確に1対4の比率になるよう調整して放流されている。写真では余水吐からの水が適当に流れ込んでいるように見えるが、実際は未来湖の水は選択取水塔を経て堰堤下部にあるバルブ室に送られ、そこで正確に所定の比率に配分した上で冒頭に見えるV字型の放水路に流れ込んでいる。真締川ダムはゲートのない穴あきダムなので、満水位になると余水吐から未来湖の水が流れ出る。この水もダム配下の緩衝池(エプロン)に溜まり、そこから1対4の比率に造られた戸石川と真締川の流水路に向かう。

戸石川は真締川の支流なので、ダム下からは独立した経路で流れるものの2km程度流れた後で結局再び真締川に合流している。地理院地図を見ると、ダム下で河川が分岐していながら再び合流するという奇妙な描写になっている。


そして戸石川と真締川は、ダム下で実際この地図の記載通りに流れている。自然河川ではあり得ない状況である。
【 W 】
中川の上を渡る中川水管橋の上部構造。


中川水管橋は市内にありながら所管は山陽小野田市で、平原分水槽からダム水を取水して M の厚東川第二水管橋を経てここで中川を渡り高天原浄水場に向かっている。
宇部マニさんぽのお便り紹介から長門長沢駅裏にある硫酸瓶の壁を取材しに行く途中、車内から岡藤氏により発見された。
【 X 】
国道190号の大沢西交差点を陸橋上から撮影。
Xフォルム題材のための暫定。


大沢西交差点は国道190号の東西の往来と、県央部や山口宇部空港の往来の結束点ともなる重要な場所である。山口宇部空港方向は県道220号宇部空港線、北側は県道6号宇部山口線である。県道宇部山口線のここからの区間は、かつての山口宇部有料道路が前身である。2012年4月から無料化され主要県道の一部となった。

直角より小さな角度で交わる十字路は、現在では遙か昔からあった辻道か幅員の大きな道路同士の交差点以外ない。それ以外で比較的交通量のある道の分岐は、取り付け部分の手前にカーブを移動して本線には直角に接続するよう改良されている。斜めの接続では鋭角側にあたる本線の見通しが悪くなるのが理由である。この過程で枝道を直角に取り付けるために「あおりカーブ」状態で外側に道を膨らませて直角に接続する交差点が目立つようになった。
【 Y 】
山陽本線の田の小野地区と善和地区の間にある灌漑用水を渡す橋。橋の名称は分かっていない。


この辺りの字名は打越である。この場所は西へ張り出た尾根になっていて、善和川も西に張り出した尾根にぶつかって流路を直角に変える場所として知られる。鉄道敷設時代以前から尾根沿いにあった用水路を水路橋にしている。昭和30年代に現在の国道490号が拡幅されたとき道路側も水路橋となった。

現在では鉄道や道路の上へ新規に水路橋が通されることは殆どない。特に灌漑用水路は流路の高さを変えることができないので、道路や鉄道が灌漑用水を横切るとき水路橋に変更される。充分な高低差を確保できない場合は逆サイフォンで流路が確保される。



何か良いアルファベット題材がないかぼーっと考えつつ部屋の天井を眺めていて見つけたY題材。


もはや物件ではない。買ってきた豆腐を取り出して斜め上から眺めれば同様になる。直方体をしているものを身の回りから探して眺めるだけで再現できるので、検証可能性の観点から言えば最高レベルだ。

普通の人ならば容易にこの発想へ到達はできても、カメラで撮影しようなどとは思わないだろう。撮るからには精密に撮影したいということで、可能な限り対称性を温存したアングルとなっている。今この作業を行っている部屋のデスクから左斜め上2m以内にこのコーナー部分があるから、今まで採取された中でもっとも近い場所に存在していた題材と言える。無理やり感があり過ぎるだろうか…
【 Z 】
ときわ公園で飼育されているハクチョウ。
Zと言うよりは数字の2か。


ときわ公園は平成中期頃までは「常盤公園」と書かれてきた。現在でも案内板は常盤公園の漢字表記が優勢である。そして常盤公園と言えば常盤池に泳ぐコブハクチョウやコクチョウが代表格だった。市営バスのエンブレムや市内のマンホール蓋などにも採用され、宇部のシンボリックな存在だった。2011年に高病原性鳥インフルエンザが蔓延し、感染拡大を防ぐためにやむなく全個体が殺処分された出来事で市民は悲嘆に暮れた。
このときの対応が適切であったかについては現在でも賛否両論ある

ハクチョウは宇部市のシンボルであり、完全になくなってそのままということはあり得なかった。再び常盤池にハクチョウを飼育するために最適な手法が模索された。常盤動物園のリニューアルに先だって他の動物たちの飼育方法も見直され、例えば園内の広い範囲で飼育されていたヤギなどの動物を自然でストレスの少ない環境で飼育するように変更された。以前は道路沿いの柵を隔てて放し飼いにされており、すぐ上をローラーコースターが間断なく行き交っていた。それが思いの外動物たちにストレスを与えていることが判明したからである。

ハクチョウの飼育も従来は常盤池の一角を仕切った白鳥湖(常盤橋から下流側のエリアをそう呼ぶ)に放し飼いにされていた。その数も最多時期は百羽近く居たが、このような密集状態での飼育はストレスからハクチョウ同士の喧嘩を生みがちであり、冬場の野鳥飛来時に接触頻度が高まることから感染リスクが上昇することが分かった。

これらを受けて、まず2羽の飼育から始まった。ここまでたどり着くにあたっては市民の理解と大阪の天王寺動物園より招聘された疫学的知見に長けた宮下園長による功績が大きい。現在はハクチョウたちがストレスを感じない程度まで個体を増やしていくなど感染症対策を取り入れた新たなフェーズに入っている。冬場に野鳥との接触で感染リスクが上昇することから、現在でもこの季節にはハクチョウたちは白鳥湖の近くに造られた鶏舎に隔離される。

池で悠然と泳ぐハクチョウを観察していると、しばしば奇妙な遊泳法を目にする。
このように片脚を水から出して泳いでいるのである。


この仕草は白鳥湖に多数個体が泳いでいた時期から気付いていた。泳ぐには如何にも効率が悪いように見える。稀な事象ではなく他にも多くのハクチョウ(コクチョウも含む)に見受けられていた。

何故ハクチョウがこのような奇妙な泳ぎ方をするのかについて、当時飼育係に尋ねている。ハクチョウ自身に尋ねたわけでないので確定的ではないが、これは水かきが常時水中に浸っていることに起因する細菌を減らすための自衛行動と考えられている。人間に喩えれば、汗で蒸れた靴下を長く履いていると水虫(真菌による感染症)になりやすいから乾いた靴下に履き替えたくなるのと同じである。ハクチョウたちはそのことを知って片脚を水の上に出して乾かすことで対処している。よく見ると片脚を背中の上に乗せるだけでなく水かきを大きく開いている。

写真はハクチョウの再導入にあたって仔ハクチョウが白鳥湖に放たれていたときの映像である。
羽毛がやや茶色がかっている。一列に並んで泳いでいる様子が可愛い。


仔ハクチョウを後ろからズームで撮影。
一羽ほど片脚を水から出して泳いでいる個体がある。


このとき仔ハクチョウたちは親のつがいからは離して育てられていた。したがって他の個体を見て真似したり親から教えられることなくこの泳ぎ方を実行している。カメの甲羅干しのように遺伝子レベルで刷り込まれたものかも知れない。

ホームに戻る