常盤池の余水吐

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記事作成日:2018/7/7
最終編集日:2018/7/10
常盤池の余水吐とは、常盤池が満水位になった後の余剰水を排出する場所である。
写真は市道常盤公園江頭線本土手を通るカーブからの撮影。


余水吐の位置を地図で示す。


荒手(余剰水の排出路)の手前に一定の高さのコンクリート壁が造られており、水位が上昇すれば自然に越流して荒手へ流れ込むようになっている。自然排水する機構は一般の溜め池のものと同様であり、後述するように貯留する水量を増やすために昭和中期に設置された。特定の名称はなく、それ故にここでは常盤池の余水吐として記述する。
《 現行の余水吐 》
本土手の東側の端、市道と荒手が交差する場所で、湖水側に張り出した扇形をしている。
越流部には簡素な鉄柵が載っていることがある。


越流する時間が長い場合、柵があると運ばれてきた枝などが引っかかり流下が妨げられるので引き揚げられていることが多い。


越流部の内側は荒手方向に傾斜しており、内部へ落ち込んだ余剰水はただちに市道下のボックスカルバートへ流れ込む。
この部分は市道を現在の形へ拡幅した昭和中期に施工されている。


余水吐は排出路付近の岩場に基礎部分を拵え、高さ30cm程度の壁を造ることで実現している。


ここ以外に常盤池の水が自然流出できる場所はない。したがって常盤池の最高水位は余水吐の天端に一致する。その正確なエレベーションは今のところ手元に情報がないが、コンクリート高の分だけ常盤池の上限水位は余水吐以前よりも上昇したことになる。これにより常盤池の湛水量はかなり増大したが、そのことに起因する変化が随所にみられる。(後述する)

満水位に到達し越流するようになって流れるのは余剰水だけとは限らない。水面に浮いた木の葉や枝などはもちろん、状況によっては常盤池に棲み着いた生物も下流へ流される。
写真は増水時に流されまいと頑張っている鯉たち。


荒手より下にある夫婦池や更にその下流の塚穴川にある緩衝池には鯉の姿がみられる。それらは元から棲み着いていた個体の他に、増水時に上流から流されてくる個体もある。
《 余水吐以前の状況 》
現在の余水吐が造られる以前がどうなっていたかは資料がなく、古地図や現地の状況からの推測となる。明治期に製作された常盤溜井之略図では本土手の樋門も余水吐の場所も同様に橋のような形で記述されているだけである。恐らくは何の機構も設けられておらず、本土手の上を通る道に対して単純な石橋になっていたものと思われる。

現在の余水吐の外側に数本の加工された石柱がみられる。通常は水面下に没しておりよほど水位が下がらなければ現れない。


この石材は橋の部材と考えるにはあまりにも小さいので、現在の余水吐ができる以前に設置されていた流木留めの柱と思われる。同様のものが蛇瀬池の余水吐に一部現存している。

余水吐の築造は塚穴川の下流域をコンクリート水路に整備した時期と一致する。余水吐以前は常盤池の水位が上がらなかった分、頻繁に越流が発生していて川魚がよく獲れていたという報告がある。[2]
《 常盤池満水位上昇による影響 》
項目記述日:2018/7/10
コンクリート製の余水吐の築造により常盤池の満水位は変化している。ここでは常盤池築堤期から余水吐ができる以前と、余水吐築造後の満水位の変化とそれに伴う影響について記述する。
【 地図上の表記 】
一般に、地図の海岸線は満潮位のものが採用されている。この考えは湖沼についても準用されているようで、現在閲覧できる地理院地図の常盤池は概ね満水位のものが記述されている。


常盤池のうち野外彫刻展示広場湖水ホールがある南半分は周遊園路が近接していることもあり、殆どがコンクリートないしは石積みの護岸である。このため水位が少々変動しても地図上での汀の位置は変化しない。これに対し北半分では手を加えられない自然の岸辺になっている部分が多く、特に微細な河川が取り付く入り江部分では砂の堆積もあり遠浅となっている。このような場所では少し水位が上下するだけで汀がかなり大きく変動する。例えばもっとも北まで伸びる高畑の入り江では満水位だと湖水が周遊園路交差部より更に北の水路部分まで遡行するが、低水位時にはそれよりも200m程度汀が後退し入り江の殆どが干潟のようになる。
【 実地での変化と影響 】
余水吐を造ったことで満水位がそれ以前より数十センチ上昇した。これにより目立って大きく変動したと思われる場所の一つが常盤神社である。

常盤神社に参拝したことがある古老の意見を伺うと、普通に歩いて神社へ渡っていたという意見が聞かれる。現在は名前のない島に常盤神社が置かれ、新宮橋で本土部分と繋がっている。池の濁りもあって橋の上から水底が見えない程度の水深があるのにどうやって渡っていたものかと訝られていた。昭和30年代の航空映像を参照すると、常盤神社は島ではなく半島に存在するように写っている。当時は満水位のときは支障こそすれど、通常の水位であればそれほど困難なく歩いて渡れていたようである。そして市内の至る所で未だ稲作が営まれていた昭和中期であれば灌漑用水需要がそれなりに多く、また厚東川からの引水も水利権の個数の制限もあるため、常時満水位にするまで水を溜めておけなかったものと思われる。

今は何にも使用されていない白鳥島も元々は半島の一部であり、それは白鳥の飼育目的で本土から切り離すまでは通常水位時で歩いて到達できていたようである。余水吐の築造で恐らく軽く浸る程度に島となる状況だったが、本土から白鳥を狙う野生動物が接近できないように陸繋部を浚い、更にボートの往来に支障がないよう削った可能性もある。

高畑と金吹の間のユースホステルがある半島部の先端には、水位が下がると現れる陸繋島が知られる。その存在は常盤溜井之略図にも浅瀬のように記述されている。築堤当時から水に洗われる浅瀬であり、余水吐以前は常盤神社の島と同様歩いて渡れていたのだろう。

現在は白鳥大橋が架かっている楢原の入江も、余水吐以前の渇水時には同じ場所を歩いて渡れていたことが報告されている。常盤神社の南側にあるペリカン島は、元からあった狭い入江の中に飼育環境確保のために人為的に築島を造っただけあって、現在でも低水位になれば殆ど本土と繋がる。
【 常盤池の最高水位レベルの是非 】
情報以下の記述には個人的見解が含まれます。

前述のように、常盤池の最高水位は昭和40年代頃に造られたこの余水吐により数十センチ上昇している。常盤池の湛水面積は広いので、最高水位を少し上げただけでも湛水量は飛躍的に伸びる。このことは宇部東部の工業用水需要と市内にまだ散在していた田畑への灌漑用水需要を賄うことに大きく貢献した。
他方、用水需要に充分対応できる体制が整った裏には以下のような新たな問題があり得る。
(1) 常盤池全体の水の入れ替わり頻度が下がったかも知れない。
(2) 本土手にかかる水圧が増大しているかも知れない。
(3) 不測の事態が発生したとき水量の多さによる被害が拡大する。
実際のところ満水位に到達する前に2箇所ある樋門を操作すれば池の水を取り出せるため入替は可能である。しかし灌漑用水需要が高まる6月より用水路へ給水するため、それ以前から降雨を溜め続けていることが多い。この間は下流の塚穴川河川維持分の放流のみとなるので永らく池の水が滞留する。気温が急上昇した日などは苔や藻が大発生していることもあり、水生生物への影響が懸念されると共に、観光客に対しては美観の問題や異臭を感じさせる原因ともなる。

(2) と (3) は共に防災面での問題である。ダムと同様で貯水量が多いほど利水上は有効だが治水上では脅威となり得る。余水吐を設置するのとほぼ同時期に本土手上を通る市道を拡幅し、このとき重量物を含む四輪も通るため補強されている。市道は常盤池の最高水位よりも数メートル高い位置を通っているため排水が追いつかなくなり市道上を越流することはまず考えられない。起こるとすれば本土手内部の漏水や部分的崩落からの破堤だろうが、現在のところそのような事態が起きる可能性について特に問題視されていない。現に築堤以来数百年もの間崩落したことがないという事実をもって概ね安全とみなされている。

仮に余水吐を撤去し最高水位を低減させるとしたなら、上記の3項目はいずれも僅かながら緩和される。貯留される水の絶対量が減ることは、用水需要が旺盛だった昔なら容認しづらいところだが、現在は本土手・切貫両系統から取り出される灌漑用水需要は耕作面積の減少から間違いなく低下している。工業用水経路も温存されてはいるが、近年は給水されていないかも知れない。[3]

厚東川ダムのような利水のみならず治水も担当するダムでは、たとえ灌漑用水需要期であっても梅雨の長雨や台風に伴う豪雨が予測されるときは、事前にゲートを開放して水位を下げている。常盤池の場合は集水面積も湛水能力もまるで規模が異なるため同じには扱えない。しかし近年、ごく狭い領域に集中的な降雨をみるゲリラ豪雨と呼ばれる現象が多発しており、黒岩山の南側へ降った雨水はすべて常盤池へ流れ込む。余剰水の放流は本土手・切貫樋門と余水吐経由しかなく、排水が追いつかなくなるほどの豪雨に見舞われれば、元々は谷地だった部分を人為的に築堤した本土手が脅かされる。[4]

常盤池の下にある夫婦池は、地勢的理由あって常時満水位で運用されている。したがって常盤池側から大量の余剰水が押し寄せた場合、それを緩和する役目はまったく期待できない。流れ込んだほぼ全量がそのまま女夫岩の荒手に向かい塚穴川へ落ちる。このときの流入量が甚だ多ければ、国道190号がその上を通る夫婦池の本土手事態が脅かされることとなる。万が一にも常盤池・夫婦池の両本土手が破堤すれば、灌漑用溜め池において宇部市未曾有の大被害が起きるのは確実である。

恐らくこれらの一部あるいは全部は杞憂であり、既に相応な対処が施されているであろう。少なくとも塚穴川沿線住民はそのような災害が起きないことを前提に居住している。しかし「築堤以来数百年もの間崩落したことがない事実」だけでは、近年幾度となく報道される「数十年に一度というレベルの大雨」に接すれば安全であると唱えるには説得力に欠ける。治水面からのリスク評価と管理が求められている。
この版以前に公開されていた記事。
旧総括記事: 常盤池の余水吐【旧版】
常盤池の水位が著しく下がった2012年の秋口に余水吐の周辺を実地に調査したときの記録。全2巻。
なお、この踏査は日を変えて行われており、2度目の踏査の折に余水吐の外側へ散らばっていた石柱を調べている。
時系列記事: 余水吐【1】

2013年の梅雨時に初めて余水吐から越流している様子を記録したレポート。後続記事で荒手を余剰水が流れる様子もレポートしている。
時系列記事: 余水吐【3】

2016年の梅雨時に短期間の記録的な降雨により夥しい量の水が余水吐を越えて排出される様子を記録したレポート。越流量は今まで観察されたうちでは最大規模であった。
時系列記事: 余水吐【4】

2018年の越流時の様子。台風7号に引き続いて猛烈な雨が2日間続き、中四国に甚大な被害を及ぼしている。常盤池の湛水量について災害に絡めて考えるようになった。
時系列記事: 余水吐【5】

出典および編集追記:

1. 防長風土注進案に収録された石橋のリストには、現存している常盤堤東荒手石橋に続いて同所西ノ石橋 長九尺幅九尺という記述がみられる。幅の数値は余水吐からの悪水溝の幅にかなり近いのであるが、西ノ石橋と書かれているので方向は現在の樋門になるが、その場所の用水取り出しは当初から洞樋であったので石橋が存在していたとは考え難い。

2.「FBページ|2016/6/23」投稿文に対する読者コメントによる。

3. 本土手樋門には灌漑用水向けと工業用水向けの樋門操作ハンドルがあるが、このうち工業用水向けの方は樋門の穴を開閉する蓋がコンクリートで塗り固められている。

4. 切貫樋門の西側も谷地であり、堰堤を築いた上を周遊園路が通っている。しかし本土手とは異なり谷地は常盤池側に向いており、仮に破堤しても西側の市道が通る部分は地山なのでここが破壊される可能性は甚だ低い。
《 近年の変化 》
2015年頃から降水量の影響からか常盤池の水位が高めに推移してきた。このため少し雨が続けば頻繁に余水吐からの越流がみられるようになった。越流が頻繁になってからは、余水吐の天端に置かれていた手すり状のスクリーンは引き揚げられ草むらに置かれている。

余水吐より揚場に向かう岸辺側に古い石積みが見つかっている。かつて庵や民家があったのかも知れない。


《 個人的関わり 》
初めて余水吐の存在を現地確認したのは2009年8月28日のことである。現地で写真を撮った後、帰宅して2日後に当時所属していた地域SNSへ投稿している。詳細は以下を参照。
試験的運用です…閲覧環境によっては同一ブラウザ内に表示されるかも…
ダウンロード: うべっちゃ|常盤池の余水吐(2009/8/30)
上記の記事では余水吐より反対側にある園路を辿っているものの、悪水溝は市道交差部と同様のコンクリート水路になっているものと考えていたようで辿っていない。この辺りの経緯は旧版の個人的関わりを参照。

本土手の上を通る市道自体、床波方面へ自転車で向かうときには必ず通る場所なので、余水吐のどの辺りに常盤池の水位が来ているのかが目安になった。2014年辺りまでは越流が殆どみられず低水位調査が頻繁に行われていたが、近年ではほぼ満水位に近いことが多く越流が頻繁に起きるようになっている。

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