お知らせの履歴・2023年

(「お知らせの履歴・2024年」の続き)

トップページに掲載されたお知らせ履歴です。
以前掲載していたものを確認するための自分用データです

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”買い物難民状態”から脱出しました
何処の店であろうが基本的に買い物が好きです。何かを買うと決め打ちしてお目当ての品物だけ買ってサッと帰ることをあまりせず、ダラダラと時間をかけてあちこちの陳列棚を見て回ります。衝動買いや無駄な買い物が多い理由だけど、欲しいモノを買うとすっきりします。

行きつけのお店があり、大体同じ時間に買い物に行って大体同じようなものを買うものだからすぐに顔を覚えられます。まして知る人ぞ知るこの出で立ちなので、今や顔を覚えられてなんぼのもんじゃい!という開き直りもあります。

ですから行きつけのお店の一つ、アルク琴芝店が2ヶ月も閉まるなんて聞いたときには途方に暮れました。他にスーパーなどいくらでもあるし、実際あちこちに行っています。だけどアジトから近いし同じ敷地に岩崎チェーンもあり、アルクでざっと買い物して帰りに岩チャンへ見切り品がないか偵察する…という買い物パターンが出来上がっていたのです。

毎週土曜日は野山に買い物品を届けに行っていました。次に近いアルクの店は南浜店ですが、野山に行くにはあまりにも遠回りです。そのためリニューアルオープンまで土曜日の買い物を中止していました。待ちわびた11月30日にリニューアルして初めて買い物に行きました。


今や12月入りしているので、もう何度も買い物に行っています。陳列棚の位置や支払い方法が若干変わっていて、慣れるまで少し戸惑いました。買い物は見切り品狙いの遅い時間が多いせいかまだ知った方には出会えていません。次に午前中出掛ける便があったとき”生存報告”して来ようと思います。

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山口線全線開通100周年関連イベント第2弾に行ってきました
久し振りにこの項目を更新します。何もなかったわけではなく、特に11月はここに書き切れないほど多くのイベントや祭りに参加しました。山口線関連のこのイベントは、第1弾が10月上旬に開催され、水利関連の遺構見学ツアーで構成されていました。最終訪問地は何とうちの近くにある桃山配水池で、特に六角堂を訪問したときは外壁の桃色レンガについて私が追加説明する一幕もありました。

第1弾が終わったとき翌月に第2弾を11月25日に実施することが分かっていたので、早々に申し込みしてありました。もちろん私単独での参加ではなく鉄道関連が大好物ないつものメンバーです。第2弾の訪問先はそのまんまズバリで山口線関連の主要な構造物です。写真は篠目駅を訪問したときの撮影です。


寒さが予想されたので充分に着込んで行きましたが、それでも途中でトイレ休憩の要望が数回出ました。篠目駅では著名な給水塔の遺構を見学し、ラティスガーダーとして著名な徳佐川橋りょう、土砂が流れ込み修復工事が行われた県境の白井隧道、更に青野山駅を過ぎた先の隧道までとかなりの遠出でした。

参加メンバーは山口ケーブルビジョンに午前8時集合し、小郡文化資料館からマイクロバスで他の参加メンバーに混じって多数箇所を訪問しました。昼食休憩はなくバス内で各自が昼食を取り、最後にオプショナルツアーとして田代隧道の仁保側坑口が見える場所まで、隧道あるはずでしょうでの立役者となった”あの方”に引率して頂く形の見学が行われました。小郡文化資料館に戻って来たのが午後5時という強行軍でしたが、もう大満足な内容でした。

今はまだ多くを語れないけど、実は2日前の23日にも同時刻に山口ケーブルビジョンへ来ていました。こちらは新春スペシャルのロケのためでした。この記事をご覧になっている一部のファンの方や関係者は見当がついているでしょうけど、内容は年明けのお愉しみにしておきます。

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恩田運動公園のリニューアル工事が始まります
恩田スポーツパーク構想の説明会で書いているように、8月21日より工事が始まります。公園内の随所には工事期間を示す看板が設置されていました。


今年度工事で何もかもが変わるわけではないけど、工事にあたって騒音や粉塵防止の目隠しフェンスが設置されれば景観が変わります。19日に最後の工事前写真を撮ってきました。無くなってしまったり工事によって接近できなくなる場所を重点的に撮影済みです。今後は恩田運動公園の工事範囲を対象に継続監視対象とします。

ちなみに既に継続監視対象となっていた市役所旧庁舎取り壊し工事は、現時点で地下室部分を含めた殆どすべての解体が終了し、残骸の搬出も終盤です。並行して新庁舎の西側に別館のような建物の骨格工事が進められています。

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恐らく過去に例がないほどの暑い7月だった…
夏が暑いのは当たり前なんですが、この7月は誰もが認める暑さでした。電気代節約などと言ってはおられず、部屋に24時間エアコンが入っている状態が数日続きました。8月に入った現在もまだ続き、上旬には台所に置いている温度計が夜9時頃になっても30度から下がりませんでした。

活動は鈍るものの部屋からまったく出なかったわけでもなく、仕事に遊びに市内外をうろつき回りました。記事にしないから伝わらないだけで、写真はかなりの量を撮っています。8月最初の土曜日は小羽山中央公園を舞台に夏祭りが開催されました。


私は直接には関与しませんでしたが、今年の夏祭りは最初から最後まで現地に居て巡回したり連絡役を担当しました。いろんな人に出会い、すくすく教室の子どもたちにも声を掛けられました。7日は宇部護国神社で七夕祭りを観に行きました。いずれも小羽山地区が舞台となるイベントで、今後時間をかけて定着していくことでしょう。

定例業務と写真撮影が精一杯で、デスクワーク活動は鈍っています。いろいろ考えることはあるけど、まあ無理をせずに気候と体調に合わせて活動していきます。

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まさか6月末が最後の撮影になるかも知れないとは…
前回のお知らせで、末尾に「鉄道路線はもうあと十年も今と同じ状態で運行されているとは思っていない」と書きました。そのことを書いた先月25日から一週間も経たないうちに、それが現実のものになるかも知れない危機に晒されています。

30日と1日は、線状降水帯と言われる狭い範囲に水を流し込むように降る雨でした。県内かなりの箇所で被害が発生し、JR美祢線は厚狭川第6橋りょうが洗い流されています。


奇しくも23日に重安駅を含めてJR美祢線の構造物を数ヶ所訪れ撮影していました。一つ上流にある厚狭川第7橋りょうは、すぐ真下まで行って撮影していました。そこから近くの大渡踏切の撮影時、たまたま通りかかった列車を撮影したのが最後になるかも知れない…JR美祢線は全区間で運転を見合わせており、復旧の目処がまったく立っていません。

7月に入って2度美祢市街部を訪れ、引き込み線を含めた鉄道題材を撮影しました。この過程でJR美祢線の近隣区間も訪れ、路床が洗い流されレールが宙に浮いている箇所が無数にありました。しかもこれで大雨が峠を越えたというわけでもなく、今夜から来週の半ばまでは雨の予報です。市内でも市立図書館の建物内に雨水が浸入する被害がありました。うちも大雨で押し流された砕石(土砂に非ず)が坂道に溜まり、排除しなければ車を出しづらい状況になっていました。

このような自然災害に見舞われるのは、全国何処でも確率の問題です。地震や台風や水害とある中で、充分な年月が経って数多くの災害が起きれば、いつかは自分たちも巻き込まれます。以前住んでいた西梶返から引っ越した理由の一つです。標高が低い地域のアパートの1階に住むことで起きる浸水リスクを考えていました。高台に住めば水害は回避できても、大雨だと斜面が崩れるリスクがあります。それぞれの居住地にどんなリスクがあるかを前もって知っておく重要性を感じます。

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市外物件も少しずつ記録を…
15日の週は予定が詰まっていましたが、それが過ぎてからは月末までに仕上げておくべきタスクを順調にこなしています。今月は珍しくかなり余裕があります。コラムは週初めに提出しているし、声掛け業務も週末までにほぼ終えています。そこで23日は正午を待たずに美祢方面まで撮影に行ってきました。

ターゲットは美祢線の駅を始めとする各種構造物です。鉄道に目が向いたのは、現在「にんげんのGO!」の隧道どうでしょう・シーズンVで美祢線の湯本トンネルを放映中というのも理由です。居住地を基準に考えれば山口線よりは近いし隧道もあります。山口線にみられるような拱橋構造体があるだろうかというのも探索課題でした。

初めて訪れた重安駅が結構気に入りました。構内踏切があることと、時代を感じさせる標識などがいくつも見つかったからです。
緑十字の安全第一モニュメントも駅舎横にありました。


だけど今から記録するには出遅れ感が否めません。採取された石灰石を積み込むコンベアが遺っていた筈だからです。国道315号を跨ぐ同種のコンベアもあったのに、それらを記録することはできませんでした。

時間は遡れないので、過去の記録していない物件を思い悩んでも仕方ありません。誰かが記録してくれているだろうと楽観視し、今在る現役構造物を記録する方に集中すべきです。採算ベースに乗っている黒字路線を除いて、鉄道路線はもうあと十年も今と同じ状態で運行されているとは思っていないからです。

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今度は新川小学校で郷土学習授業
不思議に続くものです。6月15日に新川小学校で小学3年生を対象にした郷土学習授業を行ってきました。ただし今回は宇部マニアックス単独ではなく、局長が音声・映像の制作と進行役を務め、私が学童向けの主な解説トークを行いました。
写真は局長の単独説明が続いている合間に、少し離れた位置から撮影しています。


私単独でしたら桃山中学校で実施したようにシンプルに画像と地図をスクリーン投影しながら解説しているところでしたが、局長は子どもたちが難しい授業をリラックスして受けられるようにオープニング映像や休憩時の演出を考えた構成を行いました。

この郷土授業は、来月に新川ふれあいセンターを舞台に実施される新川の橋イベントの前駆となるもので、新川小学校の子どもたちに新川地区の歴史に親しみをもってもらうために企画されました。当初は橋イベントで制作する橋カードの写真や情報を宇部マニアックスとして提供するというものでしたが、子どもたちにイベント前の予備知識に触れさせて欲しいという意向を受けて授業を行ったものです。

新川地区は、宇部の街の基礎を造った渡邊祐策翁に縁深い地です。渡邊祐策って人を知っている?と尋ねたところ、児童の半数近くが手を上げました。私に近いところに座っていた児童は、常盤公園の周辺が他人の手に渡らないように自費で買って市に寄贈したなんてことを話していました。これって…大人でも相当に郷土の歴史に触れていなければ知らないことでは…

講演の時間が押していましたが、最後の質問タイムでは沢山の手が挙がり、マイクを持って一人ずつ尋ねるのが大変でした。子どもたちの「知りたい」というこのタイミングを逃さず史実に基づいたストーリーに触れさせてあげれば、先々で新川地区で育ったことを誇りに思う大人になってくれるでしょう。

毎週水曜日のすくすく教室もですが、最近は自力での物件探索よりも次の世代を育てるための情報伝達にかなり注力しています。講演を含めてあちこちでしゃべる場面が増えています。デスクに向かってドキュメント制作するよりもしゃべる方がシンプルで早いのが事実ですし、トークやアクションでは知る人ぞ知るウベミアンラプソディーで一皮剥けたというのもありそうです。これについてはいずれ総括記事を作成します。

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遠ざかっていく昭和を呼び寄せる
この4月から5月中旬にかけて、ある民家の古物調査で4回訪れました。新川歴史研究会のあるメンバーの血縁者宅で、既に誰も住んでおらず家屋自体も危険な状態になっているため解体が予定されています。その書斎にもしかすると貴重かも知れない古い書籍などがあるので調査して欲しいという連絡を受けていました。

当該メンバーが民家の鍵を預かり、最初に一番日頃から時間を持て余している(?)私が同行しました。民家にあるものはいずれ全て廃棄処分されるので、血縁者に返還するのが妥当な仏具関連を除いてどれでも持ち出して構わないということを聞いていました。

初回の調査で一部の書籍に見るべきものがありました。中間報告をFBの私のタイムラインに公開したところ塾長も興味を示し、第二回調査で手記などが救出されました。このときまでに私は個人的に興味を持っていた市内スーパーの古いチラシ、レシート、そしてトレーディングスタンプを確保しました。


その後も鍵を借りて独自に2度ほど調査し、昭和中期から後期にかけての客観資料を持ち出しています。トレーディングスタンプについては大まかな整理を終了し、デジタルデータ化して当サイトに記録する予定です。

当サイトでは既に富朝丸信といった昭和から平成にかけて宇部の街の台所を下支えしたスーパーの総括記事を作成しています。それらのトレーディングスタンプの存在は夙に知られていましたが、富朝のチケットが大量に発見される成果がありました。その他、今や何処の店が配布していたか分からないトレーディングスタンプも見つかりました。こうした客観資料のうち、市内に関するものはうちのサイトでまとめておきたいと思います。

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再び桃山中学校の郷土学習に参画しました。
2月末に渡邊ゼミのメンバーで郷土授業を行ってきましたが、その続編的講話を18日に実施しました。今回は渡邊ゼミとしてではなく宇部マニアックス単独です。
講話の実施中に私のカメラを預けて撮影して頂いた写真です。


前回は桃山という地名の由来についてだけ、対談として参画していました。今回は単独で依頼を頂いたので、シナリオを一から作成しました。もっとも何を話すかについて迷う余地は殆どなく、桃山中学校というロケーションと郷土学習に関連づけるとなれば、新川地区にある郷土資産と桃山の地名由来でしょう。

私一人単独で講話ができるなら、全てを自分が話したい内容で構成できます。しかしこれは課外で任意に参加する活動とは違います。正規のカリキュラムに入る授業ですから、教育的でなければなりません。遊びの要素が強すぎるのも拙いですから、遊び心を出すとしてもそれを上回る教育面が必須です。

講話の時間が40分枠だったので、大体その時間で収まりそうな内容で話しました。私がどんな突拍子もない話を展開するか分からないので、郷土学習として採用されるにはリスクがあったと思われます。講話を終えた後で教育的であることの条件は満たしているものの、中学2年生向けにはちょっと難解だったかもと考え直しています。どのような内容だったかはいずれ総括記事を作成します。

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小羽山すくすく教室キックオフ!
今年度も小羽山小学校すくすく教室が始まりました。以前から地区在住の題材提供者として局長と共に参画していました。今年度からは欠員となっていた副会長を務めることとなり、10日のキックオフイベントで自己紹介してきました。


放課後に子どもたちの居場所を作ってそこで宿題をしたり、地区在住者がいろいろな情報を提供する活動は市内他の地区でも展開されています。しかし郷土史研究会と共に地域活動のあるあるですが、何処も高齢化が進んで後継者が不足気味になっています。自然消失したり活動を大幅に縮小することとなった任意団体が沢山あります。

小羽山小学校のすくすく教室も副会長の退任に伴い、一時は規模の縮小も検討されていたようです。そうなると市からの予算が減額されて活動が小さくなり衰退化の一途を辿りがちです。新たな企画を盛り込まず活動自体がマンネリ化しがちなことも原因の一つです。アイデアが求められていました。面白くて子どもたちに提供して問題なさそうな企画なら、いくらでも考えつきます。なので前年度と同程度の活動を維持する代わりに、前副会長のなさっていた枠の新たな企画を前年度から考えていました。

既に大方の年間スケジュールが決まり、キックオフのこの日に子どもたちに配布しました。出席モチベーションを高めるために、毎回自分のファイルにシールを貼ります。それから顔合わせとなるキックオフで大人の所作を真似て名刺交換イベントを行いました。

私は去年より倍以上のプログラムを提供し、それ以外でもすべての回に常駐します。時間ならいつも殆ど空いているので毎週水曜日の常駐は容易です。小羽山五七五のような探険的ミニ散歩も考えています。大人を対象にしたイベントとは違うので、あまり詳細なところまでは考えていません。子どもたちが暇つぶしできて、出来れば新たな発見ができるひとときを過ごせれば充分です。

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天気が大いに味方した新川市まつり
今年の5月の連休は、開始前から天気予報が良くありませんでした。間違いなく晴れると予報されていたのは前半の数日だけで、子どもの日から連休終了まで毎日雨の予報でした。新川市まつりの5日も数日前までは降水確率90%という酷い有様でした。

近年は連休だからと言って遠出することは皆無ですが、天気が優れないと写真を撮りに出かけるのも対象外となります。5日が雨だったら内業に徹しようと思っていたところでした。朝になると降りそうな空模様ではなく曇りで推移してくれそうなので、今回は祭りを観に行くのに初めて琴芝小学校の臨時駐車場へクルマを停めて歩きました。

常盤通りから新天町アーケードまで、一通り全部のエリアを観て回りました。写真は神輿行列が東側の行進を終えて中津瀬神社に戻ってきたところです。


市民の手作りイベント色が強い新天町アーケードの青空ゾーンは、時間をかけて視察する場所です。地域SNS研究会を立ち上げた直後は、運営資金捻出を兼ねて店を出したことがあるし、宇部マニアックスの自称が定着する前から市内の面白い物件のパネル展示をしたこともありました。うちのホームページでも古い履歴としてまだ記録が遺っています。

活動しなくなった登録団体がかなりあります。活動している団体もメンバーが交代して馴染みの顔に出会える機会は減りました。高齢化だけが原因ではなく、新しい取り組みを始められずマンネリ化しているのも理由でしょう。出店などの準備に手間がかかり参加ハードルが高くなっているのも原因です。祭りの数ヶ月前から各団体が準備するのは分かるとして、出店の手数料や打ち合わせ会合を簡素化・効率化する必要があります。

今月より小羽山地区で始まるすくすく教室では、年間行事の枠はそのままにして内容を一新しています。巧くいったなら同種の改革が他のイベントや祭りにも波及することでしょう。

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「28分の1テレビ」放映中
視聴できない方はごめんなさい。山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」は、今年で10周年を迎えます。そこで5月の連休第一週から7日間、すべての時間帯で異なる内容を放送するという途轍もない企画が提示されました。

通常は毎週月曜日に更新され、同じものが一週間流れます。一日に異なる4つの時間帯で放映されるので、一週間で28回流れるわけです。そのすべてを異なる内容にするので、28種が必要です。このうち半分は過去の放映回を枠撮りで流すのであまり手間はかかりませんが、それでも14回は通常の回と同じ手順が必要です。

一つの時間帯にたった一度しか放映されないものに通常の番組制作ほどの時間を費やすことは困難なので、ディスクジョッキー風にあるテーマでレギュラーメンバーとゲストがトークする内容を収録し、殆ど手を加えずに放映する(撮って出し)こととなりました。その14回分の収録は4月の末日に朝から晩まで本社スタジオで行われました。写真は「宇部マニアックス ベスト10」の収録開始直前の撮影で、この回自体は既に1日に放送されています。


このスタジオ収録で本社には午前8時から午後8時過ぎまで半日以上スタジオ缶詰状態でした。もっとも宇部マニアックスが登場しない回の方が多く、次の出番までに頭に入れておくことを復唱したり他のメンバーの手伝いなどをして過ごしました。

5日の最後の放送(22:40スタート)で、宇部マニアックスに関するかなり衝撃的な内容が流れます。ここにはまだ書くことができませんが、にんげんのGO!のレギュラー・ゲストの全てが一堂に会して収録された点で、去年の滝フェスより遙かに大掛かりです。すべての放送が終了した後、28分の1テレビという総括記事を作成して概要を記録します。スタジオ収録した30日のことは、それだけで小冊子が成立するくらいです。時間が取れればまだ意識がそこに在るうちに取り組めればと思います。

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恐らく寛解しました
2023年春の季節痛として経過報告していましたが、4月中旬に入って気温が高めで推移するようになってから徐々に痛みが収まりました。今月はじめに鎮痛剤を服用したのが最後で、最近はときどき肘を中心に軽い痛みがあるくらいです。これを書いている現在はまったく痛みがなく、寛解したと考えられます。

結局、原因は分かりませんでした。年齢が進んで原因不明の痛みがあるとなれば、よく言われる神経痛の部類でしょうか。20代30代の頃は年上の人が「神経痛が出てからやれんちゃら」なんて言葉をよく聞いていたものでした。気温や湿度など外部環境の変化に身体が慣れるのに時間がかかるための自然現象かも知れません。

春先を迎えての体調不良は確か去年も体験した記憶があります。もしこれが神経痛というものだとしたら、酷いときはベッドの上を転げ回りたくなるほど痛むことはよく分かりました。肘から肩からダル痛い感覚が付きまとっていた時期は、何もする気もなくなり無為に時間を過ごしていました。寝ても覚めても何をしても痛いと、それだけで体力を消耗します。間断なく続き何の生産的活動もできない時期は、生きているのも辛い状況でした。

痛みのない世界ってこんなに快適なんですね。気候の安定のせいか指湿疹もかなり収まっています。梅雨入りや梅雨明けなど再度気候の変動を迎えるとき再発するかも知れないけど、遅れを取り戻すように活動を再開しています。

4月中旬を過ぎてから対外的活動が急激に増えました。今月の後半だけで既に3回映像や音声収録に参加しました。
写真は市内あちこちへ行った合間での撮影です。


明日と月末にも同種の活動が予定されています。昨日は2月末に話した桃山という地名と歴史について再度話して欲しいという連絡を受けました。5月からは小羽山小のすくすく教室も始まります。一ヶ月ちょっとの充電期間を経て、再び進むべき方向へ歩き始めます。

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甚だしい体調不良からの脱出
「便りの無いのは良い便り」は、少なくとも情報共有が生活の根底部分にある私にはまったく当てはまりません。「情報を配信しない個体は存在していないも同様」ですから、何かが無ければそうはならない…実際、情報発信するどころではない酷い状況に置かれていました。

2週間前くらいに何の前兆もなく右肘が痛くなりました。何か重い物を持ったわけではなく使いすぎた記憶もありません。特にここ半年以上バドミントンを”半引退”しているので、この痛みの原因が理解できませんでした。重い物を持たないようにするなどの養生はまったく効果がなく、やがて痛みが酷くて安眠できない状態に陥りました。

こういう症状が酷くなるのは、決まって木曜日の昼過ぎです。その日の夜は何とかやり過ごして翌日医者に行きました。レントゲン撮影で骨の異常がないことが分かり、更に血液検査の結果を週明けに聞きに行ってそこでも異常無しでした。それ故にドラッグストアで容易に入手できる消炎鎮痛剤が処方されただけで、しかもそれを服用しても一向に痛みが引きませんでした。


これは整形外科の範疇ではない症例と思い、まずはストックしている薬剤の効能と併用リスクを調べて適用してみました。まず頭痛のとき使っているイブプロフェンはまったく効かず、整形外科で処方された薬も同様でした。過去に同じ整形外科で処方されたことがあるセレコックスを服用したときは少し軽減されましたが、痛み方には波があるため本当に薬で効いたのかは分かりませんでした。症状は一進一退で、ずしーんっと重くのしかかり痺れるような痛みです。貼り薬もまったく効かず、ロールタイプの塗り薬は反作用で痛みを散らす一時的な効果だけでした。

今思えば最初に医者へかかる段階での選択を誤っていました。テニス肘を患ったときの感覚があったから整形外科に行ったけど、神経科かペインクリニックを訪ねるべきでした。それと言うのも痛む箇所が肘から腕、肩など不定箇所に散らばり、特に気温が下がったり雨の前日などで悪化したからです。整形外科に行けば、当然ながら外科的見地から判断します。だからそれ以外の要因があっても対処されない。こういうのは「自分の身体に訊いて自分で対処する」以外ない。

おそらく神経痛に近い部類か、今の季節に由来するアレルギー疾患の別形態ではないかと思います。喉元過ぎれば熱さ忘れるけど確か去年の春先にも体調の不具合がありました。そして毎年暖かくなると持病の指湿疹が酷くなります。指湿疹は季節の変わり目が一番酷く、次第に身体が慣れてきます。それと同様に多分この痛みは完全に取り除くことが不可能で、身体が痛みを感じる閾値を上げて対処してくれるのを待つ以外ない。

この記事を作成している今も右肘に痛みがあります。しかし夜眠れないほどではなく身体が順応してきているようです。痛みの酷い間はもう何をする気力もなく、無為に時間が過ぎていくのを待つばかりでした。これが軽くなっただけで意欲を取り戻してきました。何しろ自分も相応に年齢を積んできているので、身体が劣化していくのは仕方ありません。痛みに反応し過ぎてしまう特性は、現在の活動で感動の閾値が低いことを要する宿命と言えるかも知れません。

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桃山中学校の郷土学習に参画しました。
2月28日に桃山中学校の体育館で、郷土学習の一環として中学3年生の生徒を対象に新川地区桃山に関する講演に少しばかり参画しました。 メンバーは渡邊ゼミのコアメンバーである塾長局長、そして私です。

小羽山小ではすくすく教室をはじめ、小羽山五七五散歩など遊びながら学べるイベントを継続しています。小羽山小を卒業した学童は多くが桃山中学校に行きます。桃山中学校は新川地区にあり、同地区にある鵜ノ島小の学童も通います。この両地区の交流を深める目的で新川地区の教育活動参画が以前から計画されていました。この下地造りを行ったのは局長でした。

桃山中学校のある新川地区の歴史について塾長が講演し、局長が司会進行と歴史的題材を解説しました。私はと言うと…専門的分野である地名解析の知見を元に桃山という地名の由来を論じました。小羽山小のすくすく教室は課外の任意活動ですが、今回は正規のカリキュラムの一環としての郷土学習でした。小学校では2017年に琴芝小学校で郷土授業を行ったことがありますが、中学校での参画はこれが初めてです。

体育館にシートを敷き事務椅子を整然と並べて生徒たちが静聴していました。私たち3人はステージの下で投影された資料を元に解説を行いました。写真は塾長が解説している場面です。


講演が終わって代表の女生徒がお礼の言葉を述べました。そしてサプライズとして私たち3人に花束が贈呈されました。花束をもらうなんて人生初めての経験でした。

終了後、私たちは校長室に通されました。驚いたことに校長先生は山口ケーブルビジョン「にんげんのGO!」の視聴者で、隧道どうでしょうをご存じでした。そうそう…確か校内にもうお一方熱心な視聴者がいらして、宇部マニステッカーの応募で題材提供なさった方を知っています。多くの方々がアウトプットなさっているのに、私はとにかく手が遅くて…このホームページが永らく放置状態にあることで如実に示されているでしょう。

かつて学校は聖域でした。教員免許を持っていない人間が教壇に立ったり生徒を教えることなどおよそ考えられない時代が長く続きました。現在は良い影響を及ぼすことができる地元在住者などが招聘され、今回のように正規のカリキュラムに参画することも可能な時代になってきています。それもこれも周囲の人たちとの繋がりと情報共有の成果です。私一人だけでは未だにアジトへ籠もってコアなネタを書き散らしては悦に入っている領域を出なかったでしょう。

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今年こそは早く片付けたい…
2月の第一週は割と天気に恵まれたので、殆ど写真を撮りに出かけていました。1月末まで曇りばっかりだったので撮影したくてかなり疼いていました。コラム題材は元より市外のいくつか気になる物件の調査と撮影に行き、いくつか面白い成果も得られています。

第2週からは一転して再び冴えない天気続きの予報なので、アジトに籠もりました。2月ともなれば年度末が意識されます。毎年やってくる確定申告の時期にもなります。

確定申告はオンラインでこなせる時代だし、その方が手早く済みます。しかし税還付を受けるためと株式の繰り越し処理に係る書類の提出が要るので、未だに手書きです。表計算ソフトで作成した結果を転記するだけですが、下準備がいろいろと多く結構面倒です。

毎年毎年、先送りにしていつもエラい目に遭っていました。もういい加減にしなければならないと思い、今年は先月のうちに市役所を訪れたとき用紙を持ち帰りました。それから通帳記入とマイナンバーカードのコピー。そして先週から少しずつ作成し始めています。


支払調書はほぼ出揃い、国保や生命保険と年金の通知書は手元にあるので、それらを台紙に貼り付けます。通帳記入の数値を表計算ソフトに入力し、合計金額を書き込みます。2月の上旬という段階で7割方仕上がりました。残りの支払調書を受け取って台紙に貼り、数値計算した後で全部書き込めば、後は税務署のポストへ投函するだけです。

去年は控えを切り取らないまま投函してしまい、後で取り戻すのに大変苦労しました。以前は全部提出し、控えに受領印が押された状態で受け取るか返送してもらえていました。今は省力化が進められていてそんな丁寧なことはしてもらえません。控えはあらかじめ切り取った状態で提出します。

思いの外早く進んだのは、早めに用紙を取りに行ったことと住所氏名だけでもいいから決まり切った部分を書き込むことにありました。完成まで先が長いタスクでもまずそのことが頭に思い浮かび、デスクに向かって関連する作業を少しでも進めればそれだけで「充分に成果が上がった」と言えるでしょう。今年は2月中に提出して次のタスクに取りかかれるようにします。

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外から見た宇部市へ
番組でもこのホームページでも暗黙に知られているように、宇部マニアックスは市内のいろいろな題材を採取するのとは別に、特定の物件については市外県外も紹介しています。トンネル、ダム、工業用水などがそうで、ホームページの初期では多くの時系列記事が掲載されていました。経済環境が短期で極端に悪化した昨今、以前ほど気軽に遠征できる状況にありませんが、それらへの興味は今も薄れていないし市内題材を観察する見方の出発点になりました。

市内に関しては、平成期の合併で編入された旧楠町エリアを除いて主要な題材がある場所はほぼ行き尽くしています。殊に市街部では、狭い路地さえも「一度も訪れたことがない場所が存在しない」状態です。そうなると建物が取り壊されたり再開発が進むなど変化が起きれば継続観察する程度で、残念ながらよほどコアな視点を持たなければ私にとって新しい発見が起きづらくなっています。

そこで市内題材でやっていく中核をそのままに、関連する市外へ世界を拡張してみることにしました。市内の著名な題材の補足説明となるものが市外にあれば、それらも取り込んでいくスタンスです。
写真は山陽小野田市吉部田にある玉泉庵跡で、千林尼終焉の地として知られています。


今月号コラムの題材にするために昨日、雨の中をわざわざ撮影に行きました。他にも鉄道や河川など市外に跨がっている物件はたくさんあります。今後それらに言及する際にも市外の写真があった方が対比しやすくなります。

更にはそこまで理由をつけなくても、別に宇部市内限定という狭い世界で活動すべき謂われもないのです。現在暮らしている小羽山地区ではものしり博士作り計画でイベントに参画してきましたが、近々隣接する新川地区に進出する予定があり、上宇部や琴芝でも起こり得るでしょう。ならば市内題材も外へ世界を押し広げたいと思います。

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新年が節目になることに変わりはない
お知らせで祭りもイベントも節目の行事も平滑化する未来って書いたのがちょうど一年前でした。よほどのことがない限り、一旦アップデートされた生活習慣がロールバックされる筈がありません。今年も若干日取りが異なるだけで、去年の今頃と殆ど同じ過ごし方をしています。

去年は1日に顔合わせに行っただけでアジトに籠もり、2日に外の空気を吸おうとして市街部に写真を撮りに出かけています。今年は1日と2日連続して殆ど同じ場所へ行きました。市役所をはじめ殆どが年末年始休業なので、交通量が少なく写真が撮りやすいからです。しかし今年は明確な目的意識をもって撮影してきました。

この目的とは他でもない隧道あるはずでしょう物語に続く小冊子制作のためです。次作は市内題材を考えていることは早くから念頭にあり、既に題材を決めて書き始めています。何の題材になるかは、昨日の午後撮ったこの写真から推察して下さい。


新年に相応な挨拶をしたり、初詣に出掛けたりする習慣がすぐに廃れるとは思えません。しかし現代人は過ごし方が多様化しているので、自分が不必要だと思ったなら、簡単に新年特有の風習から離れることができます。テレビ新聞なしの生活なら、それだけで半分以上が消え去ります。SNSもお約束の挨拶をするのが鬱陶しいので、去年に引き続き閲覧のみで投稿は避けています。

私だけでなく多くの人が決別したのが年賀状差し出しです。毎年届いていた保険会社などからの印刷された年賀ハガキが一枚もありませんでした。さすがに多くの会社がムダだと気付き始めたようです。実際、遠方で暮らす個人への手書きならまだしも、大量に印刷された年賀状の差し出しとか時間と資源とコストのムダ。あれを全廃すれば年末年始の郵便物がマトモに届くのにと思います。

新年を迎えての今年の目標とか決意とか、そんなのも精々学生まで。何かしようって決めたなら、実行開始が元旦である必要がない。そんなに良いことなら今すぐやった方が良い。決意しようって思い立った日が最適日ですから。

かと言って新年が何の節目でもないとは言えません。世の中は暦で動くから歩調を合わせないといけない。私の個人的なことですら、2023年になれば新着通知とこの履歴ファイルを2023年向けに書き換えなければなりません。画像管理ファイル(pictman.xls)は2023年タブを追加する必要があるし、家計簿(Cash2023.xls)は前年ファイルをコピーする必要があります。デスクに向かっている現在はこの種の作業がとても多く、私にとって新しい年に入ったことを一番実感させる部分です。

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