常盤池

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記事作成日:2016/10/5
常盤(ときわ)池は宇部市にある県内最大の人造溜め池である。
総論的な内容は以下のリンクを参照頂きたい。
「Wikipedia - 常盤池」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E7%9B%A4%E6%B1%A0
以下、各論的な詳細情報について述べる。
《 アクセス 》
常盤池は宇部市の南方に位置し、市街部からは国道190号を通って車で十数分の場所にある。
下の地図は常盤池の本土手部分をポイントしている。


池の南部には遊園地や動物園など家族向けの施設が充実しており、ときわ公園として全国的に知られている。空港や鉄道、国道など主要な経路は専ら池の南部および東部に集中しているため、ときわ公園に訪れる観光客や市外県外の来訪者の多くが常盤池の南岸を目にすることになる。
特に国道190号より常盤公園の正面玄関を訪れたとき、国道沿いにある溜め池が常盤池の一部と誤解されがちである。これは夫婦池と呼ばれる常盤池とは成立時期の異なる独立した溜め池である。

常盤池の北側は設備こそ少ないものの複雑に入り組んだ入り江や半島に富み、常盤池築造当時から殆ど人の手が加わっていない部分もある。
現在は常盤池を一周できる周遊園路が整備されているので、ジョギングや散歩に利用する人がきわめて多い。常盤公園に近い場所の駐車場は有料(一般車400円)だが、池の北側にあるスポーツ広場ときわ湖水ホールの北部に位置するジョギング専用駐車場は終日無料で利用できる。

常盤池を囲む道としては、国道190号の常盤公園前交差点から正面入口前を通る市道常盤公園江頭線、本土手から池の西側を通る市道常盤公園開片倉線、東岸から北に向かって回り込む市道丸山黒岩小串線などが主要な道である。
《 呼称 》
Wikipediaにもあるように常盤池は常盤湖とも呼ばれ、園内における案内図や親柱の表記にも揺れがみられる。近年は常盤湖の呼称が目立っており、公的機関の案内ではしばしば「ときわ湖」のように平かな表記される。
常盤池か常盤湖かのどちらであるかは偶に議論の俎上となることがある。湖沼学の範疇では湖と池について厳密な定義がなく、公的機関などの案内では常盤湖が目立つものの、国土地理院の地図などでは現在も常盤池と表記されている。常盤池に架かるいくつかの橋にみられる親柱も常盤池と常盤湖の双方がみられる。
当サイトでは常盤池・常盤湖双方の表記を尊重しつつ、一般的表記としては「常盤池」で統一している。
一連の記事を"pond"ディレクトリに収録した都合上でもある

常盤と書いて「ときわ」と読ませるのは正規の訓読みを外れた日本古来の慣習であり、同種の地名は「常磐」など若干の漢字表記揺れを含めて全国各地に見られる。由来は「疾(と)き岩」であり、古くからその地に在り続けた岩を指している。詳細は以下の記事を参照。
派生記事: 地名としての常盤について
《 歴史 》
常盤池が今の姿になったのは1600年後半のことであるが、それ以前から常盤原の地には人々の生活があった。そこには黒岩山周辺一帯を水源とする川があり、現在の本土手から下流に深い谷を刻んでいたようである。

館長の許可を得て郷土資料館の展示資料を撮影している…以下同様



この川(現在の塚穴川の一部)を本土手の位置で締め切り、湛水された暁に常盤原の地は水に沈み、その名を歴史にのみ留めることとなった。他方、それまで沢だったところが入り江に、尾根だった場所が半島上の地形を形成した。
その主立った部分には「常盤溜井之略図」に名称が記載されている。拡大対象画像です。
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本土手より下流側が描かれていないが、当初は灌漑用に取り出した水以外の余剰分は荒手から排出していたようだ。
大正期になって国道190号のある場所に第二の本土手を築き、塚穴川として排出された余剰水も貯留して無駄なく利用しようと造られたのが夫婦池である。
《 池の諸元 》
地図や航空映像を眺めると、常盤池の南半分は比較的出入りの少ない岸辺を有しているのに対し、北部は極めて複雑な汀を形成している。ヤツデの葉のような形状をしており、殊に最北部にある3つの入り江は恰も漢字の「山」の字を描くようなフォーク型になっている。かつての尾根だった部分は半島を形成し、主立った先端部分には岬としての名前がある。

これは2009年4月に石炭記念館から撮影した常盤池の映像である。
上の地図と同様、ほぼ真北に向かって撮影している。拡大対象画像です。
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同じく展望台より常盤池を見おろしてパノラマ動画撮影している。

[再生時間: 39秒]


石炭記念館の展望スペースには高解像度の望遠鏡が設置されており、無料で観察できる。
東條付近の周遊園路を歩く人の持ち物まで判明する分解能を有する

湛水面積や水深については、正面玄関を入ってすぐの場所に設置された案内図に詳しい。拡大対象画像です。
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最大水深は13mとされているが、秋口以降で灌漑用水の非需要期には常盤用水経由での引水を行わず自然降雨のみなので、上流部から押し寄せる土砂の堆積も含めれば10m程度ではないかと思われる。
標準の水位では常盤池水面の絶対高度は約20m程度である。

・常盤池は流れ込む主立った河川をもたず、池の北部にある黒岩山の裾野周辺の雨水を集める程度である。このため築堤当初から用水不足に悩まされてきた。竣工後も当初は思うように水が溜まらず、俊平公はその廉で切腹を覚悟していた。[1]開にある溜め池から常盤池に導水しようとして鉄砲で脅されたこともあったようだ。この場所は現在の男山地区奥山にある溜め池かも知れない。かつて福原家の命で奥山から常盤池まで導水路を造って灌漑用水を補充する計画があった。このとき溜め池の余水吐に造られた石積みが御作興である。
派生記事: 御作興
水源の問題は昭和期に入っても続き、とりわけ昭和初期の大渇水では、一度は池の底に沈んだタブ跡が姿を現すほどであったという。
灌漑用水の供給以外に宇部東部の工業用水を賄う多目的利用に転換した時期、厚東川の水を自然流下によって導く常盤用水路が造られてからは灌漑用水需要期に常盤用水路経由で給水することで現在に至っている。したがって常盤池に溜まっている水の相当量は厚東川由来とも言える。
河川の水を内陸の池に導くことになるが環境に与える影響についての議論があったか否かは不明

・元々が灌漑用水の貯留を目的に造られた人造池なので、湛水効率と土地の有効利用の観点から後年では遠浅になっていた干潟部分を締め切ったり護岸を築いて外側を浚渫、内側を残土で埋めるなどした場所が目立つ。これによって見かけの湛水面積は築造直後より狭くなっているが、湛水容量は増加していると思われる。
なお、平成期に入って護岸の補強や嵩上げが行われた場所があり、当初より水位は高いかも知れない。

・常盤池の岸辺は、遊園があり来訪者が頻繁に訪れる南部は殆ど人工の護岸に置き換わっている。他方、北部は近年になって護岸化された場所が目立ち、現在なお人が訪れることのない汀は自然の岸辺になっている。
遊園付近にみられる初代の護岸は、コンクリートで補強後、天端に等間隔に円筒形の柱を設け、柱間を鉄棒で結んだ簡素なタイプである。鉄棒の1スパンは1m程度なので地形の入り組んだ場所に合わせて設置され、芸術的な曲線を描いていた。現在もあまり人が立ち入らない部分にはみられるが、新しいタイプの護岸と転落防止柵に置き換わり減少する傾向にある。
私有地に面する岸辺はあり合わせのブロックや石を並べただけの場所もあり、園内で岸辺の崩壊が目立つ部分で応急的に建築ブロックを護岸代わりに設置している場所もある。

常盤池に架かる橋は3箇所存在する。常盤神社と本土を連絡する新宮橋、正面入口とときわ湖水ホールの両岸を連絡する常盤橋、そして楢原の入り江出口部分に架かる白鳥大橋である。
正面入口から進んだところに噴水の池を渡る眺橋は、現在はその下を常盤池の水が自由に行き来する状態ではないので常盤池の橋とはみなされない。しかしかつては常盤池本体の入り江だったと推測される。
この他、常盤池の北端を通る市道丸山黒岩小串線の旧道は、かつて土取と高畑2つの入り江の先端部分を橋で横切っていた。現在は土取の入り江の先端部は埋め立てられサッカー場となり暗渠化され、高畑の入り江で水路部分を横切るコンクリート床版のみ存在する。
市道常盤公園江頭線の本土手から余水吐にかけて歩道部が張り出し桟橋の形で常盤池の上を通過している。所定の幅員が確保されなかったための仕様である。

常盤池には名前のついた3つの島が存在する。湖水ホールと正面玄関を連絡する常盤橋で仕切られた部分は、白鳥の飼育スペースに使われていたことから白鳥湖と案内されている。この領域には半島から切り離す形で生成したと思われる白鳥島が存在する。白鳥島はハクチョウが外敵に晒されない安全な場所を確保するために造られたと思われ、現在も橋は架かっておらず遊園の担当者以外立ち入ることはできない。
切貫付近に常盤神社が祀られた島があり、小鍋島と記載された案内柱が本堂の近くに建っているが、この案内板以外に島らしき名称が文献にも現れないことから、元から島としての固有名は付与されなかったものと考えられている。少なくとも常盤神社のある島に対して小鍋島と呼ばれるのを聞いたことがない。
同じく切貫付近にはペリカンを飼育するためのスペースがあり、ペリカン島と呼ばれている。恐らくかつては浅瀬で、白鳥島と同様外敵から護る安全なスペース確保の目的で人工的に造られたものと思われる。ペリカン島も飼育担当者以外立ち入ることができない。平成24年秋口には外来の野鳥からの感染を守る目的でペリカン島全体をネットで覆う工事が行われた。
名前はないが、土取と金吹の入り江の間にある半島部分の先端は、水位が低下すると陸に繋がる島があることが知られている。この陸繋島は常盤溜井之略図にもその記載がみられ、古くから陸繋島として認識されていた。また、昭和初期の大渇水期には常盤神社の先に割と大きな小島が現れ、貝が採取されたと記録されている。現在はそこまで水位が低下する前に常盤用水路によって池の水が補充されるので、小島が観測される余地はない。他方、陸繋島は現在でも水位低下時には部分的に観測可能であり、リスクはあるが上陸することもできる。

・常盤池に隣接する自然の溜め池または人為的に締め切られてできた池がいくつか存在する。いずれも定まった名称は存在しない。その最も面積の広いものは東條にあるもので、入り江の殆どが埋め立てられて水路状の湿地帯として遺っている。
菖蒲園や眺橋のある噴水池は、かつて入り江だった部分を人為的に締め切って池のような状態を造っている。[4]
土取の入り江の北側は深い沢になっており、その先端部に常盤池から完全に切り離された溜め池が2つ存在する。この溜め池は常盤池の水位が上昇しても取り込まれることはない。
山炭生の鼻から土取の入り江の左岸側にかけて水位が上昇すれば砂州部分が取り込まれ入り江になる内陸湖のような自然の池が存在することが知られている。

・かつて常盤池の岸辺には多くのマツが植えられていた。これは本土手をはじめとする岸辺を補強するために築堤当時に植えられたものである。現在の常盤通りもかつて松原があり、マツを伐ることが厳しく禁止されていたが、常盤池の岸辺のマツも同様だった。しかし昭和中期以降は植生が変化し、背の高い松は残念ながら少しずつ減る傾向にある。古くからあるマツの多くが伸びすぎたことによる自重と岸辺の支持力の弱体化により大きく傾いて育っている。
本土手には幹の太い相生の松が植えられていて市道常盤公園江頭線はその松を避けるように上下線が二手に分かれていたが、平成期に入って枯れたため切り倒されている。
飛び上がり地蔵尊付近でカーブの幅員が広いのはその痕跡である

・常盤神社のある西側の半島の突端には常盤池周辺で唯一の三角点が設置されている。来園者が大勢訪れる場所柄か標識柱は折損され近くの東屋に転がっている。

この他地図には半島を形成している最高地点と思われる地点に標高のベンチマーク表記があるが、まだ正確な場所は確認できていない。
《 水資源 》
常盤池は慢性的な灌漑用水不足に悩まされてきた梶返や野原方面への給水を一つの目的としていた。このため最初に本土手から用水を取り出し送る下小場が造られた。現在は樋管などはすべて取り替えられているが、用水路の経路は当時のままである。
また、豪雨などによって常盤池の水位が上昇し過ぎたときのために、本土手の東側に余水吐が設置されている。余水吐そのものは昭和期以降にコンクリート補強されたが、荒手と呼ばれる排水路は本土手から離れた場所の岩盤を切り抜いて造られており、当時の鑿の痕が現在も観察される。この余剰水はかつては塚穴川へそのまま排出されていたが、灌漑用水の効率利用を目的として大正期に夫婦池が築堤された。

その後、梶返方面へ効率的に送水するためのもう一つの取り出し口が現在の菖蒲園に近い切貫に造られた。ここから用水を宇部台地まで導くためには隧道を掘削する必要があった。送水路を掘り割り、現在の市道常盤公園開片倉線の下を隧道で通されている。
この周辺は地盤が軟弱[2]で、工事初期に大規模な崩落事故を起こしている。この復旧作業のために追加の工事費が必要となった。この用水路も現在なお灌漑用水向けとして使われている。大規模に山を掘り割った付近の箇所は、作業工程に因んで切貫という小字がつけられている。現在でも灌漑用水として常盤池の水を取り出す場所は上小場と下小場の2系統に限られる。

明治期以降、田畑の作付け面積が拡大するにつれて灌漑用水需要が増えて常盤池の用水だけでは足りなくなった。このため従来は余剰分を排出していた下小場からの塚穴川を堰き止めて夫婦池を築造した。夫婦池の誕生により、亀浦方面まで作付け面積が拡大するに至っている。

昭和期に入ると、宇部は石炭産出という地域的特性もあって重工業による工業用水需要が拡大してきた。宇部西部は厚東川からの水を工業用水に充てることができていたが、主立った河川のない宇部東部は慢性的な工業用水不足に悩まされてきた。海水を汲み上げて代用していたようだが、塩水が機械に与える悪影響から常盤池の水を工業用水に充てたいという声が高まった。しかし元から常盤池に溜まる自然水だけでは慢性的に不足しており、工業用水としての利用に難色を示す意見が多かった。特に昭和12年からの大渇水では灌漑用水も逼迫して危機的なものとなり、福原時代に部分施工されたものの工事が中断していた男山経由での引水について、再度議論がされている。この時は砂止め井堰からの引水が計画されていた。

最終的に厚東川の水をポンプアップして常盤池まで導き、工業用水として利用するという案が提示された。具体的には厚東川の末信潮止井堰から取水し、沖ノ旦にあるかつての仮取水場付近でポンプアップし常盤池のながしゃくりに注ぐ常盤用水路が造られた。
これに伴い、下小場の出水口付近に宇部東部の工業用水を賄う導水管が布設された。この導水管は宇部興産(株)の所管であり、概ね国道190号に沿って宇部東部の工業地帯に工業用水を送っている。
派生記事: 宇部興産(株)常盤工業用水
常盤池の有する直接の水資源ではないが、池の北半分にある入り江は昔から温度を持つ湧水がみられる場所だった。現在の宇部・ときわ湖畔ユースホステルのある地はかつて金吹園という老人ホームがあり、湯治の場となっていた。現在でも県による水質試験で認可済みの給水所がある。
また、楢原の入り江には水位が下がると入り江の末端部にコンクリート塊と建築ブロックによる塔が現れる。これは常盤池の底からの湧水をポンプで汲み上げパイプで導いていた設備の遺構である。池の東岸に共同浴場があり、昭和中期頃まで営業していた。

一般に山の斜面や大きく抉れた深い沢地は湧水を伴うものだが、常盤池の北側や請川(片倉温泉)には昔から温度をもつ湧水があり、温泉として利用されていた。[7]
《 観光 》
観光関連についての項目は常盤公園の項目に譲り、ここでは常盤池に関するもののみをまとめている。

・灌漑用の溜め池でありながら、常盤公園として整備された後は動物の飼育や観光目的で多くの入り江や汀が転用されている。
常盤池の西岸は遊園など観光関連の設備で占められている。白鳥池の近くにボート乗り場があって足踏み式の屋根付きボートをレンタルして子どもでも安全に池の上を散歩することができる。以前は定期的に遊覧船が営業運転されていたが、現在は停止されている。[3]かつての手漕ぎ式ボートは安全性の面で難点があることからすべて廃止されている。これらの営業および設備管理は民間委託されている。

・現在のボート乗り場のある場所は、かつて鯉の養殖場が存在した。緋色や黒、黄金の鯉が飼われており、来園者は品定めして買って帰ることができた。鯉の飼育は万倉にある業者で、常盤公園の再整備に伴って市の担当者から撤収を勧告されたという。[要出典]
私事だがうちの親もここで鯉を買い以前の家で飼育していた…現在は一匹のみ裏山の溜め池に放されている

・ハクチョウを飼育していた時代は、飼育範囲とされる白鳥湖を逸脱して常盤池の至るところに「はぐれハクチョウ」の姿を観ることができた。餌を与えられ慣れているせいか、人の姿を観ても逃げずに寄ってくる場合もあった。
現在はまだハクチョウの飼育を再開しておらず、はぐれハクチョウに出会う可能性は基本的にない。また、ペリカンも平成24年秋口にペリカン島全体を覆う工事が完了し、外部へ飛来することはない。

・ダム湖とは異なり、常盤池の水面は一般向けに開放されているわけではない。明確な禁止標示はないものの、遊園部以外でボートを貸し出す設備も場所も存在しない。外部からボートを持ち込む行為の扱いがどうなっているかは調査する必要があるが、学術調査などの目的以外では禁止と思われる。
現状も白鳥湖周辺やときわ湖畔北キャンプ場のように整備されている場所を除き、池の汀へ接近するのは好ましくないと考えられているようで、随所に池への接近を制止する子ども向けの立て札が見られる。少なくとも親水公園を意図した設計になっていないことは確かである。また、釣りや遊泳は明確に禁止されている。
出典および編集追記:

1. 常盤神社に設置された椋梨権左衛門顕彰碑に詳しい。

2. 野外彫刻広場から切貫付近にかけては粘性土と蛇紋岩の混成である。特に水分を含むと地耐力が著しく低下し崩れやすくなる。(工事関係者)

3. 遊覧船は運行が停止された後も管理委託会社によって事務所や連絡用桟橋と共に水没しかけたまま放置されていた。このうち遊覧船は2014年中に撤去されたが、関連する事務所や桟橋は現在もそのままである。(2014年12月時点)

4. 平成25年7月に一部を改修し、7月13日より子どもたちが水遊びする「ジャブジャブ池」として提供された。

7. 温泉とは言ってもそのまま供用可能な温度を持つ湯が湧出しているのではなく、適宜湧かし直している。これは市内および近隣地域の温泉と呼ばれる殆どの場所に共通する。
但し持世寺温泉では現在でも摂氏40度以上のお湯が湧出するという

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